3月9日 盲目のプログラマー
「久しぶりね、渡辺君」そういって田中真琴は傘をたたんだ。「新しい職場はどう?」そういってほほ笑むと「これ、重要資料」といってメモリースティックを差し出した「その手はもう食わないぞ」渡辺京太郎は受け取らない。「ただの音楽よ。なんならセキュリティソフトでスキャンしてもいいわよ」「これをね、あなたの会社の大島清彦に渡して欲しいの」
大島清彦はプログラマーだ。まだ若いがセキュリティの部長で、オリジナルのセキュリティシステムを作って運用している。それはみごとなもので、安定感、動作の軽さ、防御の硬さのどれをとっても非の打ち所がない。これを一般に販売しようという動きもあるくらいだった。
その大島を渡辺京太郎は訪ねた。田中真琴のメモリースティックを持っている。大島清彦は普段通り机に座ってコンピューターにプログラムを打ち込んでいた。「美女からの贈り物だよ」そういって渡辺は大島に声をかけた。渡辺はサングラスをして、頭にヘッドホンを付けている。なんでも最新のプログラミングの本をスキャンし、音読ソフト(これも手作りだという)に読み取らせて聞いているというのだ。そうやって最新の情報を随時脳内に入れているのだ。
大島の手が止まった。「誰かと思ったら渡辺さんか」そういうと彼はキーボードから手を離し、空中を掴んだ。その手にメモリースティックを握らせる。「気をつけろ、一度煮え湯を飲まされた相手だ」そう渡辺がいうと「ふふふ」と大島は笑った。「じゃあ、プログラミングの新入りの子にスキャンさせてみよう。何か出るかもしれない」そういうと、大島は一番右端の机の社員を呼んだ。
大島はひどい弱視だという。若年性緑内障にかかり、視野がほとんどないというのだ。だが、タイピング技術は神がかっていて、見えている人間よりも正確に打つことができるというのだ。「部長、この中にはなにもデータが入っていません」メモリースティックを調べた社員はそういった。「そうかい、僕にかしてごらん」大島は空中に手を出した。慌てて社員は机を立つ。
大島はメモリースティックを、机のすみに置いていた小さなノートパソコンに差し込んだ。それにはヘッドホンが付いている。彼がプログラミングの情報を音読させているパソコンだ。それにメモリースティックが認識されると、大島は高速でタイピングした。ファイルが展開され、画面はあっというまに空のファイルで埋め尽くされた。「何かあるね」そう大島はつぶやくと、さらにメモリースティックを解析した。すると奥に小さなMP3のファイルが出てきた「見つけた」そういって彼はそれをクリックした。「ふふふ」大島はヘッドホンを外して渡辺が居る方に差し出した。渡辺はそれを耳に当てた。「Happy birthday to you」聞き覚えのある音楽が流れた。「今日は僕の誕生日なんですよ」大島はそういうと笑った。
「これを渡したのは田中真琴じゃありませんか?」大島清彦はそういった。「あの子は私の妹なんです。父親は違いますがね」「僕の誕生日を祝ってくれる人なんてこの世に彼女くらいです」そういうと大島は淋しそうに笑った。
翌日、会社は大騒ぎだった。あるデータがクラッシュして、顧客情報の大部分が失われたというのだ。それを聞いて渡辺は田中真琴の仕業だと思った。大島は相変わらず高速でタイピングしながら「違いますよ」といってのけた。「むしろあの子は危機が迫っていることを、私に教えてくれたんです」「昨日のうちに重要な部分のバックアップを焼いておきました。これでリカバリーできるはずだ」
原因は外部からの攻撃、有名なハッカー集団からの攻撃だった。「問題は誰かが故意に、ウイルスデータを仕込んだ形跡があることです」「例えていうなら、外に敵がいるのを知っていながら、内側からドアを開いた誰かが居るということです」「さあ、忙しくなるぞ」それを聞いて渡辺は大島のディスクを後にした。
(2018年3月9日 了)
3月8日「電脳の忍び」 一日一作@ととり @oneday-onestory
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