第二話 佐々木楓と活動開始

「うーん……話は大体分かった」


 自室で椅子に腰を掛けて買い直したアイスを貪るのは、この部屋の主である佐々木楓本人。

 平凡な公立高校に通う高校三年生であり、やけに良いパンチを撃てる事と似非関西弁を除けば普通な女子高生である。


「君には大部分の記憶がなくて、気がついたら目の前のあの化物がいた。化物は悪い魔法使いの手下で眷属言うて、君の使命はその悪い魔法使いを倒すこと。悪い魔法使いとその手下はあの気味の悪い世界に閉じ込められていて、倒していかないとどんどん増えていく。ここまで大丈夫?」


「おう」


 ベッドの上に座り頷くするのは、件の中心人物――いや、中心犬物の黒い子犬。

 名をアルドというらしく、先程怪物を一撃で倒した後に楓はとりあえず家へと連れて帰った。喋れることが判明した時はちょっと驚いたが、何から何まで不思議なことしか起きていない為、どうして喋れるのかとか考えても仕方ないなと楓は既に思考を放棄した後である。


「いわゆる魔法少女と君達使い魔が悪い魔法使いをあの世界に閉じ込める鍵になっていて、魔法少女と使い魔が全滅したらあの魔法使いは閉じ込められた腹いせにこっちの世界に侵攻してくる」


「そうだな」


「んで君達は誰かと契約しないと魔法が使えず、魔法が使えないと戦えないからうちと契約したいと」


「ああ」


「んで契約するともれなく魔法少女になれると」


「その通りだ」


「いやぁー……十八歳で魔法少女て、流石にちょっとギリギリすぎひん?」


「…………んなことは」


「あるんやなぁー君言葉詰まってるしぃー……。第一あの服、スカート短すぎんねん……」


 『魔法少女』。彼等使い魔と契約できるのは若い女性に限られ、彼等と契約を結ぶと自動的に魔法を使う少女――――自動的に魔法少女となってしまうのだという。

 楓もそのような正義の味方に憧れを抱かなかった訳ではない。幼少時、日曜の朝にやっているアニメを見て自分もあんな風になりたいだなんて思っていた時代も確かにある。

 だがそんなのが許せるのは小学生、良くて中学生までだろう。いや、高校一年生ぐらいならまだありかもしれないが、二年生でもうギリギリ、三年生ともなれば正直完全にアウトな気がしてならない。

 十八歳で魔法少女。字面だけで漂う隠しきれない犯罪臭。その上受験生だ、ギリギリ通り越してアウトだろうと、少なくとも楓はそう思った。


「頼む!! 魔法少女になればどんな願いでも叶えられるんだぜ!? 魔法使いを倒せば更に一つ願いごとを追加出来るしよ!!」


「願いごとなぁー……」


「地位、名誉、富、本当になんでも思うがままなんだ! 魔法少女に変身している間のダメージは現実の肉体には反映されねぇし、悪いことなんざ一つもねぇ。……楓、お前にだって叶えたい願いの一つや二つあるだろ!?」


 魔法少女になることで得られる特典。なんでも叶える事が出来るというのが本当ならば、それは恐ろしく魅力的な響きである。

  だがそのような対価が支払われるという事は、それだけのリスクを伴うということへの証明でもある。前払いで一つ、そして魔法使いを倒すと更に一つ。あまりに気前が良すぎるところも、正直言って疑わしい。アルドのことを疑いたくはないが、何か隠されたデメリットがあるのではないかと勘繰ってしまうのも仕方がないだろう。

 それを踏まえてでも叶えたい願いが楓にあるかといえば。


「……ないなぁ」


「嘘だろ!?」


「叶えたい願いごとはあるよ? でもうちの願い事なんて、自分でどうにか出来ることばっかなんよ。ハーゲンダッツ毎日食べたいとか、肉まん毎日食べたいとか、時々はステーキとかすき焼きが食べたいとか……」


