第六話 佐々木楓と本当の気持ち

「こんばんは」


 こうして向き合うのは何度目になるだろうか。すっかり日課となった守護眷属の少女との戦闘、そしてそれが始まる前のほんのひと時の会話――――まあ喋っているのは楓だけなのだが。

 それでも楓が喋っている間、少女は攻撃を仕掛けてこない。戦ってはいるけれど、嫌われているわけではない。そう楓は考えていた。

 本心としては少女のことをもっと知りたいのだが、残念ながら喋れるほどには心を開いてくれてはいない。


「今日こそは勝たせてもらうよ、うん」


 勝算がある訳ではない。少女の強さは異常だ、なにか裏がある可能性がある。そこを突けば或いはというサラの言葉を信じ、こうして交戦回数をひたすらに重ねていたがめぼしい発見は出来ていなかった。

 楓についても、あれから大きな変化は見られていない。少女の動きにだんだんついていけるようにはなってきていたものの、未だに一度も少女に有効打を与えることすら出来ていない始末である。


「あ、そうだ。うちが勝ったら名前教えてくれへん?」


 少女は答えない。ただ無言で、楓を真っ直ぐに見つめている。楓は視線を逸らすことなく、相も変わらず友人に声をかけるように親しげに話し続けた。

 果たしてこの行為に意味があるのかは、楓自身にも分かっていない。話しかけるたびにサラは意味がないと言わんばかりに視線をぶつけてくるし、サラの言葉を信じるのであれば実際意味なんてないのだろう。

 眷属は、戦うために造られた人形だ。そこに意思はなく、あるように見えたとしてそれはそう見えるように魔法使いが設計しただけにすぎない。

 だが楓にはそうは思えなかった。戦う度に、話しかける度に、少女がただの人形とは思えなくなってきていた。

 少女は反応こそ返さないが、それでも楓の話を無視している訳ではない。目は口ほどに物を言うという言葉があるように、少女の目は時折変化の色を見せてくれていた。

 もしかしたらそれこそが魔法使いの策略なのかもしれない。精巧な造りの人間をぶつけることによって、敵を惑わせるのが目的という可能性も十分に有り得る。

 でもそうではないという確信が、戦いを重ねる度に楓の中に生まれつつあった。


「無言は同意と受け取るからね?」


 これは少し意地悪だったかもしれない。少女の瞳の中に確かな困惑が生まれたのを見て、楓は小さく笑った。


「ごめんごめん、冗談よ。そろそろうちの先輩がしびれを切らして襲いかかりそうだから、ぼちぼち始めよっか」


 楓が構えると、合わせるように少女も身体に魔力を走らせる。やっとかと呆れたように嘆息しながらサラが隣に立ち、手癖でガンスピンをしながら楓に向けて一言。


「しびれは最初っから切らしてるよー」


 それだけ言い残すと、サラは使い魔の群れに飛び込んでいった。最初の日以来、楓が少女を相手しサラが眷属を倒すという役割分担が生まれていた。楓が頼んで、渋々サラが承知してくれたのである。

 眷属が全滅すれば少女も撤退する。ならば楓が時間を稼いでいる間に、サラが一気に眷属を片付けたほうが時間もかからず合理的なのだ。

 本当はそんな理由ではなく、楓がただ少女と戦いたいだけなのだが――――そうして今日も、少女達は激突する。




「負けたなぁ」


 そうして何度目かの敗北を喫した日の夜。負ける度に楓は現実に戻ると、ぼーっとしたまま食事や入浴を済ませ、その後はベッドに寝転んでひたすらに天井を眺めていた。

 元々ぼーっとしてばかりの楓だが、ここ最近は特にひどいと親や友人にまで心配されていた。授業にも身が入らず、家の手伝いをしても注文を取り間違え親に今日はもう休んでいいと言わせてしまった。

 ここまでの戦績は全戦全敗、太刀打ち出来た要素は一つとしてなかったと言っていいだろう。サラはそれで当然だと言っていた。楓は魔法少女になってまだ半月と経っておらず、そんな短期間で守護眷属を前にして生き延びることが出来たのだから上出来だろうと。

 だがそれで納得できる楓ではなかった。初めて負けた日から今まで、もやもやとしたものが胸の中にうずまき続けている。


「守護眷属は一番強い眷属っつっても過言じゃねえからな。お前はよくやってるよ」


 アルドもサラも口を揃えてまだ勝てない、でも勝てなくても十分だと言う。でも楓はそれでは納得出来なかった。

 勝つ勝てない以前の問題、勝負にすらなっていなかった。でもそれを当然だの一言で済ませてしまいたくない。

 改善点はあったはずだ。勝てないにしても、もっと上手くやる方法はあったはずだ。戦闘の場面一つ一つが頭のなかで延々と繰り返され、ここはこうすればよかったと後悔が溢れてくる。


