第十話 佐々木楓と灰色世界の決戦

 一体何があったのかなんて聞いたら、きっと彼女はこう答えただろう。ちょっと転んだだけ、だなんて。

 意識が戻らない程の怪我を負っているのだ、それが嘘だなんてことは楓にだって分かる。どうして連絡しなかったのか、それが考えるだけ野暮だったとしてもそう思わずにはいられない。


「…………サラ」


 楓は今街で一番大きな総合病院の一室の前にいた。その部屋は所謂集中治療室と呼ばれる場所で、患者の中でも緊急性を要し、通常の設備では生命の維持が難しい患者などがこの部屋に入ることになる。

 休みを言い渡されてからちょうど一週間、いつも通り学校へ行った楓は帰りにサラの教室へ寄ったところで彼女が入院していることを知った。事故か事件かは不明だが、大怪我をして昨夜病院に運び込まれたのだという。

 幸いクラスメイトが入院した病院を知っていたため、楓はそのまま学校を飛び出し病院へと向かった。しかし集中治療室に入っている患者の面会は家族以外基本的に許されていないらしく、楓はサラの顔を見ることさえ出来ずに部屋の前で立ち尽くすこととなってしまったのである。


『……楓、大丈夫か?』


 心境が穏やかではないのは事実だった。サラの怪我の原因が現実での事故や事件でないことを、今の楓は知ってしまっていた。それについてもサラには謝らなければならなかったが、今はそれすら叶いそうにない。


「うん。サラなら大丈夫だと思うから」


 根拠はなかった。自分がそう思いたいだけかもしれない。けれど今の楓に出来ることはなく、あるとすれば信じることだけ――――それでも不思議と、動揺はなく混乱することもなかった。

 しかしながら信じてただ待つというのは、正直言って性に合わない。手土産の一つでも用意して待っておくべきだろう。もしサラが起きていたならば、一人で行くのは危ないから駄目だなんて止めたのかもしれないけれど。

 今、楓の無理を止めるべき人間はいない。


 楓は病院を出ると、帰路についた。日が落ちるまであと少し、どことなく気分が落ち着かないためコンビニに寄ってアイスを購入する。

 そう言えば始まりのあの夜も、確かアイスを買いに行ったのがある意味原因だった。あれからまだ一ヶ月も経っていないというのだから驚きだ。

 包装をゴミ箱へ放ると、バニラ味のアイスバーを口に運んだ。慣れ親しんだ味に気分も僅かにだが落ち着いてくる。どうしても浮ついてしまうのは、自分でも気付かない内に緊張しているからだろうか。


「ただいまー」


 父も母も店に出ている為家にはいない。そのまままっすぐ自分の部屋に向かうと、中には神妙な表情を浮かべたアルドが待ってくれていた。犬にもちゃんと表情があるということは、アルドと生活し始めて知ったことの一つである。


「おかえり」


 鞄を下ろすと、ポケットに突っ込んでいた携帯を取り出す。ちょうど日が落ち始めていた。魔導書を開いて確認すると、潜行ダイブの起動可能時間まであと数分はかかるらしい。

 椅子に座ると、右手で頬杖をつきながらあくびを溢した。


「なあ楓。一応聞くけどよ、本当に行くつもりか?」


 一応なんてつける辺り、聞いたところでどういう答えが返ってくるかは分かっていたのだろう。

 楓とてアルドの心中を察せない訳ではない。あくまで理解した上で、こう答えるのだ。


「うん。あんまり待たせるのも悪いからなぁ」


 サラが強いのは今更であり、彼女がたった一人であの世界の戦線を守り抜いてきたのもまた事実だ。その彼女がどうして今になって敗北したのかを考えれば、あの世界に何が待ち受けているのかもなんとなく想像がつく。

 楓が魔法少女業を休業する前の一週間、敵は異様なほどに弱体化していた。あの質と量であれば楓一人でも十分であり、だからこそ楓もおとなしく休むことを了承したのである。

 だがサラが負けたということは、それも罠の一つだった可能性が高い。偶然そうなったということも有り得るが、どちらにせよただ攻撃を凌ぐだけならサラは負けなかったはずだ。

 そんな場所に自分の身を放り込むと考えるのは、はっきり言って自殺行為に等しい。


「……だろうな。だったら俺はついていくだけだ」


 魔法少女の敗北は、使い魔の死に繋がる。それでも彼女のやりたいようにやらせるのが一番だと、アルドはそう確信していた。

 それに最悪の結末を迎えないようサポートするのが使い魔の役目なのだから、主が危険な場所に行こうというのであれば止めるのではなくその危険に対処するのがアルドの仕事だ。

