第三十三話 遠藤梓葉と響宴リスタート

 アタシ達は皆、どうしようもない馬鹿だった――――なんて、東条刹那はふと昔の事を思い出した。

 昔といってもたかが数年前の話だし、今も馬鹿じゃないのかと言われたらそんなに変わってはいないと思うけれど。


 誰かに迷惑をかけようが何も思わず、自分のせいで誰かが傷つこうが本気でどうでもいいと思っていた。そこにいたのが悪いでしょ、なんてあまりに理不尽な理屈を押し付け、それが正しいと信じていた。

 そしてあの日、彼女に出会わなければ今も変わらずそうして生きていたかもしれない。


 武蒼衆が生まれる以前、即ち刹那とあいが魔法少女になる前、二人は酷く荒れていた。

 当時は互いに名前も知らなかったし、正直に言えば興味もなかった。ただお互いに家庭の事情や望まぬ〝押し付け〟をされ、とにかく何をするにしても苛立ちが先行していた。


 刹那の場合、それは〝剣〟だった。剣術道場の師範を親に持ったが故に、刹那は物心ついた時からある技術を学ぶよう強要され続けてきたのである。

 ご先祖様から代々受け継がれてきた技術だかなんだか知らないが、刹那からすればクソ食らえとしか思えなかった。

 朝は無理やり早起きさせられ、友達と遊ぶことも許されず、学校以外の殆どの時間を一切の興味がない殺しの技術の習得に費やされる。彼女にとってそれがどれほどの苦痛だったか、当時の両親は理解していただろうか。


 才能もやる気もなく、けれど人生の大部分をそれに注ぎ込まされたせいで、刹那はそれしか出来ない人間になろうとしていた。

 かつて彼女の先祖とやらが編み出したとかいう、何相手に使うかも分からないクソ剣術。昼に生徒に教えている普通の剣術とは違い、刹那が学ばされた剣術それは一子相伝のものだったらしいが――――だからどうしたよ、こっちはやりたくないんだっての。そう反論したら、無事に彼女の夕食は抜きになった。


 自然と刹那は親に反発するようになり、次第に荒れていった。役に立たないと思っていたその技術も、誰かに八つ当たりするのには役に立っていた。

 幸いにして街は大火災とやらで荒れ放題、殴る相手には事欠かなかった。苛立ちを知らない誰かにぶつけ、その時に無意識に学ばされてきた剣術クソを使っていることに気が付き、更に感情が昂り手当たり次第ぶん殴る。

 唯一の救いはその合間に、剣術だけの人間になってたまるかと必死こいて裏で勉強もしていたことだろうか。とにかく親の言うとおりにはなりたくなかったのだ。

 そうして街で暴れているうちに刹那は、あいと遭遇してしまった。


 あいもまた当時荒れており、外面こそ今とそう変わらなかったようだが、裏ではかなりえげつない暴力を振るっていたらしい――――らしいというのは、刹那がその現場を見たことがなかったからだ。

 それでも知っていたのは、噂が嫌というほど耳についたから。だから出会ったときは、少し嬉しかった。お前なら少しはやれるのか、そんな風に思ってしまった。力を振るう事に快感を覚え、技術を使うことにもいつの間にか躊躇いがなくなっていたことにももう気付いていなかった。


 あのときの喧嘩――――いや、もうあれは喧嘩だなんてものじゃなかった。殺し合い、少なくとも傍から見ればそう見えただろうし、今思えばあいを殺そうと思っていた気もする。

 数時間かけて殴り合い、色んな場所やら店やらを破壊して、それでもまだ止まれず、そうして彼女が現れたのだ。


 遠藤梓葉。彼女の家はその一帯を仕切っている極道一家だった。そして刹那達はやりすぎて、とうとう彼女の家にまで話が言ってしまったらしく――――そうしてなぜか、梓葉がやってきた。

 小娘二人が暴れてると聞いて、大人達に任せてもろくなことにならないと判断したのか。或いは大火災が原因で治安が悪化し、刹那達に構っている暇もなかったのか。梓葉は刹那達の下へやってくるなり、拳骨一発で瞬く間に二人を制圧した。

