第一章 ✲✲✲ 2 ✲✲✲

「ねぇ、あの森のカフェ知ってる?」

 冬の日の、ある金曜日。

 食堂に集まったメンバーの一人、亜弥が唐突に言った。

「なんだぁ? 急に」

 一緒に昼食をとっていた和哉が声を張り上げて答える。

 この大学の食堂は広く、冬の冷たい空気で体を冷やした学生たちが、温かい食事にありつこうと、昼食時にはかなりの混雑になる。

 多くの学生たちの話声は騒音となり、普通の声量での会話は全く聞き取れない。

 会話に参加している香織と淳平、そして智晴も、亜弥や和哉と同じように大声で答えた。

「あー! それ、あたし知ってるよぉ。めっちゃ美味しいご飯のカフェだよね!」

「知らねーな。トモ、知ってる?」

「知らない」

 香織は少し興奮気味、淳平は少しの興味、智晴は全く興味無さげ、バラバラの反応を見てもあまり気にした様子の無い亜弥が、わかりやすく「はーぁ」とため息をついた。

「え、何。男子全滅? 遅れてますなー」

 亜弥が軽く馬鹿にするように、クククと笑った。

 女子は噂話が好き。それが和哉の女性に対する印象だった。

 そうでない者も勿論いるだろうが、女子というものは少なからずそういった噂だのゴシップだのといったものが好きな生き物、というのが和哉の中で確立されている。

「うるせーな、俺らはお前らと違って忙しいの。そんな噂を気にしてる暇なんてありません」

「はぁ、なにそれ。いいのかなぁ、そんなこと言って。せっかくいいこと教えてあげようと思ったのになー」

 亜弥は和哉の嫌味をまるで気にした様子もない。

 亜弥と和也は大学に入る前からの知り合いで、その付き合いは短くない。今さら和哉の口の悪さを気にも留めないのだ。

「いいことってなんだ?」

 淳平が身を乗り出して聞いた。香織も『いいこと』に興味津々で身を乗り出す。

 その二人の反応に満足したのか、亜弥がしたり顔で言った。

「ふふん、私の独自のルートで仕入れた情報よ。なんとそのカフェ、数日前に『特別な食材』を仕入れたんだって!」

「…なに、その…『特別な食材』って。何かわかんないの?」

「肉か魚か…それとも野菜か? ちょっと漠然としすぎて、どう受け止めていいのか…」

「情報がふわふわし過ぎ」

「亜弥、もうちょっと情報精査してくんない?」

 全員が亜弥の漠然としすぎる情報に不満を漏らした。

 どうやらそのカフェには『特別な食材』というものが存在しているらしい。その言葉の通り『特別』なのだろうが、かの店に行ったこともなければ存在すら知らかなった和哉にとっては、あまりピンとこなかった。

 香織はカフェの存在を知っていたようだが、『特別な食材』については知らなかったらしい。和哉たちと同じく、亜弥への眼差しが不信感を露わにしていた。

 あまりにも亜弥が自信満々に言うものだから余程の情報だと思っていたのに、いまいち伝わってこないそのニュースに、反応に困る面々だった。

 四人の様子に、亜弥は「なんで伝わらないのよ! この気持ち!」とか何とか言いながら長机を叩いた。

「亜弥、スープこぼれる」

 和哉は自分の前にある器を持ち上げて、中身のスープがこぼれるのを防ぐ。

 和哉が食べているのは食堂のメニューの一番人気の味噌ラーメンだ。コクのある味噌スープに、ほんの少しの唐辛子の粉末が入ったピリ辛加減が何とも言えず食欲をそそる。

「うっさいな! そのラーメンよりももっと美味しいんだからね、そのカフェの料理は! そんなカフェの『特別な食材』なんだから、きっと死ぬほど美味しいのよ。絶対そうに決まってる!」

「その『特別な食材』は知らないけど、そのカフェご飯が美味しいのは本当だよ。あたし、オムライスが大好きなんだよねー」

 いつかに食べたオムライスの味を思い出したのか、香織はうっとりと頬に手を当てた。

「そんなにうまいの? ちょっと気になってくるな、それ」

「ほかにどんなメニューがあるんだ?」

 つい先ほどまであまり興味を示さなかった智晴が、初めてそれらしい反応をした。


 ―そういえば智晴は小さい体のわりに食べること好きだったっけか。


 食べることが好きなら、美味しいものには目がないだろう。香織が言った「オムライス」という具体的な料理名を聞いて、心惹かれたのかもしれない。

「他には、えっとねぇ…割と定番レパートリーって感じだった気がするなぁ。ハンバーグにカレーに、パスタでしょぉ。他にもお肉料理はあるよ。それから魚もあるし、ヘルシーな野菜中心のメニューもあったかな」

 洋食がメインらしい。定番メニューがそろっているようだが、カフェにしてはメニュー数が多い気がする。実際の数は分からないが、行けば何かしら食べられるものはありそうだ。

「行くしかないな」

「おお、トモ。分かりやすく食いついたな」

 淳平が「お前ほんと食うの好きだなー」と、智晴の肩に手を置いた。

「じゃあ今日行く? みんな今日は五限で終わりでしょ?」

「俺、行くなんて一言も言ってないけど…」

「ね! 行こ! 決まり! みんなで晩御飯食べに行こう!」

 和哉の主張は亜弥に流されて終わった。


 ―こいつ俺の意見はいつも無視しやがるな。


「五限が終わったら校門に集合ね。私と香織で連れて行くから」

「みんなちゃんと来てよぉ」

 話が、いつ間にか、まとまったところで、それぞれ昼食を終え、三限の講義室へ向かった。

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