第十五話 佐々木楓と突入、そして

 白羊宮――――牡牛座の魔法使いが棲むという領域の名。

 魔法陣を抜け、深界よりも奥の座標へと辿り着いた魔法少女達を迎えたのは、暗黒の空間に浮かぶ白亜の館。そしてそこへと続く長い階段だった。

 空間には息苦しさを覚えるほどの魔力が満ちており、初めてシエラが襲撃を仕掛けてきた日の光景が脳裏を過ぎった。同時に此処が既に牡牛座の魔法使いの掌の上であると思い知らされる。

 軽口を叩く余裕もなかった。俯きがちなシエラに張りつめた表情のサラ、楓も緊張していないと言えば嘘になるだろう。しかし年上かつ言い出した本人である以上、自分が先陣を切るべきだという自覚はあった。

 罠が仕掛けられていてもおかしくなく、襲撃の危険性も当然ある。それを考えれば後ろが安全とも限らないが、そこはサラの経験と技量に全幅の信頼を置いているからこそ任せることが出来た。

 まずは魔法使いの元へと向かう。サラとシエラを一瞥すると、そのための一歩を踏み出した――――カチリ。何かが作動したような音。


「――――あ」


 罠があるとしても暫く進んだ先だろう。そんな考えは、淡くも一歩踏み出したところで砕かれてしまった。

 宙空に出現する数え切れない程の魔法陣。這い出てくるのは翼を持つ黒羊の群れ――――ナイフと銃を携えたサラは、手癖でガンスピンをしながら流れるように一体目を落とした。


「ある程度戦力温存してるだろうなぁとは思ってたけどさぁー……ちょっと歓迎されすぎじゃないかなーこれ」


 数もそうだが、問題は質だった。初めて楓が戦った黒羊が一番低級だったのは言うまでもないが、今日シエラが連れてきた黒羊は初期の四足型に比べて数十倍の質の高さだった。とはいえその質が高い眷属も楓とシエラの戦闘の余波によって全滅させてしまったのだが。

 今楓達の行く手を阻もうとしている黒羊達はそれよりも更に上、愚かにも誘い込まれた者達を徹底的に潰そうという悪意を感じ取ることが出来る程だ。

 ある程度油断させ、戻れない所まで来た相手を圧倒的質量で押し潰す。言ってしまえばシエラすらも牡羊座の魔法使いからしてみれば囮に過ぎなかった可能性が高く、普通に考えるならば楓とサラはシエラによって嵌められたと見るのが自然だろう。

 もっとも一番困惑した表情を浮かべているのがシエラであることは顔を見れば分かることであり、結果的に罠に嵌める事になってしまったものの、彼女にその意図がなかったことは明らかだった。


「手厚い歓迎やねー……シエラは下がっとき。うちとサラで魔法使いさんところまで意地でも連れてくから」


 迫り来る黒羊を拳で叩き潰すと、それを合図に一気に階段を駆け上がり始める。障害物さえなければそう時間もかからない距離なのだが、現実は視界を埋め尽くす敵の群れ――――館が恐ろしく遠くに見えた。

 シエラに回復して貰わなければ、間違いなく容易く押し潰されていただろう。ここに来て楓の拳撃は威力を増してきており、拳が直撃した際の振動が離れていてもシエラには伝わってきていた。

 だがどれだけ威力が上がろうと、その威力を生み出すための予備動作と攻撃直後の隙は未だに消すことが出来ない。それを埋めているのは他でもないサラである。主に銃とナイフ、状況によって他の武器に切り替えながら楓の隙を塗り潰し、その上で楓の目の届かない視覚の敵まで処理している。

 上手い。やはりサラの戦闘技術は他の魔法少女と比べても群を抜いていた。楓の補助という点は勿論、攻撃一つ一つが急所を的確に突いており、最低限の威力で確実に仕留めている。下がっていろと言われたが、手を出そうとしても手が出せないというのが正しいだろう――――悔しいが今のシエラが手を出したところで、二人の連携の邪魔になるだけだった。

 距離を選ばない万能型だが魔法を重点においた戦闘方法のシエラにとって、魔力は戦闘に必要不可欠だ。だがこの二人は主だった武装が物理的であり魔法はあくまでその補助でしかない。昨日の大砲撃と先程の戦闘で魔力の大部分を失ったシエラに最上級の眷属を倒すだけの力が残っている筈もなく、二人が眷属を蹴散らす様を眺めていることしか出来なかった。


「…………っ」


 悔しい。憎しみさえ覚える。つい一時間ほど前まで敵対していた者達に守られ、なにも出来ずに呆けるようにそれを見ていることしか出来ない。己の弱さにただひたすら苛立ちだけを募らせていた。

 そう、自分が弱いのが全ての原因だ。助けてもらった、だからこそ魔法使いを説得する――――魔法使いを変えるという選択を思いつきもせず、ただ従っていればいいと信じ諦観していたからこんなことになったのだ。

 挙句に自分はただの囮、領域内に侵入した魔法少女を容赦なく排除する防衛システムに彼女達を引っ掛けるための餌でしかなかった。


「いっ……はぁ、流石にちょっと多すぎるわっ」


 致命傷には至らないものの、負傷は今この瞬間にも増え続けている。道程はようやく半分といったところだが、敵の数は減るどころか数秒前より増えているようにすら見えた。

 楓は脇腹を黒羊の角で抉られ、深く息を吐き出した。身体はまだ動く。負傷もシエラと戦い終わった直後に比べれば大したことはない。それでも遅々として進展しない状況に焦りを覚えるのも無理はないだろう。


