第三十一話 遠藤梓葉と退屈リフレイン

 退屈な授業が終わり、終業の鐘が鳴る。梓葉は机のフックに引っ掛けておいたスクールバッグを肩に担ぐように持つと、席を立ち教室をあとにした。

 あくびを溢しながら、身体に残る倦怠感に小さく息をつく。牡牛座襲撃の翌日、梓葉は陣地に張ってある結界の強化に追われていた。それも相当の時間と魔力を費やしたため、次の日になってもまだ疲れが残っている始末である。

 刹那とあいが偵察がてら行った調査によって、あの結界には色々と面倒な効果があることが発覚した。それに対抗するために陣地の結界に強化を施したが、はっきり言えばそれでも不安は多く残っていた。

 この調子でいけば二日、三日で陣地の結界も破壊されるだろう。そうなれば現実に浮上することさえ出来なくなる。自分達が倒れるのが先か、魔法使いを倒すのが先か。そんな賭けに出るにはあまりに分が悪い。

 結局あのあとストーム、ルミナスの陣地にあった結界は壊されたらしい。どちらの勢力にも防御に特化した魔法少女がいないのが原因だろう、恐らくは牡牛座が倒されるまで彼女達も出てこないはずだ。

 そして件の佐々木楓一味は、あのあとアイテム屋の結界内に逃げ込んだと聞く。陣地を作っていなかったことが有利に働いたと見るべきだろうか――――状況が好転したというわけでもないが。


「チッ……」


 思い出しただけで腹が立つ事ばかりだった。ストームも、ルミナスも、それから魔法使いも。

 邪魔をするだけして、肝心の魔法使い戦には出てこれない。魔法少女の役割は魔法使いを倒すことだなどと宣ってはいたが、結局はそれも梓葉を倒すための上辺の口実に過ぎなかった。

 彼女達との抗争も今に始まった話じゃない。だが今回の横槍に関しては、本当に苛立って仕方がなかった。今までとは違い、渚沙が関わっている以上悠理も邪魔をしないと思ったのだが――――。


「…………ッ」


 次第に歩みが早くなっていく。この箱入りお嬢様がすし詰めにされた私立白峰大付属女学院中等部において、遠藤梓葉はそこそこ知れた存在だった。

 自分をわたくし呼びが基本でごきげんようなんていう冗談みたいな挨拶が横行するこの学院の中で、梓葉はわしだの応だのと一切環境に迎合しなかったのが原因だった。

 家柄もあって近寄りがたい存在であることは事実であり、あからさまに怒りを露わにしている梓葉に近付こうだなんて物好きはそうそういない。自然と道から人が退き、慣れたように梓葉もそれを無視して歩いていく。

 どうすればいいか。どうするべきなのか。なにも頭の中で組み立てられない。こんがらがった思考をほどいていると、恐れを知らぬ物好きが一人梓葉の腕に絡みついてきた。


「ね、え、さぁ~ん♡」


 視線を向けずとも誰か分かった。どことなく舌っ足らずな喋り方をするこの女は、梓葉の懐刀の一人である西條あいに他ならない。

 学年は梓葉の一つ下で、学校が終わるといつもこうして梓葉についてくるのである。一度も待ち合わせたことなんてないのだが、どうやら梓葉の行動は一方的に割れているらしい。

 それも今に始まった話ではないし、梓葉本人もどうでもいいかと放っておいているのだが――――


「なんじゃ、暑苦しい」


 あまり好かれていない自分にこんな事をすれば、当然注目の的になる。梓葉が言うのも難だが、こいつはクラスで馴染めているのだろうかとふと気になってしまった。

 まあ彼女は所謂ぶりっ子的態度を取っておきながら、能力の高さと容姿による圧倒的暴力によってカーストのトップに居座り続ける事が出来る豪傑だ。銀髪の魔法少女が言っていた腹黒ガンマンというのは中々に的を射たあだ名だなと梓葉も実は感心したものである。


「なんか怒ってたみたいだからぁ、癒やしてあげようと思って!」


「逆効果じゃ、離れろ」


 はぁいと甘ったるい声で返事をしながら、梓葉の半歩後ろをついてくる。下駄箱で上履きから履き替え外に出ると、再び見慣れた顔が立っていた――――それも二人。


「お、姐御。待ってましたよー★」


 無駄にキラキラとしている金髪で褐色肌の少女は、言うまでもなく梓葉のもうひとりの懐刀である東条刹那である。

 彼女は梓葉の通う学校の高等部所属であり、ある意味梓葉よりも外見では浮いた存在だった。

 制服は校則通りに着るのが当然であり、スカートなんて膝下が当たり前のこの学院では、刹那のように着崩した着こなしをするのは非常に珍しい。

 梓葉同様場違いな空気を持っている刹那だったが、実はこれで非常に頭がいい。初めて会った時、梓葉はなんだこのバカそうな奴はだなんて思ったものだが、刹那はこの学校に特待生として通っていたのである。