 そして迷惑をかけた場所に一緒に謝りにいかされ、今回だけはこれでけじめとし、刹那とあいは許された。


 刹那はその時梓葉にかけてもらった言葉を、今でも覚えている。




「楽しくもない喧嘩なんかしてんじゃねェ――――」


 旧牡羊座領域、武蒼衆活動拠点。彼女達の身を守っていた結界にも罅が入りはじめ、いよいよ限界が近づいてきていた。

 古い寺を模した武蒼衆の陣地は、攻撃される度に大きく揺れていた。大きな仏壇の前で腰を下ろしている梓葉は、それ以来沈黙を保ち続けている。

 そんな梓葉に向かって、刹那はつい呟いてしまっていた。かつて彼女にかけられた言葉を。


「…………あァ?」


 いきなり何を言い出したのか。ようやく顔を上げたと思った梓葉は、傍らに立つ刹那を睨み据えた。

 そんな視線も慣れたものと言わんばかりに、刹那は笑ってそれを流す。


「命の獲り合いすらも楽しむ。それが侠客ってもんだ。姐御、そう言ってましたよね」


 心当たりがあったのだろう、疑問とともに苦虫を噛み潰したような顔をした。確かに言ったかも知れないが、それが今とどう関係があるというのだろうか。

 今も攻撃は続いている。結界は破られかけている。どうでもいい昔話で懐古に浸る余裕など――――


「今の姐御、死ぬほどつまんなそうですよ」


 当然だろう、全く面白くなんてない。なにも自分の思い通りにいかず、どうすればいいかも分からない。

 煩わしさだけが常に付き纏って、周りにいる奴らは全員彼女の邪魔をする。苛立ちは募る一方で、何一つ結果が出ない以上発散する余地もない。


「……なにが言いてェ」


 爆発音が結界内部を揺らした。屋根の上から戦況を見張っていたあいが戻り、緊迫した空気を察した上でそれを無視して報告を始める。


「あいつら、言ってたとおり始めたみたいですけどぉ……」


「……まあ難しいだろうねー★」


 彼我の戦力差は圧倒的であり、分析など必要がないぐらいに結果は分かりきっていた。

 楓達の実力を過小評価しているのではなく、ただただ事実として牡牛座はたった一勢力で戦ったところで勝ち目はないだろうと刹那は見ていた。

 そしてそれは突貫した彼女達も理解しているだろう。それが分からない様な馬鹿に負けるほど、自分達は落ちぶれていない――――刻限が、迫っている。


「姐御、今ならまだ撤退だって出来ます。勿論戦うことだって――――アタシ達はどっちでもいい。どっちだろうが、姐御が決めたなら付いていくだけだから」


 目を伏せ、再び黙り込んだ。どう動けばいいのか、あんなにはっきりと分かっていた答えが見えなくなっていた。

 今はまだ動くべき時じゃない。牡羊座が好戦的じゃないならば、それを利用しよう。渚沙が残したものを守るのが、私の役目だ。

 本気でそう思っていたし、間違っていたとも思わない。けれどそれが恐怖から目を逸らすための我儘に、適当な理由をつけただけだというのも自覚していた。


 あの日の衝撃を忘れたことは、一度足りともない。あの日の後悔を忘れたことも、一度足りともない。

 きっと今も焦がれ続けているのだろう。そして前に進めば彼女と過ごしたあの日々が壊れ、そしていつかは忘れていってしまおうかも知れない――――そんな恐怖を、今も捨てられずにいるのだ。

 前に進まない為の言い訳を探して、それがどれだけ無意味かも分かっているのに今日まで見ないようにしてきた。葛藤に意味などなく、永遠の停滞なんて決してありえないと理解している筈なのに。

 そう、己の行動原理の根本にあるものは、ただの我儘でしかない。悠理とアスカが正しい――――魔法少女の存在意義はたった一つ、魔法使いを打倒することだけだからだ。


 ならばどうする。己はどうするべきなのか。

 もう止まっていても許される時間は終わった。進むべき時がやってきてしまった。これはただそれだけの話なのだろう。いつまでも過去の妄執に囚われ、かつての栄光に灼かれ続けていられなくなっただけだ。

