第十一話 佐々木楓と憐憫の商人

 彼女――――アイテム屋と初めて出会ったのは、守護眷属の少女に初めてダメージを与え、その上で完膚なきまでに敗北した時のことである。

 立ち上がる気力さえ奪われ、先にサラを帰した後も地面に寝っ転がっていると、彼女は実に軽やかな足取りで現れ、いつの間にか楓を見下ろしていた。


「――――お困りのようだね?」


「…………んん?」


 緩やかなウェーブを描くブロンドの髪に、造り物めいた整い過ぎている顔立ち。表情は嗤ってこそいたが、目の奥にある怪しげな輝きには楓もぼんやりと気がついていた。

 アイテム屋は胡散臭いから近寄るな。詳しくは教えてくれなかったが、サラの言いたかったことはなんとなく理解できた。確実に腹の奥に得体の知れない何かを抱えているにも関わらず、それを隠そうともせず臆面もなく露わにしている――――それで問題ないと、彼女は判断しているらしい。


「……ええと、アイテム屋さん?」


 楓の問いかけに、アイテム屋はわざとらしく驚くような表情を作ってみせた。それが演技であることは明白で、その所作が癇に障る人間もいることだろう。楓はなんとも思わなかったが。


「驚いた。まさか既に私のことを知っているとはねぇ。その通り、私が噂のアイテム屋さんさ」


 この街の魔法少女を殆ど倒したというサラが、唯一倒すことの出来なかった人物。どのような怪傑かと思っていたが、ひと目見てなんとなくサラが倒せなかったことに納得がいったような気がした。

 できれば彼女は敵に回したくない。理屈はわからないが、本能的な部分がそう訴えかけてくるような気がしてならないのである――――戦えば最後、勝とうが負けようが関係なく全てを台無しにされるような、正体不明の感覚。

 サラの強さが鋭い刃であるとするならば、アイテム屋の強さは開けるまでなにが入っているのかわからないブラックボックスのようなものなのだろう。形容し難い不明さ、表情から芝居がかった仕草まで読ませないことで不安を煽っているのである。

 とはいえ楓は彼女がどのような人間かすら知らない為、警戒こそすれど敵対するつもりは今のところなかった。サラから関わるなと言われていたが、こうなってしまった以上は仕方がない。


「それで、そのアイテム屋さんがうちになんか用ですか?」


 あえて自己紹介は省略した。おそらくこの戦いはおろか、もっと前から見られていたのだろうと感覚的に察したからである。そして機を見計らい、彼女は接触を図ってきた。

 サラが消えた後に来る辺り、サラから警戒されていることも承知の上でだ。それらを踏まえればアイテム屋に何らかの思惑があることは間違いなく、詳細はともかくとして佐々木楓という人間の情報がある程度彼女に割れているのは明らかだろう。

 楓の問いかけに、アイテム屋は機嫌よく頷いた。面倒な駆け引きは御免だという楓の意図が伝わったのか、実に楽しそうに鼻歌交じりに近くの瓦礫に腰を掛けるとこれまた上機嫌に口を開く。


「聞いていなかったかな? 私が初めになんていったか――――まあ君が悩みを抱えているのは今に始まったことではないんだろうけどね? 無闇矢鱈に暴れまわってた人がいきなり黙り込んで空を眺め始めたんだ、心配にもなるってものさ」


「え……あー、うちの修行見てたんやね」


 アイテム屋が言っているのは、サラに秘密で行っていた戦闘終了後の自主練習のことだろう。別に無闇矢鱈に暴れまわっているつもりはなかったが、傍から見ればそのように映ったかもしれない。実際効率のいい練習法なんて知らないから、とにかく走り回ってみたりパンチの練習をこっちでやってみたりと一通りやってみたのである。言われてみれば、完全にただ暴れまわっているだけである。


