第十六話 佐々木楓は揺らがない
館の入り口を破壊し、二人は白羊宮に突入する。シエラは入り口に防御魔法を敷き眷属の侵入が出来ないようにすると、振り返って待ち受ける者を見た――――退屈そうに玉座に腰掛ける此の領域の主、牡羊座の魔法使いハマル。
ウェーブのかかった金色の長髪に黒のドレス、シエラと同系統の配色に身を包んだ妙齢の女性である。顔立ちは整っているものの、表情からはおおよそ元気ややる気といった活力じみたものが何一つ感じられなかった。楓達を見る目はのたうつ虫でも見るかの如く、脅威とすら感じていないのは明らかだろう。
纏う魔力の桁はシエラと比べても並外れており、濃密過ぎる魔力を前に楓は呼吸すら一瞬忘れた――――殺気を欠片も感じないのに、空気が泥のように重たい。
だが知った事か。サラは今も戦っている。その努力を無駄に出来るほど楓は馬鹿ではないし、一刻も早く事を済ませてサラのところにまで戻らなければならない。それに任せろと言った手前、シエラの前で無様な姿を晒すのは以ての外だった。
楓は一歩前に出て、口を開こうとする。然し彼女にとって楓達の動機や目的は些事でしかなく、敵の事情など考慮するに値しない――――面倒は嫌いだと言わんばかりに、右手で空間を払った。
瞬間、既視感を覚える光景が目の前に広がった。数え切れない大量の魔法陣、這い出る黒影。覚悟はしていたが、魔法使いはその覚悟すら上回る絶望を平然と叩き付けてくる。
「……こいつら、さっきのよりも強ない?」
宮殿を守るべく配置された眷属達も手に負えなかったが、今楓の目の前に展開されつつある群は更にその一段上を行く。知能、統率、内蔵魔力、身体能力――――群と言うより軍と称する方が相応しいだろうか。
今までの眷属は見た目相応に獣に近しい性質を持ち合わせていたが、今相対している眷属は規則的に配置に付き、直ぐ様飛びかかることなく隊列を組んでおり、雰囲気や目から伝わる意思は人に近い何かを感じた。
幸いなのはその全てが楓に向けられていたこと。シエラを意図的に外しているのかは分からなかったが、眷属は総じて楓を潰すという一点にのみ意識を向けていた。
「ちょい待っててな。すぐ道開けるから」
「あ…………」
私もとついていこうとするシエラを楓は制し、肩を回して解しながら漆黒の壁へ向けて歩き出す。
躊躇いはなかった。恐怖は、まだ少しだけ残っていたかもしれない。それでも敗北という可能性は既に楓の中から消失しており、己が負けるという未来は完全に彼女の中で否定されていた。敗北への
出来ることを疑わない。能天気とも言える楓の思考に於いて、短時間でここまで上り詰めたのは可能性の否定を行わなかったからだ。出来ない理由を探すことは容易であり、それを良い訳にして人は逃げようとする。
勝てるのだろうか。正直に言えば常に自分を疑い続けてきた。然しそれはあくまで表面上のものでしかなく、そこに割く意思と時間が如何に無駄であるかを彼女は無意識的に理解し、その時出来ることを積み重ね続けてきた――――いや、考えるのが嫌いなだけかもしれないが。
「始めなさい」
魔法使いの一言で、眷属による進軍が始まる。だが前列に構える黒羊は飛び出すことなく、自分たちの前に魔法陣を展開した。なるほど、今までの黒羊は魔法らしい魔法を使用してこなかったが、とうとうここに来て魔法を扱うのか。流石は親衛隊だなと納得しながら、それでも進む足を止めはしない。
最前列の隙間から、別の術式が展開されているのが見えた。そこから無数の弾丸が放出され、楓は手の届く範囲の弾丸だけを手で払い、他はそのまま身体で受け止めながら進み続ける。
最前列の魔法陣からは攻撃が飛んでこない、となるとあれは防御魔法なのだろうか。となると黒羊達が組んでいる陣形はファランクスを模した物なのだろう、宮殿に所狭しと並べられているため、横から攻撃されることもなく正面を突破する以外に進む方法がない。上を飛び越えようとすれば間違いなく蜂の巣にされ、正面は防御と弾幕で守られている――――なるほど、自分よりずっと考えて戦っているようだ。
「はぁー……」
一体ずつ相手するには数が多く、時間も手間も掛かり過ぎる。多くても二、三体しか同時に相手できない、拳のみを武器とする楓の欠点にして弱点。
拳だからそればかりは諦めるしかない――――と、そう考えているからそこで思考が止まってしまうのだろう。
