第22話

 最高だ。

 増田道夫はこみ上げてくる笑いが止まらなかった。


 自分の思い通りになるというのはどうしてこう最高に気持ちがいいのだろう。全能感に包まれ、すべてを支配したようになれる――もとより増田は生まれながらにすべてを支配するために生まれた最高の存在ではあるのだが。


 やはり増田は究極にして最高の存在なのだ。でなければこのように物事を思い通りにすることなどできないはずである。すべてを圧倒し、ゴミ以下のもので溢れているこの世界で燦然と黄金よりも美しい輝きを持つ――それが増田道夫という存在なのだ。


 増田はいまのところやつの立てた計画に従っている。


 それはやつが自分より優れているからではない。所詮、幽霊程度のものでしかないやつが増田より優れたことを考えることなどできるわけがない。当たり前である。そんなもの宇宙が始まったときから決まったことなのだから。


 増田はすべてを凌駕する支配者であるが、たまには支配される側の者どもに従ってやるのも悪くないと考えている。


 最高の支配者たるものその程度のことができて当然だ。

 一時であっても、気まぐれでゴミと遊んでやる必要もある。

 これはその一つでしかない。


 増田の下僕たるやつの立てた計画はなかなかに面白かった。この増田が乗ってやる価値のあるものだ。特にゴミクズどもを好き放題できるという点は最高というほかない。


 まあ、やつに増田の身体を貸すというのは未だ気に入らないが、なかなか面白い余興が見れるうちは許してやるつもりだ。


 幽霊と侮っていたが、演出家としての才能はなかなからしい。少しばかりできのいい二流でしかないが、B級映画のようなものだと思えばそれなり楽しめる。


 無論、一流の増田がやればこれよりもさらに面白いものが簡単に作れるが――任せると言った以上、やつが演出する喜劇を最後まで見てやるつもりだ。そこそこ楽しめる劇が見れたうえで力を完全に自分のものにできる――なんと素晴らしくコストパフォーマンスに優れているのだろう。


 こんなこと、増田ほど偉大でなければできないことである。


 いや、違う。


 増田だからこそこのように都合のいい出来事を呼び寄せることができるのだ。増田が生まれながらに持つ黄金律は人類史上最大のものなのだから、それは当然である。もはや法則といっても過言ではない。


 凡人の馬鹿のクズなら『自分の才能が恐ろしい』などと言ったりするのだろう。だが、増田はそのようなことは一切思わない。増田は優れていて当然なのだ。当然のことを恐れる必要などまったくない。増田が優れているのは、哺乳類が呼吸をするくらい当たり前のことなのだ。そのような当たり前を恐れるのはただの愚鈍なクズである。そのような汚物どもはさっさと死んで、世界に貢献するべきだ。この世界の多くには価値はまったくない。価値のないものが『自分には価値がある』と思い込んで生きている。そんなことがあっていいはずがない。そんなものは根本から間違っている。誰が許しても、この最高の存在である増田道夫が許さない。


 だから増田は、力を自分のものにできた日にはその力をもってすべてを焼き尽くして、あるべき姿に作り変えるのだ。世界でただ一人、その権利を増田は持っている。増田は神すらも凌駕しているのだから、増田のその判断は神の下した決定よりも遥かに重い。増田が許さないと言ったものは、あらゆるものはその時点で未来永劫許されることがなくなるのだ。これは絶対的な公理であり定理であり摂理であり真理である。それが許さないと下したのなら、許されないのは当然ではないか。


 一つ、やつが演出する脚本に不満があるとすれば――


 現段階ではやつが演出する喜劇の登場するクズどもの動向を常に確認できないことだ。


 弟が好んでいるらしい同級生がどのようにして壊れていくのか見たいのだが、やつが言うには『あの娘の本性を引き出すためには、こちらが操作しては駄目だ。唆して自発的にやってもらわねば意味がない。である以上、こちらからあの娘の状況を逐一確認することはできない。残念だがね』とかなんとかほざいていた。そんなこともできないとは、やはり大物きどっていても無能でしかない。


 そんなことになっているのはやつが蒙昧なゴミであるからで、増田がやったのならその程度の問題はすぐに解決するだろう。だが、やつの無能を増田が尻ぬぐいする必要など一ミリもありはしない。演出家など支配者たる増田のすることではないのだ。