「その通り。迷える子羊にこの私が手を差し伸べようというわけさ。それに私は御存知の通りアイテム屋、物を売って生計を立てる商人なんだ。けれど困ったことに、どうしてかこの世界には物を売る相手がいなくなってしまった。どうしてだろうね? これじゃ商売上がったり、困っている人を助けることを日々の糧として生きている私としても、相手がいなかったらただの木偶でしかない――――そんなところに、都合よく君が現れた」


 この街の魔法少女を相手に商売していたのに、その客を全てサラが倒してしまった。だから新しい客として楓を確保したい。それだけ聞けば意図は理解できるが、アイテム屋は肝心なところを見落としていると言わざるをえない。


「そんなん言うても、うちお金今持ってないですよ?」


 この世界における通貨がどのようなものなのかは知らなかったが、一つ言えることは楓がそれを所持していないということである。

 商人であると自称し物を売る以上、それに見合った対価を支払ってもらわねば商売としては成立しない。だがアイテム屋が何を取り扱っていようと、楓には支払い能力がないのだからどう取り繕っても客には成り得ない。

 だがそんな事は承知の上だと言わんばかりに、アイテム屋は表情を崩さない。むしろその答えを待っていたような様子だった。


「お金なんていらないさ。この世界じゃ大きな意味を持たないからね。では私がなにを受け取り、君になにを与えるか――――私はなんでも好きなものを与えてあげるし、どのような形であれ必要な分を取り立てる。勿論等価とは言わないけれど、釣り合わない対価を要求するつもりもない」


 内容を暈されているのものの、言いたいことはわかった。しかし楓が答えてほしいことにまだ答えてもらっていない。会話は完全にアイテム屋のペースで、それを覆すほどの気力も楓にはなかった。


「さて、それでは肝心の取引内容を話していこう。私から君に与えるのは『牡羊座の魔法使いを倒すための全面的なバックアップ』、その対価として私は君に『魔法使いを倒して欲しい』。どうだろうか?」


「…………はぁ」


 呆れたような、疑っているような、なんとも言えない声が漏れた。それもそうだろう、アイテム屋が提示した条件は楓に有利過ぎるからである。

 アイテム屋に要求されるまでもなく、楓は最初から魔法使いを倒すために動いている。アイテム屋の条件を鵜呑みにするのであれば、楓はなんら方針を変更するわけでもなく、ただ新しい後援者を得るだけだ。アイテム屋の胡散臭さを考えれば、その条件が怪しすぎるのは言うまでもないだろう。


「おや、思ったより反応が芳しくないな。ここは諸手を挙げて喜び狂うところなんだけれど……。何故だろう、もしかして私を疑っているのかな? だとしたらそれこそおかしな話だよ。私とて魔法少女の一人、たとえ商売なんて回りくどいやり方を選んでいたとしても、その根本にある目的はあくまで魔法使いの打倒にある。とはいえ私は直接的な戦闘は趣味じゃなくてね、そういうのは君のような強いのに任せるのが一番だと考えているのさ。詰まるところ適材適所ってやつだよ」


 言葉だけを見れば何も間違っていないのに、いまいち信用出来ないのは何故だろうか。疑念は晴れず、されどアイテム屋の舌は依然としてよく回る。


「サラ・クレシェンドにこの話を持ちかけなかったのは、彼女が私のことを快く思っていないからさ。私としては彼女とも仲良くしていきたいと考えているんだけれどね? どうにも理由は分からないが嫌われてしまっていて、私としても困っていたのさ。サラ・クレシェンド一人じゃあの守護眷属を突破出来たとして、魔法使いを倒すには些か不足している――――結局のところ、君が強くなる以外に現状を突破する方法はないということなんだけれど」