「食いもんの話しかしてねえじゃねえか!!」


「……そういえばそうやねぇ。だから友達から幸せそうでいいねーってよく言われるんかなぁ」


 えへへ、と照れを誤魔化すように苦笑する。願いはある。けれどそれは自分の手が届く範囲に限られ、魔法の力で叶えてもらわなければいけないものなんて一つもない。他人に聞かれたらつまらないと言われてしまいそうだけれど、それが楓の本心だった。

 楓の言葉に俯くアルド。死ぬかもしれない状況で飛び込んできた楓の人柄は疑う余地もなく、そして叶えたい願いがないというのが嘘ではないと察してしまったのだ。

 楓が眷属に撃ち込んだあの一撃、あれを見た瞬間楓には魔法使いを倒せるだけの力が眠っていると確信した。しかし現実の楓は、戦いとはもっともかけ離れた場所にいる人種だった。

 彼女は巻き込むべきではない。才能はあるかもしれないが、これ以上こちらの世界に引き込むべきではない。助けてもらっただけでも十分なのに、それ以上は高望みというものだ。

 願いごとを持たない人間を、魔法少女にすることなど出来ない。命の危険こそないが、戦いの中で精神や記憶に望まぬものが刻まれる可能性は大いに有り得るのだ。にも関わらずメリットが機能しないのであれば、巻き込むのは道理に反する。

 アルドは顔をあげると、楓に笑いかけた。


「それじゃあしゃーねえな。契約者は改めて探してみるわ。助けてくれてありがとよ!」


 アルドは器用に前足で窓を開けると、そのまま出ていこうとする。

 これでいい。元々体力はない方だし、適役は他にいるはずだ。

 生まれてこの方荒事に首を突っ込んだことなんて一度もないし、今回はたまたまなんとかなっただけでこの先も今日みたいに上手くいくなんて限らない。だから多分、これでいい。これでいいはず――――。


「……なんだ?」


「え?」


 出ていこうとするアルドの背中の毛をを、いつの間にか掴んでいた。自分でもどうしてそんな事をしたのか分からない。引き止めておきながら停止している楓を前に、アルドも困惑する。


「…………えと」


「……おう」


「うん…………」


「…………おう」


「…………一年以内。一年以内に蹴りをつける。高校生の間なら、魔法少女もギリギリ行けるやろ……。うん、それで行こ。その悪い魔法使いとやら、一年以内にぶっ倒したる。女子大生で魔法少女は完全にアウトやけど、一年以内に倒しちゃえばそんなの関係ないし!」


 見捨てたくない。けれど魔法少女になりたくない。天秤にかけた結果、強引に自分を納得させることで前者を優先することにした。懸念が消えたことで楓はすっきりした表情を浮かべていたが、当のアルドはやはり困惑を浮かべたままで。


「マジでいいのか……?」


「ええよええよー。放っとくほうが気分悪いし。あ、それで願いごとなんやけど……」


 かくして一人と一匹は契約を結ぶに至り、佐々木楓の魔法少女としての生活が始ったのであった。




 翌日。アルドが無事両親に見つかり、実家が洋食店だから犬は駄目だと反対されるも土下座する勢い出両親に頼み込み、自分で飼育費を稼ぎ世話をするという条件でなんとか許可を得たり、初めて寝不足で学校に行ったら友達に心配されすぎて保健室送りにされそうになったりと紆余曲折を経て、なんとか楓は放課後へと辿り着いた。

 そして現在、楓とアルドは魔法少女として活動するための下準備に追われていた。といっても楓は横でクッキーを食べながらその様子を眺めているだけだったが。


「うちの携帯弄るのはいいけど、壊さんといてな? …………で、マジでなにしてるん?」


 帰ってくるなり携帯電話を寄越せと楓のスマートフォンを強奪したアルドは、楓のスマートフォンに片足を乗せてなにやらぶつぶつと呟いている。

 特に見られたくないものを入れている訳でもないため、中身を見られる事自体に抵抗はなかったが、傍目から見ても子犬がスマホとじゃれている様にしか見えない。


「魔導書のインストール」


「……なるほどねぇー?」


 それでわかると思っているのかという威圧を察したアルドは、楓にも分かるように言葉を選び話始めた。


「……魔法ってのは、要は『魔力』を『術式』に沿って変換し、再構築することを指す。つまりは『魔力』と『術式』の二つが魔法にとって必要不可欠な要素であり、逆に言えばその二つさえ揃える事が出来りゃ魔法なんてのは誰でも使えるわけだ」


