第二十一話 遠藤梓葉と伝説マジカルガール其の一

 遠藤梓葉が彼女に出会ったのは、ある春の夜のことだった。

 あの時の感情を今でもはっきりと覚えている。そして生涯忘れることはないだろう。

 鮮烈な恐怖とあの手の温かさ。そして彼女こそが最強の魔法少女だったということを。


 ――――――小学生に上がったぐらいの頃、遠藤梓葉は魔法少女になった。

 彼女は地域一帯を仕切る極道一家『龍藤会』会長の一人娘として生まれ、何一つ不自由なく育てられてきた。勿論それは好き放題に彼女のわがままを許してきたという意味ではない。

 自分達はならず者だからこそ、心に芯を立てて生きなければならない。彼女の祖父は梓葉によくそう言って聞かせた。

 彼女の祖父は無法の世界に生きながらも決して道を逸れることなく、弱き人々に手を差し伸べる侠客として名を馳せた人物だった。そんな祖父に憧れた梓葉はおじいちゃんっ子として大層可愛がられ、いつしか彼女も祖父のような人間になりたいと志すようになっていった。


 そんな彼女が使い魔と出会ったのは、ある意味運命だったのだろう。

 願いなんていらない。ただそこに自分の力を必要としている者がいる。ならば手を差し伸べない理由がどこにあるだろう。

 それが甘い考えだと言うことに気が付いたのは、魔法少女になった初めての夜だった。


 魔法少女は奪い合い喰らい合う宿命にある。

 魔法少女が強くなる方法は二つ。夜の雫を集め、魔法を強化すること。そしてもう一つが魔法少女を倒し、魔法を奪い取ること。

 魔法使いと魔法少女の最も大きな違いは、新たなる魔法が構築できるか否かという点である。

 梓葉が使える魔法もその大部分は、使い魔が以前契約していた魔法少女が他の魔法少女から奪い取ったものだ。

 願いを叶えるには強くなる必要がある。そして一番の近道は他の魔法少女から強さそのものを奪い取る事。敵は魔法使いなどではなく同じ魔法少女であり、他の魔法少女を圧倒できなければ魔法使いを倒すことなど絶対に出来ない。


 当時の牡羊座の支配領域には多くの魔法少女が点在し、眷属と魔法を奪い会っている状態だった。そんな状況では生き抜くことすら容易ではなく、ましてや小学生だった彼女に出来ることもそう多くない。体格で劣り、身体能力で劣り、経験で劣り、知識で劣る。

 それでも必死に眷属を倒し、魔法少女を退けながら梓葉は戦闘経験を積み続けた。

 そして織衛悠理というライバルが現れ、互いに切磋琢磨することで彼女達の実力は飛躍的に上昇していき、牡羊座の支配領域において彼女達に敵う魔法少女はいなくなりつつあった。

 梓葉が魔法少女になって、約一年での出来事である。


 はっきり言って、当時の梓葉は増長していた。梓葉が生きる現実は良くも悪くも平和そのもので、梓葉の想像する〝強さ〟なんてものが役に立つ瞬間はそうそうない。

 だが深界で魔法少女として戦い続け、武力という最も分かりやすい強さによって頂点に立ったことで、彼女はある種の万能感に近いものを手に入れてしまった。

 自分こそが最強だという錯覚、年齢を考えれば仕方がないのかもしれない。多くの魔法少女は梓葉より年上だったが為に、自分は強いという過信はより鮮明になってしまったのである。

 実際梓葉には間違いなく優れた才能があった。技術の習得は勿論適切な魔法の選択、ここぞというときに前に出れる胆力と勝負強さ。悠理さえももう敵じゃない、魔法使いなんて私がすぐに倒してやる。

 そんな時だった。勢い付いていた梓葉の前に、彼女が現れた。


 牡羊座の支配領域に、見慣れない顔が現れた。すぐにその報せは梓葉の耳にも届き、偶々近くにいた魔法少女に連れてくるように命じたのだが。


「…………あァ? 自分で来いだと?」


 あろう事かその新入りは梓葉の呼びかけには応じず、自分に会いたいならそっちから来いと使いの魔法少女に伝えたのである。

 その言葉に機嫌を損ねない訳がなく、使いに行かせた魔法少女は怯えていた。しかしそんなことは彼女にとってはどうでもよく、己の面子を台無しにされたことに対する怒り以外全てを忘れてしまっていた。

