第二十六話 遠藤梓葉と衝突リアライゼーション其の三
「アルド。辛かったら目ぇ瞑っててな」
仲間が交戦を始めるなか、楓は歩きながら胸に手を当ててそこにいるであろうパートナーに声をかけた。
先日一方的に梓葉にやられたのは、楓の実力が劣っていたからではない。それも原因の一つだったが、それが全てではなかった。
魔法少女と使い魔は一心同体、変身している間は肉体を共有している。主導権こそ魔法少女本人にあるものの、使い魔による影響が一切ない訳ではない。
先日の戦闘、アルドは梓葉との交戦を拒否したのだ。当然言葉に出したのではなく、アルド自身にその意志があったということでもない。完全な無意識下で、彼女と戦いたくないと思ってしまったのだろう。
そして楓は本来の力が発揮しきれず、一方的に嬲られる形となった。戦闘終了後アルドに謝られたが、当の楓はやられた事自体はそこまで気にしていなかった。いや、負けず嫌いのため負けたこと自体は悔しいのだが。
大事なのは戦いたくないと思った理由だ。これに関してはある程度見当がついていた――――恐らくアルドは記憶を失う前、彼女と知り合いだったのだろう。
と言っても恐らく一方的に、である。基本的に使い魔は他の魔法少女の前に姿を現さない。
魔法少女における魔法部分の大半は使い魔が保有しており、彼らが死ねば必然的に魔法少女としての力は失われる。言うなれば魔法少女の心臓とも言うべき存在である以上、自身の契約者以外の前に姿を表わすのは自殺行為だ。
梓葉は楓の前の契約者と親密な付き合いがあったのかもしれない。そして梓葉の話から推察するに、その契約者とは――――。
『……いいや。殺し合いじゃねえ、分かり合う為に戦う。そのために進むお前の邪魔なんて、出来るわけがねぇだろうが』
先日の負い目もある。戦いたくないという意思とは裏腹に、身体には十分過ぎる力が漲っていた。
倒すのが目的ではない。納得し、理解する為の戦い。普通に考えれば戦うことと理解することは矛盾しているようにも見えるが、ぶつかり合うことでしか分からないこともきっとあるだろう。
アルドの言葉に、楓は小さく笑った。彼がそう言うならば、自分にできることは信じるだけだ。
「ん、分かった。それじゃちょっと頑張ろか」
拳を緩く握り締め、距離が近付く度に高鳴る鼓動を必死に鎮める。血液の循環と共に意識は先鋭化され、闘争本能とも言うべき獣が鎌首をもたげていた。
大丈夫。なるようになるし、悪い方向へは行かせない。
やがて距離は十、九と消えていき、零へと至る――――瞬間、大気が爆発したかのような錯覚を魔法少女達は覚えた。
拳と拳が衝突し、大気を揺るがし衝撃が伝播した。振動が肌を震わせ、臓器にまで伝わる。そして拳に走る激痛――――だが今回は、砕けない。
後退しそうになる身体を無理矢理踏み止まらせ、息をつく間もなく次の一撃を繰り出す。
真っ直ぐに伸びた拳撃は再び相見え、高威力の拳撃を堅硬の拳で相殺し、思考を巡らせるよりも前に更に一歩前に踏み出した。
余計な言葉は要らない。不器用故に嘘偽りない想いが拳に乗せられ、言葉よりも雄弁に何もかもを教えてくれるだろうから。
威力に特化した拳撃の使い手である楓と、驚異的な頑丈さを誇る拳を持つ梓葉。互いの攻撃は致命打を与えるには至らず、しかしこれ以上ないほどにダメージを与え続けていた。
共に格闘を攻撃手段とする魔法少女、だが両者の違いは拳だけか否か――――先に仕掛けたのは、梓葉だった。
「――――っ!!」
邂逅の際、真っ先に使われ初手を潰された前蹴りが楓を捉える。咄嗟に両腕で防御するも、あまりの威力に身体が後ろに引き摺られた。
生じた隙に捩じ込まれる強打、絶え間ない連撃により楓は防御から攻撃へ転ずることさえ許されない。そして梓葉は防御をしている腕を掴み取ると、腕力に任せて楓を持ち上げ地面へと叩き付けた。