「へぇ、もしかして魔法って思ったより大したことないん?」


「どうだかな。魔力を持つ人間なんてのはそうそう見つからないし、術式構築なんてまともな構造の脳みそじゃ絶対できねぇ。その二つを兼ね備えてる人間は滅多に生まれることはなく、そんな奇跡に等しい適性を持った存在が俺達の敵、『魔法使い』だ」


「はぁー……なんか凄すぎてわけわからんね」


 人智を超えた力を行使するには、真理を越えた適正が必要だ。魔法なんていう奇天烈なものが存在しておきながら、世に出回らないのはそれが理由の一つなのだろう。

 詰まるところ方法があっても、それを使える人間が現れない。思ったより大した事ないなんてことはなかったと、楓はふわっとした認識で魔法使いは凄いやつなのだと理解した。


「大したことねえよ。その魔法を一般人に使えるように改良したのが、『魔法少女システム』なんだからな。俺達使い魔の身体には魔力を生成する魔力炉っつう器官が搭載されてる。そして術式は既存のものをあらかじめストレージに用意しておくことで、一々組み上げる手間を省く。新しい魔法を作ることは出来ねえが、魔力も術式も上乗せする事が出来るのさ」


 より効率的に、そしてより簡易的になるよう手を加え、必要適正を限りなく低くした結果生まれたのが魔法少女だ。新しい魔法を作成出来ないといった制限は生まれるものの、逆に言えば術式さえ用意できれば魔法使いと遜色ない超常が行使出来る。


「そのストレージっていうのが、魔導書ってやつ?」


「おう。術式はその時代に則したアイテムに記すのがベタだ。昔なら石版、もうちょい進めば本、おっして今一番お前らに身近で常に見つけてて、記録に適した媒体っつえば……」


「……それで携帯かぁ。案外魔法文化ってのも柔軟なもんなんやねぇ」


 魔導書と言われれば読んで字の如く、紙媒体の書物を連想するだろう。楓も魔法使いと言われたら古めかしく仰々しい本を持ったおじいさんなんかを想像するが、魔法の文化は楓が考えるよりも遥かに時代に適した進化を続けているらしい。


「……よし、こんなもんか」


 作業が終わったらしい。アルドはふぅと小さく息をつくと、器用に前足を使ってスマートフォンを楓に差し出した。受け取ったスマートフォンの電源を入れ画面を開くと、確かに本のアイコンのアプリが追加されている。


「ほぉ、これが魔導書かー。見た感じ他のアプリと変わらんなぁ」


 試しに開いてみると、無駄に凝ったレイアウトが目に飛び込んでくる。所々どこかで見たような部分もあるが、お陰でなんとなく触っただけで使い方は分かってきた。


潜行ダイブ念話リンクが今使える魔法だな。タッチすりゃ発動も出来るし、音声認識にも対応してる。ちょいといじれば特定の行動パターンを発動条件にすることも可能だ」


「潜行っていうのは、昨日の世界に移動するための魔法……かな?」


「そうだ。昨日の世界、『深界しんかい』に潜るための魔法。潜る効果と魔法少女に変身する効果、んで使い魔が近くにいない場合、別の場所から潜っても向こうで合流させる効果が合わさった複合魔法だな。原則としてこっちで使える魔法は潜行と念話ぐらいだ」


「りんく……あ、このアルドの名前が載ってるのがそれ?」


「おう。それ使えば、声に出さずに会話することが出来る」


「へぇ、凄い!! ちょっとやってみるわ」


 アルドの項目をタッチすると、画面中央に魔法陣が現れ回転を始めた。それからすぐに聞こえるか?というアルドの声が頭に直接響いてくる。初めて魔法らしい魔法に触れた楓は感動で目を輝かせ、ひとしきり頷いて聞こえるよーと返事をした辺りでこれ普通の電話と変わらんなと気がついた。


