第二十話 佐々木楓と抗争、再び

 天拳。楓はその名に聞き覚えがなかった。サラも、そしてシエラも同様らしく、楓が疑問の視線を投げかけても首を傾げるばかりである。

 だが件の二人、とりわけ蒼の魔法少女にとって、それは特別な意味を持つ物だったようだ。

 怒りに身体が震え、呼気すらも振動し、身を焼くような意思が楓に向けられている。もはや襲撃者のサラも、かつて守護眷属だったシエラすらもどうでもいいと言わんばかりに。


「……ごめん、うちにはなんのことかわからないんやけど」


 その言葉は紛れもない真実だったが、激昂した彼女にとってはそれすらも怒りを更に爆発させる材料でしかなかった。

 戦いを前に意気込んでいた筈の紅の魔法少女と翠の勢力すらも、思いがけない展開に一歩退く形で状況を見守るしかなくなっている。


「嘘ついてんじゃねェよ……テメェか……」


「遠藤さん……」


 紅の魔法少女が蒼の魔法少女に呼びかけるが、その声に応じる様子はない。

 たとえこの命と引き換えになろうが、お前だけは確実に息の根を止める。痛いほどに伝わってくる感情の発露に、楓は無意識の内に構え直していた。

 そしてそれが引き金になったらしい。蒼の魔法少女は目を見開き、魔力を爆発させながら咆哮する。


「テメェがあの人をっ――――殺したんだなァッ!?」


 地を蹴り、疾走する。遅れて他が動き始め、再び抗争の火蓋は切られた。

 蒼の魔法少女は速度に特化している訳ではない。そのため目で追うのは容易かったが、それでも楓の動きが一歩遅れたのは相手の気迫に押されてしまったからだろう。

 拳が放たれる。遅れて呼応するように拳撃を放つ――――が、遅れたせいで完全に威力を乗せ切る前に拳と拳が衝突した。


「いった…………っ」


 衝突、そして衝撃。相手の威力を相殺し切れず、楓は数歩後退させられる。だが問題は押し負けたことではなかった。

 右拳が完全に砕かれた――――拳が砕けたこと自体は初めてではない。牡羊座の魔法使い戦の時も、楓は拳が砕けた状態で魔法使いを倒していた。

 だがあの時は無理をしすぎた上に、自分の攻撃の威力に拳が耐えきれなかったのが原因である。今回はそうではなかった。単純に相手の拳の硬さに、楓の拳が打ち負けた。

 仮に威力を十全に引き出せていたならば、こうはならなかっただろうか。無意味な想定なのは分かっている。だが〝拳撃〟しかない楓にとって、拳撃が打ち破られたという事実は完全な敗北に他ならず。


「遅ェんだよ、腑抜けがァッ!!」


 歯を食いしばり痛みに耐えるのも束の間、楓が態勢を立て直すのを相手はわざわざ待ってくれない。

 数歩下がったところで飛んでくる前蹴りが、防御する暇もなく腹部へ直撃する。サラやシエラとはまた違った喧嘩じみた戦闘技術は、的確に楓の行動をキャンセルし、戦闘意欲を削いでいく。


「ぐっ……はぁっ……痛ぇ……」


 前蹴りで身体を折ったところで、頭を掴まれそのまま顔面に膝蹴りを喰らう。鼻辺りに直撃し、呼吸さえままならなくなった。


「楓センパっ――――」


「よそ見している余裕があるのかしら、ねぇ?」


 紅の魔法少女はその場から一歩も動かずに、サラ・クレシェンドを翻弄していた。

 彼女の得意魔法は砲撃魔法、シエラが度々使用していたものと同種の魔法である。だが彼女の場合、シエラとは勝手が違っていた。

 紅の魔法少女は砲撃魔法〝しか〟使えないのである。ある意味楓と同じ一点特化型の魔法少女だが、それしかない故にそれを極めている。勢力のリーダーの一人として君臨していることが、強さの証明とも言えるだろう。

 全方位を警戒せねばならず、下手すれば防御魔法すら溶かされ、直撃すれば一撃で落ちる危険性がある。

 加えて敵はそれだけではなく――――


「ちィッ……鬱陶しいな、アンタら」


 紅の魔法少女の側に控えていた侍女三人のうち、二人がサラを仕留めんと迫っていた。

 そのうちの一人は鉄球を手に、鎖を用いてサラの動きを封じる事に徹底しており、もう一人の侍女はチェーンソーを振ってサラの防御魔法を削り取ってくる。彼女達が隙を作って、砲撃でトドメを刺すというのが彼女達の基本戦略なのだろう。

