第四章 ✲✲✲ 1 ✲✲✲

 翌週の金曜日の夕方、和哉を含むいつもの五人は『満腹カフェ』に向かっていた。

 例のごとく、亜弥が『特別な食材』の仕入れ情報を掴んだのだ。

 昼間に集まった時に伝えられ、いつものごとく急遽、大学終わりにみんな揃ってカフェに行こう、と提案された。その日は誰も放課後に予定はなく、五人全員が亜弥の提案に賛同し、先に講義を受け終えたものは残りの講義を受けている者を待ち、全員集まってからカフェへと出発した。

 もう五人全員がカフェへの道のりを把握している。迷うことなく目的地を目指し、道中の会話も余裕があることを表すかように穏やかなものだった。

 これからカフェに行く、ということが影響しているからか、話題は今向かっているカフェと、その店長のことだった。

「店長ってー、何歳くらいなんだろうねー」

「若そうだよね。あたしたちと同じくらいかもよ?」

 和哉が初めてカフェに行ったときにも抱いた疑問だ。どうやら皆思うことは同じらしい。

「大学行かないでカフェ始めたのかな?」

「料理学校とか出てるんじゃないか?」

「だとしたら、相当出来のいい生徒だったんじゃなーい? めっちゃ美味しいじゃん、あそこのご飯」

「あー、かもな」

 カフェがいつからオープンしたかなどは聞いていたが、彼女自身の過去の話はあまり聞かなかったかもしれない。

 趣味や休日のことは『今』のことだ。彼女がどこの出身でどんな学校に通っていたのか、とか、そういった類のことは一度も話したことがない。

 いや、彼女が『師匠』と呼ぶ料理人のもとで修行のようなことをしたのは聞いている。

 それ以前は、知らない。

「店長さんって、話しかけたら喋ってくれると思うー? 歳が近いなら喋りかけてもよさそうじゃない?」

「歳が離れてたら駄目なのかよ!」

「そーいうんじゃないけどー」

 全員が笑った。

 特に香織と淳平はツボに入ったのか、ほかの三人が落ち着いてきてもまだ笑っている。

「ちょっと二人とも、自分たちの言ったことでそんなに笑わないでよ!」

 いつまでも笑っている二人に呆れながら、亜弥が二人の肩をバシッと叩く。

「いって! 力入れすぎ!」

「そんな強く叩いてないから!」

「亜弥ちゃん、いたぁーい」

「香織まで!」

 全員が、また笑う。


 ―店長にも、こうやってふざけ合う友達とかいるのかな。


 皆で馬鹿をしあって、ふざけて、笑って。

 ほとんど自分の時間を取らないといっていた彼女に、そんな相手はいるのだろうか。

 普通で考えれば、年頃の娘に友達がいないとは思い難い。

 今度は彼女の周りの話も聞いてみたいと思いながら、和哉は未だにふざけている友人を見て、また笑った。



「いらっしゃいませ!」

 暖かいオレンジ色の室内灯が、いつもと変わらぬ飴玉のような声が、和哉たちを迎えた。

「空いてるお好きなお席にどうぞ」

 言われて、一同がテーブル席に向かう…と思ったのだが、亜弥だけがカウンター席の方に行き、四人に手招きした。

「今日はこっち! みんなで並んで座ろ!」

 カウンター席は五席のみ。今日は全席開いているようだが、全て埋めてしまっていいものか。

 和哉が一人でカフェに来るときに見かける一人客は、大抵がカウンター席に座る。和哉自身もそうだ。

 今は空いていても、これから一人客が来ないとは限らない。普段カウンター席を使っている身としては、五人で占領してしまう事に罪悪感を覚えた。

「カウンター、埋まっちゃうじゃん…」

「え、大丈夫でしょ。他の席空いてるんだから」

 和哉が言うものの、亜弥はあまり気にしていないようだ。カウンターを挟んで奥にいる店長に、「いいでしょ」と声まで掛けている。そう聞かれた彼女の返事は聞かずとも分かる。

「ええ、もちろん。お好きなところにどうぞ」

 却下するわけがない。

 「お客様第一」の彼女が客の要望に応じないはずはない。カウンター席に座ること自体は決して無理なことではないのだ。他の客に迷惑がかかるようなことで無ければ、彼女は許すだろう。

 それでも罪悪感の拭えない和哉は、カウンター席に座る前にチラリと店長を見て、小さく頭を下げた。店長は和哉の心境が分かっているのか、いないのか、どちらともつかないような笑顔で、頷いて返した。