「一応グループ機能もついてて、複数人と同時に念話を行うことも出来るからな」


「いよいよもってどっかで見たことある感じになってきたなぁ……まあ使いやすいからいいんやけど」


 使い勝手がいい分には楓も困らない。使用者が少女であると限定した場合、ある意味このアプローチは分かりやすく正しいと言えるだろう。魔法の文化に些か俗っぽさを感じ始めた楓だったが、今はそこには触れないことにする。


「……それで、他の魔法は?」


 魔法の欄にある潜行と、それからともだちとかいう欄のアルド。それ以外の項目が見当たらず、一覧と呼ぶにはあまりに寂しすぎる光景に思わず訪ねてしまった。

 楓の言葉に、アルドは少し黙り込んだあと目を逸らした。クッキーへと伸びていた手が止まる。


「…………向こうに行きゃ、嫌でも分かるよ」


「え、何その不穏な答え。嫌な予感しかしないんやけど」


 やっとのことで絞り出したらしい言葉には、マイナス的な含みしか感じられなかった。嫌な予感しかしないけれど、この場合嫌な予感というのは大抵現実となることが多い。

 それでも気の所為だと思うために次の言葉を待ってみるも、一向にアルドが口を開くことはなく。


「せめてなんか言ってほしかったわ……」


 行く前に教えろよと思わずにはいられないが、正直言ってその答えを聞いたところで良い展開が待ち受けていられるようにも思えない。

 だがうだうだ言ってても何も始まらない。昨日はなんとかなったんだから、今日だってなんとかなる。アルドの態度は不穏過ぎるしよろしくない憶測が止まらないけれど、魔法少女になると自分で決めたのだから何があろうと受け入れよう。麦茶を一気に飲み干すと、スマホを手に勢い立ち上がり。


「――――よし、じゃあ行こか!」


 アルドの手伝いをすると決めたのは自分だから、こうなった以上やるしかない。ダイブをタッチし、目の前に白い線で構成された黒い光を放つ魔法陣を展開する。そしてベッドの上のアルドを抱き上げると、深く呼吸をし気持ちを落ち着かせ、一歩を踏み出した。


「――――っとと。無事に着いたみたいやね、アルド? ……あれ」


 そう言えば昨日もそうだったが、変身した時アルドは姿を消していた。もしかしてここから手がかりなしで自分一人で行動しなければ行けないのだろうか。

 なんて思っていると、右腕辺りからおーいというアルドの声が聞こえた。目を向けると、腕にホルダーのような物があり、そこにスマホが収まっている。


『変身してる間、俺は楓の中で魔力炉……まあ魔力作ってるからよ。喋る時は念話が自動的に繋がるから安心してくれ』


「一人で放り投げられたのかと思って安心したわぁ。うーん、この感じはまだ慣れんなぁ」


 浮遊感と、力が漲る感覚が同時に襲い掛かってくる。心なしか精神も高揚して浮つくのが、楓にはどうしても慣れなかった。手を開閉して感覚を確かめながら、簡単な準備運動で身体をほぐす。


『こっちの世界のルールは三つ。ダメージは現実の肉体には反映されない。夕暮れから夜の間しか潜れない。深界と現実じゃ時間の流れが違う。時間については不安定だから確かなことは言えねぇが、大体目安として向こうの一分がこっちだと一時間ぐらいに引き伸ばされる事が多い』


「マジか。じゃあ夕飯までに急いで戻らないと、なんて気にする必要はないんやな。めっちゃ便利やん」


 最悪テスト前とかこっちで勉強すれば無敵じゃないか。そんな考えが頭をよぎるも、下手したらこっちにいる分老化が加速するとかいうふうになったら最悪である。悪用はやめておこうと、楓は固く心に誓った。