諦め、思考を止め、足掻こうとしないから終わってしまう。なんと愚かで情けないのだろう、数分前の自分を殴り倒してやりたい気分だ。サラがなんとかしてくれるまで、そんなことに気付きもしなかった。
命を賭けてもなお、覚悟が足りなかった。サラに教えられてばかりで恥ずかしいが、あの時彼女と手を組むという選択をした自分を褒めるべきだろう。だからこそさっさと終わらせ、迎えに行く。
拳の射程まであと数歩。圧倒的な数、今までとは比べ物にならない質、その後ろに控えた魔法使い。拳を握り締め、彼女が出した結論は詰まるところたった一言。
「――――だからどうした」
軍を構成する敵の一つ一つが協力で、その上数も気が遠くなるほどに揃えている。拳じゃ倒せる数には限界があって、その上自分は魔法が使えない――――さて、出来ない理由を並べるのもいい加減飽きてきただろう。
出来ないと否定したのが己であれば、出来ると肯定するのもまた己である。
一体を倒せる威力で足りないならば、百体同時に倒せる威力で殴ればいい。なに、難しいことではない。既にそれに近いことはシエラとの戦闘でやっていた。であればその応用で今からやろうとしていることも出来るはずだ。
拳は激突の瞬間まで緩く握り、床に食い込むほどの力を込めて左足を踏み込む。弓を引き絞るかの如く拳を構え、足先から腰、全身で生み出した力を最短距離で拳に乗せて。
「せぇーのっ」
佐々木楓が唯一習得した戦闘技術にして、一撃必殺の拳撃が放たれた。
盾は砕け、肉体は割け、陣形はあえなく瓦解する。威力は拳に留まらず、拳圧が正面に立つもの全てを薙ぎ払い魔法使いへと続く道を開いた。直ぐ様その穴を埋めようと敵が動くが、陣形を立て直している暇など与える訳がない。
此の分ならばあと数発で足りるだろう。欲を言えば一撃で仕留め切る威力が欲しかったところだが――――試している暇すらなく、予想通り数発で前方にいたはずの大軍は消し飛んでいた。
「…………さて」
残るは一人。牡羊座の魔法使いは目の前の光景に驚くことすらなく、気怠げな様子で楓を見つめていた。ここに三人で乗り込んで来るような魔法少女だ、此の程度やってのけることは予想が出来ていたのかもしれない。
第二波が来るかと構えていたが、一向にそれらしいものは現れず、楓は後ろで待っていたシエラに手招きをすると、手を引いて魔法使いの前まで歩き始める。
手を握り締め、伝わってくる震えからシエラが緊張しているのが分かった。安心させるためにシエラに向かって笑いかけ頷くと、伏し目がちに頷き返される。
そして楓は魔法使いの前にまで辿り着いた。眷属程度をぶつけても通用しないと分かったからか妨害らしい妨害もなく、そこが怪しくもあったが疑ったところで魔法的な知識に欠ける楓には対処も出来ない。
敵を前にして視線を外すのはあまりに馬鹿げた行為だが、楓は魔法使いに頭を下げ、それから口を開いた。
「はじめまして、佐々木楓いいます」
ここに来たのは話し合う為。であれば戦う意志がないことを此方から伝えなければならないだろう。たとえそれが無防備を晒し、自らを窮地に追い込む事になったとしても、それが証明となるのだから。
魔法使いは訝しげに楓を見つめ、それから仕方ないといった様子で口を開いた。
「牡牛座の魔法使い、ハマルよ。……で、なに。アンタ魔法少女でしょう。私を倒しに来たんじゃないの?」
肘掛けに肘をつきながら、ハマルは楓に問いかけた。ここまで来て未だにハマルから戦う意志は見られず、殺気も微塵も感じ取れなかった。意識的に隠している可能性も否定できないが、それにしても立ち上がることすら拒んでいるようにしか見えず楓は若干困惑する。
「いえ、話し合いに来ました。悪いことはやめて欲しいって……ね、シエラ?」
楓の後ろで小さくなっていたシエラが頷く。
負ければ廃棄すると言われ、彼女は敗北しあまつさえ魔法使いの敵を引き連れて帰って来た。裏切り行為であることは明らかであり、シエラの心情を考えれば話しかけることさえ恐ろしいのは仕方がない話だろう。
だがそれも覚悟の上でここまで来た。俯き気味だったシエラはやっと顔を上げると、一歩前に出る。
「あの、私……」
「――――あぁ、アンタまだ生きてたの?」
ハマルが興味なさげに呟く。シエラの言葉は完全に遮られ、その一言に思わず楓は頬を僅かに動かした。
「……頑張って戦った子に、それはないんじゃないですか?」
