第十四話 佐々木楓と決着

 暗闇の中に、家族がいた。そしてそれを喰い殺す悪魔が現れた。

 魔法を使って止めようとしても、魔法が発動しない。身体能力も人間だった頃の弱さに戻っていて、必死になんとかしようとしても止めることは出来なかった。

 やがて悪魔は家族を喰い殺すと、少女に向き直った。次はお前だと笑う悪魔に、少女は思わず逃げ出した。

 どれだけ走っても距離は変わらず、それどころか悪魔はいつの間にか二人に増え、少女が逃げる度にその数を増やし続けた。

 暗闇から伸びてくる手に捕まらないよう必死に藻掻くが、体力にも限界がある。どれほどの事件が経過したかは分からなかったが、少女はとうとう捕まってしまった。

 自分を見下ろす悪魔の顔。家族のことを思い出す度に脳裏を過る顔を前に、少女は抵抗することすら出来なかった。

 そして少女は痛めつけられ、幾度となく殺され、殺される度に最初の地点に戻される。そうして家族を奪われ続け、憎しみを己の中に募らせていった。

 歯痒い。憎む相手を前になにも出来ない自分に苛立ちを覚える。けれど胸の中で暴れ狂う感情とは裏腹に、身体は動いてくれない。

 そうして心が擦り切れる寸前まで到達した時、耳元で囁く声があった。力が欲しいのかしら、と。

 答えるまでもなかった。それだけが彼女の存在を確固とした物にしてくれる。存在する理由を与えてくれる。弱い己に価値はなく、勝ち続けることだけが存在を証明する唯一の方法なのだから。

 だったらあげましょう、私の持つ〝最強〟を。少しだけ痛いけれど、問題ないでしょう?

 あなたには、耐えるしか能がないのだから。

 そうして少女は脳裏に決して剥がれない過去と共に、身体に牡羊座の持つ最強を刻みつけられた。




 完全開放。それが意味するところは分からなかったものの、自分にとって都合が悪い状況に陥ったことだけはなんとなく分かった。とはいえそれでやることが変わるのかと言われればそんなことはなく、端から出来ることが限られている以上、楓はそれに従って動くしかない。

 だが状況が予想を遥かに上回る悪化を引き起こしていたことに、彼女はまだ気が付いていなかった。

 少女は今までのように疾駆せず、一歩一歩を踏みしめるように歩き始める。走り出さなければ会敵まで数十秒はかかるだろう。

 一見すれば隙だらけだが、無策な筈がない。とはいえそれを見切れる経験も知識もない以上、いざそれが発動するまでは正体も分かる訳がなく――――


「すぅー……はぁー……よし」


 乱れていた呼吸を整え、神経を研ぎ澄ませる。体中に刻みつけられた傷が集中を妨害するが、歯を食い縛り拳を握り締めることで無理矢理集中を持続させていく。

 冷静になればなるほど痛覚が激痛を訴えてくるが、それを覚悟の上でこの戦いに臨んだはずだと自分に言い聞かせた。輝纏潜行によって肉体は強化されているはずだが、それを上回る威力で攻撃されれば当然この肉体にもダメージが通る。ましてや楓は汎用魔法とされる防御魔法すら使用できないのだ、丸裸で戦場に放り出されているようなものなのだから大なり小なり負傷を受けるのは諦めるしかない。

 それは分かっていたが、分かっていてもキツいものはキツい。苦痛から意識を逸らそうとしても傷は痛覚を刺激し、滞ることなく痛みを伝えてくれる。深呼吸をした時若干声が震えていたのも、激痛が原因だろう。

 でもまだ戦える。立てるうちは歩けるし、歩けるうちは走れるし、走れるうちは殴れるはずだ。

 悠然と歩を進めてきた少女は、楓の前にまで来ると立ち止まった。楓は相手が動くのを待って構えていたが、視線が激突するばかりで少女は動こうとしない。

 冷や汗が頬を伝う。どうするのが最適なのか。先に繰り出して良いのか、それともこのまま相手が出るのを待つべきか、先手を打つ場合どの攻撃をどの位置に入れるのが最良なのか。試行錯誤の末に一番慣れた攻撃でブチ抜くのが一番確実だと判断した楓は、右拳を一瞬だけ緩め、そして一撃を繰り出す。楓が扱える最大威力の拳撃、当たればまず確実に相手を沈められるであろう一撃必殺――――それが最悪の手だと気付いたのは、衝撃が反射した後のことだった。


