第二十二話 遠藤梓葉と伝説マジカルガール其の二
進藤渚沙が牡羊座の支配領域にいる魔法少女を纏め上げるのに、そう時間はかからなかった。梓葉が倒されてから一ヶ月も経たぬ間に、皆が勝手に集まってきたのである。
渚沙は梓葉のように強引な手を使うことは一切なかった。一人で魔法使いを倒したと言う彼女からすれば群れる事にメリットはなく、また面倒事を嫌う質の為余計な上下関係も作りたくなかったのだろう。
そのうえ渚沙は桁外れの実力を持ちながら、魔法少女を倒すこともなかった。曰く魔法なんかいらんとのことで、喧嘩を売られれば買いはするが魔法を奪うことは一度もなかったのである。
面倒事は嫌いと言いながらも、結局渚沙の周りにはたくさんの人が集まってしまった。勿論その中には梓葉と悠理も姿もあり、とりわけこの二人の懐きようはかなりのものだった。
渚沙は相当な変人だった。
一大勢力と化した牡羊座の支配領域の魔法少女達。しかしながら渚沙はなぜか牡羊座の魔法使いを討とうとはしなかったのである。
一人で魔法使いを倒した渚沙と、多くの魔法少女の力があれば魔法使い討伐も夢ではないだろう。それなのになぜ倒さないのか、梓葉は尋ねた事があった。
「なんで倒さないかって? 確かにうちなら倒せんことはないけど……それじゃ君らが強くならんやろ? 牡羊座さんはこっち襲ってくるけど、無理に全滅させようとはしてこんし、ならそれを利用するべきやとうちは思うんや」
噂では渚沙が守護眷属を倒しているところを見たという者もおり、既に牡羊座の魔法使いと接触しつながりを持っているという噂もあった。けれどそうするメリットが渚沙にない事を考えれば、それがただのやっかみでしかないことは明らかだろう。
そんな噂も自然と消え、いつの間にかアイテム屋が勢力に加わった。彼女は渚沙の右腕として技術や道具を魔法少女達に提供し、その効果によって魔法少女達の成長速度は目に見えて上昇した。
それでも誰も渚沙には追いつけない。渚沙は魔法すら使っていないのに、周囲との差は開いていくばかりだった。
なぜ彼女はあんなにも強いのか。どうして魔法を使わないのか。渚沙は教えてくれなかったが、その答えをアイテム屋がこっそりと梓葉と悠理に教えてくれた。
同時に聞かなければよかったと、僅かな後悔をした。とてもじゃないが真似なんて出来ないと、理解してしまったからである。
「〝
「…………それは魔法ですの?」
「まあそうだね。輝纏潜行は簡単に言ってしまえば魔法少女としての肉体を捨て、己の肉体でこの世界に潜る魔法だ。潜行魔法の亜種といえば聞こえは良いけれど、死なないという魔法少女としての最大のメリットを自分で捨てる魔法だよ。得られる効果は身体能力や魔力量の増加、肉体操作の精度が爆発的に上がる……だが使えば最後、通常の潜行は使用できなくなる」
「……んな魔法、割に合ってないとしか思えん」
「私もそう思うよ。でも渚沙みたいな人間は使いたがる。己を決して顧みず、どんな手を使ってでも前に進みたがる人間はね。だから君達にも教えたくなかったんだろう。まあでも輝纏潜行は魔法使いを倒した際に使えるようになる裏技みたいなものだから、その心配も必要ないといえばないんだけどね」
「……それで、天拳というのは?」
「こっちはね、聞けばもっと馬鹿らしくなると思うよ。天拳は魔法が使えなくなる魔法だ」
「は?」
二人の声が重なった。だってそうだろう、魔法少女なのに魔法が使えなくなる魔法だなんて何もかもがおかしい。
そんな二人の呆けた顔に満足したのか、アイテム屋は上機嫌に話を続ける。
「潜行、念話、この二つは現実でも使えるように構築された特殊な魔法だから例外として、それ以外の全ての魔法が使用出来なくなる。勿論誰でも使えるような防御も含めて、何もかもだ。そして得られるのはやっぱり肉体の強化。輝纏潜行と同時に使用すると、相乗効果で渚沙のような化物が生まれるって訳だね」
「それにしても……」
