第二十五話 遠藤梓葉と衝突リアライゼーション其の二

 遠藤梓葉率いる武蒼衆と楓と愉快な仲間たちが激突する中、逃げの一手に徹する者がいた。柳生まなである。

 魔法少女になりたてにも関わらず、武蒼衆の頭領と幹部以外のその他大勢を押し付けられた彼女は、とにかく逃げ回っていた。

 金属バットを振り上げられれば翻って逃げ、刀で斬りかかられれば飛び上がって逃げ、鉄パイプで殴られそうになればビビり散らして逃げる。

 ひたすらに逃走、そこに尽力しているからこそまなは未だに動くことが出来ていた。

 仮に無謀にも反撃を企てたならば、その瞬間まなは撲殺死体紛いの悪趣味なオブジェクトに成り下がるだろう。


「この人数で捕まえられないってどういうことだよ、くそっ!!」


 まなを追う敵の数は二十や三十はくだらない。逃走禁止及び邪魔立てを防ぐための結界を梓葉が張っている為、行動範囲は限られてしまっている。

 そんな環境で完全な逃走劇を繰り広げるには、それ相応の要因が必要だ。純然に足が速いだとか、相手の攻撃を見切る事ができ、完全な回避を連続し続けられるだとか、或いはその手の状況に慣れ親しんでいるだとか――――とにかく一つ言えることは、まなには間違いなく逃走の才があるということである。


「攻撃の瞬間、奇妙な挙動をしているな……なにかの魔法か……?」


 その分析は外れていないが、それだけでは何も掴んでいないに等しい。それもそうだろう、まなはこの戦場において自らの魔法を可能な限り秘匿しているからだ。

 転移魔法テレポート。戦闘以外にも融通が利くサラ曰くレアな魔法。今の所この場で通用するであろうまなの唯一の魔法であり、まなを生存させている〝奇妙な挙動〟の正体である。


 勿論普通に使えば、恐らく転移魔法を見たことがない武蒼衆の雑兵達もひと目見て気付くだろう。未だに正体が割れていないのは、まなの使用方法に理由があった。

 転移魔法は距離が遠ければ遠いほど、そして対象が重ければ重いほど要求する魔力量も相応に大きくなる。そして燃費はあまり良いとは言えず、何も考えずに乱発すれば速攻で魔力が底をつくのは初日に実証済みだった。

 そこで編み出したのが、攻撃の瞬間のみ最短距離を飛ぶという使用方法だった。

 躱せない。防げない。確実に当たる。そういったタイミングで攻撃を回避出来るだけの僅かな距離を飛ぶことで、魔力の消費を抑えながらもダメージを最低限にまで抑える事が出来ていた。

 相手にもまなが僅かにズレた、微動した程度にしか見えず、転移魔法だなんて大それたものを使っているだなんて見えていない。

 あとはもう完全に包囲されないように意識して逃げ回るだけである。勿論それだけではない――――〝確実に殺れるタイミング〟は、常に意識していた。


「でもやっぱ、逃げるだけで精一杯だよこれ……っ」


 敵の数を考えれば逃げ回れているだけでも十分な成果だが、生憎とまなの横で戦っているのは正真正銘旧牡羊座領域にいる魔法少女達の中でも頭一つ抜けた化け物たちである。

 とりわけ逃げ回れている理由の一つに、サラの存在があった。西條あいと撃ち合いを続けるなかで、時折流れ弾が偶然人形の脳天を撃ち抜いていた。

 その御蔭で敵は微減の傾向にあり、敵が全滅するのかまなの魔力が尽きるのが先かといった状況になっていたが――――十中八九まなの魔力か体力が先に尽きるだろう。

 逃げているだけでは何もかもが悪化していくだけだ。それは分かっている。けれど――――。


「あ…………」


「……残念。鬼ごっこもおしまいよ」


 前に敵。振り返れば後ろにも敵。右、左、四方八方を埋め尽くす蒼。開戦時より動かし続けてきた足がとうとう止まってしまった。


「どうしよう……どうしようどうしようどうしようどうしよう……」


 ぶつぶつと呟くが、そう都合よく助けに来てくれる誰かはいない。もう仕留めたと確信しているのか、不敵な笑みを浮かべる魔法少女達を前に、まなは両手でナイフを握り締めた。

 なにもかもが頼りないなかで、ナイフの重さだけがまなに微かな冷静さを取り戻させてくれる。

 逃げるだけならば簡単だ。転移すればいい。だが唯一の魔法、即ちたった一つの手の内を晒すことは後々確実にまなを追い詰めることになるだろう。

 合間を掻い潜って。無理だ。敵を飛び越えて向こう側に。そんな身体能力はない。どうにかして包囲に穴を。それが出来るなら最初から戦ってる。ああ、いや、違う。


 〝確実に殺れるタイミング〟で――――〝これナイフ〟を〝刺すだけ〟。


 取り囲まれ、足には疲労が蓄積し、十数秒後には立っていることさえ出来なくなるであろう今。

 そして敵がまなの切り札の存在を知らず、完全に勝った気になり、慢心している今こそが――――。


「はぁ……はぁっ……はぁっ……!!」


 ナイフを持つ手が震える。逃げるだけなら簡単だった。立ち向かう事への恐怖が、まなの呼吸を乱す。

 失敗したら。この機を逃したら。嫌な想像ばかりが思考を支配する。恐れが身体を硬直させ、絶望的な観測が一歩を踏み出す勇気さえ奪い――――それでもこの場に残ると決めたのは自分だと、ナイフを握り締めて震えを必死に抑え込もうとした。