「……で。うちはこっからどうすればいいん?」


 眷属とやらも見当たらず、魔法使いがどこにいるのかも分からない。取り敢えず直ぐ様戦闘になるかと準備運動をしてみたが、どうやらどんどん敵が湧いてきて片っ端から倒していくというわけでもないらしい。


『魔法使いは今楓がいる場所よりも更に深い位置にいる。そこまで潜るには守護眷属っつう普通より強い眷属を倒して、門を開く必要があるんだ。そいつをまず探して倒すのが、当面の目標になる」


「了解。…………流石にいきなりラスボスが出て来る、なんてことはないんやね。安心したわ」


 軽口を叩いていると楓に引き寄せられてきたのか、昨日と同じ羊型の眷属が数体姿を現す。昨日の眷属に比べれば大きさは比較的小さいものの、それでも楓より大きいし人間を殺すのであれば十分過ぎる膂力を持っているだろう。

 戦う事自体に、今更拒否感はない。むしろ意気揚々と飛び出してきたのは、恐怖心はあれど昨日と違い戦うという選択肢を選ぶつもりだったからだ。

 とはいえ問題がないわけではない。拳を緩く握り構えながら、視線を一瞬だけ右腕へと向け。


「…………それで、アルド? うちの使える魔法って」


『……すまねぇ。魔法少女が使える魔法は、眷属が保有している魔法だけなんだ。そんで俺の持ってる魔法だが――――なんか記憶と一緒に全部どっかに飛んでったらしい』


「……えぇー」


 嫌な予感は的中した。深界に潜るという必要最低限の魔法こそ兼ね備えていたものの、それ以外に一切の魔法が使えない。それはもはや魔法少女と言って良いのだろうか、魔法要素が欠片もないに等しいが。


『だが大丈夫だ。身体能力強化の魔法を使っている訳でもないのに、何故か楓の身体能力は魔法少女の平均を大きく上回っている。生成した魔力が自動的に強化に回されてるのかもしれない。つまり……』


「…………つまり?」


『殴ってぶっ倒せってこった!! 大丈夫、昨日のパンチが使えるなら問題なんざ一切ねぇ!!』


「また勢いで誤魔化そうとして……ええよもう、やったるわ!!」


 無い物ねだりをしたところで始まらない。左足を一歩、強く前に踏み出す。昨日と同じだ、力は笑えるぐらいに漲っている。滾る魔力は気分すらも高揚させ、早くと疼かせていた。

 近付いてきた一体目を殴り抜け、深呼吸。威力は問題ないだろう、一撃で倒せる。問題は動作が大きくどうしても隙が生じる点。乱戦においてそれは致命的なのは素人でも分かる。

 飛び掛かってきた眷属を殴り倒すと、昨日と同様敵が蒸発する。あとに残るのは、青色の結晶体のみ。


「まずは一……アルド、あの青いやつは?」


『夜の雫、超高濃度の魔力結晶だ。眷属の原動力であり魔力炉で、集めれば魔法の強化なんかに使える』


「それつまりうちにはいらんってこと?」


『そうとも言い切れないぜ。加工すりゃダメージ回復や魔力回復のアイテムにも出来る。…………まあ加工はかなり難易度高いんだが。まあこっちで回収して保管しとくから、お前は気にせず眷属を殴っとけ!!』


「雑ぅー……うん、まあええわ。さて、ちょっと頑張ろか」


 守護眷属は通常の眷属よりも強力だという。現状その守護眷属とやらがどこにいるのか見当もつかないが、仮に見つけられたところで今のままでは戦いにならない可能性も十分にありえるだろう。なにせこの身体は本来の自分の身体とは少々勝手が違い、あまりに強すぎる。その上深界での行動は現実とは感覚が違うため、慣らす必要がある。

 アルドは守護眷属を見つけ、倒すことが最初の目標だと言っていた。だがまずはこの身体と戦いそのものに適応することが第一の目標だ。幸いにして今相手にしている眷属たちは、戦力差としてはそこまで開いていない。向こうのほうが一体ずつの性能は低いものの、それを数で補うという形でちょうどバランスが取れている形である。