 私立、加えてお嬢様学校という条件もあって、白峰付属は学費が高い上にレベルも高い。そんな中で刹那は一般的な中流家庭に生まれ、高すぎる学費は優秀な学業を修めることで特待生として免除された所謂優等生というやつだった。

 ちなみに梓葉は学業についてはあまり優秀じゃあない。幼少時は祖父に言われ勉強も頑張っていたものの、無事初等部に入学すると飽きたと言わんばかりに落ちぶれていった。

 そのためテスト前になると、自然と刹那が勉強を見てくれるのが定番となりつつある。梓葉はどうでもいいと思っているのだが、刹那がやろうと家に押しかけてくるのだ。さすがの梓葉もわざわざ教えてもらうのであれば無碍にするわけにも行かず、お陰で最低限の成績はキープできている。


「応」


 気紛れではあるが、刹那がこうして校門辺りで待っている事は少なくない。家にいると基本縁側で風に揺れる木を眺めている梓葉を外に連れ出すのは、大抵の場合刹那だった。

 今時老人でもそんな過ごし方しないって、と割と頻繁に街に引き摺られていくが、抵抗しない辺り梓葉も決して悪い気はしないのだろう。

 とはいえ今日は事情が違った。その横にいた人物のせいである。白峰付属ではない制服、ここ数日で幾度と顔を合わせた梓葉の頭痛の種の一つ。


「やっほ、梓葉ちゃん」


 小さく手を振る女――――佐々木楓。別の学校の人間が珍しいのか、楓はやたらと周りの注目を引いていた。加えて横にいるのが刹那なのだから、その場だけ明らかに周りと空気が違う。

 何故とかどうしてだとか、そういったありきたりな疑問は浮かんですら来なかった。


「さっきそこで会ったんだけど、これがもう面白くって! なんとあのサラ・クレシェンドが――――」


「刹那、ちぃと口閉じてろ。なんじゃ、かちこみか?」


 確かに現実であれば余計な邪魔も入らないだろう。続きをやるならば絶好の機会だ。

 淡々としながらもドスの利いた声で圧をかける梓葉に、楓は少しだけ黙り込んだあと小さく笑った。


「まさか。痛いの好きやないし。まあそれもいいんやけど……ちょっと向こうでお話しない?」


 向こう。少し離れた位置にある公園を指さした。前に楓達のところへ乗り込んだ手前、断りづらくもあるが――――


「別に取って食わんよ?」


「そういう訳じゃねぇだろ」


「えー、駄目?」


 警戒していないと言えば嘘になる。だがここは現実で、魔法的介入が発生する危険はない。仮にこれが罠だったとしても、素の身体能力が高い梓葉であれば対処はそう難しくないだろう。それになにかあれば、刹那とあいもいる。

 なにより楓からは敵意じみたものを一切感じなかった。それがまた梓葉からすれば非常にやりづらいと感じる原因の一つである。


「……チッ、調子狂う。少しだけだぞ」


「やった、ありがとー。それじゃ少し借りてくわ」


 言われるがままに楓のエスコートで公園のベンチに案内され、ちょっと待っててなーと放置される。

 子供が遊んでいたボールが足元に転がって来たため、軽く持ち主の方へ蹴り返してあげたところで楓が戻ってきた。


「はいこれ、あげる」


「…………いちごミルク」


「あれ、嫌いだった?」


「…………別に」


 紙パックのいちごミルクを受け取ると、ストローを飲み口へさして飲み始めた。今まで瓦礫の上にどっかりと腰掛けている姿と正面から殴り合う姿しか見たことなかった楓は、ジュースをちゅーちゅー吸ってる梓葉に恐ろしいギャップを感じてしまったが――――それを言うと話がこじれそうだから、心の中にとどめておくことにした。


「さてと……この前は決着つけられなくてごめんな?」


 この前。武蒼衆と楓達とで争ったときの話だろう。途中までは良かったが、余計な邪魔が入ったせいで台無しになってしまったが、あれは外的要因を排除しきれなかった梓葉に否がある。

 更に言うなれば妨害をしてきた連中が全ての原因であって、酔狂な戦いを引き受けてくれた楓には一切の落ち度はなかった。


「ありゃあいつらが悪ィ、テメェが謝ることじゃねえだろ」


「そう言ってくれるとありがたいけどなぁ、うちとしてはあれで終わったつもりはないから――――」


「当たり前じゃ。私はなんも納得してねェ」


「うん、分かってる。でも今のままじゃ、やり直したくても出来ない。そうやろ?」


「……まあな」


 勢力を潰したいだけであれば、今ほど適した状況もないだろう。陣地の結界さえ破壊してしまえば、浮上することも叶わず確実に使い魔を殺されて終わる。防御を得意としないルミナスとストームが真っ先に潰れたのは、今回のこの危機的状況において不幸中の幸いと言ったところだった。

 だが梓葉は一方的に楓達を蹂躙したいと考えている訳ではない。楓の中にある力、それに楓が相応しいのかを確かめ、納得したいだけだった。正々堂々と戦うのであれば、今ほどそれに適していない状況もないだろう。