「――――あ?」


 楓の拳撃を前に、少女はなんの行動も起こさなかった。防御も、迎撃も、回避すらもしなかったのだ。それをおかしいと思う前に、楓は拳を振り抜いてしまっていた。

 少女の胸部へと直撃した楓の拳はそのまま相手の肉体を抉り取ることなく、完全に停止してしまった。

 硬い。それどころの話じゃない。拳が激突した瞬間、全ての衝撃が吸収されたかのように感じた――――そして黄金の衣に与えた汎ゆる干渉は、差別なく弾き返される。

 初めはただの違和感だと思った。いつの間にか身体が今までにない勢いで吹き飛ばされ、壁に叩き付けられてそのまま地面に倒れ込む。それから暫くして、ようやくあまりの痛みに痛覚が一切機能していないのだと理解する。

 間違いなく今まで受けたダメージの中で一番大きいだろう。立ち上がらないとと意識した時には少女が既に迫っており、追撃が楓を捉える。蹴り上げられ浮き上がる身体、襟を掴まれるとそのまま強引に地面へ打ち付けられ、そして横たわる楓の腹部に蹴りを叩き込んだ。楓は抵抗する間もなく別方向の壁に打ち付けられ、ずるずると落ちていく。


 意識が飛びかけた。むしろ飛んでいないのが奇跡だろう。地面に転がり落ちた衝撃でなんとか意識を取り戻したが、もう身体のどこが痛いのか認識出来ない。視界には靄がかかっていて、耳も鼻も既に上手く機能していなかった。口の中に広がる鉄の味だけが、唯一正確に感覚を伝えている。

 殴りかかった直後に反動が来た、おそらく攻撃が跳ね返ったのだろうと今更理解する。理解できたところで、対策を考えるだけの余裕は残されていないのだけれど。

 気を緩めればその瞬間意識を失う。そうなればすべてが終わりだと手放さない様に必死に意識を手繰り寄せながら、自分の腕であろう部分を動かして身体を持ち上げた。四つん這いの状態でなんとか立ち上がろうと藻掻いていると、体の奥から逆流してくる熱い何かを堪えきれずに吐き出してしまう。

 目の前の地面が赤く染まっているのに気が付き、そこでやっと吐き出したのが血だと理解した。ちょっとやばいかもしれないと今更想いながらも、膝に手をつき無理矢理身体を起こす。

 口の中に残っている血を地面に吐き、ぼやけた視界で少女を捉えた――――遠い。今のうちに近づいて攻撃されていたら、終わりに出来ただろうに。


「あァ……死ぬほど痛ェ……」


 無様だと思う。情けないと思う。遥か高みにいる少女に、命を賭ければ手が届くだなんて考えた結果がこれだ。

 サラが隣にいたら、止めてくれただろうか。分からない。でも彼女が横にいないだけで、こんなにも自分は臆病になってしまうらしい。

 手が震える。足が言うことを聞いてくれない。目前に迫る死は当然怖かったが、これ以上前に進めなくなることがそれ以上に怖い。


『楓……』


 使い魔と魔法少女は、同じ方向を見ていなければ十分な力を発揮できない。だがもうそんな領域はとうに超えてしまっている。これ以上戦えば、いや今すぐにでも治療を施さなければ危険だ。

 だがアルドは、止まれという一言が言えなかった。楓の中に在るのだから、彼女の思いを今誰よりも理解しているのは他でもない彼だった。


「……うん、ごめんな」


 だから一歩、踏み出した。たとえどれだけ遠くても、歩いていればきっといつかは辿り着く。前のめりに倒れそうになりながらも進み続け、どれほどの時間がかかったかもう分からなかったがいつの間にか少女の前に辿り着いていた。