「……そんなことは、うちも分かってます」


「そう、勿論君は理解している。さて、それじゃあ次の問題だ。強くなるにはどうすればいいでしょう。魔法は使えない。使い魔にも記憶がない。敵との間に横たわる実力差という壁は遥かに高く、交戦を重ねたところで得られる経験は逃走と回避のみ。君に無限の時間があるという前提であればいずれはその差が埋まる可能性もゼロではないと思うけれど、生憎とそんなモノを持ち合わせている人間は此の世に一人とていない――――で? どうするつもりなのか、よければこのアイテム屋に御教示願いたいところだね」


「それは、その…………」


 今のところ無策なのは、紛れもない事実だった。責め立てるような言葉遣いではなく、彼女はただ事実を述べているに過ぎない。会ったばかりのあなたに教える義理はないと切って捨てるのは容易かもしれないが、それは同時に彼女が持っている可能性のある解決策をも捨てる危険性を秘めている。

 言い返せず、切り捨てることも出来ず、珍しく黙りこくるしかなかった楓の様子を見るとアイテム屋は酷く愉快だと言わんばかりに嗤った――――そして懐から、何かを取り出す。


「うん、私好みのいい反応をしてくれたところで、遊ぶのもここまでにしておこうか。そうだね、先程の言葉は全てが紛れもない事実だとして、残念ながら私は君に無条件で信じてもらえる程の信用や信頼を築き上げていない。今のところただの如何わしい上によく喋るだけの美少女に過ぎないというのは、私自身よく理解している。そこで信用を得るためにまず一つ――――これをサービスするとしよう」


 大の字に横たわる楓に、アイテム屋がなにかを放り投げた。星色の結晶体、『夜の雫』に似たなにかである。それは楓の身体に触れると柔らかな光を放ち、やがて光は身体を包み込むように広がっていった。春の陽気な昼下がりのような暖かさに、心地よささえ感じていると――――体を蝕んでいた負傷が、いつの間にか消えている事に気がついた。

 身体を起こし、それから自分の身体を見下ろして、最後にその様子を楽しげに眺めるアイテム屋へと視線を移す。


「それは私が夜の雫を元に造ったものだよ。効果は見ての通り、使い過ぎは禁物かな――――とはいえ使い過ぎることが出来るほどの量が手元にある訳ではないんだけれど。普段は夜の雫を対価にアイテムと交換を行っていたんだよ。アイテムの提供は基本的に夜の雫と交換だけど、私が君に提供したいのは物じゃあない。強くなれるアイテムなんて都合のいいものも勿論私は用意しているけれど、効果は一時的な上に見合わない副作用もある。じゃあ私が君になにを提供するのかというと、簡単に言えば情報さ。そうだな、君が欲しい情報といえば……」


 そんなことまで把握しているのかと――――いや、それも今更か。


「強くなる方法は勿論として――――何故サラ・クレシェンドは魔法少女として受けたダメージを現実にまで引き継いでいるのか。後は守護眷属として立ちはだかるあの少女は眷属らしからぬ存在だが、彼女には一体どのような秘密があるのか。君自身が抱える悩みも含めて、解決の手助けを手伝おうじゃないか――――どうかな?」


 サラを立てるのであれば、彼女の言葉に乗るべきではないだろう。アイテム屋が怪しいのは事実であり、はっきり言えば回復してもらった今も信用は出来ていない。むしろそこまでして楓を引き込みたい理由があるのではないかと勘繰ってしまい、疑いは増したと言ってもいいだろう。

 一方で、彼女の条件を飲めば短期的な解決が可能であることも理解は出来た。信用できるできないはともかくとして、アイテム屋が握っている情報に価値があることは間違いない。ここで彼女とある程度関係を築いておくのも決して悪くないだろう――――無論利用されるのを踏まえた上でだが。

 だがその関係はサラとの信用と引き換えになる危険性も秘めている。優先度で言えば当然サラのほうが上なのは比べるまでもなく、とどのつまり思考は堂々巡りを迎えたわけだった。