 全員が席に着き、右端に座った亜弥が全員に目配せした後、店長を呼んだ。

 メニュー表は見ない。ここに向かう道中、全員がステーキを食べるつもりでいることは、既に会話の中で全員が把握済み。席について早々に、注文した。

 幸運なことに、今回も五人分の『特別な食材』は残っているようだ。それは良かった。が、和哉にはもう一つ、気になっていることがある。


 ―憶えててくれてるかな。


 先日、一人でカフェに来た時に「予約」しておいた、部位。

 店長曰く、『頭』には劣るものの『特別な食材』の中でも特別美味しい、柔らかい、あの肉。予約をしたとき、彼女はカウンターの向こう側、客からは見えない位置にメモを張り付けていた。それがまだ生きているのか、そして彼女がそれを憶えていて、今日この食事で適用してくれるのか。

「………………」

 声をかけて聞くことは出来ない。何せあれは「秘密の予約」なのだ。ここで聞いてしまっては、四人を含めた他の客にバレてしまう。

 「お客様はみんな平等」という、店長の、というより店のモットーに反していることを、わざわざ周りに知らせるようなことをするわけにはいかない。

「………………」

 和哉は亜弥から注文を受けて厨房に入っていこうとする店長を、隣に座る友人に分からないように、そっと目で追った。

 ―――と。


「!」


 厨房に姿を消す直前、店長が和哉の方をちらりと見て、軽くウインクをした。


 彼女は憶えていたのだ。

 和哉が「予約」した部位を、ちゃんと和哉の為に取っておいてくれた。

 店に訪れるどの客にも内緒で、本当は受け付けていないのに特別に「予約」させてもらって、そしてそれを憶えてくれていた。

「……!」

 胸の内から湧き湧き上がり、喉元を焼くような熱に、和哉は自分が如何に興奮しているのかを感じた。そしてその興奮を誰かに悟られまいと、抑え込むのに必死だった。

 和哉は周りから顔が見えないように俯いた。表に出さないようにと思っても、どうしても顔がにやけるのを止められなかった。横で友人たちが料理を待つ間のおしゃべりに興じている。違うことで頭がいっぱいの和哉には、その会話を聞き取るだけの余裕はなかった。

 そんな様子の和哉を、隣に座る友人たちが放っておくわけもなく。

「……和哉、何してんの」

「ん? 何、何? どしたの?」

「あれー? 和哉、お腹痛いのー?」

「眠いだけだろ?」

「…あ、いや、なんでもないから」

 ここで応えておかないと、この後好き勝手に話をされかねない。

 適当に返事をして、料理が運ばれてくるまでの間、横並びになったカウンター席で騒ぐ友人たちの会話に参加した。


「お待たせいたしました、ステーキ五人分です」

 やがて厨房から出てきた店長が、五人分のステーキを運んできた。

 当然だが一度では運びきれず、二回に分けてそれぞれの前に置く。

 今か今かと心待ちにしていたからか、全員の前に料理が並びきる前に、料理が置かれた者から食べ始めた。

 和哉は一番左端の席、最後に料理が運ばれた。

 料理をすべて運び終わった店長は厨房へ戻っていった。洗い物でもしに行ったのかもしれない。

 和哉は目の前に置かれた肉を見る。やはり一見、他の肉と見た目は変わらない。食べてみなければ違いは分からないようだった。

「いただきます」

 過去に味わった、あの肉のうま味と柔らかさを思い出しながら、手にしたナイフとフォークを、目の前でジュウジュウと音を立てる肉に突き刺した。



「あー、満足満足!」

 全員食事を初めてから、そう時間は掛からず食事は終わった。

 最後に食べ始めた和哉も料理を完食し、ナイフとフォークを置く。

 和哉に出された肉は、「予約」していた肉だった。

 前と変わらぬ柔らかさ。違ったのは、多少今回食べた肉の方が、脂が少なかったような気がする。そこまで大きな差ではなかったから実際のところはどうか分からないが、美味しいことに変わりはなかった。

 空になった鉄板が下げられ、食後の茶が出される。

 少し冷ましてゆっくりと口に含めば、熱い茶が口の中に残った脂を洗い流す。渋みの少ない、すっきりとした茶が、全身に染み渡るような気がした。

「はぁ…、お茶美味しい。…さて、全員食べ終わったところで、ですが…」

 亜弥が右端の席から頭を前に出して、ニヤッと小さく笑いながら横に並ぶ四人を見る。

「呼んでみます?」

 言われた三人は亜弥が何をしようとしているのかがよく分からなかったようだが、和哉にはピンときた。

 つまり、「店長を」呼んで話をしてみるか? と言っているのだ。

 今このカフェにはカウンター席に座る和哉たち五人しか客はいない。その隙に、カフェに来る前に話していた「店長に話しかけたら喋ってくれるかどうか」を試す気のようだ。もう何度も店長と会話をしている和哉には、「店長と話をすること」についてだけ言えば、そう難しいことではないことは分かる。だが、これまで和哉が店長と会話をするのは、いつも一人の時だった。ここにいる友人たちは、和哉が店長と顔見知りを既に通り越し、友人のような関係になっていることを知らないし、知られないようにしてきた。隠すようにしてきたことが、今、店長を呼ぶことでばれてしまうのではないか。その不安が和哉の中に広がる。