 今回は、まだいい。魔法使いが関わっていない以上、負けようが最悪どうとでもなる。けれど魔法使いが関わっていない戦いですら一歩を踏み出せないのに、本当に必要なときに前に出ることが出来るのか。

 こんな所で立ち竦んでいたら、一生何も成せない。こんな奴ら、本物の化物に比べれば。それにここで臆せば――――彼女達から信頼が得られなくなる。


「チッ、いじめみたいで気乗りしねー……さっさと終わらせようぜ」


「言われなくても。おら、かかれぇー!!」


 号令とともに包囲の輪が圧縮されていく。瞬間、吹っ切れたようにまなは地を蹴り駆け始めた。

 今まで逃げ続けていただけに相手も驚いたように目を丸くするが、むしろ獲物が自分から飛び込んできてくれたと獰猛に笑い。


「待て――――そいつ、なにか隠して」


 殴りかかろうとする相手に、まなは勢いよく飛び掛かる。そして間髪入れずに目の前に魔法陣が展開され、飛び込むと同時に姿が焼失し。


「もう遅い――――もう少し早く気付ければよかったのにね?」


 遠く離れ後ろに控えていた魔法少女の一人が、背中を深々と貫かれていた。


えのォ!!」


「――――え?」


 確実に決められるであろう最初の一手、問題はそれを誰に使うかだった。

 先頭を切って戦う雑兵の中のまとめ役らしい金属バットを振るう魔法少女。先程からまなを分析しようとし、仲間の行動を止めようとしていた刀使いの魔法少女。気乗りしないとさっさと終わらせようとしていた鉄パイプを持つ魔法少女。一歩引いたところで警戒心を張り巡らせる魔法少女。そしてその横で戦況を俯瞰する様に見つめる魔法少女。

 迷いなくまなは最後の魔法少女を選んだ。明らかに前衛ではなく後衛でサポートを行うタイプの魔法少女だったが、倒した結果一番戦力を削れると判断したのである。

 敵は五人の魔法少女と大量の人形。敵の数の大部分を占めるであろう人形は魔法の産物であり、指示を飛ばす操り主或いは造り手がいる筈だ。そして恐らくそれに該当する魔法少女は、この場において戦闘に一切参加しておらず護衛までついている彼女しかいない。

 事実として彼女を刺した瞬間、人形が動作を停止した。自立駆動の可能性も考えていたが、幸いにして直接彼女が操作していたらしい。勿論自立駆動であっても、新しく作られる可能性さえ摘めれば良いぐらいには考えていたが――――。


「仲間思いなのはいいけれど……」


 こうなった以上、減らせるときに減らしておく。ナイフを引き抜くと背中に蹴りを叩き込み、次に面倒そうな魔法少女――――刀使いの魔法少女に狙いを定め、思い切りナイフを投げつけた。


「そんなものが当たると――――」


「――――うん、思ってない」


 ナイフを打ち落とそうと刀を振るった瞬間、ナイフの前に魔法陣が展開される。転移したナイフは相手の真横から射出され、脇腹を穿とうと迫るが――――。


「はぁっ!!」


 咄嗟に返す刃でナイフが弾かれた。宙を舞う刃、二度目の襲撃は失敗した。そう確信した瞬間、相手が既に先程の場所にいないことに気がつく。

 どこへいった、そう考えていた時点で彼女は一歩出遅れた。まなが飛んだのは上空、まさしく彼女が弾き飛ばしたナイフの座標に他ならず、宙でナイフを掴み取ったまなは落下の勢いに身を任せて刀使いの肩にナイフを突き刺す。


「ふぅ……よし」


 利き腕は潰した。もう満足に刀を振るうことも出来ないだろう。これで大まかな数は三人にまで減らせた。これならば逃げ回るのもそう難しくない。

 とはいえ肉弾戦に持ち込まれても困る。ナイフを引き抜いてさっさと少し離れた場所に飛ぶと、人仕事終えたとばかりに小さく息をついた。


「なんだよ、こいつ……」


「逃げ惑う子羊だと思っていたが、ただの勘違いだったな……牙を隠し持っていた」


 羊。ナイフの血を払いながら、まなは場にそぐわない笑みを浮かべた。


「あんなものと一緒にしないで欲しいなぁ……ほら、サボってると思われたくないから。早くやり返しに来てよ」


 魔法少女達が一歩たじろぐ。そんな中空気を無視し人形の群れがまなに向かって真っ直ぐ突進を始めた。

 仕留めきれていなかったか。いや、未だに彼女は血溜まりの中に倒れており、動けるようには見えない。となると操作を手動と自動で切り替えられたのか――――まあいい、明らかに単純な動作しか取れないだろう。

 まなは軽快な歩調で再び逃走を開始する。真っ先に迫っていた人形が脳天を撃ち抜かれ、動作を停止した。

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