 クズが演出し、クズどもが出演するクズ劇を観てやるのもたまになら悪くない。

 それに、わからないのならわからないでまったく楽しめないわけではないのだ。


 人間が壊れるときというのは、この増田の知性を持ってしても予測できない部分がある。人間が死ぬとき、壊れるときはまともであったときとはまったく違った姿を見せてくれる――それはとても愉快なものだ。増田はそこいらのゴミを消滅させたときに何度も見ている。きっとあの娘も、増田のことを大いに侮辱してきたあの男も、予想できないくらい愉快な様子で壊れてくれるのだろう。それを想像するだけで楽しめる。ゴミ以下でしかなくとも、そのときだけはどんなクズであろうともわずかな価値が発生するものなのだ。クズにはそれ以外の価値は一切存在しない。壊れて死んで消えるときにだけ見せる愉快な姿以外無価値なのだ。


 見れなくともそこそこ楽しめるわけだが、見えたほうが楽しめるのは言うまでもない。


 弟の同級生のあの女は格別に愉快なものを見せてくれるはずだ。

 やつはあの女のことを『鬼』と言った。

 確かにその通りだ。

 やつの話ではあの女は悪意もなにもなく殺戮を嗜好しているという。


 憎いわけでもなく、怒っているわけでもなく、奪うためでもなく、狂信のためでもなく、ただなにかを『殺す』ことを嗜好しているから殺すという存在。


 それならば確かに悪意はない。


 悪意が一切ないゆえに、あの女は災厄をまき散らす。クズどもにしてはなかなか面白いものを持っている。


 いまはそれをなんとか抑えているようだが、抑えているということは過去にその災厄をまき散らしたことがあるに違いない。

 クズどもの社会には持て余す不適合者だろう。

 増田はそれを有効に利用してやるのだ。


 なんという慈悲であろうか。

 究極の存在たる増田に利用されることを誇りに思うといい、女。

 それだけでお前は多くのクズより価値がある。

 この偉大なる増田道夫がその価値を認めたのだ。


 素晴らしいだろう。

 ほぼすべての人間はそれすら持っていないのだ。

 お前はお前が望むように、自らの裡に抱えた災厄をまき散らすがいい。

 この増田道夫が許したのだから、許されるのは当然の摂理である。

 こちらの想像を超えて、愉快な災厄をまき散らすことを期待しようではないか。


「なあ」


 そこで増田は自分の中にいるやつに対して声をかけた。


『どうした』

「あの女、いつになったら壊れるんだ?」

『そうだな。たいして時間はかからんだろう。本格的に壊れるまで三日とかからんだろうな。なにしろ崖っぷちを覚束ない足で歩いているような娘だ。軽く押すどころか声をかけてやるだけで落ちる。やはりあの娘が壊れていく様を見たいのかね?』

「当たり前だろ。どっかおかしいやつが、やっぱりおかしいことを自覚して、それに耐えきれなくなっていく姿なんてそうそう見れるもんじゃないからな。それで、弟があの女に殺されることになれば最高だ」


 仲のよかった友人が、本当は災厄をまき散らす鬼であることを弟が知ったらどう思うだろう。それを考えるだけで笑いが止まらない。あのグズのことだから、最期に見せる姿も平凡以下のものかもしれないが、それでもただ生きているよりは価値はある。


 それで増田が弟によって味わわされてきた屈辱を多少なりとも晴らすこともできよう。

 きっとそれは素晴らしさしかないはずだ。


『しかし、おぬしの弟が殺されるとなったら、それはそれで困るのではないのかね?』

「ふん! そんなものどうにだってできるさ」

『まあ、おぬしがそう言うのなら私はなにも言うまい』


 相変わらずやつはすかしたことを言っている。それが鼻につくのは変わらないが、いまは見逃してやろう。どうせやつが自分の身体を手に入れるのだって遠くない。やつが自分の身体を手に入れるということは、あの力が増田のものになる日ということでもある。


 凡夫どもに増田を邪魔することなどできるわけがない。計画は盤石だ。誰にも止めることはできない。これを止められるのは増田本人だけだ。自分以外のゴミクズにはそんなことができる道理など存在しない。


『そうでもないぞ。油断するべきではないな』

「……なんだと?」


 増田の思考を遮ったやつに苛立ちの声をあげた。


「どういう意味だよ? あの女とあいつは知り合いなんだろ? あの女を利用して、あいつの身体を奪えばいいだけのことじゃないか。油断する余地なんかどこにもない」

『無論、私にもそのつもりはないし、計画も盤石であろう。しかし、私が狙っているあの男を陥落させるのは相当難しいようだ』

「なに言ってんだよ。分が悪くても勝算がないわけではないんだろ? どうしていまさらになって弱気になってんだよ!」


 そう言ったのはお前じゃないか――と増田は喚いた。


『弱気になったわけではないが――そう言われても仕方がないな。今日の昼、再びあいつを見て思ったのだよ。あの男はそうだな――ある種の呪いを受けている。祝福と言ってもいいかもしれんが、どちらでもたいして変わらんな。とにかく、あの男は呪いだが祝福だかを受けているからあれほどまでに強い。私の力すらもはねのけるほどにな』

