最終章 ✲✲✲ 3 ✲✲✲
「聞いちゃいけないことだったのかな、って、思ったんですよ」
「悲しいことだと、私は言っていませんよ」
「そうなですけどね…」
何とか店長の機嫌を平常時…とはいかないまでも、ある程度まで戻した和哉は、改めてこれまでのことを謝罪した。
だが、こう言ってしまってはなんだが、彼女がこれほどまでに自分がカフェを訪れないことを気にしているとは思わなかった。
不機嫌だった彼女を前にしてこんなことを考えるのは不謹慎かもしれないが、少し嬉しく思ってしまった。
「もう来てくれないのかと思いましたよ…」
店長が少し声を低くした。まだ少し根に持っているのかもしれない。
「これからはまた来ますよ。他のトコの飯は美味くねーし」
これにはさすがに彼女は賛成しなかった。「そうなんですか?」とぼかした返答で終わりだ。同じように飲食店を営んでいる身としては、他店の批判をするのは気が引けるらしい。
「味が悪いってことじゃないっすよ。でも、ここで食べんのが一番美味いんです」
気まずい空気の中でも、先ほど食べたオムライスは本当に美味しかった。香織が絶品だと言うのもよくわかる。ふわふわオムライスが世間では流行る中、店長が作るオムライスは、卵はどちらかと言えば固めで、どこか懐かしさを感じるオムライスだった。
カフェに行かなかったこの二週間、近所では美味しいと有名な店にも行ったし、友人達とよく行くような、気に入っていた店にも行った。だが、どこで何を食べても、ぼんやりと美味しさを感じるものの、いつも何か物足りなくて心から満足はできなかった。
腹は満たされても、心が満たされない。それがどれほどつらい食事なのか、この二週間で初めて知った。もうあの空虚さは味わいたくない。
だから、つい。
「俺はもう、このカフェ無しじゃ生きていけねーな、ほんと」
そんなことを言ってしまった。
「………………ほんと、ですか?」
聞いていた店長が、目を丸くして言った。
一方、言うつもりのなかったことを口走ってしまった自分に驚き、更に店長に聞かれたという焦りと恥ずかしさが全てごっちゃになった和哉は、そのまま一瞬固まった。
「―――――はっ⁉ あ! ………!」
店長が
ほんの少し頬が紅潮し、目は大きく開かれどこか期待に満ちた、そんな眼差しだった。
―な、なんでそんな目で見るんだ…!
軽々しくそんな目で見ないでほしい。嫌でも勘違いしてしまいそうだ。
「和哉さん、今のはほんとですか⁉」
店長が食い気味に問う。ほとんど椅子から立ち上がるばかりの勢いだ。
パニックからなかなか戻ってこられない和哉に、更に追い打ちをかけるように。
「あっと……、ちょ、ちょっと待って…!」
和哉は迫ってくる店長を両手で押し戻し、もとの席に座らせた。
「待って待って…ちょっと待ってくださいよ…」
和哉に座らされた店長は、言われた通り大人しく待っている。
その間に、ごちゃごちゃになった頭を何とか整え、やっと少し落ち着いた。
「……お待たせしまいした。なんでしたっけ」
「さっきおっしゃったことは、ほんとですか」
「あー…」
答えるまで逃がさない、という意思が、彼女の目から感じられる。
あんなこと言うつもりはなかったのに、と後悔しても遅い。既に口にしてしまったし、彼女にも聞かれてしまった。腹を括るしかない。しかしこの緊張感は何なのだろう。別に直接的な告白をしたわけでもないのに、彼女の反応があまりにも予想外だったから、なんだか彼女に「好きだ」と直接的に伝えてしまったかのような恥ずかしさと緊張がある。
和哉は自分に、そんなに焦ることはないと言い聞かせながら、店長の問いに答えた。
「……ほんとですよ。俺はもう、ここの料理無しじゃ生きていけません。ずっと美味いもん食いたいと思ってます」
「………ご飯があれば、いいんですか?」
「…え、っと。それは、どうゆう…」
「ご飯さえあれば、それでいいんですか? 和哉さんの必要なものの中に、私はいないんですか?」
―ああ、全く、本当に。
なんてことを言ってくれるのだろうか。
まさかこんなことを言われるなんて。
「…………店長さん、狙って言ってます?」
和哉が顔を手で覆いながら言うと、店長は悪戯っ子のような笑顔で答えた。
「ふふ、どうでしょう?」
可愛い顔に騙されていた。どうやら彼女は、思っていたより利口で、狡猾らしい。
自分が彼女の掌の上で転がされているような気がして悔しかったが、今はそのまま、彼女の思うままになろうかと、そう思った。
「…………………それで?」
黙ったままの和哉に、店長が言葉を急かす。
料理さえあればいいのか、という問いの答え。
本音を言うなら、それだけじゃない。
もうひとつだけ、欲しいものがある。
それを言うのは、もっと先だと思っていたのだが。
「俺……」
でも、求められた以上、伝えない理由はない。
そう思って。
「店長さんと、一緒にいたい…です」
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