肺の中の空気が強引に押し出され、全身を打つ痛みに小さく呻きを上げる。だが直ぐ様飛び上がり、アッパーカットを放つことで強制的に攻撃を中断させた。
梓葉は拳打だけではなく、蹴りは当然として投げ技まで扱える。生来の素質と長い年月をかけて蓄積してきた経験が合わさった彼女の技術はまさしく本物であり、付け入る隙が殆ど見当たらない。
拳の打ち方一つとっても楓に近しい技を持っており、威力は僅かに劣るものの硬さという特徴によって対等以上に渡り合える。
分かってはいたが、梓葉は強い。そして改めて向き合うことで見えてくる彼女の姿、拳、立ち振舞から発露する感情――――彼女はあくまで真っ直ぐに、そして誰よりも真剣に未来を見据えて動こうとしていた事が分かる。
だからこそあくまで一対一に拘り、正々堂々と戦う道を選んでくれた――――ああ、これはすこしまずいかもしれない。
サラと初めて戦った時感じたのは、どうしようもない恐怖だった。シエラと戦い続けている間は、生き延びることと彼女を助けたいと必死だった。牡羊座戦は言わずもがなそんな余裕もなく、初めて怒りに身を任せて行動した。常に死と終わりと隣合わせで戦ってきたから、ついぞこんな感情を感じることはなかった。
これは命のやり取りではない――――喧嘩だ。殴り合いだ。拳での語り合いだ。殺し合いじゃない、だから――――
「あーやば、楽し……」
梓葉の拳が楓の頬を捉え、カウンター気味に楓が放った一撃が梓葉の胸部へ叩き込まれる。
喋るのは嫌いじゃない。だからこれも楽しい。痛いけれど、感情が感覚として伝わってくるのだからこれほど分かりやすいこともないだろう。
さあ、お前はどうだ遠藤梓葉――――その想いを教えるといい。
鮮烈な痛みと共に、まともな思考は失われつつあった。より最適な行動を、そんな選択をしている暇はない。
殴られた場所が熱い。だが熱と痛みが、存在さえ曖昧となるこの世界において確かに自分の存在を証明してくれていた。
「チッ――――」
戦況は五分五分。有効打は梓葉が多くいれているが、楓の拳撃の威力は桁が外れている。引き離そうとしても一撃を入れられただけで覆る理不尽、それに対し冗談じゃないとばかりに次の攻撃を叩き返す。
この女は強い。拳撃だけしかないが、それだけで十分だと思わせる烈しさがある。
楓の拳は見た目の数十、数百倍の重圧を以て迫り来る。真っ直ぐすぎる拳に当たらないなんて油断を持てば、たったの一撃で沈められるだろう。
そして一度当たってしまえば、もう冷静に対処する余裕さえ奪われる。ついには攻撃を食らってもいいから一発ブチ込んでやるだなんて、半ば捨て身じみた方向に思考が傾きつつあった。
そして拳を受け止める度に、嫌というほどに分かってしまう。いや、そもそも最初から分かっていたのかも知れない。
佐々木楓は進藤渚沙を殺していない。当たり前だ、こんな奴が現実世界を焼き尽くす化物な訳がなかった。
分かっていたのだ、こんなのはただの八つ当たりだって――――この女の中に、確かにあの人の力が流れているのを感じる。そしてそれがどうしようもなく悔しくて堪らなかった。
何故私じゃなくてこの女なのか。私はあの人に近付く為に誰よりも、何年間も必死に戦ってきたのに。
硬い。前回一撃で砕いてやったはずの拳が、以前よりも明らかに硬くなっている。威力も回数を撃つ度に増している。強くなるにしても、あまりのペースに愕然とする他なかった。
これが才能なのか。持つべき者と持たざる者の違いなのか。違う。いや、この女は――――。
「化物かよ、テメェは……ッ!!」
頭で拒否しても、心が重ねてくる。姿かたちも、喋り方も、雰囲気も、強さも。どれも違っているはずなのに、この女の中にあの人の、渚沙の影を垣間見てしまう。
