第三話 佐々木楓と魔法少女

 食後のデザートに量と安さが売りのバニラアイスをスプーンで削り取りながら、楓はこの一週間のことを回想していた。

 魔法少女活動は順調といえば順調だし、進展があるかと言われれば多分進展自体はあまりしていないといったところであった。

 戦闘自体に今のところ問題はない。当初魔法が使えないというのはとんでもないハンデになるだろうと思っていたが、実際戦ってみると魔法が使えなくて困った場面には遭遇していなかった。というのも、敵もまた物理攻撃に頼った戦い方ばかりをしているからである。

 その上種類も初日に出会ったのと似たようなモノばかりで、違いがあるとすれば大きさの大小ぐらいなものだ。そしてその全てを一撃で倒すことが出来るのだから、戦闘面においては今のところ予想以上に快調と言えるだろう。


「守護眷属とやらは、全然見つからんし……」


 カップの端っこの溶けた部分から真ん中へ向けてちょっとずつ食べ進めながら、懸念事項である守護眷属について考える。

 多くの羊型の眷属を屠ってきたが、その中には残念ながら当たりはいなかった。一応一週間かけて街の隅々まで探索してみたのものの、門らしきモノも見つけられない始末である。

 その代わりに街自体の構造はなんとなく理解出来た。一定以上の範囲を進もうとすると透明の壁に行く手を阻まれるため、あの廃墟街は小さな箱庭のようになっているらしい。

 また恐らく四つほどの区画に分かれており、古めの日本建築が建て並ぶ地区から現代西洋風の建物ばかりの地区、工業地帯と思しき地区に最初に降り立った廃ビル群。共通しているのは全ての地区がボロボロで風化してしまっていることぐらいだろうか。一部例外として人の生活の気配がする場所も幾つか点在していたが、それらは透明な壁のようなものに阻まれて進むことが出来なかった。

 そもそもその門とやらが物理的な物なのか潜行時に発生する魔法陣と同質の物なのか、或いは更に別の形態を取っているのか魔法文化に疎い楓には判断がつかなかった。アルドに聞いてもアルド自身大部分の記憶を失っているため、残念ながら参考にならない。


「ま、とにかくやるしかないんやけど……」


 散歩から帰ると、椅子に座り数学のノートを広げる。いつもは散歩から帰ると深界に直行していたのだが、今日は宿題を出されてしまったため魔法少女活動は後回しにしていた。

 ともかく何かを考えるにしても、材料が一向に足りない。頼りになるはずのアルドも記憶をなくしてしまっているのだから、自分の足で情報を稼ぐしか今のところ手はないのだ。

 最後の一口をすくい取って口に放り込むと、楓はスマホを片手に勢い良く立ち上がった。


「よーし、じゃあ行こかー」


 魔法少女もすっかり慣れたもので、ロックを解除しさっさとアプリを立ち上げると、ダイブを選択し部屋の中心に魔法陣を立ち上げる。

 待ってましたと言わんばかりにアルドは楓の肩に飛び移り、楓は躊躇いなく魔法陣に足を踏み入れた。意識の反転、感覚の境界線が曖昧になり、血潮の中に確かな熱が灯ったことを確かめて――――そしていつもの様に深界に降り立ち。


「…………なぁアルド、聞きたいんやけど」


 いつもと違う光景が広がっている事に気が付いた。

 枯れた噴水を真ん中に、円形の広場が形成されている街の中心地。ここ一週間ですっかり見慣れた退廃的な光景の中に、見慣れぬ物が転がっている。

 いや、それ自体は彼女も見覚えがあった。『眷属の死体』――――弾痕、切疵、ダメージの与え方に違いはあれど、ここ一週間で何十体ものそれを生み出した以上、それ自体は腐るほど見てきた。