「楓。確かに負けちゃいるが、その原因は俺だ。俺が魔法を覚えてりゃお前ももっとまともに戦えたはずだからな。だからあんまり思いつめないでくれ。大丈夫、お前は確実に強くなってんだから」


 励ましの言葉も、今の楓には届かない。負けている理由を誰かのせいにするつもりなんて毛頭なく、原因を誰かに擦り付けて得られる安心なんて欲しくなかった。今求めているのは、そんなものじゃない。

 生きてきた中でこんな感情に苛まれたことがなかった楓は、それをどう消化すればいいか分からず延々と悶々とし続けていた。そう、勝てるわけがなかった。それは自分が一番よく分かっている。けれど――――


「…………あぁ、うち負けず嫌いやったんや」


 思い返せば、楓は基本的に勝負事とは無縁な人生を送ってきた。スポーツに打ち込む訳でなければ勉学に励むということもなく、漠然と毎日を消費し続けてきた。

 目標はないけれどすることもないから周りに合わせて勉強をして、好きでもないけど嫌いでもないから話を合わせる為に流行りのテレビ番組を見て、そうしてここまで生きてきて――――思えば何かを自分で選んで、本気で取り組んだことがなかったかもしれない。

 だから気が付かなかった。自分は負けず嫌いだった。それもサラを笑えないぐらい、勝てない勝負に負けても引き摺るほどに。


「…………え、気付いてなかったのかよ」


 アルドの驚いたような声に、楓は思わず吹き出しそうになった。もしかして気付いていなかったのは、自分だけだったのだろうか。

 そういえばサラにも釘を刺されていた。無茶が好きそうだなんて何を言っているんだと思ったけれど、言われてみればその通りだった。


「うん。自分でも驚いてる」


 多少の道理を通すためならば、躊躇いなく無謀な手を取る。アルドと初めて会った時も、自分の意志を優先するために命を放り出した。確かにこれは釘を刺されても仕方がないなと苦笑する。


「…………勝ちたいなぁ」


 今までに感じたことのない強い衝動。この胸に残留し続ける靄は、きっと勝つことでしか晴らすことは出来ないのだろう。

 歯痒い。息苦しい。どうすればいいかわかったところで、何一つすっきりしない。

 あの子に勝ちたい。多分魔法使いを倒すなんて使命よりも、ずっと強くそう想っている――――あの子に本気を出させたいのだ。


 そう、あの少女はきっと手を抜いている。理由は分からない。けれど少なくとも本気じゃあないだろう。戦う度に少しずつ生まれてきた余裕が、少女が全力を出していないことを楓に理解させてしまった。

 それが楓が少女をただの人形だと思えない理由だった。倒せるタイミングなんて幾らでもあった。だが楓は少女の中に躊躇いを見て、わざと倒さないよう加減している事に気がついてしまったのだ。

 敵としてすら見られていない。悔しい。気が狂ってしまいそうなほどに悔しかった。だから本気を出させたい。少女の本性を引き摺り出し、全力を出させ、そしてその上で勝利を奪い取りたい。


「……負けたくない」


 ではどうすればいいか。


「アルド」


 起き上がると、魔導書を立ち上げる。部屋の中心に現れた魔法陣を見て、アルドは楓がどうしたいのかを悟った。

 この感情に対して現状取れる唯一の対策はたったひとつ、とにかく行動すること。勝利へ向けて努力を積み重ね、それを一時の場繋ぎとする以外に渇きを癒やす方法はない。


「…………分かった」


 既に今日は十分に戦った。魔法少女体にもダメージが残っている。本当ならば今日は休めと言うべきだろう。けれどアルドは楓にそうは言わなかった。楓は自分に付き合ってくれた、ならば自分も楓に付き合おう――――楓が前に進む為に、あらゆるサポートをするのが自らの役割なのだから。


「うん、ありがと」


 アルドを抱き上げると、魔法陣に飛び込む。無茶はするなとは、きっとこういうことだったのだろう。意思を通すためならば自分のことなど顧みない楓の性格を、サラはあの時既に見抜いていた。まああの子は周りの人間よく見てるもんなぁ、そんな風に納得しながら、楓は心のなかでサラに謝った。

 そして身体を包み込む疲労感を振り切るように、楓は灰色の世界へと降り立つ。勝つ。その為に、ほんの少しだけ無理をする――――大丈夫、全部丸く収めてみせる。

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