 一年以内に終わらせると言ったが、焦りすぎても余計な失敗をしかねない。自分のペースで事を進めていくべきだろう――――状況がそれを許す限りは。


 やがて倒した数が十を越えた辺りで、楓は数えるのをやめた。出現した眷属を一掃するのはなかなかに骨が折れる作業であり、全て倒し終える頃には楓の体力も限界を迎えようとしていた。

 楓は元々体力があるほうではなく、最後の一体を倒すと肩で息をしながら地面に倒れ込んでしまう。戦闘方法が拳による打撃に限られているため、対複数だとどうしてもダメージは回避出来ない。体力に加え幾らかの負傷、戦闘装束もすっかり穴だらけになってしまい、もはやただの布切れ同然である。

 魔法少女としての負傷は、戦闘装束も含め時間経過で回復するらしい。今日はこれ以上湧いてこない事を確認すると、楓は現実世界へと浮上した。

 そしてアルドが言っていた通り、深界で受けたダメージは現実の肉体には影響を及ぼさなかった。疲労感はあるが、負傷自体は一切ない。アルドの言葉を疑う訳ではないが、命の危険がないというのは本当のことのようだ。


「……あぁ、そういえばアルドの散歩行かへんと」


「……今から? もう寝てぇよ……」



「飼う代わりに散歩ちゃんと連れてけ言われてるからなぁ……。これからは魔法少女やる前に行こ……」


 夕飯を食べ、風呂で体を癒やし、部屋でゆっくりしていたところでようやく散歩に行かなければいけないことを思い出した。仕方なく一人と一匹はよろよろと立ち上がり、首輪にリードを付けると散歩用の手提げ袋を手に外へ出る。

 昨日までの光景となんら変化がないにも関わらず、楓の目にはなんとなく世界が違うふうに映って見えた。そういえば昨日、魔法陣を見つけた時に誰かに背中を押されたような感覚があったのを思い出す。

 急なことで顔は見えなかったが、一体誰だったのだろう。周りに人目がないのを確認すると、楓はアルドに声をかけた。


「ねえ、アルド。そう言えば昨日…………」


「そこのひとー、ハンカチ落としたよー?」


 昨日以降の言葉は、思いがけない乱入者の登場により遮られてしまった。確かにだれもいないことを確認した筈だったが、どうやら見落としていたらしい。

 咄嗟に振り返ると、そこにいたのは日本人離れした容姿を持つ少女だった。銀色の長髪は夜だと言うのに眩く輝いており、青い瞳は深海のように妖しい美しさを秘めていた。

 思わず言葉に詰まるが、ハンカチを受け取って小さく頭を下げる。


「……ありがとございますー」


「いいえー。それじゃあまたねー、佐々木セ・ン・パ・イ?」


 軽い足取りで去っていく背中を、見えなくなるまで呆然と眺めていた。不審に思ったらしいアルドが声をかけると、ようやく楓は意識を取り戻す。


「知り合いか?」


「んー……確かうちの高校にきれいな外人さんがいるって聞いたことがあるような……」


 あくまで聞いたことがあるというだけで、実際に姿を見たことはない。名前すら知らないのだから、真実かどうかすら疑わしい話だが――向こうは、自分の名前を知っていた。


「ていうかこれ、うちのじゃない……」


 受け取ったハンカチには、白地に赤い花の刺繍がされていた。花や花言葉に詳しくない楓にはそれが何の花で、どのような意味なのか知る由もない。

 刺繍されていたのは黄色の風信子。所謂ヒヤシンスと呼ばれる花である。花言葉はなんだかったかな、なんて記憶を探ってみるも疲労からかなにも浮かんでこない。


「んー……まあいいか」


 乱入者のせいで、楓はアルドに聞こうとしていた内容をすっかり忘れてしまっていた。

 そして魔法少女佐々木楓は、既に新たなる波乱に巻き込まれようとしていたのである。

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