 問題は楓がこの場に来る以前よりそれが存在するということ。夜の雫を回収すると眷属の肉体は消滅するため、前日までの死体が残っていたことは今までに一度もなく。


「うち以外に魔法少女っているん?」


 視線。気配。敵意。銃声。半ば無意識に楓はその場を飛び退き、同時に振り返った。

 機能を失った街燈の上に膝を立てて座る銀色の影。先程まで楓がいた場所には複数の銃痕が残されており、影の手にはその原因と思われる拳銃が握られていた。


「ああ、あれは眷属じゃねえ……魔法少女だ」


 その顔には見憶えがあった。正式に魔法少女になった夜、アルドと散歩に出かけた時に声をかけてきた外国人。狐の面のように細められた眼に張り付いたような不敵な笑み、表情から感情を読み取ることは出来ないが楓の味方でないことは間違いないだろう。

 自分以外に魔法少女がいるということ、その可能性を考えなかった訳ではない。だが何の前触れもなく敵対するのは予想外だった。いや、或いはあの日の邂逅がすでに前触れだったのだろうか。


「また会いましたねー、佐々木センパイ?」


 考える暇さえ与えるつもりはないらしく、なんてことのない世間話をするかのような抑揚で彼女は声をかけてきた。これで銃口さえ向けられていなければ、楓も普通に答えるところだったのだが。


「おぉ、悪いけどうちは君のこと知らないんだよね。自己紹介してくれるとありがたいんやけど」


「あは、それは気付きませんでしたごめんなさーい。サラ・クレシェンド、佐々木先輩と同じ高校の一年二組でーす」


 飄々としていて、掴み所がない。自分を撃ってきた人間なのかと疑いたくなる程度には柔らかな態度だったが、だからこそそれが恐ろしい。人を撃つことに躊躇いがないということは、彼女はその行為を慣れ親しんでいるという証明に他ならないからだ。

 同じ魔法少女。けれどサラの方が間違いなく魔法少女としてのキャリアは長く、そして楓よりも遥かに手慣れている。周囲の眷属の死体に残された傷も、一体につき一つずつしかない。これは彼女が一撃で確実に仕留めたということだろう。


「センパイ、新顔だよねー? もしかしてもうどこかに所属してたりするー?」


「…………いや、知らんけど。うち以外の魔法少女に会ったのも初めてだよ」


 他にも魔法少女がいるのか。所属という単語をわざわざ用いるということは、組織的な動きを取っている者たちもいるということなのか。サラの言葉から生じた疑問に、楓は思考を割く余裕を持ち合わせていなかった。

 笑っているはず。話しているだけ。それなのに胸がざわつき鳥肌が立つ。化物に殺意を向けられたことはあっても、人にそれを向けられたのは初めての経験だった。

 楓はサラから視線を外さないようにしながら、軽く屈伸と伸脚で足を慣らし、腕を交差させ自分側に押し込み固まりかけていた腕の筋肉を解していく。


「おーおーやる気まんまんだねー」


「そりゃうちじゃなくて君でしょ」


「あー、まあそうなんだけどさー……。ここ数日センパイの事見てたけど、センパイ強いよねー? ずぅっと気になってたんだー」


 手持ち無沙汰気味に右手でガンスピンを行いながら、相も変わらずクラスメイトと休み時間に会話をするような気軽さで突き刺さるような殺意を楓に向けている。

 戦わない可能性はとうに捨てていた。理由はわからないが、サラは楓を倒そうとしている。いや、殺そうとしている。そこに疑う余地はなく、争わない道を模索する余裕もない。


「だからぁ――――」


『……おい、楓。こいつはヤバイ。今すぐ逃げ――――』


 状況的に不利なのは楓だ。魔法少女としての経験の長さに加え、楓はクロスレンジでしか戦えないのに対しサラは既にミドルレンジで戦う為の武器を見せびらかしている。

 そしてサラは今高所におり、楓が瞬間的に距離を詰めるのはどう足掻いても不可能だ。下から上へ、その移動の隙を埋める方法がない。サラの元へ辿り着く頃には、何個の穴が生まれているかも想像出来ない。歯痒いが先手必勝を狙うのは悪手、後手に回らざるを得ず。