 大抗争が決着を迎え、サラに背中を刺されたあの時、なぜか己の中に僅かな安心感が生まれたことを今でも覚えている。

 そんな自分が許せなくて、再びここに戻ってきたその時はあの銀色の魔法少女を殺してやろうと思った――――今ならば分かる。あの時生じた安心感は、ようやく前に進める事に安堵してしまったのだと。

 過去に縛られる自分と、それを許容出来ない自分。次第に膨れ上がっていく後者を抑えつけ、こんな所にまで来てしまった。結論を出さなければならない所にまで追い詰められてしまったと、刹那の言葉で理解させられる。


「はァ……」


 重たい腰を持ち上げ、真っ直ぐ歩き始める。下駄を履きとを開いた瞬間、外で渦巻いていたらしい魔力の奔流が梓葉を打ち付けた。後ろに控える懐刀は、頭領の答えを今かと待ち侘びている。

 ああ、思い出した。祖父が亡くなった場所へ端を手向けた帰り、その近くで馬鹿が二人暴れていたことを。場所が場所な為ふざけるんじゃねえと思ったし、憂さを晴らす様に暴れている癖に、ちっとも楽しそうじゃないのがむかついて――――乱入して頭に拳骨食らわせた後、柄にもなく説教じみたことをしてしまったのだ。

 楽しくもない喧嘩をするな。今では楽しくもない喧嘩をしているのは己自身になってしまい、自分自身で彼女達に投げかけた言葉を否定し続けてしまっていた。

 それでも彼女達は、梓葉についてきてくれる。殴り飛ばして謝りに回った次の日から、二人は梓葉の後ろにくっついてくるようになった。


 刹那なんて梓葉より年上なのに、姐さんだの姐御だのと慕ってくる様は周りから見れば滑稽だったかもしれない。けれどそれから、退屈とは無縁になったようにも思える。

 いつの間にか魔法少女になって、武蒼衆を立ち上げてからも二人が梓葉に背いた事はただの一度もなかった。

 二人には数え切れないほどの我儘に付き合ってもらった。こうして今まで戦ってこれたのも、二人のお陰だった。梓葉は振り向くことすらなく、二人に問いかける。


「――――怖ェか」


 閃光、爆発、砂塵が舞う蹂躙の地。その向こう側で、今戦っている者達がいる。

 彼女達は怖くないのだろうか。少なくとも彼女は、遠藤梓葉は恐怖を胸の中に感じていた。

 恐れを抱くというまともな感性を持ち合わせながら、それでもそれを理解してしまった時乗り越えずにはいられない――――そんな人間だからこそ、織衛悠理と袂を分かったあの日から大抗争に至るまで、多くの敵を前にたった一つの勢力で渡り合えてきた。

 そして新たな恐怖を自覚してしまった以上、怯え竦んで立ち尽くすなんて事は出来なくて――――


「まさか」


 刹那は口元を歪めた。否定も肯定も今更必要ない。梓葉の決断は彼女の意思、たとえどの様な道を選ぼうが、どこまでもついていく覚悟を疾うの昔に決めていた。ならば思考の余地はどこにもなく、此度も目して〝そうするまで〟――――所詮有象無象の塵芥、我等の道を阻むに至らず、瞬く間すら与えはしない。


 場違いなまでの明るい笑み、そしてそれがあいの答えだった。進もうが止まろうが、彼女からすれば〝どちらでもいい〟。どうぞお好きなように――――退くも地獄進むも地獄、此の世に浄土なんてありはしない。ならばあなたと共に笑って逝ける方へと行こう――――心配為さらずとも、万象違わず狙いを過つことはない。


 どうせ馬鹿なら、ただの馬鹿じゃなく大馬鹿になれ。それが彼女達〝侠客〟、何もかもを宴とする〝武蒼衆〟の掟。

 恐怖等、こいつらの前に立ってたら感じている暇もない。ならば精々楽しんで逝こう――――梓葉は口元を吊り上げた。


「道ィ開けてこい――――始めるぞ、祭りの時間だ」

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