第二章 ✲✲✲ 4 ✲✲✲

「ついに来たぞぉ! あれがぁ!」


 ―やっぱり、来た。


 カフェに『特別な食材』が入荷した翌日。

 またもや裕子から情報を貰ったという亜弥が、「さあ、聞け!」と言わんばかりに声を張り上げた。

「入りましたよ! 食べに行きますよ! もちろん皆行くよね⁉」

 有無を言わさぬような亜弥の物言いに若干引きつつも、みな賛同した。

 

 和哉を除いて。


「あれー? 和哉行かないの? なんで?」

「あー…、悪いけど俺、今日は用事あんだよ。四人で行ってきてくれ」

「ええ……うーん…、ほんとは皆で行ければと思ったけど…。日をずらすと無くなっちゃうかもしれないからなぁ」

「うん、うん。だから行ってきていいよ」

「そお…?」

 亜弥は残念そうにしていたが、やはり『特別な食材』の誘惑には勝てなかったらしい。

 和哉を除いた四人でカフェに行くことにしたようだ。

「じゃあ、和哉。今度は一緒に行こーね」

「ああ」

 話がまとまったところで、それぞれ次の講義へ向かう。

 夕方の十六時から始まる、本日最後の講義だ。

 和哉が次に受けるのは、心理学。

 『心理学』という学科に、漠然とした憧れのようなものを抱いていた和哉は、入学当初から心理学は受けると心に決めて受講した。

 「大学生の講義と言えば心理学」という、謎のイメージを持っていた。

 心理学は一年次以降に受けられる講義だったから、入学して一年間は楽しみにしていたものだが、実際受講してみると、面白くないわけではないが、それほど特別感も感じられないという、なんとも自分勝手な理由で、今では単位の為に受ける、というものに変わっていた。

 一緒に受講している淳平とともに、講義室へ向かう。

 講義室へ向かう途中、淳平が和哉に心理学の課題について話しかけてきた。

「なぁ、前回出された課題、やってきたか?」

「ん? ああ…まぁ、一応」

 心理学の講義は、毎回終わりに軽い課題が出る。

 調べものだったり、小論文だったり、種類はいろいろで、それほど大げさなものではなかったが、正直どれも面倒くさいものだった。

 だから和哉を含めた受講生は、最終評価に影響のない範囲で適当に、一応こなしてはいる。

 それに比べて、淳平はあまり課題をやってこない。バイトが忙しいとか何とかで、課題そのものの存在を忘れてしまうのだそうだ。

 きっと今回だって、やってきていないのだろう。

「お前は、やったの?」

「…………まぁ、そんなこといいじゃねえか」

「…………言い出したのお前じゃん…」

 やはり、やってきていなかった。




「―――――はっ⁉」

 講義が終わり、広げていた教材を和哉が鞄にしまっている時、淳平が居眠りから覚醒した。

「おはよう……」

「ヤバい…! また最後に寝ちまった……!」

 毎回出される課題は講義の最後に詳細が知らされる。

 居眠り常習犯の淳平が、その詳細を聞くことはあまりない。

 講義開始から少しの間は起きているが、中頃になると大体寝てしまうのだ。

 たまに最後まで起きて、課題詳細を聞くこともあるが、今日のように聞き逃すほうが断然多い。

 そもそも聞いていようと聞いていまいと、どうせ課題をやってこないのだから、どちらしてもあまり変わらない。

「和哉ぁ…、ノート見して…」

「しょうがねぇな、もぉ…。俺の課題終わったらな」

「いい! いい! 全然いい!」

 淳平が「サンキュー!」と言いながら顔の前で手を合わせるのを横目で見つつ、和哉は教材を全て鞄の中にしまった。

 この後に講義は無い。もう少し大学内をぶらついていてもいいが、亜弥たちに「用事がある」と言った手前、いつまでもふらふらしているのはまずいだろう。

 特にやりたいことも、行きたいところもない。

 淳平と別れたらそのまま帰るつもりだった。

「なぁ和哉、お前この後講義ないだろ。もう帰るのか?」

「え? ああ、まぁ」

 淳平はこの後もう一つ講義を受けてから、亜弥たちとあのカフェに行くはずだ。

 次の講義室に移動するなら、あまりゆっくりはしていられないと思うが、何か話でもあるのだろうか。

「どうした? なんか話でもあんの?」

「んー、話っていうか、ちょっと聞いてみたいことがあってな」

「聞きたい事? なに?」

「んー……」

 淳平は言いにくそうに、鼻の頭をかいた。

「あの…カフェなんだけどさ、あれ、いつからあったか知ってるか?」

「え…ああ、えーっと、二年位前からって聞いたけど」

「俺たちが入学した頃か…その頃のあのカフェの話、聞いたことあるか?」

「……や、ないけど。俺もお前も亜弥に聞いたのが初めてだろ?」

「ああ…うん、そうだよな。うん、うん…」

 なんだかはっきりしない淳平の態度に、和哉は違和感を覚えた。

 何が言いたいのか、全く分からない。

「なんだよ、なんか気になるのか?」

 淳平はしばらく腕を組んで「うーん」と唸るままだった。

「……たまたま、だよな。たまたまだろ、うん」

「だから何が。お前から聞いてきたんだから、ちゃんと言えよ」

 もだもだ言っている淳平に、和哉が少し苛立つ。

 和哉の様子に「ヤバい…!」と思ったのか、淳平は慌てて言った。

「あ、悪ぃ悪ぃ。いや、俺もな、あのカフェがそのくらい前からやってた、ってことだけ聞いたんだよ。ダチからな。でも、それだけでさ」

「……それだけ?」

「ああ、やってた、ってことだけ。その頃の話は全然聞かねぇだよな」

「…………?」


「だからな、店がやってた、ってことだけ、、しかみんな知らねぇんだよ。その頃の店の様子とか、あの店長がどんなんだったかとか、当時の店の話を誰もしないんだよ。その、、なんて、、、無かった、、、、みたい、、、


「…………は?」


 淳平の言っていることが、一瞬理解できなかった。


「……それ、そんなに変なことかな。俺は…あんまり気になんないけど……」


 その時が無い、だって?


 一体何を言っているんだ、こいつは。

 ――どうしてお前まで、そんなことを言うんだ。


「そうだよな、そんな気にすることでもねーよな」


 そうだ、そんな大したことじゃない。

 ――そんなこと言われたら。


「悪いな、変なこと言っちまって」


 まったくだ。変なこと言わないでくれ。

 ――自分がそう思っただけなら、考えすぎとか、気のせいとかで終わったのに。


「いや、いいよ。こっちこそ悪かったな。変に苛ついたりして」


 誰かに指摘された途端に、それが気のせいではなくて、本当にそうなんだって。

 逸らしていた目を無理矢理引き寄せるかのように、自分の首を掴んで固定して、その前に、ぬう、、とゆっくりと目を合わせてくる気がして。


「じゃあ俺、次の講義行くわ。気ぃつけて帰れよ」

「……ああ、じゃーな」


 もう、考えないままでは、いられなくなってしまうじゃないか。

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