第十三話 佐々木楓と黄金の衣
速い。硬い。烈しい。戦力的優位に立っているはずの少女は、焦りを隠しきれずにいた。『第一煌装』を起動しているはずなのに、何故この女は自分の動きについてこれるのだろうか。
『第一煌装』。牡牛座の魔法使いの名を持つハマルが直々に組み上げた固有魔法であり、眷属の中でもとりわけ質の高い守護眷属である少女だけが適正を得ることが出来た最強の魔法。
固有魔法とは得敵の適性を持つ者のみに合わせて構築された魔法であり、使用者が極端に限定される魔法を指す。逆に多くの者が適正を持つ魔法を汎用魔法と呼び、サラや少女の使用していた防御魔法や少女が得意とする砲撃魔法などが汎用魔法とされ、適性が必要なことに変わりはないものの固有魔法と比べれば多くの魔法少女や魔法使いが使用出来る。
ハマルが組み上げた固有魔法は本来ハマルのみが使用出来るよう設計されているが、少女は二度の再構築により細胞単位で組み替えられている為例外中の例外と言えるだろう。
その効果は基本的な身体能力の恒常と肉体そのものの強化を基本としている。特に肉体の強度は起動前と比べても驚異的な向上を見せており、並の魔法少女であれば棒立ちしていても少女に傷一つつけることは出来ないだろう。
加えて魔法の最大の欠点と言える術式展開という工程の超高速化。これに関してはハマル及び少女が日常的に活用するものに限られるが、この効果により高速戦闘に砲撃魔法などの時間を要する魔法が容易に投入出来るようになる。
更に第一と名にあることからもう一段階の開放が残されているのは明白であり、そこらの魔法少女が束になったとて相手になるはずがない――――だがそんな甘い認識を、少女は既に捨てていた。
「なん、で……ッ!!」
身体に流れていた魔力が少女の外装へと流れる事により、金色に染まっていた髪が黒へと戻る。この魔法はあくまで衣、即ち装備を強化する魔法である。黒の外套とその内側に着込んだ軍服を模した戦闘装束は魔力の影響で金色へと変化し、纏っている少女の能力を限界にまで引き上げる。
少女が繰り出す連撃は平均的な魔法少女であればまず捉える事すら出来ず、掠っただけでも重傷は免れない程度の威力を持つ。直撃すれば一撃で強制的に元の世界に弾かれるか、当たりどころが悪ければ使い魔が死亡し二度と魔法少女に変身することさえ叶わなくなるだろう。
しかし目の前の相手は、戦闘開始から今まで少女の前に立ち続けていた。少女の攻撃をいなし、躱し、或いは受け止め、それでも倒れることなく拳を振るおうとしていた。
はっきり言って、これは異常事態である。歴戦の魔法少女であれば、まだ理解も出来ただろう。例えばあの変人、サラ・クレシェンドが同じことをしていたならば少女もまだ納得したはずだ。
彼女は少女から見て性格は最低だが、その実力は悔しいことに認めざるをえない。口を開けば煽りを入れてくる部分に目を瞑れば、魔法分野に於いては少女に劣っているものの、それを補って余りある戦闘技術を持ち合わせている。
武器だけではなく魔法の使い方も含めて、やり方が巧みなのだ。熟練の技術は一朝一夕で身につくものではなく、彼女が少女よりも長い時間をこの世界に費やしてきたであろうことが立ち振舞いから見て取れる。
彼女はこの街で最も優れた魔法少女だった。少なくとも少女が知る限りでは、サラ・クレシェンドより戦い方が上手い魔法少女はこの街にはいなかった。純粋な強さという意味では、また話も変わってくるが――――。
だが目の前の女は違う。佐々木楓は魔法少女歴も浅く、戦い方も単純極まりない。
確かに彼女の打撃には目を見張るものがあった。実際に食らった時は驚きを隠せなかったし、その焦りから思わず出すつもりのない全力を出しかけてしまった。
だが所詮はそれだけだ。奥の手として温存しているのか知らないがここまで一度も魔法を使用せず、仮に本当に隠しているだけだったとしても少女に通用する魔法など限られてくる。そしてそれを魔法少女になったばかりの彼女が有しているとは思えず、持っていたとして使いこなせるとも思えない。
戦う度に動きは良くなっていたが、それでも負けるわけがないと確信していた。なのに――――なんだ、これは。
「あー、痛いなぁ……っ!!」
楓の攻撃はまだ一度も通っていなかった。少女の攻撃は何度か直撃し、掠る程度であれば数え切れない回数を成功させている。ダメージは着実に通しているはずなのに、楓が怯む様子は一切見られなかった。