 拳が握れているのかも判別出来ない。握っているつもりではあるが、腕の感覚は疾うの昔に失われていた。視線を落とすと一応まだ腕はくっついているが、力が入っているようには見えない――――あぁ、ようやく少し動いた。まだいけるなと、視線を腕から少女に移す。

 なけなしの力で拳を振るった。微弱な打撃、しかしそれすらも容赦なく撥ね返し、楓は数歩後ろに下がってしまう。

 こんなんじゃ駄目だなと肺一杯に息を吸い込むと、体の中をのたうち回る灼熱の激流を拳へと集中させた。体力がなくなりそうならば、代わりに使いみちのないこの魔力をぶつけるまでだと。

 一発打ち込み、弾き返され、二発打ち込み、とうとう拳が解け、三発打ち込んだ時とうとう身体が崩れ落ちる。それでも楓は、緩慢な動きで再び立ち上がった。


 少女は楓が立ち上がってくると想定していなかった。『全反射』を使い、その上で更に追い打ちまでかけたのだから、もう勝てないと理解し撤退してくれるだろうと考えたのだ。

 『全反射』は魔力が続く限り物理、魔力問わずに汎ゆる干渉を撥ね返すことが可能であり、相手の負傷を考えれば自分の攻撃を一回反射させれば十分過ぎるダメージが通る。立ち上がれたとしても、戦うだけの体力も気力も残されておらず、戦いも終わるはずだと――――でも、そうじゃなかった。


 分からない。どうしてそこまでして戦うのか。帰る場所があって、家に帰れば家族がいて、学校に行けば友達もいるだろう。此の場所に、この世界に、命を賭けてでも成し得る価値がある何かがあるとでも言うのだろうか。いや――――


「そんなに、私の居場所を奪いたいの……?」


 負けることは即ち存在意義を失うに等しく。


「そんなに、わたしの命を奪いたいの……?」


 負けることは即ち機能停止に等しく。


「ねえ、なんで……? なんでそこまでして戦うの? なんでそこまでして奪おうとするの? ここは私に残されたたった一つの世界で、ハマル様だけが私に存在理由をくれるの……なのに、ねえ。なんで。なんで何もなくしてないあなたが、私に残されたもの全部奪おうとするの? 答えてよ……答えてよっ!!」


 襟を掴まれながら問われた楓は、倒れそうになりながらも震える足で身体を支え、慣れていない左手を握り締める。


「……ハマル様とやらが悪モンで、君がそれに従ってるから」


 どのような理由であろうと、悪を倒す――――それが魔法少女の勤めである。

 楓の言葉を聞き、少女は失望を覚えた。どうしてなのかは自分でも分からなかったが、きっと心の何処かで期待していたからだろう。

 魔法少女は正義の味方。ならば悪に堕ちた自分さえも助けてくれるかもしれないと。一度はそんな希望も捨てたが、無意識の内に再び抱いてしまっていた。

 でも所詮は楓もただの敵で、少女を殺そうとする魔法少女でしかなかった。もういい、死んでしまえと少女は楓に足払いをし、体制を崩したところで馬乗りになり拳を振り上げる。

 収束した魔力は砲弾を形成し、正面を焼き払う閃光へと作り変えられていく。振り下ろせば、全部終わるだろう。


「私、たしかに悪者だけど……死にたくない」


「知ってる」


「もう何も失くしたくない……」


「知ってるよ」


「だったらなんで――――」


「それでもうちは魔法少女だから、悪は肯定出来ない」


 拳を交え、言葉を交え、命を賭けても分かり合うことは出来ない。人の世界ではよくある話だろう、なんら珍しい光景ではない――――最後まで分かり合えず、そうして何方かが死ぬまで戦いは続く。

 楓に弾丸を撃ち込もうとする拳が、意思とは無関係に震えていた。魔法少女は死なないと思っていた。けれどサラ・クレシェンドは今入院しているらしい。きっとここで弾丸を撃てば、この魔法少女はそこで絶命するだろう。死ぬのも怖いが、殺すのもまた怖かった。なのに今にも殺されようとしている本人は怯えているようには見えず――――


