第18話
あいつは一体なにをするつもりなのか――増田道夫はそれを考えると、苛立ちがさらに増してくる。ただでさえ間違ったものばかりの世の中に対してイラついているというのに。
やはりこの世界は一度火の海にして焼き払うべきだ。それしかない。当たり前だ。この自分がそう決めたのだ。それが正しいのは当然のことだろう。増田はこの世界において唯一といっていい正しい存在なのだ。それがこの世界は間違っていると断じた。これが間違いでなくてなんというのだろう。
そしてその間違いは多少のことでは取り除くことができないところまで侵攻してしまった。だから、この間違いを正すためにはすべてを焼き払う以外の手段が残されていないのだ。そして増田はそれを行うことを許された存在である。自分がこの力を手に入れたことがその証明だ。そうでなければこんなことが起こるはずがない。
偶然? 違う。増田が圧倒的に優れているから奴のほうから自分を選んだのだ。偶然などではあり得ない。増田がこの力を手に入れることは宇宙開闢より決まっていたことなのだ。
なのに。
なのに――だ。
どうして自分が思う通りにならないのか。
昨夜の屈辱的な出来事を思い出し、さらなる苛立ちが湧き上がる。
これはどう考えてもおかしい。理屈に合わない。増田はあらゆる行為を許された偉大にして唯一無二の人間を超えた存在である。神にも等しい。いや、もう神そのものである。並ぶものなど誰もいない。圧倒的な存在。それが増田道夫という存在なのだ。
そんな存在が自分の思う通りにことが運ばない――何故か? それは世界が間違っているからだ。世界そのものが徹底的に間違っているから、正しいはずの存在の邪魔をする。正しい行為の邪魔をする。間違えているものが正しいものの邪魔をするなどあっていいはずがない。
なんという愚行か。
どこまで世界は愚かになれば気が済むのだろう。いや、この愚かさはどうにもならない。どうにもならないからこそ、増田は力を手に入れた。そして、その力を以て世界をすべて焼却し、間違いを正さなければならないのだ。
しかし、それは未だ実行できていない。
間違えた世界の住人が――世界そのものが増田の邪魔をしているからだ。
そればかりか、増田の奴隷である『やつ』すらもこちらの意向に従わなくなるような気配を見せ始めている。
昨夜、増田の邪魔をしてきたあの男から勝手に逃亡し、そればかりか身体を貸せなどということも言ってきたのだ。いままで大人しくしていたようだが、こちらがやつのことを協力者として見過ごしていたら、隠していた本性を出してきたというところだろう。
きっと増田が偉大過ぎるからそのような欲が出てきたに違いない。なかなか見る目がある――が、許されることではないのは明らかだ。見る目があろうがなかろうが、幽霊風情が増田に対してそのようなことをしていい理由など天地がひっくり返っても出てくることはない。それが真理である。
だが、増田はこれを許可してやった。
いまの段階ではやつと利害が一致しているからである。
増田としても正直、自分の中に異物がいるのは心地いいと思っていないし、やつも自分の身体を欲しがっている――どちらにも利があるのなら、奴の不敬も許可するべきだろうと判断したのだ。なんという明晰さだろう。我ながら素晴らしい。大局を見据えた行動である。これは、この世界のすべてを詰め込んでもなお余りある巨大な器を持つ増田だからこそできることなのだ。
しかし、増田は好き勝手自由にさせるつもりはまったくない。
所詮、幽霊のようなものとはいえ、あいつはなかなか狡猾だ。油断を見せればやつはこちらを陥れてくる。従順そうにしていようと、圧倒的な知性を持つ増田にはそれを簡単に見抜くことができるのだ。当然、やつはそれにまったく気づいていないだろうが、なにもしなくていいわけではない。ある程度、牽制しておくべきだ。いくら下等な存在が相手であろうと、油断はしないのが増田の方針である。
だが、ひと晩経ったいまもやつはそれをこちらに話していない。身体を借りてなにをするつもりなのか。なにを目的にして身体を借りるつもりなのか――まったく告げる気配が見られない――増田の器が並外れているとはいえ、いつまでも我慢するつもりなどまったくない。自分より下の存在には断固とした態度を見せつける必要がある。立場を理解していないのなら、その立場を理解させてやらなければならない。当然の帰結である。
そしてつい先ほど、やつは身体を貸してほしいと言ってきた。それは時間にしてほんの数分に過ぎなかったが、増田にはかなり不愉快だったのは疑いようもない事実である。