「頑張るだけでいいなら楽でいいわよねぇ。負けたくせにどの面下げて帰ってきたのかしら。失敗作にも程があるわ、身の回りの世話ぐらいしかまともに出来ないのね。なんならあの銀髪の魔法少女のほうが魔法少女倒してるんじゃないから、あっち捕まえて弄った方がよっぽどまともだったかもしれないわね」
「……」
「興味ないわ、アンタには。まだアンタ、カエデ? そっちのほうが研究意欲が湧くわねェ。短時間でそこまで戦闘能力を上げた魔法少女なんて見たことないし、倒したら研究対象として身体を弄らせてもらおうかしら」
抑えろ。手を出した時点で終わりだ。だからまだ抑えろ。握りかけた拳を解く。
「その、ハマル様……。悪いことは、もうやめませんか…………?」
声を震わせながら、シエラは話題を切り出した。サラと楓が強引に道を切り開きここまで連れてきてくれたのに、何も言えずに終わるだなんて情けないことになったら合わせる顔がない。
目に涙を一杯に溜め、それをこぼさないようにしながら楓の手を握り締める。
「助けてくれたことには、今でも感謝しています……でも、だから悪いことをしてほしくないんです……!! 今ならまだ引き返せると思うから、私――――」
「っさいわねぇ」
聞くに堪えないとばかりに溜息をつきながら、今度は意識的にシエラの言葉を遮った。そしてなんて馬鹿な娘なのだろう、呆れを通り越して憐れみすら覚えると言わんばかりにシエラの言葉を鼻で笑う。
「助けたんじゃないわ、偶々私が試したい魔法があって、アンタが襲われてただけ。あんな状況なら消えてもそこまで問題にならないだろうからこの世界に引き摺り込んだだけよ。技術的には成功だけどアンタは失敗、なにせ魔法使いを造る魔法なのにアンタは魔法少女一人にすら勝てないじゃない――――邪魔よ邪魔。顔を見るだけで反吐が出るわ馬鹿らしい。第一悪いことってなに? 人類は愚かで醜くていつまでたっても進歩しない、だからより優れている存在が導いてあげるっつってんのよ。それのどこが悪いことなわけ? それを邪魔する魔法少女のほうがよっぽど悪よ。聞いてて呆れるわね、こんなのを傍に置いていた自分が如何に馬鹿だったかを嫌というほど思い知らされたわ。面倒だけど約束だったからアンタは廃棄してあげる。さっさと自害なさい、それとも殺してあげようかしら? ああ、選ぶのを待つ時間すら手間だし、一瞬で消してあげる――――じゃあさよなら、失敗作」
術式が展開され、超圧縮された魔力が細い光束となりシエラの心臓を貫く――――よりも早く、楓の拳がハマルの顔面を捉え、玉座にめり込んだ。
もう駄目だ、耐えられない。いや、むしろ我慢したほうだろう。そして浅はかだった。魔法使いの人となりを知らなかったから話し合ってなんとかしようだなんて、そんな解決が望めると考えていた自分が馬鹿だったのだ。
涙を流し呆然とするシエラに、一瞬だけ視線を送った。こうなったのは自分のせいだ。かけるべき言葉すら持ち合わせていないが、それでも何かを言わずにはいられず――――。
「……ごめん。あとで幾らでも罵倒していい。好きなだけ憎んでいい。だから少しだけ」
魔法使いを倒す、それが魔法少女の役割だ。だが肩書をもういいわけになんてしない。佐々木楓として、この女を倒す――――いや、殺す。
アルドを助けるためでもなく、残してきたサラのためでも、泣いているシエラのためでもない。感情のままに引き金を引き、この女を殺そう。他の誰かを理由になんてしない。自分の咎は自分で背負うべきだからだ。
「――――少しだけ、目ぇ瞑ってて」
せめて見ないで欲しい。怒りも憎しみも全て受け入れる。それでも彼女の恩人が殺される光景を瞳に焼き付けたくはない――――魔法使いは玉座から頭を引き抜き、首を振って瓦礫を払う。
「痛いわね……まあいいわ、アンタから殺してあげる。『黄金の――――」
「やらせる訳ないやろ、馬鹿か」
『黄金の衣』、牡牛座の魔法使いが組み上げたという固有魔法。それがどれだけ厄介かは既にこの体で味わっており、展開されると非情に拙い――――だから展開させない。
魔法が展開するよりも早く、拳が魔法使いの顔面を再び撃ち抜く。勿論それで倒せるとは思っておらず、吹っ飛んで壁に叩き付けられた魔法使いにそのまま拳を幾度となく振り翳した。
「はぁっ……はぁっ……」