「……なんだよ呪いって」


 あるのかそんなもの――と思ったが、増田の持つ力だって常識外れのものである。なら呪いくらいあったとしても不思議ではないと思い直した。


『そうだな――あの男が受けているのは勝つ呪いだ。奴と争い、戦った相手には最終的に必ず勝ってしまうのだ。奴がどう考えていようと、相手がどのようなものであっても関係なく、あの男は相手に勝ってしまうのだよ』

 頭に響くやつの声は相変わらず他人事のようだ。

「な……」


 奴の言葉を聞いた増田は狼狽を隠せなかった。

 それでは――


「それが本当だったとしたら、俺たちは絶対勝てないじゃないか!」


 増田は声を荒らげた。

 あの男が自分の意思や相手に関係なく勝ってしまう呪いを受けているというのなら、増田たちが勝てる見込みなどまったくない。


『まあ、落ち着け。奴の最終的に勝つことができるというのは、絶対勝てるというわけではない』

「はあ?」


 意味がわからん。どこか違うというのか。


『最終的に必ず勝つというのは、すべての勝負に勝てるわけではない。

 例えば――十回賭け勝負をやったとしよう。我々はこれまで九回の勝負に勝利しており、奴のほうは負けがこんでほとんどおけらの状態になっているとする。なんとかして負けを取り戻したいやつは我々に、こういう持ちかけをしてくる。〈俺が負けたら借金をしてもなにをしてもいままでの十倍の金を支払う。なんならそちらの要求をすべて聞こうじゃないか。だからそちらも俺が勝ったらいままで賭けた金を全額支払ってくれないか?〉とな。


『それでその一世一代の勝負に出た奴は、そこで必ず勝つことができるのだ。こちらが勝つためにイカサマをしたとしても、奴はあり得ないような幸運が舞い降りて勝ってしまうのだ。わかりやすく言い換えると、負けてはならない勝負にだけは絶対勝つことができる。最終的に必ず勝てるというのはそういうことだ。


『そして、いま我々と奴が行っている勝負は先ほど例に出した賭け事ではない。闘争――命のやり取りだ。そのすべては奴にとって負けてはならない勝負ということになる。自分の命が係わっているのだから』


「そ、そんなのどうにもすることができないじゃないか! それであんな自信満々だったのかよお前!」


 増田はさらに狼狽しながら声を荒らげる。


 なんて卑怯な奴なんだ。どうしてそんなものをくだらない凡夫が持っているんだどう考えたっておかしいじゃないかクソクソクソどこまで俺のことを邪魔すれば気が済むんだあの野郎は絶対殺してやる……増田は呪詛の言葉を吐き散らした。


『そう声を荒らげるでない。奴が最終的に必ず勝つ呪いの発動条件は、敵が奴の呪いに拮抗するなにかを持っていない、あるいは持っていても奴以下の力しかなかった場合だけだ。最低でも奴と拮抗できる力を持っていれば、奴の呪いをはねのけることができる。完全には難しいがね。奴の力はとてつもなく強力だが、万能ではないのだ。我々の力と同じくな』

「…………」

『そして、絶対勝てるというわけではない、というあたりに付け入る隙がある。その間隙をうまくついて勝利をかっさらい、奴が再戦できないようにしてしまえばいい。なかなかの困難だが、それをするだけの価値はあろう』


 しかし、やつはまったく揺らいでいない。

 相変わらず余裕を感じさせて、堂々と構えているように感じられる。


「……うまく隙をついて勝って、奴の身体を奪えば、奴の持つ『最終的に必ず勝てる呪い』がお前のものになる――からか?」

『そうだ。まあ、最終的に必ず勝ってしまうことがわかってしまうと、勝負事が味気なくなってしまうのは否めないが、それはいまの私であってもさしたる差はない。九十五勝てるものが九十九勝てるようになるだけだ。私が狙っており、必要としているのは〈私に耐えることができる器〉だからな。


『その呪いを必要としているわけではない。ついてくるのならばそれはなかなかうれしいおまけではあるがな』

「い、いや、でもどうやって隙をつくんだよ。あいつにとっては全部が負けられない勝負なんだろ? それじゃ隙なんてどこにもないじゃないか」

『おや、おぬしは私がなんだったのか忘れているのか? いまは幽霊のごとき存在であるが、これでも私は神だぞ。神である以上、奴の呪いは私に対して強く作用しない。強く作用しないのであれば付け入る隙も生まれよう。


『だが、おぬしを安心させるためにも、もう少し足場を固めていったほうがいいかもしれんな。どうせ、あの娘が壊れるまで時間はあるのだ。奴を崩すための手がかりを探そうではないか』


 楽しそうな声を増田の頭の中に響かせた。

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