 更にもう二人、サラは同時に相手取っていた。


「――――はいそこ、隙ありって感じぃ?」


「まさかぁ、あんなに調子に乗ってたのに隙なんてあるわけないじゃないですかぁ」


 梓葉の横にいた黒髪と金髪が、空隙を縫うように仕掛けてきていた。そしてこの二人がサラにとっては、非常に厄介極まりない存在だった。

 黒髪の少女は拳銃の使い手であり、はっきり言って狙いの精度ではサラと同等の技術を有している。

 そして金髪の少女は刀の使い手で、どういうわけか知らないが彼女の技術はたかが数年やそこらで身につくそれではない。

 両者とも身体能力の強化などは魔法に頼っているのだろうが、サラと同じく戦闘技術がずば抜けて高く、それを武器にしている魔法少女である。

 五対一。それも紅の魔法少女とは兎に角相性が悪く、侍女二人はそれを分かっていてサラの動きを妨害してきている。そして技術面ではサラに近しい二人が追撃を仕掛けてきているのだから、流石の彼女も他のフォローには回れなかった。


「アンタら、あたしのこと好き過ぎでしょ……」


 弾丸をナイフで逸らし、斬撃は刀身に弾丸を撃ち込む事によって軌道をずらす。

 五人相手に優位に立ち回ることは出来ないが、それでも渡り合えてしまうからこそサラ・クレシェンドは天才なのである。それを分かっているからこそ、過剰とも思える戦力がサラに集中していた。


「…………」


 そんな中で一番余裕があったのは、おそらくシエラだろう。

 彼女の相手はストームだったが、相手はたった二人だけである。リーダーと思われる白髪少女はそこから一歩も動くことなく、あくまで前線に出ている二人の補助を行っていた。

 シエラも初めて相手をするわけではない。これが彼女達のやり方だった。

 リーダーの少女が展開する幾つもの線、レールらしきそれには乗った対象を加速させる効果がある。レールによる加速効果により、彼女の仲間達は驚異的な速度で奇襲を仕掛けるというわけだ。

 レールに乗っているならば行き先が分かるのだから先手を打てる、なんてのは当然相手も分かっている。だからこそ展開されるレールは一本や二本ではなく、白髪少女を起点として夥しい量がシエラを囲っていた。


「……やっぱ強いね、アンタ」


 黒髪で背の低い魔法少女、彼女が翠の勢力におけるエース的役割を担っている。

 使用武器はナイフ。そしてストーム全員が共通してボードに乗っており、加速能力は当然としてボード自体にも刃が仕込まれていた。

 彼女の動きはサラを思わせる程身軽で、一撃離脱戦法を取られればシエラでは追うのが難しい。

 よって現状は相手をこちらに引きつけながら、まなを守りつつ現状を維持する方向でシエラは動いていた。


「ねぇ、アンタ魔法少女じゃないんだろ? アンタを殺したら、魔法は奪えるのか?」


「ヤヨイ、深追いはするなよ」


 少女を諌めるのは、ここに集まる魔法少女の中でも特に高身長の女だった彼女は服の上からでも分かる程発達した筋肉に、身のこなしからはしなやかさが感じられる。エースはヤヨイと呼ばれた少女だが、それに合わせることが出来る彼女もまた実力者なのは間違いない。

 レールによって加速し、通り過ぎざまに斬り付けて直ぐ様離脱する。彼女達の基本戦法はそれだけだったが、単純だからこそ付け入る隙が見当たらない。

 得意の弾幕すらも全弾回避され、砲撃なんて撃っている暇もなかった。本来であればシエラが紅の勢力と、サラが翠の勢力と戦うのがベストだったのだろうが、相手もそれを分かっているからこそ相性の悪い相手をぶつけてきている。

 幸いなのは高身長の女が言ったとおり、彼女達は深追いしてこないことだった。

 他の勢力と比べても、この抗争にそこまで興味がないのだろう。そもそもが奇襲こそが彼女達の真髄なのだから、正面に立ってしまっている時点で彼女達の正攻法は失われてしまっている。

 今一番余裕があるのはシエラだ。よってこの状況を打開する鍵も、彼女が握っている。


「分かってるよ。気になっただけ」


 ナイフを防御しながら、シエラは一瞬サラに視線を向けた。苦戦という程ではないが、流石に身動きは取れないようだ。偶然かサラもシエラに視線を向けていた――――やり取りは一瞬、だがそれで十分だった。


『手は?』


『ある』


『やることは?』


『時間。三十秒後』


『はいよ』


 念話で最低限を取り決めると、互いに意識を敵へと注ぐ。さっさと事を運ばなければ、楓が保たない。

 どういうわけだか知らないが、楓は一方的にやられ続けていた。サラやシエラ、牡羊座の魔法使いにも躊躇いなく立ち向かっていった彼女である。そこらの魔法少女に手も足も出ないということは考えられないが――――ともかく、三十秒後と自分で言った以上時間を無駄遣いしている余裕はない。

 

「……? アキ、なんか怪しいよ」


 ヤヨイの動きが緩やかになった。シエラが防御はおろか身体能力強化の魔法まで解除した事に一瞬で気付いたらしい。

 直後にシエラの中で爆発的な勢いで魔力が練られ始めた事も察し、ヤヨイは急加速した。


「……うん。なんかされる前に倒したほうが良さそうだね」


「…………そう。出来るなら、どうぞ」


 何かを企んでいると理解したヤヨイはナイフでシエラの首元を狙うが、それをしゃがんで回避した。シエラは魔法少女とは違い、魔法使いを目指して造られた存在だ。強化があろうとなかろうと基本のスペックが魔法少女とは桁が違う。