「――――――――私と殺ろぉ?」


「アルドォ、言うのが遅いってぇの――――っ!!!!」


 サラが消えた。戦うことなく逃げたか。いやそんな訳がない。背中に走る冷たい感覚。首元に突き付けられた刃。触れる寸前に屈み、振り向きざまに裏拳を放つ。

 手応えはなし。けれど拳の手前には、確かにサラの姿があった。想像を絶する速度、そして先程まで銃を持っていた手に握られているのは大振りのナイフ。

 転がる眷属の死体には銃で撃たれた痕の他に、裂傷も幾つか見られた事を思い出す。複数の武器を切り替えて戦うのか。いや――――。


「その通り――――銃を忘れちゃ駄目だよー?」


 ナイフの間合いから外れている事に安堵したその僅かな空隙に、もう片方の手に潜ませていた銃が火を噴いた。防御、回避、何方ももはや間に合わない。だったらどうするか。


「っぶなぁ――――っ!?」


 前に出る。多少の傷は覚悟して、楓は斜め前に踏み出した。頬を掠る弾丸、傷跡は熱を帯び集中を阻害する。垂れた血液が鬱陶しく、けれどそれにかまけている暇もない。

 踏み出すと同時、硬めていた拳をサラに向けて撃ち放っていた。何百何千、いや何万と繰り返した動作故に迷いはなく、正確にサラの胸部の中心目掛けて拳が向かう。

 空気を引き千切り突き出された拳は、しかしサラの肉体に届く事はなかった。サラの目の前に展開された魔法陣が楓の拳を遮ったのである。やけに硬い感触、恐らくは防御系の魔法とやらだろうか――――だが楓の拳の威力を殺しきれた訳ではなかったらしく、サラは姿勢を保ったまま十数メートル弾き飛ばされる。


「おおー……ビックリする威力。そのパンチ、どこで習ったのー?」


「昔、近所に住んでたお姉さんにやけど」


「面白い冗談だねー」


「冗談じゃないんやけどねー……うちも聞きたいんだけど、どうしてうちを狙うの? 魔法少女同士が戦って意味あるん?」


「あれ、知らないんですかー? 魔法少女が強くなる方法は二種類あってー、夜の雫で魔法の性能を強化する方法と、それから――――使い魔を殺して、魔法そのものを奪い取る方法があるんですよー?」


「なっ――――」


「魔法少女は死なないけれど、使い魔は死ぬんですよねー。魔法少女を倒す唯一の方法、知りませんでしたー?」


 アルドからそんなことは聞いていない。いや、単に失くした記憶の一つだっただけか。だがそれが目的であるならば、楓を襲うのはおかしな話である。

 楓には、奪われるべき魔法がない。すべての魔法少女が標準装備しているであろう潜行と念話、この二つ以外に保有する魔法がない以上、魔法を奪い取るという目的に楓程適していない魔法少女は恐らく存在しないだろう。

 そしてそれは数日間楓を観察していたならば気付くはず。余程目が節穴なのか、或いは楓が奥の手を隠し持っているとでも思い込んでいるのか――――だが後者だとすれば、毎回ダメージを負い限界手前までやられかけているのは演技ということになる。

 魔法少女になりたった一週間でそこまで出来る技量もなければ、隠せるほどの魔法があるわけでもない。

 なにより強くなるという目的を達成するのであれば、眷属の死体を残しておく必要はなかっただろう。

 まず第一に素人である楓を倒すより、眷属から手に入る夜の雫の方が確実性が高いからだ。それを回収もせず放っておく事に違和感を覚える。

 第二に、死体を残していたからこそ楓に自分以外がいると気付かれた。完全な不意打ちであれば、まず楓は銃を躱すことさえ叶わず、今頃魔法少女を早くも卒業していたことだろう。

 つまり眷属の死体を残していたのは、演出したかったからだ。恐怖心を植え付け、追い込み、そして何かを試している――――。


「まあセンパイを狙う理由はそんなのじゃなくてー……」


 とっ。サラが軽く地面を蹴り前に出たと思ったその時には、既に楓の目の前に迫っており。


「弱い魔法少女なんていないほうが良いから、かな」


 ナイフによる刺突を首を曲げる事で間一髪で回避し、次いで来るであろう銃撃が来る前に、腹部へ向けてボディーブローを放つ。硬い感触、再び防御シールドに阻まれるが弾き飛ばす事でナイフの間合いは脱した。銃はあくまで点による攻撃しか出来ない為、見えていれば回避は難しくない筈だ。