「そう、割に合ってない。全くだよ、あんな魔法誰が作ったんだか。渚沙の強さはね、死ぬ危険性と防御すら捨てて傷つく覚悟の上に成り立っているんだよ。彼女が誰にも話したがらない理由はもう分かるだろう?」
渚沙は皆を強くするために魔法使いと休戦する道を選んだ。そんな渚沙がその様な魔法を使っていると知られれば、半ば覚悟を強要するようなものである。とうの渚沙はそんなつもりは欠片もないが、そう受け取ってしまう子もいるだろう。
あくまでリスクを背負って強くなるのは自分だけでいい。だから自分が使う魔法は誰にも知られる必要はない。
「じゃあなんでわたくし達にそれを教えたんですの?」
「気紛れが半分。もう半分は――――私にもいまいち分からない。彼女の覚悟を私以外が誰も知らないなんて、少し悲しいな。そんな風に思ってしまったのかもしれないね。まあ私らしくはないけれど、私だってそういうセンチメンタルな気分になることもあるってことさ」
それに。アイテム屋はどこか遠い目をして、言葉を続けた。
「渚沙になにかあったとき、彼女の後を継ぐのは君達だよ。ならば知っておいて損はない、そう思っただけさ」
渚沙になにかあるだなんて、そんな状況は訪れないだろう。彼女にある種の崇拝に近い感情を抱いていた梓葉は、この時そう思った。
全ては順調に進んでいたのだ。誰もが自分達が魔法使いを全員倒し、魔法少女としての役目を達成すると信じて疑わなかった。進藤渚沙の下にいる限り、使い魔達の悲願は達成されるのだと。
そんな幻想が崩れ始めたきっかけは、他でもない梓葉だった。渚沙が牡羊座の支配領域に現れて初めての冬、それは始まる。
「…………あれ、梓葉は?」
いつもであれば自分に飛びついて格闘の練習をしようと言ってくる梓葉が、珍しく顔を見せていなかった。来ないにしても大抵は前日に事情を話してくれていたため、なんの連絡もなく梓葉が深界に現れないのは非常に珍しく、渚沙もつい周囲を見回してしまう。
その疑問に答えたのは、基本梓葉と一緒にいる事が多い悠理だった。
「……今日は多分来ませんわ。その、話していいかは分からないのですが……」
「ん、家庭の事情か……それだったら無理に話さなくてもええよ」
「いえ、きっと梓葉もいつか話すと思いますわ。実は昨日梓葉のお爺さんが倒れたらしいんですの」
渚沙が黙り込む。梓葉がおじいちゃんっ子なのはよく知っており、会ったことはないが話はよく聞かされていたからだ。
「今は入院しているみたいですが、あまり病状はよくないみたいで……学校でもずっと俯いてて」
それでも自分に出来ることはない。悠理は泣きそうになりながら、梓葉が来ない理由を話してくれた。
そもそも梓葉が魔法少女となったきっかけは、祖父のようになりたいからだと言っていた。強く影響を受けた人物が死の淵に立っているというのであれば、確かに魔法少女活動なんてしている場合ではないだろう。
だが悠理同様、渚沙に出来ることはない。慰めの言葉はかけられても、本当の意味で梓葉の悩みを解決することは――――。
「そっか……どうする? 悠理も今日は休んでおくか?」
「……いいえ。梓葉が動けないからこそ、わたくしがその分頑張りますわ」
「……了解。それじゃ始めよか」
梓葉がいないからこそ、いつも以上に頑張る。向こうの世界では何も出来ないが、こちらの世界でならば梓葉を守ることが出来るのだ。悠理の鍛錬はいつも以上に気合が入っていた。
だがそれ以降、梓葉は深界に来なかった。次に梓葉が深界に姿を表したのは、それから一ヶ月後――――真っ赤に泣き腫らした目をして、それでいて拳を握り締め、彼女は渚沙の前に現れた。
「……久しぶり。元気しとった?」
「はい。渚沙さん、お願いがあります」
「なぁに? お姉さんに言ってみな」
「魔法使いを――――牡羊座の魔法使いを倒させてください」
この一ヶ月間梓葉が姿を見せなかったのは、祖父の病状に精神を折られたからではない。祖父を治す手段は魔法使いを倒し、願いを叶えるしかないと考えたからだった。