 なによりシエラは砲撃や射撃を多用するが、ショートレンジが苦手という訳ではない。楓とも十分に渡り合っていたし、基本的な戦闘技術は遠距離から近距離までハマルの指導で身につけている。


「面倒だな……」


「深追いはしないんじゃなかったの?」


「うん、でもこの程度は深追いに入らない」


 上から斬り付けてきたヤヨイを後ろに飛んで躱し、その先で待ち受けていたアキの攻撃を首を傾けすんでのところで回避する。

 掠ったせいか首に赤い筋が出来るが、こんなものはダメージのうちには入らない――――が、そのわずか一瞬だけヤヨイから目を離したのは失敗だった。

 上から降ってきたヤヨイはそのまま頭から落ちていき、地面に手を付き着地する。そしてそのままバネの要領で腕力のみで跳ね上がり、逆立ちの状態で回転しながらシエラに迫ってきた。

 足に装着されたボードからは刃が展開されており、巻き込まれれば無傷ではいられないだろう。が、それすらもなんとか躱した所で、下からナイフが飛んできた。恐らくはヤヨイが手に持っていたものだろう。


「――――っ」


 喉元に向かってきたそれを、手で受け止める。ナイフは容易く肌を破り、肉を裂き、シエラの掌を貫通した。首を貫かれるよりはマシだったと己に言い聞かせ、片手のみで体重を支えているヤヨイの腹部に蹴りを入れる。

 ヤヨイはそのまま蹴られた勢いを利用しレールへと戻り、再び疾走を開始した――――器用な人だなと、ナイフを引き抜き地面に捨てる。


「もう少し痛そうにしたらどう? ……ああ、眷属には無理か」


「耐えるのは得意――――でも今日はここまで」


 シエラの言葉が合図となり、結界内が常軌を逸した爆発音と閃光によって満たされる。


「マジカルスタングレネード、君らは死ぬー……いや、残念ながら死なないけどねー」


 けれど目的は達成した。魔法少女と言えど体の構造は人間と同じ、幾ら肉体面で強化が施されようが基本弱点は変わらない。なにより強化されている分、光や音は対策を立てなければより過敏に感じ取ってしまう。

 シエラは体内で練り上げていた魔力を用いて、得意の砲撃魔法の術式を起動する。数は一つではなく全方位、彼女がすべての魔法を捨てて三十秒もの間魔力を溜め込んだのだから当然の量だろう。

 光が収まった瞬間、シエラの砲撃魔法が結界内部を埋め尽した。防御、砲撃による相殺、回避、それぞれが対処に追われる中でサラはまなを、シエラは楓を回収する。


「……大丈夫?」


「あー……生きてはいるよ、多分」


 鼻血は勿論のこと口の中も切ったのか口の端からも血が垂れ、全身くまなく傷だらけである。ある意味見慣れた姿ではあったが、敵でなくなった今では痛ましさしか覚えない。

 シエラは楓をぎゅっと抱きしめると、一際魔力を圧縮した砲撃によって結界を破り、そこから脱出を図る。サラはこっちの動向に合わせて勝手に動くだろうと何も伝えなかったが、案の定いつの間にかシエラの後ろについてきていた。

 全てが収まった時には楓達は姿を消しており、蒼の魔法少女は苛立ちを隠そうともせず足元に転がっていた瓦礫を踏み砕く。


「クソッ……逃さねェよ、あいつが渚沙さんを……」


「…………梓葉さん。気持ちは分かりますが、少し落ち着いたらいかがかしら」


 紅の魔法少女の言葉に、蒼の魔法少女は鋭い視線を向ける。


「落ち着く? 冗談じゃない。テメェは許せるのかよ、なァ!!」


 当たり散らす蒼の魔法少女に、紅の魔法少女は黙り込む。険悪な空気が流れる中、それを壊したのは翠の勢力のリーダーだった。


「お取り込み中悪ぃけどよ、オレ達は撤退させてもらうぜ。オレ達のケジメはオレ達でつける――――勿論オマエ達にもな」


「勝手にしろや、目障りじゃ……」


 立ち去る翠の勢力に視線を投げることもなく、梓葉はただ行き場のない怒りを滾らせ続ける。紅の魔法少女は憐憫の視線を蒼の魔法少女に向けると、手がつけられないと判断し侍女達に目で合図を送った。

 紅の勢力の面々も消え、残るは武蒼衆だけとなる。不安そうに自分を見つめる仲間達の姿を見て、蒼の魔法少女は深く溜息をついた後顔を上げた。


「……すまん。私らも帰るぞ」


 声音は落ち着いたように聞こえたが、懐刀の二人は拳がきつく握り締めたままである事に気が付いていた。

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