 だがサラは弾き飛ばされながら身体を回転させ、次の攻撃に移っていた。そしてそれは楓の予測した『銃撃』ではなく『斬撃』――――『銃』を持っていた筈の手にあったのは、ナイフよりも間合いの大きい『刀』だった。


「――――っ痛ぁ!?」


 銃に点の攻撃を予測していた楓は、刀を薙ぐ事による線の攻撃に対応し切れなかった。首を狙った斬撃に対し左腕を間に挟むことで致命傷は避けたが、斬撃が骨にまで到達したため左腕はもう使い物にならない。

 血が止めどなく溢れる。人生で味わった中でも最大級の痛みを感じながら、それでも楓はサラから視線を外さなかった。


「一週間にしては〝やる〟。でもそれだけ。私には勝てないかなー。抵抗しないなら、痛みを感じる暇もなく終わらせるけどー?」


 左腕に力を入れると激しい痛みが走る。そうでなくても痛いが、力を入れなければ多少はマシだろうか。左腕をだらりとたらしながら、楓はサラを真似るように不敵な笑みを浮かべた。


「弱い魔法少女なんていないほうがいい。だったらその理屈にうちは当て嵌まらないよ、うち強いし」


「わぁー、まだ強がれるなんて凄いなー? 敬意を表して、一瞬で終わらせてあげますよー?」


 消える。前か。後ろか。それとも上か。何方にせよ言えることは一つ――――ワンパターンだということ。

 大した速さであることは認めよう。戦闘技術が高いことも、魔法の使い方が上手いことも、何もかもが楓を上回っている事を認めざるを得ないだろう。

 勝てる方法があるとすれば、最初から一つしかなかった。拳を叩き込むこと――――如何にサラが上手であっても、一撃を叩き込めれば落とせる自信がある。

 要はその隙を作れないのが問題であり、攻撃を受けることに躊躇いを憶えていたから何も出来なかった。でもここまで攻撃を受けてしまったのであれば、今更傷の一つや二つ増えたところで大した問題ではない。


「いや、実際うちは君に感謝しないといけないなぁ。今まで全部一発で倒してきたから、いまいち身体の感覚が掴みきれなかったんやけど――――大分馴染んだわ。今ならもう少し上手く使える気がするよ」


「――――へぇ、なに? これから必殺技でも見せてくれるってぇの?」


 背後、刀による大上段からの一撃。直撃すればひとたまりもないだろうが、楓はその刃を振り下ろされる前に振り返り左腕で掴み取った。初めて魔法少女に変身したときよりも遥かに感覚は研ぎ澄まされ、反射速度も肉体の反応もそれに段々とついてこれる様になってきた。

 楓には魔法がなかったが、魔法がなくとも戦える肉体がある。そしてそれは純粋な腕力の向上に留まらず、汎ゆる感覚をも鋭敏化させていた。それに伴って痛みも増したが、それぐらいの代償は歯を食いしばって耐えるしかない。

 今も左手に刀が食い込み肌を引き裂き血を滴らせているが、先程の斬撃に比べれば多少はマシだと無理矢理割り切る。


「そうやねぇ、でもまあ期待しててな――――」


「どうせただのパンチで…………っ!?」


 緩く握った拳。然しそれが撃ち出されるよりも前に、楓は刀を固く握り締める事によりサラの位置を固定し、その額に向けて頭突きを繰り出す。楓の攻撃手段は拳のみ、そのような先入観に囚われていたサラは防御することもなく正面から受けてしまった。

 視界の明滅。ただの頭突きですら驚異的な威力を秘めており、サラの意識は一瞬だが間違いなく飛んでいた。そして高速戦を得意とするサラだからこそ、その一瞬が命取りであると理解しており――――。


「せぇーの……――――どーんっ」


 ――――その時サラは負けを確信し、次の瞬間楓の拳が頬にめり込み身体が吹っ飛んだ。


「…………やっば」


 ちょっとやりすぎたかもしれない。そう思う程度には勢い良く弾け飛んでいき、近くのビルに衝突した。糸の切れた操り人形のようにそのまま崩れ落ち、もしかしたら殺してしまったかもしれないという焦りが今更生まれてくる。