『輝纏潜行』。自分の肉体を直接深界へ潜行させることで、肉体の性能を引き上げる魔法――――なんて馬鹿らしい。何度でもやり直せるという魔法少女が唯一自分に勝っている点を、自ら捨ててくるなんて。
死んだら終わりなのに。どうして真っ直ぐに立ち向かってこれるのだろうか。分からない。そんな必要、どこにもありはしないのに。
しかし輝纏潜行は決して無意味とは言い切れなかった。リスク相応の能力向上に加え、輝纏潜行によってある意味対等の条件に立ったことにより楓は精神的に吹っ切れることが出来たからだ。
強化の反動で少しでも気を緩めれば身体が震え、そのまま弾け飛んでしまうのではないかという錯覚すら覚える。おそらくアイテム屋のトレーニングを行わなければ、本当に耐え切れずにそのまま身体が壊れてしまっていただろう。
だが輝纏潜行によって高められた身体能力により、楓は少女と正面から渡り合うことが出来るようになっていた。
押されてはいるが、そんなのは承知の上だ。そう簡単に勝てる相手だなんて、端から思ってはいない。
「来ないでよっ、もう消えて……――――っ!!」
腹部へ迫る拳。腕を交差させ直接当たることはなかったが、あまりの高威力に楓の身体が浮き上がる。既視感が迫ってきた時には既に遅く、無防備に空中に投げ出された身体に向けて蹴りが放たれた。
前はこの連撃を前に、為す術もなく敗れ去った。痛みと共に思考が訴えてくる。このままで良いのか、この前と同じでいいのか、次は負ければ死ぬぞ、と。
良いわけがないだろう。勝つために来た。その為にリスクを背負った。ただで終わるわけにはいかない。このまま負けて終わるわけにはいかない――――次いで飛んでくる蹴りの間に右腕を割り込ませ、強引に蹴撃を防ぐ。
「なっ――――」
それでも身体は弾き飛ばされた。右腕に走る痛みは形容し難く、恐らくは今の一撃で骨が折れてしまったのだろう。だが吹っ飛ばされてなお、楓が姿勢を崩すことはなかった。
次にどう来るかは分からないが、これが少女の必勝コンボであるならば――――いつの間にか楓の上に位置取り、踵落としを繰り出そうとしたその瞬間、楓は身体を捻り少女の戦闘装束を鷲掴みにする。
そして腕力に任せて強引に地面へ向けて叩き付け、間髪入れずに空いているもう片方の手で殴りかかるが――――
「外したっ……!?」
地面を砕き、瓦礫を巻き上げ、砂埃が視界を潰す。拳に伝わる感触から察するに、視界に頼るまでもなく外したことを確信した。
今のが当たっていれば、少女とてただでは済まなかっただろう。だが外した攻撃に悔いている時間はない。砂埃が唐突に輝き始め、圧縮された閃光が楓へ向けて放出される。
少女が得意とする砲撃魔法だろう。楓は咄嗟に半歩身体をずらし回避したが、右の二の腕部分が僅かに砲撃によって焼かれてしまう。激痛のあまり感覚が一時的に失せ、次第に耐え難い疼痛が襲い掛かってきた――――歯を食いしばり、第二波に備える。
「っ――――!!」
視界を覆っていた煙を突き破り、少女が飛び掛かってきた。遠くから砲撃を撃ち続けたほうが有利なはずであり、普通ならそうするだろうと踏んでいた楓は思わず目を見開く。
少女の左拳の前に輝く球体、それが〝砲弾〟であると気がついた時には、身体はもう動き始めていた。
ゼロ距離で撃てば、たしかに命中率は格段に上がるだろう。そしてそれは常時術式展開を高速化している今だからこそ使える技――――飛来した少女は、そのまま拳を振るうと同時に砲弾を放つ。
「いっ…………!?」
利き腕の右は既に複数回もの攻撃を受け負傷を抱えており、打撃を繰り出そうとするだけで激しい苦痛が伴う。
楓は砲撃が自身に直撃するルートを先読みし、拳を振るおうとした。しかし痛みにより拳は逸れ、自分の想定していた場所とは僅かに違うところへ飛んでいき――――そして砲撃と直撃する。
音が消え、世界が瞬き、衝撃が全身を打ち付ける。それが砲撃と楓の拳が激突し、炸裂した際に生じた衝撃波によるのものだと理解したのは、十数メートル弾き飛ばされ地面を転がった後のことだった。
幸いにして拳自体はなんとか無事だ。まだ撃てる。そう心のなかで呟き、痛みに震える身体を叱咤し立ち上がった。
「なに、今の……どうやって、私の砲撃を……」
同じく衝撃波によって弾き飛ばされたらしい少女が、疑問を拭いきれないまま楓を睨み、ゆっくりと構え直していた。