 いいだろう、行ってやる。そしてどっちが上かを叩き込んでやり、自らの言葉を後悔させてやろう。周囲の魔法少女達を強引に引き連れ、梓葉は新入りが待ち受ける領域の中央へと向かった。

 そして憤慨する梓葉を出迎えたのは、高校生ぐらいの魔法少女だった。


「おーおー君がうちを呼び出したっつう子かぁ。ちっちゃくて可愛いなぁ、なんねんせー?」


 瓦礫に腰掛けて待っていたらしく、梓葉が着くと場にそぐわない朗らかな笑顔を浮かべていた。

 腰にまで届く茶色いポニーテールに戦闘装束は黒のセーラー、大口を叩いた割には大きな魔力は感じられず、梓葉はおちょくられていると思い込み息巻く。


「新入りィ……調子乗るのも大概にしろよ、なァ……」


「ひぃ、怖い怖い。これが噂の魔法少女同士の敵対って奴? 新鮮でええなぁ」


 小馬鹿にしたような態度に感情を高めていく梓葉、周囲の魔法少女達の顔色があからさまに青くなっていく。

 だがそんなことはどうでもいいと、件の魔法少女は梓葉を見て相も変わらず笑っていた。怒りなどどこ吹く風、興味もないし意に介する必要もない。

 何故なら彼女がどの様な態度を取ろうと、どうせ起きる展開に変化は生じないからだ。


「んで、君一人で来る? それとも後ろの子たちも一緒に? 別にうちはどっちでもええけど」


「…………あァ?」


「あれ、そういう話とちゃうん? うちがいた場所にはうち以外魔法少女いなかったから、ちょっと楽しみにしてたんやけど」


 周囲がどよめくのを感じた。この領域の中では新入りかもしれないが、彼女は他の魔法使いの領域からやってきたらしい。だが魔法少女の基本原則の一つとして、『魔法使いを倒さない限り別の領域に移動することは出来ない』。

 そして彼女の言葉を信じるならば、彼女の古巣には彼女以外の魔法少女はおらず――――。


「…………前の場所にいた魔法使いはどうした」


「ん? あぁ、うちが倒したよ。結構大変やったけど」


 あっけらかんと言い放つ様に、明らかに自分以外の魔法少女が一歩退いたのが見ずとも分かった。

 冗談じゃあない。そんなことは嘘に決まっている。何故なら数百年と続く魔法少女の歴史の中で、十二人の魔法使いを破った者は未だに現れていなかった筈なのだから。

 かつて先人達が挑み、破れ続けた歴史は決して軽くない。にも関わらず、彼女は容易く言ってのけた。


「適当ぶっこいてるんじゃねェぞ……んな塵みたいな魔力量で」


「強さのものさしが魔力量なら、確かにそうかもしれへんけれど」


 ようやく瓦礫から腰を上げたと思うと、伸脚を始めた――――不審な目を向けていると、次は肩を回しながら深く息を吐いて。


「……ま、試してみるのが一番早いと思うで」


 固まった筋肉と関節をほぐし終えると魔法を発動するでもなく、かといって構えることもなく右手でくいくいと煽った。

 小馬鹿にされ、適当な冗談を抜かされ、その上煽られたのだから梓葉からすれば溜まったものではなく――――腰の引けた周りの奴らなどもうどうでもいいと、肩を揺らしながら歩き始めた。


「……そこまでやりたいならやってやるよ」


 強いほうが上、弱いほうが下。余計な理屈をこねる必要もなく、簡潔で分かりやすい。相手がそれを求めているというのならば、それに応じない理由はなかった。

 そして梓葉には自信があった。相手はおそらく高校生ぐらいで身長差も体重差もあるが、そんなものは魔法で全部ひっくり返せる。相手の魔力量は梓葉にも劣っており、精々が能書きをたれて虚言を吐くぐらいしか出来ない木偶だ。

 相手の実力も読めない者に、負ける理由がない――――間合いを詰めると、身体能力強化を施した状態で前蹴りを放つ。

 常人であれば間違いなく致死の威力、そして相手は身体能力強化すらも使用していない状態。視認出来た所で身体は反応できず、受ければ一撃で落とせるだろう。

 だが想定に反して、梓葉の蹴りが相手を砕くことはなく――――手で払われた。ただそれだけの動作で、梓葉の蹴りは全く別の方向へ逸らされる。


「――――っ!?」


 驚嘆する思考とは裏腹に、身体は無意識に払われた勢いを利用して身体を回転させ、勢いのままに殴りかかる。一年間戦い詰めの毎日を送ってきたからこそ、肉体が咄嗟に最適な反応をしてくれた。

