第四十話 遠藤梓葉は諦めない
〝願いごと〟。魔法使いを倒したものだけに与えられる魔法少女の特権。
遠藤梓葉は迷っていた。願いはある。けれどそれは一つじゃなくて、どちらも比べ難く彼女にとっては大切だった。
黄金の夜の雫を手に取るその瞬間まで、梓葉は決めかねていた。
そんな彼女の意思とは無関係に、或いは心の奥底で決まっていた答えを抜き出したのか。
梓葉は燃え盛る街の中に立っていた。
響き渡る悲鳴。あらゆる物が焼け落ち焦げる嫌な匂い。慌ただしい雑踏と崩れていく街。
かつて脳裏に焼き付けられ、絶対に忘れないと誓った光景の中に梓葉はいた。
「ここは、五年前の……」
色んなモノを失ったあの日――――眼の前に倒れる憧れの〝
気が付いた瞬間、梓葉の身体は勝手に動き始めていた。傷だらけで痛ましい姿だが、まだ息がある。
膝をついて渚沙の手を取った。夥しい量の血が梓葉に付着する。喉が震えていた。きっと渚沙の手を掴んだ自分の手も、馬鹿みたいに震えている。
「渚沙さん!!」
この状況に飛ばされたのは、過去は決して変えられないという梓葉への当てつけなのか。
今はそんな事はどうでも良かった。目を空へと向けていた渚沙は、呼びかけに気がつくと梓葉に視線を移す。
呼吸すら苦痛に感じるであろう重傷を負いながら、それでも渚沙は梓葉の姿を見るなり微笑みを浮かべた。
「……あれ、梓葉。ちょっと……見ぃひんうちに、大きゅうなった?」
「渚沙さん、私……」
言葉に詰まる。心の奥底でずっと後悔してきた。やっと巡ってきたチャンスの筈なのに、ちゃんと声が出てくれない。
そんな梓葉を見て、渚沙はまともに感覚も残っていない指先で梓葉の頬をなぞる。
「梓葉はほんと泣き虫やねぇ」
違う。欲しかったのは優しい言葉じゃない。自分のことを考えていてくれたのに、我儘を通すために殴ったことを怒ってほしかった。
渚沙にそんな言葉をかけてもらう資格なんて自分にはない。それだけ責められようと文句は言えないし、そうされて然るべきだ。
なのに、それなのに――――幾ら拭っても、視界がぼやける。
「……ごめんね、梓葉。お爺ちゃん助けてあげたかったんやけど、うちちょっと頑張りすぎちゃってなぁ」
違う。渚沙が謝るだなんておかしい。言葉にしたくとも上手く喋れず、小さく首を横に振る。
「本当は今からでも助けたいんやけど、使い魔の子もやられちゃって……ごめんね、本当にごめんね」
「謝らないで、くださいっ……私が、私が謝るためにお願いしたのに――――っ」
その言葉を聞いて、渚沙は目を丸くした。それからそういうことかとどこか納得したように頷く。
梓葉にはその意味が分からず、ようやく口が動いてくれたと分かった瞬間謝罪の言葉が溢れ始めた。
「ごめんなさい、殴っちゃってっ……渚沙さんが私のこと考えてくれてるって分かってたのに、私――――」
「いいよ。小さかったんや、間違えることもあるだろうし、きっとこれからも間違え続けると思う」
「でも……」
「大丈夫、間違えたってそれは悪いことじゃないよ。最後にはきっと全部正しかったって、梓葉ならそんな答えが選べる筈だから」
謝るという願いを達成したと判断されたのか、梓葉の身体が金色の粒子となって崩壊を始めた。
駄目だ。まだ足りない。なにも伝えられていない。それでも刻限は迫ってくる。
「せやから真っ直ぐ進んでいきな。それから悠理とも仲良くやって、ああ――――駄目や。言いたいことたくさんあるんやけどなぁ」
消えかけていく梓葉の頭を、血に塗れた手が力なく触れた。
「……梓葉、強うなったね」
手から力が抜ける。まだ、まだ本当に伝えたいことが――――
「渚沙さんっ――――ありがとう、ございましたっ!!」
全部、何もかも、こうして歩いてこれたのは渚沙がいたからだった。こんな短い言葉では全ての想いを込められないけど、これが最後の機会だと知っていたから精一杯に気持ちを伝える。