 楓も割りと重傷なのだが、身体を引き摺るようにして近付いていくとまだ息をしているのが分かった。息も絶え絶えなのは間違いなかったけれど、死んではいない。


「なんつうバカ威力……参った、降参。ちょっともう動きたくなーい……」


「ごめんな、うちが使えるのこれだけなんよ。大丈夫?」


「大丈夫に見える? ……ああうん、嘘嘘。生きてるし大丈夫でしょ。明日の夜には治ってるよ――――多分だけど」


 実質受けたダメージは頭突きとパンチだけなのだが、とりわけ後者の威力が桁外れだったため酷く重傷に見えてしまう。楓もつい勢いで顔面を殴ってしまったが、頬を腫らすサラの顔を見ると本当に申し訳なくなってきた。現実の肉体にフィードバックはされないものの、年下の女の子の顔面を思いっきしぶん殴って罪悪感を憶えないほど楓は吹っ切れていない。


 本来の実力で言えばサラの方が数段上手なのは間違いないだろう。楓もそれを否定しないし、今回の一勝は極僅かな確率を偶然引き当てたに過ぎない。次にやればまた違う結果になるだろうし、多分楓は負ける。

 自分を狙っていた相手を心配するというのも変な話だが、魔法少女以前に彼女は学校の後輩らしい。何やら事情もあるようだし、自分以外に魔法少女がいるならば話を聞かない手はない。

 殴ってしまったのは申し訳ないが、それとこれとは別問題だ。アルドに記憶がない以上、別の誰かに話を聞くのが一番手っ取り早いのもまた事実である。


「それでちょっと色々聞きたいんやけどー…………」


 楓が話を切り出そうとその時、広場の空気があからさまに一変した。息をするのも躊躇う程に空間に満ちた何か。それが超高濃度の魔力と暴力的な殺意であることに気がついたのは、呼吸をするのを思い出してからだった。


「――――っ!?」


 原因はサラではない。既に彼女にそんな気力は残されていないし、サラを見れば呆れたような、それでいて面倒くさいと考えているのが容易に分かるような表情を浮かべていた。

 サラの視線の先を、楓も追う。広場の中心、枯れた噴水の上。黒の外套に身を包んだ金髪の少女が、楓達をじっと見つめていた。魔法少女だろうか――――いや、違う。そんな生温い物じゃあない。


『守護眷属……』


 アルドの呟きに、あれが探していた守護眷属かと内心驚愕した。通常の眷属より強いと聞いてはいたが、普段戦っている眷属は比較対象にすらなっていないのではないだろうか。


「ふーんあの子が……。全くどいつもこいつもうちの発言遮らな気が済まないのかな…………それでサラ、あの子と会ったことは?」


「んまあ何度かやりあったことはあるよー。あの子はちょっとやばいかなー、結構強いし。あたしらが量産型だとしたら、あいつは専用機って感じ?」


「ようわからんけどわかった。それでアルド、サラ、勝てる見込みは?」


『現状の戦力を考えれば、逃げるしかねぇだろうが……』


「なくはないけど、やりたくないって感じかなー。まあ逃げようにも結界張られちゃったから、それなんとかしないと向こうにも戻れないんだけどねー。はぁーあ、タイミングミスったかなー」


 守護眷属と戦える様な状態ではないが、逃走経路が塞がれている以上あの少女を退けるほかない。

 仕方ないと楓は立ち上がり、右手を何度か握り直し動くことを確認した。 

 少女と視線がぶつかる。幼い顔立ち、中学生ぐらいだろうか。空間に満ちた殺意とは対象的に、無感情な瞳が楓に向けられていた。戦う意志を楓から感じ取ったらしい少女は、口を微動させる――――少女の背後に展開される、複数の魔法陣。


「魔法少女の先輩に聞きたいんやけど……サラ、なんかいい案は?」


 少女の存在は異質だった。持ち得る気配、存在としての『重さ』が違う。秘めている情報量が桁外れであり、この非現実的な深界においても魔法少女とは一線を画しているのは楓ですら理解出来た。