「迷惑になるんじゃね?」

 智晴が亜弥に言った。

 智晴はこのカフェに度々来ている。その時に見ていた店長の様子を思い出しているようで、きっと忙しいだろうから止めておけ、と言う。智晴がカフェに来る時間帯は、かなり混み合っているのだろう。今の店内に和哉たち以外の客がいないからと言って、この後に来ないわけはない。混んでくる前に帰りたい、と言う気持ちもあるようだった。

「えー、大丈夫っしょ。今他に誰もいないんだしさ」

 そんな智晴の思いは当然亜弥には伝わらない。「ほかに客が来たら止めるからさ!」と言って、店長を呼びつけて話をするのを止めるつもりは全くないようだ。

 何とか止めさせたい。そう思っても、何と言っていいか分からないし、変にしつこく反対すれば尚更怪しまれそうな気もする。変に思われずにこのまま帰るよう促すにはどうすればいいのか。あれこれと考えてみるが、なかなかいいものが浮かばない。

「いいでしょ、いいよね。あのー、すいませーん!」

 誰も何も言わないのを「賛成」と勝手に捉えた亜弥が、とうとう店長に声をかけてしまった。

 亜弥の声に応じた店長が、厨房から出てくる。

「追加のご注文ですか?」

 手に注文票とペンを持っていた。

「あー、違うんですけどー」

「そうですか? お茶のおかわり、お持ちしましょうか?」

「それもお願いしたいんですけど、そうじゃなくて」

「? はい?」

 店長は頭に「?」を浮かべる。そんな彼女に、亜弥はにまにま、、、、しながら言った。

「てんちょーさん、もし今することないなら、ちょっとお喋りしません?」

「…お喋りですか?」

 言われた店長は、きょとん、、、、とする。まさか「お喋りしよう」などと、言われるなど思ってもいなかっただろう。彼女の反応はもっともだ。

「なんか…、大人しい系に柄悪い系が絡んでるみたいだよな」

 淳平が智晴にコソコソと喋る。智晴も同意した。

「ちょっと、聞こえてるよ! 誰が柄悪い系よ!」

「うわっ、地獄耳」

「この野郎が!」

 ぎゃんぎゃんと騒ぐ二人を、口を開けてみていた店長がちらりと和哉の方を見た。その目は「どうすればいいのでしょう…?」と訴えているようだった。

 和哉は胸の前で小さく手を合わせ「すみません」と口パクした。そして未だ淳平と騒いでいる亜弥に声をかけた。

「おーい、亜弥。店長、困ってるぞ」

「えっ⁉ あ!」

 言われた亜弥は、淳平から店長へと視線を戻した。亜弥の意識から外れた淳平は「やれやれ、困ったもんだ」と大げさに肩をすくめる。

「や、ごめんなさいね。あいつが余計なこと言ったばっかりに」

「え…、あ、いえ…」

 淳平が小さく「俺のせいかよ…」と呟くが、今度は無視したようだ。

「もし嫌じゃなかったら、ちょっとお喋りしましょーよ」

「たまには息抜きも必要ですよー」

 急に香織が割り込むが、亜弥は気にしない。香織の発言に「そうそう!」と頷いて、更に続けた。

「今は他に客さんいないんだし。誰か来たら止めますから。いいでしょ?」

 亜弥と香織からお願いされ、店長は少し悩むような素振りを見せた。だが結局、その後も二人から押され、苦笑しつつも「少しだけなら」と了承した。

「その前に、皆さんのお茶のおかわり、お持ちしますね」

 そう言って、店長は再び厨房に入っていった。

 店長が厨房に入った後、亜弥が香織を飛ばした自分の左側に並ぶ男三人を見て「ふふん」と得意げな顔をした。

 しばらくして、湯呑の乗ったお盆を持って店長は戻ってきた。

 全員分の湯呑を置いた後、お盆を元の位置に戻し、カウンター奥の端に置いてある椅子を持ってカウンター越しの五人の丁度真ん中辺りに座った。

「お待たせいたしました」

「うんうん!」

 亜弥と香織が満足そうに笑って頷く。

 恐らくこれから、店長は亜弥と香織に質問攻めさせるだろう。男が入り込む余地は、きっと無い。

 それは淳平も智晴も同じことを思ったようで、和哉を含めた男三人は、隣できゃあきゃあとお喋りに興じる女三人を、ぼんやりと見やるのだった。

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