 自分にもシエラのように射程の広い攻撃があれば、そんなないものねだりまで考えてしまう始末だ。極めて威力の高い打撃と加速度的に成長する身体能力、白兵戦に於いては常に優位に立つことが出来る資質を持つ代わりに、集団戦、特に今の状況のような敵を一掃したい場合にはどうしても決め手に欠ける。

 こうして傷つき続けている今でも打撃の威力とキレが増しているのが、唯一の救いだろうか。誰かに向けて使ったことのなかった拳が、命を賭けた実戦の中で着々と研ぎ澄まされつつあった。

 予備動作も段々短縮され始めており、仮に身体が万全であったならば過去最高の打撃を繰り出すことが出来ただろう。これもただのないものねだりなのだが。


「はぁ…………」


 サラが深くため息をついた。必要最低限の動作を以て敵を狩る、常人には到底理解の及ばない領域での極度の集中状態の持続を考えれば疲労を隠す余裕がないのも至極当然だろう。

 しかしサラの溜息は決して疲労からきたものではなかった。仕方ないという諦め、呆れから生じた嘆息――――まあ貧乏くじを引くのは、慣れているのだけれど。


「ねぇ、アンタ」


 とうとう前に進む足が止まる。押し返されるのも時間の問題だろう。淡々と処理と援護を続けながら、サラは声をかけた。相手は楓ではなく、信用していないと断言したシエラである――――シエラもサラに声をかけられるとは思っていなかったらしく、目を白黒させながら視線を向けた。


「今からあたしが道開けるから、こいつら入ってこないように館の入り口に防御魔法仕掛けてほしいんだけど――――出来るよねー?」


 形式的には尋ねているが、おそらく答えは聞いていない――――出来るか出来ないかではなく〝やれ〟という圧が、言葉の節々から伝わってきた。残存魔力は乏しいが、防御関係の魔法は牡羊座の魔法使いが得意とする分野である。残り滓だろうが絞り出せば、この質量相手にも不可能はないだろう。シエラは頷き、サラは小さく笑う。


「おーけー、後は任せるよ。センパイ、放っておくとなにするかわかんないからさー」


「サラ、余計なこと考えてるんじゃ」


「考えてるよ、でもそれはお互い様――――あたしの頑張りを佐々木先輩は無駄にするような人じゃないって、あたし知ってるからねー?」


 このままじゃ埒が明かない。館の中にどれだけの戦力が残されているかも分からない。そんな状況で二人揃って磨り潰されるぐらいなら――――奥の手の一つや二つ、くれてやる。

 切り札を出し惜しみして、出す機会を見誤った挙句にそこで終わるだなんて笑い話にもなりはしない。楓の言葉を無理矢理遮り、魔法によって作り出した別空間からありったけの武器壁を引っ張り出す――――専用の亜空間を持ち、そこに保管されている武装を即座に収納、取り出し切り替えることが出来る『換装魔法アドベント』こそが、サラ・クレシェンドが保有し最も活用している得意魔法である。

 二人の前に飛び出したサラは、楓に余計なことをされる前に即座に武装を選び出す。


「マジカルナイフにマジカルトマホーク、それからマジカルパイナップルにマジカルガトリングー……それからダメ押しのマジカルミサイルっと。これで必要最低限の時間は作れるねー?」


「マジカル付けりゃいいって問題じゃ――――ああ、もう。ほんと」


 止めている暇もない。楓は歯痒い気持ちを必死に押さえ込み、シエラの手を握り締めた。


「多少熱いだろうけど、そこはまあご愛嬌ってことで突っ切ってねー。それじゃ――――」


 背後から迫りくる敵の首元を空いた手で掴み取り、周りを巻き込むように放り投げる。飛び出す前に出来るだけ周りの敵を遠ざけておきたかったが、それすら叶わず。


「いってらっしゃい、楓センパイ」


 二人を守りながら援護までしていたのだ、自分以外のことに集中していた先程よりも、今のほうが遥かにやりやすい――――なんて言い聞かせておけば、多少は頑張れるだろうか。

 残存魔力は心もとないが多少はある。だが虎の子も幾つか使ってしまったし、正直体力は割りと限界が近い。昨日の負傷も大部分が残っており、それが動作を阻害する要因になっている。状況は端的に言って最悪としか言い様がないだろう、追い詰められ過ぎたせいか笑いが溢れ出した。

 黒黒黒、埋め尽くす闇色の中で数え切れないほどの赤い瞳が銀色の魔法少女に向けられている。


「ああ……」


 体中に走る痛みが緩やかに麻痺していき、浮遊感に覆われていく感覚に身を委ねた。最後にこの状態に陥ったのがいつだったのかを思い出し、それを振り払うように全ての感覚を今へと研ぎ澄ましていく。


「たまんないねー、まったく……」


 染み出す脳内麻薬、今か今かと飛び出す機を待つ身体を鎮め――――気が付いた時には、動き始めていた。

 貧乏くじで結構、勝てるならばなんでもいい。迷いなく送り出すことが出来たのは、彼女がどのような形であれ勝って買えてくることを疑っていないからだ。

 だからまああたしも頑張るから、センパイもがんばってね。できるだけ早く帰ってきてくれたら嬉しいけどさー――――躍る銀色の思考は、それを最後に途切れた。

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