自分が使っている身体を、自分ではない誰かが動かすというのは――それを意識だけになって浮遊するかのように眺めるのはどこまでも不愉快だ。やつに身体を貸すのを少しだけ後悔したものの、多少我慢すればやつは自分の中から消えるのだと考えれば、その不愉快にも価値はある。
きっと多くの馬鹿どもは目先のことしか考えられないから、このような判断など到底できまい。こんなことができるのは増田が誰よりも優れているからなのだ――
果たしてやつはなにしたのか――やつがしていることを増田は意識だけになって見ていたが――結局わからずじまいだ。なにやら弟の同級生の女子学生に対してなにかしているようだったが――
『おや。私がなにかしたのか気になっているのかな?』
そんな声が響いてくる。
余裕に満ちた、こちらを見透かしたような口調でそんなことを言ってくる。本当に不愉快だ。どこまで増田を舐めれば気が済むのだろうか。こいつが増田に力を寄越したという事実がなければとっくに消し去っているところである。
『私の記憶違いでなければ自由にしていいとおぬしは言っていなかったかね?』
「うるさい黙れ。任せるとは言ったが勝手にしていいなんか言ってないだろ、何回言えばわかるんだよこの低脳が! 幽霊みたいなもののくせに俺に指図するじゃない! いつになったら自分の立場を理解するんだよ!」
『ほう、幽霊か。なかなか面白いことを言うな。ふむ、確かにその通りだ。実体を持たず、『本』を通してしか干渉することができない私は確かに幽霊だろう』
こちらが罵倒しても、やつはまったく気にしている様子はない。どこか超然としながら、増田の発言にむしろ感心しているようだ。
『幽霊の戯言にいきり立っても仕方ない――そう思わんかね?』
「……む」
それには一理ある。やつの言う通りだ。身体を持たぬ幽霊にいちいち怒るのはあまり生産的ではない。
『それに、私はおぬしほど明晰な思考を持っておらんのだ。それゆえ、私はとてつもなく優れたおぬしの意図を理解することがなかなかできない。程度の低いやつを相手にしているのだから、そのあたり大目に見てくれないかな?』
「ふん。そこまで言うんなら許してやる。だけど、お前に勝手にしていいわけじゃないってのはわかってんだろうな!」
『当たり前だ。そこまで私は馬鹿ではない。自分の立場は充分理解しているつもりだよ』
実に嘘くさい言葉だが、とりあえずは信用しておいてやる。馬鹿がやることをときには許す必要もある――それが優れた者が持つ使命の一つなのだ。
「それがわかってんならさっきなにをしたのか言えよ! もしかして言えないのか? 立場をわかってるとか言っときながら言えないってのか? お前、自分の立場なんてなにも理解してないんじゃないのか? ふざけやがって! 俺を怒らせたいのかお前は!」
『急かすなよ。言わないなど言ってないだろう。おぬしのことを楽しませてやろうと思って機会を窺っていたのだが――』
増田の怒りの言葉を聞いても、やつはまったく気にかけている様子がない。反省する気など一切ないのだ。徹底的にこちらのことを舐めている――自分の方が、立場が下であるとわかっていながら。
「お前が俺のことを楽しませる必要なんかないんだよ!」
『おや、そうであったか。それはすまないことをした。てっきりおぬしは愉悦を求めているのだと思っていたが――思い違いだったようだね』
「どこまで勘違いすれば気が済むんだよこのクズ! 余計なことはしなくていいんだよ! そんなことしろなんて言ってないだろうが!」
増田は喚いた。どこまで勘に障ることをすれば気が済むのか。所詮、こいつも増田のコマになるような存在ではないのだ。
ゴミクズめ。
忌々しい。
だが、ここで怒鳴り散らしても仕方がない。さっさとこいつの目的を達成してやって追い出すのが先決だ。
「まあいい。で、お前はさっきなにしたんだ? あの女、確か弟の同級生だろう?」
多少、可愛い顔をしている以外なにもありそうにない、グズの弟が好みそうなつまらない女にしか見えなかった。
『ほう。おぬしにはあの娘が〈普通〉に見えたわけか。どうしてそう思う?』
「ど、どうしてって……」
グズの無能が好む女などつまらないに決まっているではないか。それ以外なんの理由などありはしない。
「そんなもん勘だよ勘。この俺がつまらないと直感したんだからそうに決まってるだろ」
『そうか。ではその勘は珍しく外れたようだぞ』
「なに?」
聞き捨てならない言葉である。増田の勘が外れるなど万に一つもない。