「ねぇ、怖くないの……?」


「……んん?」


「命乞いをしてよ」


 おかしな要求だと自分でも思った。追い詰めているはずなのに、追い詰められたのは少女だったらしい。その末に溢れた本音がこれなのだから、ある意味悪らしいと言えば悪らしいのだろうか。


「助けてって、もう戦わないから命だけは助けてって言ってよ」


 輝きが広がっていく。死を目の前に、依然として楓は口を開かず。


「そうじゃないと私、止まれないでしょ――――っ!!」


 そしてこの殺し合いは、少女の勝ちで終わり。拳を振り下ろし、眩い閃光とともに幕を下ろそうとし――――


「死ぬことよりも、君を助けられずに迎える明日のほうがうちは怖い」


「…………え?」


「だから話をつけに行こう」


 ――――勝利を確信した少女の腕を、楓が掴み取る。

 楓の言葉に理解が追いつかず、困惑している間に地面に向かって腕を引かれ、気がつくと立場が逆転していた。倒れる少女に、腕を掴み動けないよう拘束する楓。

 形成されていた砲弾は少女の集中が途切れたことにより崩壊し、金色の粒子が宙へと霧散していく。


「ハマル様とやらを、説得しに行こう。もう悪さしないでって、話せば分かってくれるかもしれんし」


 本気で言っているのか。魔法使い相手に言葉が通じるなど――――いや、今更彼女に本気を問うことこそ愚かだろう。

 魔法少女だから悪は許せない。だから相手を悪から更生させ、倒す必要を失わせる。


「居場所なんてうちが幾らでも作ったるし、存在する理由なんて必要ない。必要だとしてもそれは自分で見つけるもので、与えられるような物じゃあないよ」


「それでも、ハマル様は私の命を助けてくれて……」


「じゃ、尚更だ。君の命の恩人を、いつまでも悪人にしておくつもりなん?」


「でも、私は…………」


 己の全てを奪いに来ていると思っていた相手は、己の全てを救おうとしていた――――なんて、馬鹿な話だろう。

 私よりも弱いくせに。全身傷だらけで、今にも死にそうなくせに。なんで自分のことなんてどうでもいいとばかりに笑っていられるのか、これっぽっちも分からない。


「きっとうちの言葉じゃ届かない。会ったこともないし、顔も知らんからね――――でも、君の言葉ならきっと届くよ」


 生温く、甘ったるく、可能性の限りなく低い希望的観測。それでも心が揺らいだのは、その未来を彼女自身が望んでいたからだ。

 自分の言葉で、あの悪の魔法使いが変わってくれるとしたら。それは命にも代え難い喜びとなるだろう。もしそんな未来があるとしたら、そこにいるであろう自分はきっとこれ以上ないほどに幸せなはずだ。


「本当は君を倒した後に提案するつもりやったんやけど――――君より強いって証明しないと、魔法使いのもとになんて連れて行ってくれないだろうし」


 殺し合いをしている相手の心配をするような人間なのだから、自分より強く悪辣な存在が潜んでいる場所に自分より弱い人間を放り込むような真似を彼女は許さないだろう。

 だからちゃんと勝って、そしてお願いするつもりだった。端から助ける方法なんて説得するしかないと、アイテム屋にすら言われていたのだ。

 少女は楓の言葉にまだ理解が追いついていないらしい。考えもしなかった道に、確実に少女の心は揺れていて。


「こんな状態で言うのもちと格好悪いけど……行こう。大丈夫、なんかあったらうちがなんとかするから」


 なんとかすると言っても、どうすればいいかなんて彼女も分かっていない。なんの根拠もなく、一切の保証にならない楓の言葉に、少女の心は小さな希望を見出してしまった。

 ただこの世界で戦い続けただけの敵同士、それなのに楓は少女のために命を賭けてくれた。それがどんな言葉よりも楓が本気であるという事実を物語っている。

 今もそうだ。楓の身体は限界をとうに超えていた。それは本人はおろか敵である少女にすらひと目で分かってしまう程で、全身傷がない場所を探すほうが難しい。それでも楓は笑って、少女に語りかけている。