 とはいえ本来使えるはずの魔法が使えない為、大したことは出来ないのだが――――楓が出来ることをやるように、彼もまた出来ることをやるだけである。


「ん、ありがと。じゃあ、そろそろ行こかー」


 慣れた手つきで魔法陣を展開する。立ち上がり、足元まで歩いてきたアルドを抱き上げて、一度だけ深呼吸――――それから一歩を踏み出した。

 一瞬の浮遊感、そして落下に伴い魔力が血潮とともに身体を巡っていく。自分と世界の境界線が曖昧になり、再び己を認識した時には目の前に黒と灰色の世界が広がっていた。

 街の中心えある円形の広場。先の戦闘で中央にあった噴水は壊れており、砕けたオブジェの向こう側には、いつも通り彼女が待ち受けている。


「おー、今日は数多いなぁ」


 眷属の数は明らかに今までよりも多く、視界の端から端まで隙間なく黒で埋め尽くされている。そして違いが数だけではないことに、楓もなんとなく勘付いていた。

 一体一体から感じる魔力量が、今までとは段違いに大きくなっている。質が跳ね上がっており、その上数も揃えてきたというのだから手に負えない。恐らくは今まで温存してきた精鋭なのだろう、それを引っ張り出してきた意味は考えたくもない。

 そしてその中心にいる少女が一番厄介なのは、言うまでもないだろう。普段から魔力量が多すぎるせいか常に溢れ出させているような状態だったが、今日は強引に体の中へそれを抑え込んでいるらしい。お陰で魔力の密度が異常ともいえる程に高まっており、視覚でそれが確認出来てしまう。ぼんやりと輝く黄金の姿は、黒の中にいてより目立つ。


「久しぶり。元気しとった?」


 その軍勢を前にして、楓は悠然と仁王立ちで少女を見据えていた。それどころか以前通り平然と声をかける始末で、少女は問いかけに答えようともしない。


「微妙みたいやねー。そういえばサラが入院しちゃったんやけど、やっぱ原因は君?」


 楓の問いかけに、少女がようやく反応を見せる――――目を丸くしたのだ、そんなことはあり得ないと。

 魔法少女が受けた負傷は、現実の肉体には反映されない。魔法少女を殺したところで死ぬのは使い魔のみで、現実で本人が死ぬなんてことはありえないはず。

 その反応を見て、彼女は何も知らなかったんだなと楓は理解する。まあ知っていてやったのだとしても、別に少女相手に怒りの感情は抱いていないのだけれど。


「そう。まあええよ、死んではいないんやし……今日はね、決着をつけるつもりで来たよ。うちも時間貰って色々準備してきたし、心の整理もつけてきた」


 少女はいつ仕掛けてきてもおかしくない殺気を楓達に叩き付けていたが、それでも動き出そうとはしない。楓の言葉だけは聞き届けるつもりなのか、ただ黙して視線をぶつけてくるのみである。


「この前君を殴ってから、ずっと引っ掛かってた。君は命を賭けてるのに、自分だけがのうのうと安全圏から攻撃して――――そういうやり方は、うちの趣味じゃない。うちは君と対等に戦いたいんだって。本気になった君を、正々堂々倒したい」


「…………」


「その為に教えてもらったんや。対等の条件で、同じ舞台に立って、その上で君との差を埋められる方法――――」


 かつてこの領域には、多くの魔法少女がいた。そしてその殆どが現在は離脱しており、残された魔法少女は残り僅かしかいない。けれど楓やサラ以外にも残っている例外が存在していた。

 先の魔法少女狩りにおいて、サラ・クレシェンドが狩れなかった唯一の例外。どこの勢力にも属さず、サラ曰く眷属を倒す訳でもなく、ただ事態を俯瞰し気紛れに介入する演出家気取りの不快な女――――通称アイテム屋。

 ウェーブのかかったブロンドに灰色の外套、顔の造形は整っているがそこに張り付く表情は常に歪んだ嘲笑の形を取っていた。夜の雫と引き換えに彼女が造り出したアイテムを与えてくれることから、アイテム屋の名で呼ばれている魔法少女である。しかし彼女の詳細を知る者はおらず、余計な手出しをしてくることからサラは彼女を嫌っていた。

 少し離れたビルの屋上から二人を見つめるその影を、楓は気にすることもなく準備運動の要領で体を解し、手を開閉させ感触を確かめながら少女を真っ直ぐに見つめた。


「人間も、所詮はただの動物だよ。だから話し合いだけじゃ解決出来ないこともある――――最後に物を言うのは、これだって。昔近所に住んでたおねえさんが、よくうちに教えてくれたよ」


 後戻りはできないと言われたが、それがどうしたというのだろうか。生きとし生ける物全て等しく生命を賭けて生きているのに、己の生命を賭ける事にどうして躊躇いを持つ必要がある。