 そんな楓の心中を察したのか、それともこうなることは最初から分かっていたのか、アイテム屋は相も変わらず笑いながら告げた。


「ま、返事はすぐにとは言わないさ。それじゃあもう一つだけサービスとしてアドバイスをプレゼントしよう。魔法少女だろうがなんだろうが結局肉体を動かすのは君自身、であれば現実の君が肉体の動かし方をより深く理解していれば魔法少女としても戦いやすくなるかもしれないね?」




 アイテム屋のアドバイスは要するに身体を鍛えろ、ということだった。走り込みを含めた簡単なトレーニングを始めてみることにした楓だったが、たった数日でその効果に舌を巻くこととなる。

 馴染んできてはいたものの、やはり何処か浮遊感が拭えなかった魔法少女の肉体。高すぎる身体能力に振り回されていただけだったが、トレーニングを始めてからは言うことを聞くようになりつつあった。

 それでもまだ完全に制御しきれているとは言い難かったが、トレーニングを続ければこの力を物にできるであろう確信も生まれてきていた――――だがそれでも、何かが足りない。

 少女との差を埋める決定的なもの、トレーニングによって得られた成長では全く足りていないのだ。

 時間が、実感が、戦力が、その何もかもが欠如している。トレーニングによって間違いなく身体は動かしやすくなったが、これが決定打に成り得ない事もまた数日で理解出来てしまった。

 これ以上どうすればいい? 悩んだところで答えは出ない。頭のなかにないものを捻り出そうとしているのだ、答えが出てこないのも当然の摂理だろう。

 そしてどうすればいいかを考える必要などなかった。何故ならトレーニングによる成長と限界を理解した時点で、どうすればいいかなど答えを知っていたからだ。

 裏切りと引き換えに力を得て、それで自分は満足できるのか。そうして得た力を、躊躇いなく振るうことが出来るのか。葛藤は消えず、完全な答えも導き出せない。そんなものはないと分かっていても、聖人足ろうとしてしまうのは決して間違いではないだろう。

 間違いではないのかもしれないが、そうしてどっち付かずの態度を取り続け得るであろう敗北を前に、自分は納得できるのか――――やはり答えは、最初から分かっていたのだ。


 あの日、少女に話しかけてしまったあの時、楓の心積もりは決まっていた。

 感情がないなんて嘘だ。人形だなんて信じない。造られた生命だったとしても、彼女には確かな意思がある――――それを助けたいと思うのが、ただの傲慢だったとしても。

 そうしなければ、きっと一生その後悔を抱えて生きていくことになるだろう。

 勝ちたいのではない、勝たなければならないのだ。あらゆる手を行使し、策を弄し、尽くせる限りの方法を尽くし正面から打ち破る。

 あくまで殺すのではなく、倒した上で魔法使いにまで辿り着く。あれだけの強者を相手にそれがどれだけ難しいかは考えたくもなかったが、そうと決めた以上きっと他の方法で自分が納得しないことなどわかりきっていた。

 なにより思い悩んでいた楓の背中を押したのは、他でもないサラだった。魔法少女の戦闘の他にトレーニングまで始めたため、楓の体力は限界を迎えつつあった。本人は限界を迎えようが越えようが無視するつもりだったが、サラの言葉を無視するわけにもいかず、言い返すことも出来なかった。

 あの時、サラは楓が悩んでいることに気がついていた。解決してこい、そして勝とうと――――その解決法を得ることがサラへの裏切りに繋がるとしても、勝たなければ何も始まらない。

 休みをくれたのに、休んでなくてごめん。忠告を無視することになってごめん。何も話さなくてごめん。全部、全部終わったらちゃんと謝る。だけど今は――――


「アイテム屋さん、うちと取引しよう」


 そう来ると分かっていたと言わんばかりの傲岸不遜さと、気が遠くなるほど待ち侘びたとでも言うかのような愉悦を滲ませ、彼女は頷いた。

 そして一週間という少女との差を埋めるにはあまりに短く、楓にとっては地獄のように長い修業が幕を開けたのだった。

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