 今度こそ。しかし次は手で受け止められる。振り払おうとするが微動だにせず、押すも引くも出来ない――――身体能力強化すらせずにこの差、梓葉の頬を冷や汗が伝った。


「うん、悪くない。でもパンチっていうのは」


 足払いで態勢を崩され、倒れ込んだ時にはもう相手は拳を振り上げていた。

 この時直感的に梓葉は理解した――――あ、死んだと。


「こうやって〝撃つ〟もんや――――って、あれ」


 衝撃、そして身体が落下する感覚――――ああ、人は死んだ時落ちた様な感覚に囚われるのか

 だが直後、梓葉の身体は地面に激突した。痛みに目を開けると、目の間にはすんでのところで止められた拳。どうやら当たる前に止めたらしいが――――。


「ごめんごめん、もうやらんから」


 思わず謝罪する彼女に、もう戦意は感じられなかった。流石に続けられないだろう、小学生ぐらいの女の子泣かした上に殴れる程彼女の精神は壊れていなかった。

 それでも梓葉は、己の目を疑った。落下したような衝撃は、文字通り梓葉の身体が一時的に宙に投げ出された結果生じたものだ。そしてその原因は、彼女が当たる寸前に止めた拳にあった。

 梓葉の周りに、巨大なクレーターが出来ていたのである。どうやったのかは知らないが、相手のパンチは梓葉を通り越えて地面を砕いたらしい――――それも魔法を使用していない、純粋な拳の威力でだ。


「泣かせるつもりはなかったんや、ホンマに」


「……え?」


 そこでようやく梓葉は自分が泣いている事に気が付いたらしい。当然といえば当然だった。幾ら牡羊座の支配領域で上り詰めたからといっても、所詮は小学校低学年の少女でしかない。

 死を目の前に平然としていられる様な精神構造をしている筈もなく、そして目の前の相手は魔法少女であればどれだけ負傷しようが死なないという絶対のルールすら忘れされる程の気迫を持っていた。

 勝てないではない、死んだと思わせられたのだ。これ以上の敗北は存在しない。涙は止まるどころか恐怖と泣き出したことへの恥ずかしさで余計に溢れ出していた。服の袖で拭っても拭いきれず、どうしようもなくなった梓葉は無意識に顔を腕で覆ってしまう。


「ほんまごめんなぁ。大丈夫、どこも怪我してないし……」


 まさかこんな事になると思っていなかったのか、泣かせた張本人が一番慌てていた。普通に考えれば年下の女の子に殴りかかろうとしたのだから当然の結果だが、魔法少女という要素が感覚を麻痺させていたらしい。

 やっちゃったなぁという表情を隠しもせず、おろおろとした挙げ句最終的には頭を撫でて落ち着かせようと試み始めるが――――。


「よ、よーしよーし」


 意外にも効果はあった。ただ調子に乗っていたのに一発も攻撃が当たらないどころか、自分が攻撃される前に敗北して泣き出した結果敵に頭を撫でられているという状況は、彼女の想像を超えるほどに遠藤梓葉の羞恥心を刺激していた。

 涙は止まりかけていたが、これはこれで顔を晒せない。確認する術はなかったが、きっとゆでダコより真っ赤になっていることだろう。これじゃあちっちゃくて可愛いなんて言われても反論は出来ない。


「も、もうやめて……ください……」


 遠藤梓葉は家柄もあって、上下関係に拘る人間である。そしてこの状況下で自分は相手より上だと言い切る自信はちょっとなかったのか、とうとう漏れた言葉は敬語混じりとなっていた。


「ん、はいはい。もう大丈夫?」


「……」


「うん、大丈夫そうやね。君、名前は?」


「遠藤梓葉、です……」


「梓葉ね、うちは進藤渚沙。今日からここでお世話になるからよろしゅうな――――ほら、立てる?」


 生涯を通してこれ以上の恥をかくことをはきっとないだろう。

 これが忘れたくても忘れられない、遠藤梓葉と進藤渚沙の出会いであった。

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