最後に梓葉の言葉を聞き届けた渚沙は、満足気に笑うと目を閉じて――――梓葉は消える寸前、空を見上げた。
空の裂け目、その向こうにいるであろう本当の敵を睨みつけて。
「――――借りは必ず返す。絶対だ」
それは自分への宣言、どれほど追い詰められ全てを失うことになっても諦めぬ絶対の誓い。
そして意識は暗転し、輝きと共に彼女は還る。本当にいるべき場所へ。
――――――――………………
――――――…………
――――……
――……
眼前に広がる〝いつもどおり〟。所々砕かれ欠けていたが、見慣れた灰色の世界が広がっていた。
体中に傷を作って、地面に座り込む刹那とあい。他の連中は体力が限界を通り越しているのか、ぶっ倒れている始末。
「……姐御、おかえりなさい!!」
「姐さん、おかえりなさぁい。大変だったんですよぉ~? 途中から魔法使えなくなってぇ~……」
まあ自分が戦っている間も頑張っていたのだろう。二人と、それから起き上がる力さえ残されていない他の面々に向けて、嘆息しながらも小さく笑みを作る。
「応。後で幾らでも聞いてやる」
そういえばいつもどおりだなんて思っていたが、よく見れば違っている。自分の仲間の他に、かつては居なかった顔ぶれが幾つか。
「おー、随分遅いから海外旅行でも願ったのかと思ったよー」
クソくだらない事をいう銀色のアホと。
「……楓守ってくれて、ありがとう」
ちょっと前まで敵だったくせに、一番マトモな反応を返す黒いのと。
「おつかれ、梓葉ちゃん」
馴れ馴れしく笑いかけてくる猪突猛進馬鹿野郎。
「言っとくが、これで貸し借りは無しだからな」
そんな奴らに笑って話しかける自分もどうかしてるな、なんて思いながら。
さっさと帰りたいが、それだけの魔力も残っていない。少し休めば現実へ戻るのに必要な量ぐらいは回復するだろうが。
「貸したなんて思ってないよ。……ああでも今なら邪魔も入らなさそうだし、続きやる?」
既に引き上げたのか、ルミナスとストームの姿は見当たらなかった。確かに今この瞬間であれば確実に邪魔はされないだろうが、物には限度がある。
流石の梓葉も魔法使いを倒した後に、楽しく殴り合いをしようだなんて気は欠片も起きなかった。
怖かったのは楓の目が若干本気だったことである。見間違いでなければ、アルデバランとの戦闘中に拳を砕いているように見えたが――――やはりこの女、どうしようもなく。
「馬鹿かテメェは。んな気力残ってる訳ねェだろ……あー、疲れた」
気付かぬうちに体力が限界を超えていたらしく、梓葉はそのまま地面に大の字に倒れ込んだ。
晴れることのない曇天、驚いた刹那とあいが駆け寄ってきて顔を覗き込む。梓葉は大丈夫だというのも煩わしく、懐から煙管を取り出すと一口だけ吸い込んだ。
色々と解決しなければならない問題は山積みだ。これから来るであろう魔法使いも、それからこの街にいる魔法少女達も、先を考えれば溜息の一つぐらいはつきたくなる。
それでもなんとかなるだろう。珍しく楽観的な答えを出すと、煙を吐き出した。
この先きっと自分は悩み続けるし、間違え続ける。それでも真っ直ぐに進んでいくしかない――――渚沙の言葉を、嘘にしない為にも。
梓葉を覗き込む顔が増える。仲良しこよしでやっていくつもりはないが、今は一々文句をつける気にもなれなかった。
とにかくこの数日、色々ありすぎて少々頑張りすぎたらしい。少しぐらい休んでもケチは付けられないだろう。
「……るせぇ、少し休ませろや」
そうして寝息を立て始める。長いようで短い牡牛座との闘争は、こうして幕を閉じた。
心中に去来する想いは幾らもあれど、本人も気づかぬうちに微笑みを作っている事を考えれば、彼女にとっては悪い終わり方ではなかったのだろう。
きっとすぐに次の戦いが幕を開ける――――せめてそれまでは穏やかな時が続けばいい。そう誰もが思っていた。
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