 少女に声をかけてくれる魔法少女なんて一人もいなかった。可能性を説いてくれる人なんて、誰一人いなかった――――そして後にも先にも、彼女が最後となるだろう。

 楓を殺し、今の立場を守り続けるか。或いは楓の言葉に従い、魔法使いを説得するか。後者の成功確率は限りなく低く、前者は限りなく容易で確実だ。

 でも。それでも。たとえ可能性がゼロだったとしても、輝く未来に賭けたいと思うのは――――少女が、どうしようもなく人間だから。


「――――シエラ」


「……ん?」


「シエラ。……私の名前」


 勝ったら名前を教えるという一方的な約束。少女、シエラはそれを了承しなかったが、彼女から名前を告げるというのはつまりそういうことだ。

 『黄金の衣』が解除され、武装を染め上げていた金色の魔力が少女の身体へと流れていく。魔力を消耗しすぎたせいか、疎らに髪が金色へ戻りつつあった。


「迷惑かけて、ごめんなさい。傷つけてごめんなさい。厚かましいのはわかってるけど、でも……助けて、ください。お願いします……」


 声が震えているのは、瞳から零れ落ちていく雫のせいだろうか。名前を教えてくれたこと。素直に謝ってくれたこと。そして助けてほしいと言ってくれたこと。楓は嬉しくなり、シエラの涙を指ですくい取りながら満面の笑みを返した。


「ん、おねーさんに任せなさい」


 まあ傷つけたことに関してはお互い様なのだけれど、今はそれは置いておくとして。

 楓は重い体を引き摺るように、シエラの上から退くと立ち上がった。立ち上がれる。つまりはまだやれる。もう少し戦えるということは。


「それじゃ、その魔法使いさんのところ行こっか?」


「……………………え?」


 今から? その身体で? 万全の状態で待ち受ける魔法使いの本拠地へ乗り込むと?

 冗談かと思ったが、決してそうではないらしい。それを証拠に楓は戦う前の癖なのか、準備運動がてら身体をほぐし始める始末である。


「流石に今からは無理なんじゃ……」


 確かに楓の今までの戦績や成長速度を考えれば、彼女が常識から外れた存在であることは理解出来る。けれど立っているのもやっとどころか意識を保ててているのが不思議な負傷を抱えて、あのハマルの前に出ようというのは無謀なんて騒ぎではない。

 それでも行く気満々な楓を前にどう止めようかとおろおろしていると、二人の真横に魔法陣が展開される。咄嗟に身構えるシエラ、その魔法陣は見覚えがあるもので――――


「やっほーってあれ、もしかしてもう終わってるー…………?」


 サラ・クレシェンド。体中包帯で巻かれているが、たしかに昨日シエラが倒した銀色の魔法少女がそこにいた。

 彼女も楓に負けないぐらい負傷しているはずなのだが、この二人は限界というものを知らないのだろうか。


「サラ、意識戻ったん!? てかそんな怪我でこっちきちゃ駄目やん!?」


「ついさっきねー、センパイが無茶してないか心配で慌てて来たんだけどー……案の定というかなんというか」


「うちはええのよ、別に。それより今から魔法使いさんのところに乗り込もう思ってたんやけど」


「………………………………はぁ!?」


 楓の言葉を聞き暫く停止した後、ようやく理解が追いついたと思った瞬間に素っ頓狂な声を上げた。


「ほら、この人も驚いてるよ……」


 良かった、変なのは自分じゃなかったとシエラが若干の安堵をしたのは秘密である。

 しかし安堵したからといって、何かが変わる訳ではない。なんとなくだが、この佐々木楓とかいう魔法少女は恐ろしく人の言うことを聞かない人物であることはシエラですら分かりつつあった。