だがそれは渚沙の考えに反している。渚沙の思いが決して間違っているものではないと知っているからこそ、梓葉は今日の今日まで迷い続けていた。
覚悟を決めたのは、祖父の容態がいよいよ危険な所まで進行してしまったからである。尊敬する渚沙に反してでも、祖父を救う――――そのためならば、どんな犠牲も厭わない。
「……君じゃ倒せへんよ」
「やってみなくちゃ分かりません」
「分かるよ」
「そうですか……だったらいいです。渚沙さんを倒して、それから魔法使いを倒しに行きます」
魔力を漲らせ、構える。どうやら本気のようだが、渚沙はそれに答えることはなかった。
「分かった。お姉さんがなんとかしたる。だからまずはその拳降ろしな」
「なにが出来るんですか?」
魔法少女は所詮深界で戦う力を与えられただけの一般人だ。幾らこの世界で強くなろうと、現実では何の役にも立たない。渚沙のあまりに無責任な言葉に、梓葉は涙を溢しながら渚沙に殴りかかった。
渚沙は抵抗すらせず、顔を殴打される。頬は赤く腫れ上がり、口の中が切れたらしく血を地面へと吐き出した。
「渚沙さんは強いけど、お爺ちゃんが治せるわけじゃない……私達がどれだけこの世界で強くなろうと、現実ではただの子供でしかない……っ!! なにも出来ないのに、私の邪魔しないでくださいよぉっ!!」
「梓葉、落ち着きな。確かにうちらはただのガキやけど、それでもなんとかする方法はある。うちが魔法使いを一人倒したのは教えたな?」
「だからなんだって……あ……」
「その時の願いごと、うちはまだ使っとらん。それ使えば、お爺ちゃんだってきっと良くなるよ。だから――――」
実際に願いを叶えた訳ではない。だからそれが本当かどうかは分からないが、使い魔曰く――――『魔法使いを倒したならば、汎ゆる願いを叶えよう』。
その条件を満たした魔法少女は渚沙だけだ。だがそれはあくまで渚沙が得たもの、口が裂けても自分のために使ってと言える訳がない。
それでももしそれでお爺ちゃんが治せるのなら。震える瞳で渚沙を見上げ。
「――――あァ?」
その時気が付いた。渚沙の真下に、見たこともない魔法陣が展開されているのを。
渚沙が展開したものではなかった。もし彼女が展開したのであれば、疑問の声が彼女の口から出てくるのはおかしな話である。
渚沙の身体が紫色の光に包まれていき、側にいた梓葉も同様に巻き込まれていく。それに気付いた渚沙が咄嗟に梓葉を魔法陣の外に追いやった瞬間、渚沙の身体は消えてしまった。
「なに、これ……」
誰が呟いたのかは分からなかった。けれど異常事態が発生しているのは明らかだった。
灰色の世界が、黒く染まっていく。場に満ちていくそれは魔力よりも悍ましい『ナニカ』で、牡羊座の眷属とは比べ物にならないほど邪悪で陰湿な気で溢れていた。
「渚沙さんは……渚沙さんはどこにっ」
梓葉の言葉が最後まで紡がれることはなかった。地面より噴出した黒い汚泥、そして形成されていく黒い影の兵隊達。それが何者かは分からなかったが、魔法少女達に対する明確過ぎる殺意だけは理解できた。
「浮上、出来ない……結界……?」
「……君達、迎撃しないとやられるよ――――奴らを殲滅するんだ、それしか手はない」
渚沙がいない今、指揮を執れるのはアイテム屋だけだった。
状況に理解が追いつかずどよめいていた魔法少女達も、敵が驚異的な速度で増殖し襲いかかってきた瞬間に迎撃を開始する。
初めは良かった。渚沙とアイテム屋の鍛錬による効果で、魔法少女達はかつて互いに喰らい合っていたあの時より遥かに良い動きをするようになっていた。
だがそれも最初だけだった。いくら倒しても敵が消えないのである。それどころか倒す速度よりも早く敵が増えていく。現実への浮上は封じられており、撤退という選択肢は自動的に潰されていた。
そして一人、また一人と倒れていく。互いに援護しあっていたのも束の間、そんな余裕は物量差によって奪い去られた。
次第に魔法少女達は減っていき、立っているのは梓葉と悠理、そしてアイテム屋だけになり――――。