 サラの言うちょっとやばい、結構強いがどれほどあてになるかは判断しかねるが、サラの実力を以てしてその評価である以上、情けない話であるが今から少女と戦闘し撃ち倒すという判断はとてもではないが選べない。

 仮に楓が一人だったのであればそれも考慮に入れていたかもしれないが、自分が手負いにしたサラの存在が楓を冷静にさせていた。そういう意味ではこのタイミングで襲ってきたサラに、感謝の念を抱かなくもない。

 それにサラには楓にはない知識と経験がある。守護眷属との初遭遇にサラが居合わせたのは幸運だったというべきだろう。楓の方が年上ではあるが、情けないことに現状ではサラに意見を求める以外に状況を打開する術はない。勿論楓も必死に考えてはいるが、名案は思いつかず。


「逃げる一択だねー。でも逃げるなら結界を壊す必要があるよー。結界魔法バウンドの効果は色々あるけど、この結界は中にいる人間の行動制限――――簡単に言うと、中にいる限り現実に戻れないって感じー? 威力さえあれば魔法でも物理でも壊せるけど……この強度だと、ちょっとそれも簡単じゃあないねー」


 魔法陣が一層輝きを放ち、何かが楓へと向けて放たれた。楓が拳を構え、そしてほぼ同時にサラが防御魔法を展開する。しかしそれはただ楓の前に無造作に形成された訳ではなかった。

 楓の拳自体に防御魔法を展開したのである。楓が魔法を使用できず、それでも迎撃の構えを取ることをサラは読んでいた。ならば拳自体の耐久度を上げることで迎撃の補助を行うほうが確実だろうと考えたのである。

 放たれた輝きは黄金の閃光――――『砲撃魔法バスター』。凝縮した魔力を高出力で撃ち出す魔法であり、多くの魔力と高い技術を必要とする高次元の攻撃魔法だ。

 楓がそのまま拳で殴りつけていたら、腕が消し飛んでいただろう。だがサラの防御を以てしても、完全に防ぐには至らなかった。打撃の威力によって砲撃自体を逸らす事に成功するも、拳という小さな範囲を守る魔法陣は砲撃自体が持つ熱を防ぎきれない。


「あっつ……」


 真っ赤に染まる右拳、それでも少女は攻撃の手を緩めず二発三発と追撃を仕掛けてきた。迎撃する度に痛みと引き換えに拳の感覚は薄れていき、既に拳を緩めることさえ困難になりつつある。顔を顰め、構えたまま、僅かに視線をサラへと向けた。


「見ての通り高威力の魔法は展開に時間がかかる。ていうか私が得意じゃないし、魔力もあんまし残ってない。結界を解除する方法として術者本人を倒すっていうのもあるけど、正直それは現実的じゃない」


 ゆらりとサラが立ち上がる。サラの言うとおり高威力の魔法には時間を要するらしく、追撃の手が一時的に止まった。だが所詮は一時的なものであり、猶予と呼ぶにはあまりに短すぎる。しかしサラも案がないわけではないらしい、楓は視線を少女に向けながら、構えを解くことなく耳だけをサラへと傾ける。


「だから、その二つを組み合わせる――――術者にダメージを与えれば、その瞬間だけ結界を不安定に出来る。その隙に結界をぶち壊して逃げる、これが私の提案」


 結界の破壊方法は二つ。結界そのものを壊すか、術者を倒すか。万全の状態であればまだしも、今の体力や負傷の度合いを鑑みればともに難易度が高過ぎる。

 故にサラの出した答えは前者と後者の折衷案、術者にダメージを与え、結界を弱めてそれを壊す。一人では難しい作戦だが、幸いにして今楓とサラの利害は一致していた。

 問題は何方が何方を担当するかだが――――。


「てわけで私がダメージ与えてくるから、結界壊す準備だけしといてねー」


「ちょい待ちぃ、そんな身体で戦えるん?」


「いけるいける、てかセンパイだって人のこと言えないでしょー?」


 先程の戦闘で最後まで立っていたのは楓だったが、受けたダメージで言えば大した差はない。むしろ肉を切らせて骨を断つ戦い方をしたお陰で、楓のほうが負傷は大きかった。

 楓としては一応先輩であり年上である以上、危険な役割は自分が担当すべきという意識があったのだろう。だがそれが合理的とはいい難い判断であることも、また事実だった。


「私の戦い方はちまちましてるから、あんまり高威力の攻撃得意じゃない。でも時間稼ぎ程度なら余裕でできる。先輩は防御も出来ないし動きも遅いけど、攻撃だけは破格の威力を持ってる。どっちがどっちやるかは明らかじゃない?」