 驚いたサラは一度だけシエラに視線を向けると、改めて楓の姿を見る。この傷で乗り込もうとか、どう考えても冗談以外の何物でもないだろう。


「いや、あのさぁー……流石にちょっと無理なんじゃないかなー?」


 シエラはサラのことを変人だと思っていたが、どうやら思っていたより常識人らしい。逆に楓はもっとまともかと思っていたが、全然まともじゃなかった。


「だいじょぶだいじょぶ、戦うわけじゃなくて悪いことするなーって説得しに行くだけだから」


「そっかそっか、なら大丈夫だねー。………………はぁ?」


 うんうんと頷いた後、やっぱり頭が状況に追いついてから間抜けな声を上げた。

 正直乗り込むことより、説得しに行くことのほうが理解し難かった。シエラの説得はまだ分かる。けれどその親玉である魔法使いまで言い包めるのは流石に無理があるだろうと思わざるを得なかった。


「…………マジ?」


 これは楓にではなく、シエラに対する問いかけだった。まさかサラが声をかけてくるとは思っておらず、少しびっくりしてしまう。

 だが楓に聞いたところで返ってくる答えは聞くまでもないだろう。シエラですら、どのような答えが来るのか分かるのだから、仲間であるサラが分からない訳がない。


「……マジ」


 サラは深く溜息をつく。シエラがこういうのだから、楓の強硬は止められないだろう。意外とまともだから苦労人として生きていくんだろうなぁと、敵だったはずのシエラすら思わず同情を禁じえなかった。


「ったく、やっぱ目ぇ離すんじゃなかったなー……」


 ため息をつくサラ。その様子を暫し眺めた後、シエラがおずおずと手を挙げる。


「ん、どしたん?」


「あの、私……治癒魔法使えるから。魔力はあまり残ってないから、全部は治せないけど」


 流石は魔法少女を上回る能力の持ち主と言うべきか、シエラは戦闘外で役に立つ魔法も覚えているらしい。

 だがサラは敵だった少女に治療されるのはあまり素直に喜べないのか、首を横に振った。


「あたしはまだアンタのこと、信用してないからねー?」


 サラの対応も間違ってはいないだろう。二人の戦いを見ていた訳でもないし、完全に信用するには敵対していた時間があまりに長すぎる。が、そんな態度を楓が許す筈もなく。


「…………サラ?」


 言いたいことは分かる。分かるがそれとこれとは話が別だ。明らかに怒りを含んだ声音に反対意見をあげようとするが、気落ちしているシエラを見て少し考えた後。


「…………分かった、分かりましたよー。あたしもお願いしますー」


 シエラが地面に展開した魔法陣は、柔らかな光を放ち二人を包み込んだ。

 と、溜息をついたところでサラは楓の戦闘装束の変化に気付く。他の魔法少女ならともかく、同じ魔法の使用者であるサラがその可能性に気がつかないはずがなかった。


「…………ていうかセンパイー?」


 明らかに怒っていた。思わず楓は顔を引き攣らせ、一歩後ろに下がる。


「それ、どこで教えてもらったんですかー? アイテム屋ですよねー? そんなこと出来るのあいつぐらいですもんねー? あたしがなんて言ったか覚えてますかー? 覚えてないですよねー? 覚えてたらそんなことしないですもんねー?」


「怖い怖い怖い怖い! そうや、アイテム屋さんが教えてくれたんや! 文句あるか!?」


 逆ギレして押し返そうとしたが、今のサラにそんな手は通用しなかった。


「ないとおもいますかー? あたしはセンパイが休むために頑張ったんですけどー? 休むどころか死にかけるってどういう神経してるんですかー? 冗談でも笑えませんよねー?」


「…………で、でもサラだって入院するぐらい無理して」


「あたしはいいんですー。センパイより強いしー」


「そういう問題じゃ」


「約束破ったのはセンパイですよねー?」


「…………はい、ごめんなさい」


 楓の謝罪にサラは溜息をつくと、小さく笑顔を浮かべた。どのような状況であれ勝てば嬉しいらしい。

 そういえばと、楓は辺りを見回す。確か戦闘開始前はいたはずなのだが。


「あれ、アイテム屋さんいなくなっとるなぁ……」


「あいついたのかー……まあ神出鬼没だしねー」


 戦い始める前は確かにいたのだが、いつの間にか影も形もなくなってしまっていた。アイテム屋の性格を考えれば特段変わったことではないのだが、魔法使いを倒せと言い楓がシエラに勝った後乗り込むことまで予想しておきながら、その後を見届けない事には違和感があった。