魔法使いがどれだけ頑丈かは知らない。だから確実に死ぬまで拳を振るい続ける。感情のままに動いているせいか姿勢は完全に乱れてしまっていたが、それでも手だけは止めない。
呼吸が乱れ、拳の骨が砕け、感覚が失われる。周囲の床と壁が形を保てなくなり、粉塵となって視界を覆う。それでも止まらずに続けていたが、ふと腰に何かが纏わりついた。
「もういい……もう、やめて……っ」
楓を止めようとシエラが楓を後ろから抱きしめていたらしく、楓はようやくその手を止める。
舞っていた塵が晴れていく中に、血塗れの魔法使いが倒れていた。驚いたことにまだ息をしている。それどころか彼女は不敵な笑みを浮かべ、シエラを見つめており――――痙攣させながらも左手を持ち上げ、魔法を展開した。狙いは楓ではなく――――。
「え――――」
シエラを弾き飛ばし、躱すだけの余力を残していなかった楓の腹部をそのまま収束した魔力が貫通する。この程度のダメージ今更気にもならない、なんて言いたいところだがダメージが蓄積していたせいか血が逆流してきた。そのまま地面に血液をぶち撒け、それを袖で拭うと魔法使いを見下ろす。
「救いようがないわ、アンタ」
「アンタに言われたくないわよ。自分が狂ってるって気付いてる?」
「別に。興味ないわ、んなこと」
「アンタ、どうやったか知らないけれど『願いごと』を使ったでしょう――――強くなりたいなんて、クソみたいな使い方したわね」
「お陰で魔法使いさんに勝てた」
「…………馬鹿らしい。いつか独りになって、精々後悔なさい」
手の感覚が失われて久しく、拳を握ろうにも握れているかが分からない。右手を持ち上げてなんとか目で拳を作ったことを確認すると、ゆっくりと振り上げた。
弾き飛ばされたシエラももう止めることはなく、ただ嗤うハマルを見つめ――――今まで一度たりともシエラを見なかったハマルが、シエラへと視線を向けた。
「はっ――――アンタ、悪の魔法使いの弟子でしょ。こういう時は笑いなさい」
――――衝撃音。そして魔法使いは黒い粒子へと変わり始めた。全てが虚空へ消え去るのを確認すると、楓は自ら作った血溜まりの中に倒れ込もうとする。
任せろなんていったのに、結末としては最悪に近いものになってしまった。駆け寄ってきたシエラが地面に衝突する前に楓を抱きかかえ、楓は閉じそうになる瞼をなんとか開け、なけなしの力を振り絞って口を開く。
「ごめんなぁ……」
「……ううん。私の方こそごめんなさい」
かつて自分の居場所だったもの。必死に守ろうとしていたものは消えてしまった。胸が締め付けられるような悲しさに涙は止まらなかったが、それでも手に入れたものもある。
命を賭けて、自分の事を考えてくれた人。悲しみと同じくらい彼女に対して申し訳無さが溢れ出そうで、傷だらけの身体を抱きしめた。
「ありがとう……」
憎まれることを覚悟した上で魔法使いを倒した。だからこそ感謝の言葉に楓は目を見開き、それから笑った。達成感なんてなく、罪悪感と後悔に心は塗れているけれど――――最悪の結果だけは、避けられたらしい。
「ん……」
このまま眠ってしまいたい、そんな気持ちに抗いながらなにか大事なことを忘れているような気がして――――そして思い出した。
「ねー、あたしのこと忘れてなーい?」
軽い声。入り口から宮殿に入ってきたサラは、楓と同じく全身くまなく傷で埋め尽くされていた。
「…………ごめん。え、まさかあれ全部倒してきたん?」
「まったくいい雰囲気出しちゃってさー。そうだよまったく、はーほんと疲れたー……」
楓たちの場所まで着くと、壁に背を預けて座り込む。二人で魔法使いに勝つ。結果的には三人に増えたが、本当に叶うとは思っていなかった――――いや、正確に言えばもっと時間がかかると思っていた。
ここまで早く牡羊座の魔法使いを倒せたのは、紛れもなく佐々木楓の潜在能力の高さに依るものだろう。そこらの魔法少女に比べれば桁違いに優れていることは分かっていたが、まさかここまでとはサラ本人も思っていなかった。
だから色々と言いたいことはあるが、今日だけは我慢するとしよう。明日になったらどんどん言うつもりだけれど。
「まあ、ともかく一件落着ってことで…………帰ろっか」
こうして佐々木楓は魔法使いを倒し、魔法少女としての役目を終えたのであった。
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