『そう怖い声を出すな。万に一つといえど、起こることは起こるものだ。要はそういうことであろう。この世界というのはラプラスの魔であっても完全な予測はできんと証明されているらしいではないか。
ならば、おぬしがいかに巨大な知性を持っていようとも、完全な予想ができないのは当然と思わんかね。万に一つしか起こらぬものが一回目に起こることもあろう。何回目に起ころうとも万に一つという確率に変わりはない。神というのはサイコロ遊びが相当好きなようだからな』
「…………」
その論理には納得できなくもない。
外れることが万に一つもないだけで、増田の勘は完璧であるとは思っていない。
だが、それを別のやつから指摘されるのは不愉快だ。
「じゃあなんだ。お前はあの女がなんか特別だというわけかよ。はん! 馬鹿馬鹿しい。あの女、実はバケモンで尻尾か角でも隠してるって言うのかよ?」
『なかなか面白いことを言うではないか。さすがよな。もっとも優れているとうそぶくだけのことはある』
「は……? どういうことだ?」
『その通りの意味だよ。あの娘は、私が狙っているあやつとは形こそ違うものの異形である。角も尻尾もなく、普通の人間とまったく変わりないだろうがね――そうだな……さしずめ災厄をまき散らす鬼というところか』
「なんだよ、それ。普通の人間と変わりないのにバケモンってのはおかしいだろう」
バケモノというのは増田の邪魔をし、こいつが狙っているあの男のようなやつのことを言うのではないか。
『ではおぬしに問おう。人々がなにかを〈バケモノ〉だというとき、それは一体どういうものを指すだろうか』
「そんなもん、決まってるじゃないか。自分の力を遥かに超えているものとか、自分の理解を超えているものとかだろ?」
『そうだ。さすがの慧眼よ。自分の力を超えているもの、あるいは自分の理解を超えたものを多くの人々は〈バケモノ〉と称する。普通の人間と変わりなくとも、例えば――その行動原理が多くの人々の理解を超えたものであるのならそいつは〈バケモノ〉と定義されるわけだ』
「あの女は、普通の人間には理解できない行動原理を持っている――と?」
『そうだ』
「なら、あの女はもっとわかりやすく狂ってるんじゃないのか? そうは見えなかったぜ。そこらで刃物振り回して殺すとか、それくらい壊れてないと、理解できない行動原理を持っているなんて言えないだろ?」
『その通りだ。それくらい外れていなければ〈バケモノ〉に分類されるような行動原理とは言えない。ま、いつの時代にもそれを濫用したがる者は多いがね。だが、あの娘には定義の乱用が必要ない。ずいぶんと頑張って取り繕っているようだが――揺らしてその背中を押してやれば簡単に取り繕った表面は壊れるだろうよ。先ほど私が起こったのはそれだ』
「ほう……」
いつものくだらない話かと思っていたが、そうではないらしい。増田としても多少興味がわいてきた。
「で、お前の見立てではあいつはどういったものなんだ?」
『さっきも言ったが災厄をまき散らす鬼だよ。身もふたもない言いかたをすれば災害の類だな。なにしろ悪意を持っていない』
「面白そうな話じゃないか。なにするつもりなのか聞かせてくれよ」
『興味を持ってくれてなによりだ。おぬしならきっと興味を持ってくれると思っていたぞ』
悪意に満ちた声を響かせて、増田に語り始めた。
すべてを聞いた増田は満足げに笑った。
「お前にしてはなかなか面白いことを考えたじゃないか」
久々に面白い話であった。誰かの話を多少なりとも面白いと感じたのは久しぶりだ。なかなか悪くない。幽霊ごときと高をくくっていたが、なかなか侮れないな――そんなことを増田は思っていた。
『気に入ってくれたか』
「ああ。気に入ったぜ。お前に協力してやるよ。身体を貸せばいいんだろ?」
『うむ。以前言ったように借りるときはしっかりと申し入れる』
「んなもん気にしなくていいよ。こんなに面白そうなもんが見れるんだからさあ! 少しくらい勝手にしても俺は怒らないぜ!」
これから始まることを思うと愉快でたまらない。
弟が好んでいるらしい女が壊れたどんな顔をするだろう。あの透かした面が絶望に包まれるのだろうか。それとも怒り狂って、あの女と同じように壊れていくのだろうか。
どちらであったとしても――
それを考えるだけで心が躍って仕方がない。
愉快な劇を見ているだけでこの力を完全に自分のものにできるとは最高にもほどがある。
やはり増田道夫は最高の存在であるから、そんなことが許されるのだ。
当たり前である。
それは世界のすべてを支配する真理だからだ。
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