それが苛立たしくて仕方がなかった。私は強くなった、あのときよりもずっと。なのに私はまだあの人の影を追っている。いつかふらりと現れてまた笑いかけてくれるはずだと心の何処かで信じてしまっている。
そしてそれは強くなったという己への否定だった。渚沙がいなくても立って前へ進めるようになったという強さへの証明が、揺らがされているということに他ならなかった。
そしてその原因はこの女だ。佐々木楓という存在が、遠藤梓葉の積み上げてきた努力を否定し、走り続けた末に掴んだ筈の力が紛い物だと語りかけてくる。
「違ェ……」
血液が煮え滾りそうだった。眼の前にいる楓も、そしてそれに対し八つ当たりを続ける自分にさえ苛立ちが募る。
分かってしまうのだ。拳を重ねる度に、楓の想いや記憶が流れ込んでくる――――決してそれは比喩などではなく、確かな実感があった。
そしてその度に怒りが蓄積され続けていくのだ。八つ当たりしたっていい。武蒼衆の頭領だから。最古参の魔法少女だから。一人で肩肘張って、一人で全部背負い込んで、一人でなんとかする必要なんてどこにもない。
まだ中学生なんだから受けいられない現実を前に、八つ当たりだってするだろう。それでも耐えられない事だってあるだろう。全部ぶつければいい、余さず受け止めてやる。
そんな言葉に、揺らぎかける自分が嫌だった。何者にも頼らなくていい強さを求めて、戦ってきたはずなのに――――楓は本当に全部台無しにするつもりでいる。
「私は、私は――――ッ!!」
その時だった。視界が膨大な光量によって埋め尽くされ、瞬間的に結界内の温度が上昇していく――――咄嗟に握り締めた拳をほどいていた。
結界を張ったのは梓葉だった。だからこそ誰よりも早く気が付き、対応することが出来た。
「チィッ……」
結界が何者かによって攻撃されている。そしてその攻撃に梓葉は心当たりがあった。この熱さ、そして威力――――過去に何度も受けたことがある。
この領域下において、梓葉の防御を破れる魔法少女など数える程度しか存在しない。そしてその筆頭がこの〝砲撃〟の主。
「――――悠理ィ!!」
そして結界は罅割れ、熱線は障壁を砕き貫く。そのまま直進する砲撃の狙いは他でもない梓葉であり、梓葉は防御魔法を展開するが――――それに乗じて乗り込んでくる複数の影があった。
結界内を吹き抜ける一陣の風、領域最速を誇る翼無き鳥――――〝STORM RIDERS〟
エースの岡上ヤヨイと二番手の陸奥アキは目にも留まらぬ速度で先行し、防御で手が離せない梓葉の下へと殺到した。他ならばともかく相手は織衛悠理、意識を防御以外に傾ければその瞬間防御は砕かれ肉体は蒸発するだろう。
必然的にヤヨイとアキは放置せざるを得なかった。最悪の連携に舌打ちをし、防御の向こう側からジリジリと伝わってくる熱に顔を顰める。そして覚悟を決め、二人の攻撃に備えるが――――攻撃が届くことはなかった。
「無粋やなぁ――――ったく」
アキを拳で牽制し、ヤヨイのナイフによる斬撃を身を挺して受け止める。深々と切り裂かれた左腕からは血が噴き出し、咄嗟に右手で傷口を握り締めた。
襲撃が失敗したと判断したのか砲撃が止まり、ようやくまともな視界を確保する。そして離れたビルの屋上からこちらを見下ろす悠理と、その反対側で不敵に笑う久我アスカを認識すると、不愉快だと言わんばかりに眉を顰めた。
「萎える真似してくれるじゃねェか……覚悟は出来てんだろうなァ、おい」
それに答えたのは久我だった。梓葉の言葉を聞くと冗談じゃないとばかりに鼻で笑い飛ばす。
「なにが覚悟だ、笑わせるぜ。魔法使いと
どうせこんなことになると思ったよ。誰が呟いたか、呆れたような声は微かに響いた。
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