「あの、アイテム屋さんって……?」


「んー……なんかよくわからんけど、多分いい人」


 楓からすれば勝利に至る要因を作ってくれた人物である。その裏にどのような意図があったかどうかは知らないが、悪い人といい切れるような立場ではなかった。しかしそんな楓を、サラは訝しむような目で見る。


「…………いや、どうだろうねー? あたし的には詐欺師にしか見えないけどなー?」


 今回の件だってそうだ。輝纏潜行の危険性を理解していたからこそ、サラはその真実を楓に告げなかった。知れば間違いなく使おうとすると知っていたからだ。

 だがサラの知らないところで、アイテム屋は楓に輝纏潜行を教え、あまつさえ使えるようにまで仕立て上げてしまった。再び怒りがふつふつと湧き上がってくる。


「ご、ごめんなほんと。言おうか迷ったんやけど、その……うん。言ったら絶対止められると思ったから黙ってました。ごめんなさい」


「……ま、遅かれ早かれってやつだよねー。いつかはバレてただろうし、バレたらセンパイは絶対輝纏潜行使いたいがるだろうし……許すよ。ただし今回だけはねー」



 先程まで大きく見えていた楓が、今ではすっかり小さくなっていた。命を賭けた殴り合いをしているときと比べれば微笑ましいことこの上ないが、ここでシエラの中で一つ疑問が生じた。


「……あれ、どっちが年上?」


 思わず口を出た疑問にサラと楓の動きが止まり、そして次の瞬間サラは爆笑し楓は更に縮こまってしまった。


「う、うちだけど……やめて!! 笑わんといてお願いだからっ!! 魔法使いさんの前じゃちゃんとやるから!! あーもうほんと調子狂うわぁ……」


 咳き込むぐらい笑い倒したサラは、呼吸を整えようとして何故かもう一度ツボにはまり、結局収まるまで五分程の時間を要した。楓は耳まで真っ赤に染め上げていたが、自業自得だと受け入れることにしたらしい。いや、何度か止めようとしたけど意味がなかっただけなのだが。


「はぁ……ふぅ……あーつかれたー」


「ブチのめしたいぃ……こほん! サラが落ち着いたところで、いい加減話進めよ。まあ作戦とかないんやけど。シエラ、魔法使いさんのいるところにはどうやって行くん?」


 楓の問に、シエラは行動で答えた。三人の中心に展開される一つの魔法陣、潜行に似た形式の術式である。本来守護眷属を倒した場合にのみ出現するものだが、シエラが帰る際にも使用するため守護眷属は自在に展開することが出来る。


「魔法使いがいるのは、深界のもっと奥……この魔法陣を使えば、そこへ潜る事が出来る」


 楓は魔法陣を覗き込む。勿論向こう側が見える訳ではないが、ここ一ヶ月はこの先へ行くために努力を続けてきた。それがようやく実ると思うと、一層身が引き締まる気分である。

 そんな楓をよそに、やはりサラはまだこのまま魔法使いのところへ乗り込むことに抵抗があるらしく、微妙な表情を浮かべていた。当然といえば当然だろう、普通に考えれば満身創痍の状態で万全の魔法使いに挑もうとは思わない。


「…………ねー、本当に行くの?」


「ん、勿論。サラは待っててええよ? その怪我やしなぁ」


「……まさか。ちょうど暇してたし、手柄逃したからラッキーって感じだよ」


 それが嘘であることは明らかだったが、こうなった以上楓は一人でも行くつもりだろう。だったらせめて自分がついていくことで、少しでも勝率を上げたい――――楓は説得するつもりだが、サラは違った。

 楓が甘っちょろい考えを捨てられなかったら、その時は自分が――――そのために、ついてくのだ。


「だと思った。それじゃあ治療が終わったらさっさと行こかー」

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