 羽虫、微生物、人が取るに足らないとする者達ですら、生存という闘争に己の全てをベットしている。だが生存競争の頂点に立った人間は、そんなことすら忘れてしまっている――――生きることとは命を賭けることなのだと。

 その思考、自らが劣等だと見下す虫にすら劣る。戦い、殺し合い、そして喰らい生き抜く事こそが生きる者の本懐であることを忘れるような生き物に、今を生きる資格はない。

 故に彼女は、躊躇わなかった。


「うちの全部をぶつけても、君には辿り着けないかもしれない。でも全部を賭けないと話にならないから――――賭けるよ、うちの命」


 きつく握り締めた拳。佐々木楓は、決して平和主義者などではない。己の意思を通したいならば、言葉だけで分かり合えないならば、そしてどうしようもない悪を前にした時――――真に必要なのは圧倒的な『暴力』であることを、彼女は幼少より教え込まれていた。

 幸いにして今までの彼女の人生でそれを行使する機会は訪れなかったが、それでもたった一つの研鑽だけは続けていた。即ち最大効率で相手を一撃で倒す『拳撃』の鍛錬である。

 強くて優しくてかっこいい。そんな彼女の憧れだった『おねえさん』は、楓にそれを気紛れに授けたのである。まさかそれを練習し続けるとは、教えた本人も思っていなかっただろう。


「だから始めよう。言葉だけじゃ足りないだろうから、うち達なりの方法で、納得行くまで――――」


 楓の魔力が高まり始める。準備をしてきたというのが伊達ではないこと、そして相手が本気であること。それが痛いぐらいに伝わってきた。

 しかし少女もまた本気だった。自らの命、ひいては居場所がかかっているのだ。負けたら終わる、そんな当然のことが恐ろしく、だからこそ少女は此処に来た。

 肉体の内側で燃え盛る魔力を、これから展開する最強の魔法に全て注ぎ込む――――後はない。だが問題もないだろう。負ければどちらにせよ終わりなのだから。


「――――――――『輝纏潜行フェイタルダイブ』」


 肉体の精度と性能、魔力量を爆発的に向上させるダイブの上位魔法『フェイタルダイブ』。しかし上位魔法などという肩書とは裏腹に、自らの肉体にダメージがフィードバックするという大きすぎるリスクが伴う。

 楓の戦闘衣装から余計な装飾が剥がれていき、手足にバンテージの如く包帯が巻き付いていく。存在そのものがより高次元へ組み上げられ――――この世界に来てからずっと楓を包んでいた浮遊感が、消えた。

 夢の中にいるかのような感覚は失われ、この世界がもう一つの現実であると身体の全感覚が訴えかけてくる。

 悪くない。調子は最高だ。今にも動き出そうとする身体を抑え、ポケットから取り出したヘアゴムで髪をポニーテールに纏める。そんなに長くないから不格好かもしれないが、髪を振り回しながら戦うよりかはマシだろう。


「アルド、準備は?」


『……いらねェよ。俺なんか気にせず、黙って前見てろ』


「ん、ちゃんとついてきてな?」


 そして楓は地を蹴り、灰色の世界を一気に駆け抜ける。その速度は今までの比ではなく、魔法を使っていない状態でこの速度ならばあまりに過剰だとさえ少女は感じた。

 そのまま拳が放たれる。既に回避を行えるだけの時間は残されておらず、咄嗟に防御魔法を展開した――――そして少女は、自分の目を疑う事となる。


「――――……あぁ、ああああああああッ!!」


 少女の周りにいたはずの眷属たちが、衝撃で軒並み吹き飛ばされた。防御の硬さが幸いして少女は無傷だったが、後二、三発でも受ければ間違いなく防御が砕かれる。

 高度な魔法戦において、物量は大きな意味を持たない――――もはやこの眷属たちに一切の価値がないことを、少女は理解する。

 手を抜いている余裕も、様子見をしている暇もない。躊躇う余地もなく、少女は己が持ちうる最強の魔法を展開する。


「『第一煌装アリエスドライブ――――起動ッ!!」


 牡羊座の魔法使いが独自に組み上げた、彼女のみに行使が許される牡羊座の魔法使いの固有魔法『第一煌装』、その第一段階。要求される適正は並の眷属では絶対に持ち得ず、少女が習得できたのもごく最近――――楓に拳を叩き込まれ、再び身体を弄られたあの時の話だ。

 少女の髪色が金から黒へ、戦闘装束は相対的に輝きを強くしていく。負けられない。眼の前にいるのは敵、殺さなければ殺される。脳裏に焼き付いた家族の死が、全てを奪ってでも生きろと己に訴えかけてくるのだ。

 そして世界は震える。拳によって、意思によって――――たとえ全てが砕けようとも、止められる者はもういない。

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