「だから今日は情報共有しに来たんや。争ってる場合でもないと思って」


「私がテメェに情報を渡すとでも?」


 今は無理に潰そうとしないというだけで、決して楓達と手を組んだという訳ではない。

 この間は偶々共通の敵がいたから協力せざるを得なかっただけであって、それだけで仲間だと思われるのは甚だ不快だった。


「別にええよ、渡さんでも。こっちが把握してる情報を知ってもらって、うちらがどうするかどうか聞いてもらえれば十分やし」


 殊勝過ぎる楓の態度に、梓葉は沈黙を返す。相手が一方的に情報を渡したいと言うのであれば、その真贋はともかくとして断る理由もないだろう。


「結界の性質はもう知っとる?」


「魔法が使いづらくなるってぇのと、疲れが早くなるっつぅのは把握してる」


「なんかあれ、結界内の魔力とか体力を吸収してるらしいわ。んで、それを眷属作ったり結界の強化に回しとると……今頃もう結界も壊せなくなっとるかなぁ」


 その情報が本当であれば、眷属を無理に狩ろうとしなかったのは正解だったらしい。余計な活動は相手に強化のための餌を与えるだけになるが――――それが本当であれば、状況は梓葉の想定を数段下回る。


「んで、魔法が使いづらくなるのもそれが原因……だったっけ。なんか魔力の結合を崩壊? させるから、発動までに時間がかかる上に使う魔力も多くなるんだって。だから陣地の結界もその影響で壊れやすくなってて、うちらの方は保ってあと二日らしい」


 アイテム屋の店に張られている結界はかなり強力だったはずだが、それでもたったそれだけしか耐久出来ないらしい。もっとも向こうの世界では時間の流れが違うため、こっちでの二日間は向こうでは数ヶ月単位で引き伸ばされている可能性が高い。

 だが相手は時間が経てば経つほど戦力を増していく。時間をかけるのは良い手とは言えないだろう。


「うん、だから――――二日後、牡牛座にこっちから仕掛ける」


 状況は絶望的だ。昨日梓葉が手をこまねいていたのも、相手の戦力規模に対して圧倒的に自陣の戦力が劣っていたからだ。冷静に戦況が読めるのであれば、現状太刀打ち出来る手段はない。

 だが結界が壊れるまでが制限時間だというのも十分に理解出来る。武蒼衆とアイテム屋、両方の結界が壊されればいよいよもって分の悪い賭けに出るしかなくなるからだ。


「勝算は?」


「それはまあ、これから考える――――けど、このまま負けることだけは絶対にありえない」


 他の魔法少女と違い、楓は輝纏潜行フェイタルダイブを使っている。あの世界での死は同時に、現実での死となってしまう。それを理解した上で言い切ったのは彼女が無謀な愚者だからか、或いは――――


「そっちの結界だって、そんなに長くは保たないやろ?」


「補強を続けてそっちと同じぐらいだろうな。つまり勝てるかどうかは別として――――」


「そこで攻められなかったら、どっちにしろ終わりってこと」


 いずれにせよ逃げるか戦うか、まだ選ぶ事は出来る。驚きだったのは、楓が勝算はあると断言しなかったことだ。

 彼女達にはアイテム屋がついている。手を組んでいるのか、それとも一方的に転がり込んだだけなのかは知らないが、アイテム屋はあの領域の魔法少女の中でも特に〝やり手〟だ。

 その彼女を以てして案が出ないとなれば、いよいよもって戦況は最悪と考えるべきか。


「アイテム屋さんはなんつってた?」


「正面突破が一番楽ってさー。勝てるかどうかは別としてやけどねー。アイテム屋さんと仲いいの?」


「アイテム屋さんは前にあそこ等仕切ってたあの人の右腕だ。あの人が亡くなった後は誰にもつかなかったが……実力は間違いねェ」


「信用してるんだねぇ。サラは胡散臭いって今でも言ってるのに」


「いや、私も胡散臭いとは思ってる」


「……そっか。まあ話はこれぐらいかなー。聞いてくれてありがと、妨害したいなら来てもええよ? うちらはいつでも大歓迎やから」


 下らない冗談だが、あの世界でやたらと妨害ばかりされている楓が言うと笑えなかった。


「……はっ、言ってろ」


「ふふ、それじゃあまたね。あんまり遅いとうちの厳しいのに怒られるから……それにあの二人の視線にもええ加減耐えられなくなってきたし」


 公園の外から楓を監視する刹那とあいの視線。明らかに瞳孔が開いているし正直魔法使いとかよりよっぽど怖かった。


「おう……これ、ありがとう」


「うん。またねー」


 情報が勝手に入ってきたのは喜ばしいことだが、頭痛の種は数倍に増えていた。ベンチに深く腰掛け、空をぼうっと見上げる。

 彼女の苦労などどうでもいいと言わんばかりに、腹が立つぐらい青い空がいつもどおり広がっていた。

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