砲撃は熱と光の塊だ。直撃すれば熱傷は免れないはずであり、楓の利き腕は今の一撃で間違いなく潰したはずだった。
だが楓の右腕は今も健在で、しっかりと力強く握り締められている。どうして、何故――――いや、少女の動体視力は、先の光景を完全に捉え切っていた。ただ理解は出来ても、納得が出来なかっただけだ。
砲撃は楓の拳が直撃するよりも前に、強い衝撃を受け炸裂していた。それはつまり――――
「〝拳圧〟。ぶん殴ったときに出る衝撃で、先にその砲撃とやらを潰させてもらっただけや」
「そんな馬鹿な話…………っ」
「でもそれでなんとかなっちゃってる以上、受け入れるしかないんやない? ていうか君、今わざと直撃しないように狙ったでしょ」
「…………」
「ま、いいけどね……手加減して勝てるなら勝ってみぃ――――直撃しようが、立ち上がってやるから」
大方直撃すれば死ぬだろうから、わざと掠らせて脅し、撤退に追い込もうとしていたのだろう。だが楓は今日命を賭けてこの戦いに臨んでいる。砲撃が掠った程度で、引くつもりは毛頭なかった。
楓の気迫に押されたのか、少女が僅かにたじろいだ。そしてそのことに自分自身気が付き、歯を軋ませ、楓を強く睨みつける――――だったらやってやると決めたのだろうか。
気付いた時には、楓の目の前に極大の砲撃が迫ってきていた。流石にこれを拳圧で弾くには骨が折れる。それより回避し次に繋げる方が隙は少ないだろう。僅かな時間で判断を下し、横へ跳んだ。
底まではまだ良かった。いや、この時点でもう相手を過小評価し読み負けていたのかもしれない。光の塊が通り過ぎた時、少女は楓の直ぐ側にまで接近していた――――砲撃の光に紛れ、近づいてきていたのである。
以前楓が使った戦法だが、まさか相手が同じ手を使ってくるなんて想定していなかった。驚いている時間もなく、少女が拳と共に放つ砲撃魔法に向けて拳圧を放つ。拳の威力により軌道がずれた砲撃は楓の真横の地面を焼き、赤熱させていた――――そして二撃、三撃、四撃と全ての砲弾を弾きながら、少しずつ距離を詰め、間合いへと入り込んだ瞬間楓の拳が空気を引き千切りながら少女へ向けて撃ち出された。
重爆撃のような音と共に突き進むそれは、直撃することなく少女の顔の真横を通り抜けていく。僅かに遅れてやってくる衝撃の存在に気がついた少女は咄嗟に防御を張るも、衝撃を殺しきれずに防御魔法ごと後ろへ押し返された。
「…………っ!?」
直撃もしていないのに、発生した衝撃波だけで後ろに引き摺られた。そんなことがあっていいのか。
理解の追いつかない少女に追い打ちをかけるように、楓は防御魔法へ向けて拳を叩き込む。耐え切れず防御は瓦解し、防御魔法によって拡散された衝撃は少女の全身を打ち付け後方へと吹き飛ばす。
そして止まることなくビルに叩き付けられ、地面に崩れ落ちた。それらの痛みは大したことなかったものの、恐怖が少女の心を蝕み始めていた。
本来であれば少女のほうが数段上の実力を持っている。だが砲弾は弾かれ、防御は砕かれ、そして拳撃の威力を間接的にだが体感してしまった。
勝てない。負ける。そしてそれは少女にとって居場所の喪失であり、同時に死を意味した――――嫌だ、それだけ絶対に。
かつて家族を失い、何もかもを亡くした少女にとって、何かを失くすということは何よりも恐れるべき事態だった。
自分と対等に戦うために命を賭けてくれた楓。彼女が正々堂々とした真っ直ぐな精神性の持ち主であり、悪い人間でないことは理解出来る。だからこそこれは使わないつもりでいたし、使わずとも終わらせることが出来ると思っていた。
だがそんな意志は、楓の一撃によって崩れつつあった。彼女が怖い。自分のすべてを奪おうとしているあの魔法少女が怖くてたまらない。でも助けてくれる人なんてどこにもない。自分の力でどうにかする以外、生き残る道はない。だから――――
「『
更なる輝きを纏い、戦闘は最終局面へと駒を進める。
「完全、開放………っ!!」
固有魔法『煌装』の第二段階、『黄金の衣』。少女が纏う金色の粒子は、サラ・クレシェンドとの戦いにおいて彼女が最後に見せたそれと全く同じである。
その効果は最強の防御であり完全なる拒絶――――遍く総てを遮断する絶対防御、『全反射』こそがハマルの固有魔法の真の性質だった。
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