第五話 佐々木楓と黒衣の少女

「あー、えーと……はじめまして、ではないか。こんばんは」


 ファミレス作戦会議の翌日。廃墟街の中央、噴水を中心とした円形の広場にて。楓は多くの眷属を引き連れた守護眷属の少女に、声をかけていた。

 大量の敵を前に動じないのは大したものだが、小心者のため内心は割りとビビり倒している。なにせ少女はともかくとして、後ろに控えている眷属の大群が明らかに今まで戦ってきた奴と見た目が違うのである。


(なんなんあれ、うち聞いてないんやけど……)


 二本足で悠々と立つ筋骨隆々とした羊の化物。今までの四本足の眷属にはまだ可愛げがあったのだなと思い知らされるフォルムに、思わず楓は小声でサラに耳打ちした。


(四足型は雑魚だからねー、基本出てくるのはあっちだよー)


 どうやら今まで雑魚を蹴散らして戦った気分になっていたらしい。まじかーと漏らしながら、少女の返答を待つ。無表情かつ無言でじっと楓を見つめる少女、一向に口を開く気配は感じられない。

 こっちもまじかーなんて思いながら、どうやって次の句に繋げようかと困り顔で思案する。眷属に話しかけるなんて馬鹿じゃないの、とサラは思っていたが、そんな意見を述べる前に楓は相手に声をかけていたのだ。

 わざわざ邪魔するのも文句を言われそうだし、サラは黙って戦う準備を整えながら冷たい目で状況を見守る事に徹していた。


「……君、名前は?」


「…………」


「す、好きな食べ物は?」


「…………」


「……今日はいい天気やね?」


「いや、ここ年がら年中曇りだし」


「…………」


 思わずサラがツッコミを入れるも、少女は依然として黙りこくったままである。やはり眷属と会話するだなんて馬鹿らしい。こいつらは敵だし、そもそも言葉が通じるとも思えない。

 まだ魔法少女になったばかりで、その上相手が人の形をしているから倒すのに躊躇いが生じるのは分からないでもない。だが危険を冒す価値もまたない。サラは溜息を付くと、いつの間にか手に握っていた銃の引き金を絞った。狙いは少女の眉間、正確無比な不意打ちに少女は――――。


「…………」


 やはり無言を貫いた。だが弾丸は金色の魔法陣によって行く手を阻まれていた。


「ちょっ、サラ!? いきなりはないやろ、いきなりは!!」


「そんなの言ってる暇ないよー、ほら前見て前」


 サラの銃撃を開戦の合図と受け取ったのか、或いはとうとう痺れを切らしたのか、眷属の群が一斉に吼え始めた。空間が震え、肌にびりびりとした感覚が伝わってくる。今までの四足型とは格が違うと、戦い始める前から嫌というほど伝わってきた。

 そして雪崩込むように、黒い波が押し寄せる。少女の返事を待つなどと悠長なことを言っている暇はもうなくなった。楓も拳を構え、真っ向から突っ込んできた眷属へ向けて拳を放つ。


「――――躱された!?」


 ただ突っ込んでくるだけではない。楓の動きを捉え、そして合わせるように横へ跳躍することで拳を回避した。それ自体は驚くべき行動ではない。攻撃に対し回避を取るのは当然だからだ――――だがそれを四足型の眷属は行ってこなかった。

 ただひたすらに突っ込んでくるだけだった四足型とは違う。戦えるだけの能があるのだ。躱した後に眷属は飛び蹴りを撃ち込もうとする。咄嗟に腕を交差させることで防御姿勢を取るが、想像以上の威力に楓は顔を引き攣らせた。


「…………ったぁ」


 今の蹴りから察するに、思考だけではなく戦闘技術もまともになっているようだ。二足歩行になったことにより腕も使えるようになり、取れる選択肢も今までとは比べ物にならない量となっている。

 やばい、強い。その上厄介なのは、敵が一体や二体ではないということ。見た瞬間に数えるのを諦めた程度には数を揃えてきており、一体ですら下手したら持て余しそうなのだから笑えない。