「でも…………」


「それに結界に穴が空けられても、塞がるのなんて一瞬だよ。戦闘から離脱してそのまま結界の外まで逃げるスピードは先輩にはないよー?」


『楓、こいつの言うとおりだ。雑魚相手なら好き勝手出来るけど、守護眷属相手に余裕ぶっこいてる暇なんかねえ』


 反論の余地はなかった。何より議論の暇もなかった。楓は伏し目がちに頷き、それを確認したサラは満足げに勝ったとばかりの笑みを浮かべ、少女の方へと向かって駆け出した。

 大量の爆発音と銃撃音を背に、楓は結界の境界線に向かう。結界の範囲自体はあまり広くなく、数十メートル進むと壁に突き当たった。


「これか……」


 熱を帯びた手で壁に触れ確認する。眼には見えないが、確かに進行を遮る見えない壁がそこにはあった。

 納得はあまりしていないが、サラが危険な役割を果たしてくれている以上それを台無しにするのはもっとあり得ない。拳を緩く握ると、呼吸を整える。


「…………」


 気分を落ち着かせると、途端に身体が悲鳴を上げている事を痛感させられた。戦闘による熱と興奮が誤魔化してくれていたに過ぎず、本来であれば動くことさえ躊躇う重傷を負っているのだから当然だろう。

 痛いだけならばまだいいが、左腕に力が入らないのは厄介だった。構えるにしても左腕だけ垂れ下がっており、はっきり言って邪魔だ。それに打撃を打ち込む肝心の右拳も、火傷で疼痛が止まらない。


「魔法少女も、思ったより大変なんやなぁ……」


 夢と希望を振り撒く偶像、痛みとなんて無縁のように思えた世界――――此処はそんな甘い物じゃない。

 たとえ身体は傷つかなくとも、痛みは本物のように伝わってくる。それが現実に影響を及ぼさないとしても、痛いのは嫌いだし怖い。生半可な覚悟では、戦い続けることなんて出来ない。

 だからこその代価が支払われるのだろう。この痛みを耐えるのに、心の支えが正義だけではあまりに脆すぎるから――――でもそんな道を、選んでしまった。


「後悔がないと言えば嘘になるけど」


 他の誰でもない自分が選んだ。強要されたわけではなく、待ち受けるものを知らなかったとしても、そのリスクを踏まえて選んだつもりだった。

 それが揺らぎそうになったのは痛みのせいか、それとも自分で選んだにも関わらず自らは安全圏で待機し、年下の少女に危険な役割を押し付けたからだろうか。

 多分どちらもだろう。不甲斐なさに押し潰されそうだった。覚悟の甘さに吐き気さえ覚えた。誰かを助けたいなんて傲慢を、何の力もないのに思うべきではなかった。

 だからこんなことは、これで最後にする――――誰かが戦っているのを横で眺めているだけなんて、そんな立場に甘んじるのは許せない。


「…………うん。頑張らないと」


 歯を食いしばり、痛みを噛み殺す。勝負は一瞬、逃せばそこで終わり。サラが作ってくれるチャンスを、無意味なものにはしたくない。

 痛い。痛い。痛い。集中を妨害する激痛を、気合で強引に捻じ伏せる。次はこんなことがないようにと、自分に対する憤りすらも苦痛を欺くために利用して構え、そして――――壁が、揺れた。


「――――ッ!!」


 衝突音、そして虚空に走る亀裂。口の中に広がる苦い鉄の味を、彼女は永遠に忘れないだろう。

 楓が一歩を踏み出すより早く駆けつけたサラの手に引かれ、彼女達は結界を後にする――――ただ佇む少女を一人、置き去りにして。

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