「終わっ、た……?」
突然の襲撃者達は、跡形もなく消え去っていった。立っているのも辛い程の消耗、だが戦いは終わっても渚沙の行方は未だ知れず。
「君達、今すぐ現実に浮上するんだ。あの魔法は強制転移だ、渚沙はきっと今現実にいる」
迷っている暇もなく、アイテム屋の言葉に従い梓葉と悠理は現実へと浮上した。
この時の光景は、今も脳裏に焼き付いている――――街が燃えていた。
空が割れ、裂け目から這い出ているナニカ。何者かによって大きく負傷したらしいそれは、空の裂け目へと戻っていった。
炎上し広がっていく街を前に、遠藤梓葉はひたすらに無力だった。
翌日多くの被害者の名前がニュースで読み上げられ、その中に渚沙と祖父の名を彼女は見つけた。
後から聞いた話だが祖父の入院していた病院も被害にあい、祖父は自らも危篤状態でありながら最後まで患者の避難を手伝っていたという。そして自分は逃げ遅れ、戻らぬ人となってしまった。
渚沙は特に被害の大きい港区の中心で、重傷を負い倒れていたらしい――――この時梓葉は察した。
空の裂け目にいたナニカと渚沙は戦っていたのだ。そして追い返すに至ったものの、彼女自身も深いダメージを受けてしまった。
同時に大事なものを二つ失った梓葉の悲しみは計り知れなかった。きっと一生分の涙をここで流しただろう、そして涙が溢れなくなった時自然と彼女は立ち上がれた。
あれは魔法使いよりも邪悪な存在だ。何者かの計略によって渚沙は嵌められ、そして命を落とした。あれに対抗するだけの戦力がいる。ただ魔法使いを倒すだけでは駄目なんだ。
運良く牡羊座の魔法使いは魔法少女との戦闘に乗り気ではない。ならばそれを利用して、渚沙の様に牡羊座の領域結界の中で戦力を高める。魔法使いの領域結界は他の魔法使いも越えられない、牡羊座を倒さない限りは時間が許す限り修行が出来るはずだ。確実に敵を倒せるまで成長して、敵を討つ――――しかし時を同じくして、全く反対の意思を固めている者がいた。
織衛悠理である。多くの命を奪ったあの驚異を、一刻も早く排除すべきである。そのためには迅速に牡羊座の魔法使いを討ち、侵攻してくるであろう外敵を迎え撃つことで強化を促す――――二人の意見は真っ向から割れ、連日の口論の末とうとう激突するに至った。
牡羊座の支配領域に再び魔法少女が集まり始めても、二人はぶつかり続けた。たった二人だけの抗争は、二人の下に新人魔法少女が連なることで規模を拡大していき、新たなる第三勢力すら出現しとうとう止まれない所にまで進んでいってしまった。
自身達では止まれなかった抗争を終わらせたのは、外より侵攻してきた魔法少女勢力とそれを追うように現れた銀色の魔法少女だった。
あの日の事は今でも鮮明に思い出せる。全勢力が激突する大抗争の中で突如ベルベット・ベルの心臓が白刃によって貫かれ、直後に自らの心臓も等しく餌食となったときのことを。
自分の邪魔をしたサラに対する怒りは今も此の身を焦がし、沸騰した魔力が猛る時を探し彷徨っている。
渚沙にあんな態度を取ってしまったことを、今でも悔いている。だからこそ彼女が残そうとしたものを守りたかった。彼女の敵を討ちたかった。そのために全力を尽くしてきた。にも関わらずあの女は全てを台無しにしたのだ。許せない。絶対に許すわけにはいかない。サラ・クレシェンドは確実に潰す――――だがそれ以上に許せないのは、あの黒い女だ。
彼女が使っていたのは間違いなく天拳だった。魔法少女が魔法を習得する方法はたった一つ、その魔法少女を殺すこと――――渚沙を殺したのは、あの女だ。
どんな手を使ってでも、あの女は殺す。やっと見つけた敵なのだ、次は絶対に逃しはしない。逃げようというのならば地の果てまで追い続け、生まれてきたことを後悔させてやる。
五年前のあの日の誓いを、此処に果たす――――迷いなんて、とうに捨てた。
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