 だが迷っている暇もない。飛び蹴りをしてきた眷属が着地するよりも早く相手の胸元に拳を叩き込むことで、楓はようやく一体目を撃破した。

 相手は強くなったが、当たれば勝てる。その確信を得た直後に、背後に次の相手が迫ってきている事に気がついた――――間に合わない。振り上げられた拳を前に防御すら取れないでいると、銀色の一閃が横から眷属の首を刈り取っていく。


「よそ見してちゃ駄目ですよー、佐々木センパイ?」


 楓が一体を片付ける間に、サラは既に何体かの眷属を始末していた。横から突っ込んできた次に対し、防御の上から拳をぶつけ一撃で仕留める。


「ごめん、ありがと」


 下手に迷うべきではない。防御の上からでも倒せる威力があるのだから、戦いになる前に先手必勝で決める。この戦場における立ち回り方を身体で理解しながら、四方八方より迫ってくる眷属を相手取っていく――――キツイけど、やれなくはない。

 なんて油断をした瞬間に、彼女は仕掛けてきた。


『楓、上だ!!』


 考えるよりも早く、身体を動かしていた。頭上に出現した魔法陣は、昨日見た形状――――直撃すればまず無事ではすまない高威力攻撃魔法『砲撃』だ。

 眷属に体当たりをしながら強引に前に進む。直後、つい一秒前まで自分が居た場所に向け砲撃が降ってきた。距離をとってもなお伝わってくる熱と衝撃、当たっていたらその時点で楓は再起不能に陥っていただろう。

 そして少女もたった一発で手を緩めるような真似はしなかった。逃げた先へ、そして更に逃げた先へと砲撃が撃ち込まれていく。なんとか当たる寸前のところで躱し続ける楓だったが、回数を重ねる内に相手の狙いがより正確になりつつあった。

 掠り、抉られ、血が噴き出す――――痛みに歯を食いしばったところで、周りにいた眷属が正確に撃ち抜かれた。


「遅れてごめん、こいつら全員あたしが相手するから――――センパイ、あいつ叩いてきて」


 このまま少女を放っておけば、いずれは砲撃にやられる。最も分かりやすい対処法は少女を直接叩くこと、サラは眷属を狩りながらその下準備を進めていた。

 倒せなくても良い、サラが眷属を倒し切るまで少女の視線を釘付けにしてさえくれればそれで良かった。サラは楓の返事を待つことなく、地面に右足を叩きつける。


「今、道は拓くから」


 瞬間、銀色の魔法陣が地面に出現する。一個、二個と増え続けるそれは、真っ直ぐに少女へ向けて連なっていた。楓が狙われている間にサラが用意した罠は、足を叩き付けたのを合図に一斉に爆発していく――――そして少女に続く道が、一直線に開けた。

 思考を介在する余裕はなかった。楓は少女を視界に捉えた瞬間、地を蹴って全速力で少女に向かっていく。


「よいしょぉ――――っとぉ!!」


 目を見開く少女、楓は問答無用とばかりに走った勢いをそのまま上乗せして拳を撃ち込んだ。炸裂音と硬い感触。少なとも人体を殴った時の手応えではない。

 なんとか防御を展開した少女だったが、楓の拳の威力を殺しきれずに防御ごと後ろに吹き飛ばされていた。冗談のような威力に息を呑む少女だったが、見切れない程ではなく防げない程でもない。要は当たらなければいいだけの話だ。

 魔法も、魔力量も、経験も、戦闘技術も、なにもかもが自分のほうが上だということを少女は理解している。故に冷静さを失うことなく、次の瞬間には楓に向けて砲撃が放たれていた。


「っぶなぁ!?」


 当たれば蒸発する。楓もまた相手の方が格段に上であるという事を理解していた。体を捻り砲撃をすんでのところで躱し、再び距離を詰めようとしたところで次の砲撃が既に狙いを定めている。

 楓の武器が拳しかないことに、少女は気がついていた。ならば対処は簡単だ。近づけなければいい。次々に砲撃を展開しながら、一定の距離を維持し続けるだけで相手はいつか倒れるだろう。


(全ッ然近づけん――――っ!!)


