最終章 ✲✲✲ 4 ✲✲✲

「私と、一緒に、いたい………」


 店長は和哉の言葉を噛み締めるように繰り返し、そのまま無言になった。

 その間和哉は、早鐘を打つ心臓を抑え込むのに必死だった。

 いくら店長からそれらしいことを言われたからと言って、自分の口からその言葉を発するのは、全く別の覚悟と緊張が伴う。そもそも自分がそう言えと言われたと思い込んだだけで、店長が思っていたのとは「別のもの」の可能性もある。もしそうだとしたら…、と思うと、どんどん冷汗は出てくるし、後悔の念も生まれてくる。

 とにかく、何か別のことを言ってほしい…。

 そう願う和哉の思いが聞き入れられたのか、ようやく店長が口を開いた。



「ああ…………幸せ…………………」



 店長が和哉から目をそらし、俯いた。

 前髪が、パサリと目元に落ちて、顔を隠した。



「―――――――――嬉しいです」



「……………へっ、あ…⁉」


 和哉は顔を隠すように俯く店長を見下ろす。

 自分より背の低い店長が俯くと、和哉からは頭頂部しか見えないが、微かに髪の間から見えた耳が、赤く染まっていた。

 


 ―受け入れてくれた…ってことで、いいのか? いいんだよな…。



 和哉の顔も、また紅潮する。

 どうやら自分と店長の思いは同じだったらしいと、感じられた。


「私、本当に嬉しいです。私と同じで、一緒にいたいと思ってくださるなんて…」

「あ、あの―――」

「和哉さん」


 和哉の声を遮って、店長が言った。

 その時上げられた顔は、耳までが赤くなって、目はかすかに潤んでいた。

 その先に続けられた言葉は、まるで和哉にお伺いを立てるように、おどおどしていた。


「私のお願い、聞いてもらえますか?」



 和哉は一瞬ぽかんとして、慌てて頷いた。

「あ、はい…はい! もちろん!」

 和哉の返事を聞いた店長が、嬉しそうに笑った。

「良かった! ありがとうございます!」

 喜ぶ店長を見て、和哉も照れたように笑う。

「俺に出来る事なら何でもしますよ。それで、えっと…何をすれば…」

「あ、それじゃあ、後ろを向いてくれますか」

「? はい」

 言われて和哉は店長に背を向けた。

「そのままじっとしていてくださいね。私がいい、って言うまでこっち向いたらダメですよ」

 

 一体、なんだろうか。

 何をお願いされるのか予想していたわけではないが、これは予想外だった。

 後ろを向いて、じっとしているだけ。

 これで一体何ができるのだろう。

 

 ―まあ、店長が満足するならいいけど…。


 言われるままじにっとしていると、店長が背後から話しかけてきた。


「和哉さん、このカフェの名前、覚えてますか?」

「え? ああ、はい。『満腹カフェ』ですよね」

「はい、その通りです」

 

 顔は見えないが、声の様子で店長が笑っているのが分かった。

 カフェの名前がどうかしたのだろうか。

 悩む和哉に、店長は話し続けた。


「この『満腹カフェ』という名前には、私の願いを込めているんです」

「願い?」

「はい」


 ―何だろうか。


 和哉は店長に問う。

「どんな、願いなんですか?」

「至ってシンプルなんですけどね。『お腹を空かせた人たちに、このカフェでお腹いっぱいになってほしい』という願いです。空腹は一番の調味料というでしょう? ここのお料理を、美味しいと言って、たくさん食べてほしいと思ったんです」

「それは…いいですね、すごく」

「ふふ」

 店長のこのカフェに込められた思いを聞いて、改めて和哉は思った。


 この人はとても純粋で、可愛らしい。


 このカフェや料理のことになると本当に嬉しそうに話をする。その時の彼女の声はいつも以上に軽やかで、聞いているこっちまで楽しくなってくる。

 いつまでも聞いていられるこの心地よい声を、今は自分だけが堪能できる幸福感と充足感を噛み締めながら聞いていた。

 その時、ふと――




「?」




 どこかで、嗅いだことのある香りがした。



 どこだっただろうか。

 はっきりとは思い出せないが、そう昔ではなかった気がする。

 嗅いだことはあるが、あまり馴染みのない香り。



「ねえ、和哉さん」



 漂う香りに気を取られている和哉に、店長が話しかける。


「……あ、はい」


「このカフェに来る人は、みんなお腹を空かせてるんです」

「? そうですね、飲食店だし…」



 まだ思い出せない。

 もう少しで、思い出せそうなのだが。



「ここにいる人も、空腹なんです」



 …金属が焦げたような臭いと。



「みんな空腹なんです」



 ………花のような甘い、癖のある香り。



「和哉さん」



 そうだ。

 思い出した。


 一か月ほど前。

 真っ赤に染まった店長を見た日の、あの時の香り。

 あの香りが何だったのか、結局店長に聞くのを忘れてしまったが、きっと店長が真っ赤に染まったのと関係があるものだと、勝手に思っていた。

 何故、その匂いが、今、この場で?



「私も……お腹ペコペコなんです」


「――――あの、店長……、?」



 ふっ、、、と。


 足元が、少し暗くなった。

 


 ―何だろう?

 店内の電球の明かりが弱まったのだろうか。

 いや、そうではない。

 店内の明かりは、先ほどと変わらず、煌々としていた。

 ならば――影だろうか?

 店長は和哉よりも小さいから、彼女ではない。

 それならば、自分の上に、何か影になるような、大きいものはあっただろうか?

 

 先ほどから香る匂いと、自分を覆い隠している影。

 その二つの要素を考えずにはいられない和哉の背後で、その時。





 ずず。





「?」



 何かを引きずる音が聞こえた。

 まるで、大きくて重たいものを無理矢理動かしたような、そんな音が。

 自分の後ろには店長しかいない。どこからか何か持ってきたのだろうか。

 だが店長が自分の背後から移動した気配はなかった。彼女の声も、ずっと同じ場所から聞こえている。




 いや、そんなことより。




 自分はここにいて大丈夫だろうか?、、、、、、、、、、、、、、、、




 あの時と同じ、馴染みのない独特な香りの充満した店内。

 背後から聞こえる、何かの音。

 そして正体不明の、自分の背丈をゆうに超えるものの影。


 自分の背後には、自分に『何か』をお願いしている店長しかいない。

 それなのに、それなのに何故――




 何故こんなにも、、、、、、、、、本能は警報を鳴らしているのだろうか、、、、、、、、、、、、、、、、、




「店長、何してるんですか? お願いって言ったけど、俺、どうすれば――」

「和哉さん」




 ――ああ、何故。




「私のお願い」




 何故、店長の声が―――




「叶えて下さいね」




 自分の頭上から聞こえてくるんだろう?




「ねぇ、店長――」

「これで、ずっと一緒……」
















「いただきます」
















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