最終章 ✲✲✲ 1 ✲✲✲

 ある日の夜。和哉は一人、自宅近くの定食屋にいた。

 店長の友人の話で予期せず気まずさを感じてしまってから、あれほど気にしないつもりでいたのに、頭と心ではまだ決着がついていなかったのか、なかなかカフェに行くことができないでいた。

 あれからもう二週間ほどが経つ。今までは週に二回程はカフェに足を運んでいたというのに。

 亜弥から声がかかるときはいつも『特別な食材』が入荷したときだった。この二週間、亜弥は何も言ってはこなかった。単に食材の入荷情報が得られていないからかもしれないが、亜弥自身が先日の会話に未だ罪悪感を抱いているから、カフェに行こうと言い出さないでいるのも知れない。なにせカフェのことを話題に挙げさえしないのだ。

 実際のところは何も分からないのだが、あの日から全員で集まった時のカフェについての話題は減っていた。

 智晴も、もしかしたらカフェに行くのを控えているかもしれないなと、ぼんやり思った。もしこのままカフェに行くことがもう無かったのなら、彼のメニュー全制覇への挑戦が中途半端に途絶えてしまうな、とも。

 すっきりしない頭でごちゃごちゃとあれこれ思っているうちに、注文していた定食が運ばれてきた。

「…………」

 メインのおかずと、味噌汁と白米。そして漬物が少し。何処で食べてもそれほど変わらない、定番のセット。

「いただきます……」

 白米の入った茶碗を左手で持ち、メインのおかずを箸でつつく。そのまま適量をつまんで、茶碗を添えながら口に入れた。

「…………」

 思えば、あのカフェ以外での外食はかなり久しぶりかもしれない。

 以前はファストフード店にも入っていたし、友人と居酒屋などにも行った。学生の食事などそんなものだ。だが、亜弥に誘われてあのカフェに初めて行って以来、それからの外食は決まって其処だった。

 何を食べてもハズレが無い、間違いなく自分の中では何処よりも勝る三ツ星のカフェ。

 肉も野菜も、魚も。あのカフェでなら何でも食べられると、そう信じて疑っていない。現に、今食べている定食は、白米一つとっても、あのカフェとは比べ物にならないような気がした。

「…………」

 一緒に出てきた味噌汁も、付け合わせの漬物も。おかずも茶も、何もかも。

 彼女が作る料理の、足元にも及ばない。

 こんなものより彼女の作る料理が食べたい。同じ金を払うなら、より美味しいものを食べたいと思うのは自然なことだろう。

 それに―。


「……………………」


 こんなところで、一人で。

 一人で食事をすることが。


 こんなに、寂しかっただなんて。


「………………はぁ」


 思わずため息が漏れた。

 以前は全く気にならなかったのに。

 互いに全くの不干渉な店員と客、客同士の関係が当たり前だったのに。

 いつの間にか、一緒ではなくても誰かがいるところで食事をすることに慣れきってしまっていた。いや、『誰か』ではないか。誰でもいい訳じゃない。

「…………はぁーあ」

 大きくため息をつく和哉を、隣に座って食事をしていたサラリーマンらしき男性がチラリと見たが、すぐに目を逸らした。


 ―明日は、カフェ行こうかな…。


 気まずさなど、自分が勝手に感じているだけだ。

 無理矢理自分に言い聞かせて、和哉は止めていた箸を再び動かし始めた。

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