 実力や相性以前に、楓の魔法少女としての戦闘スタイルには大きな問題があった。

 遠距離攻撃への対抗手段が皆無であること――――肉弾戦のみに特化しているというだけならばまだしも、防御魔法すら使用できないのだから致命的という他ないだろう。

 サラとの勝負に勝てたのは、サラがあくまで楓の土俵で挑んできたからである。仮にサラが遠距離攻撃に徹していたら、楓は近付くことさえ出来なかった筈だ。

 そして今、それが現実となっていた。少女の魔法は多彩であり、砲撃のみならず規模を小さくする代わりに速射性を高めた射撃魔法がとりわけ厄介だ。弾丸にも貫通力が高いものから爆発するもの、挙げ句の果てには威力が皆無の偽物の弾丸まで選り取りみどり。

 近づくどころか回避だけで手一杯だった。だがそれが楓を延命させていたのも事実である。下手に隙を作れば、楓はすかさず攻撃しようとするだろうが、近づく余地さえなければ回避に徹するしかない。

 なにより自らの攻撃が威力はあれど使い勝手が悪い代物だと楓は分かっていた。楓の得意とする拳撃は威力こそ驚異的だが予備動作が大きく、放った直後にも大きな隙が出来る。戦闘において大切な『流れ』を捨てるからこその大威力の為、不用意に使えば次の瞬間には敗北することになる。


 金の光弾を躱し、或いは拳で強引に弾き飛ばし、時折合間を縫うように放たれる砲撃のみを全力で回避する。肉体の性能の賜物か、幸いにして頑丈さだけは負けていない。砲撃の直撃さえ避け続ければ倒れることはない筈だ。

 しかし相手もそれを既に理解しており、光弾を躱し切った直後の硬直目掛けて砲撃をしてくる。今はまだ完全に動きを把握されていないため、着弾と硬直の間にある僅かな隙間に回避出来ているが、それが出来なくなるのも時間の問題だった。


 もどかしさに思わず突っ込んで行きたくなる衝動をなんとか抑え機を待つも、依然として近付く暇すらない。

 一撃でも当てられれば――――そんな希望的観測が叶う筈もなく、とうとう砲撃と回避のズレが消えた。

 眼前に迫る光の塊、防御態勢すら意味がないと無情に告げる破壊の輝き、しかし少女の砲撃は楓の身体を焼き付くことはなかった。


「――――ふぅ、危なかったねー?」


 サラの防御魔法が、少女の砲撃を遮っていた。楓がやられる前になんとか眷属を全員片付けて来たらしい。秒単位で遅かったら終わっていただろう、冷や汗が地面へと垂れた。


「と、言うわけだからー……今日はもうおかえりー?」


 時間を稼がれ、その間に眷属を倒された。その上サラに殆どダメージがなく、今から戦闘を再開したところで決着はつかない――――少女とサラは数度の戦闘を重ねていたが、結果は全てが引き分けだった。

 実力が拮抗している以上、今からサラと戦うのは体力と時間の無駄だ。少女は暫しサラを睨むように見つめたあと、転移魔法によって姿を消した。


「…………助かったわ」


「ん。まああいつらさっさと片付けられたのは、佐々木センパイが時間稼いでくれたからだよ」


「そっかー……いやー、強いなぁ」


 緊張が抜けたせいか、楓は地面にへたり込んだ。分かりきっていたことだが、あまりに実力が違いすぎる。眷属一体相手にすら手こずっていたのだから、守護眷属に歯が立たないのは当たり前の話ではあるのだが。

 むしろよくやっている方だろう。サラと少女という化物が跋扈する戦場で、最後まで自分なりに立ち回り立ち続ける事が出来た。魔法少女になったばかりの楓がそれ以上を求めるのは土台無理な話だ。


「そうだねー。でもこの調子なら、案外佐々木センパイもすぐに追いつけるんじゃないかなー?」


 世辞ではなく本気だった。すぐと言っても数ヶ月から一年単位ではあるが。それでも破格の成長速度でなければ不可能だ、サラは今の実力に至るまでにそれなりの時間を要しており、そのための鍛錬も重ねてきた。それに才能が上乗せされ、やっとこの強さである。

 すぐに追いつきたいだなんて、それはただの傲慢だ。彼女達が今の実力に到達するまでの過程を軽んじなければ、そんな発想は生まれない。

 それでも。楓は灰色の空をぼーっと眺めながら、悔しさを吐き捨てるように呟いた。


「…………それじゃあ、あかんのよねぇ」

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