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大きなプロジェクトというのは、ある大手会社に仕込んだウイルスデータを遠隔操作して、情報を入手することだった。グラマーな眼鏡美女、事務の佐藤はこういった「よくニュースで情報漏洩が話題になるけど、あれは下手な仕事」「スマートな仕事はね、情報を抜かれたことに気づかせないことなの」そういってキーボードを高速でタイピングした。渡辺京太郎は聞いた「この情報はどこかに売るのか?」佐藤は銀縁の眼鏡を押し上げてこういった「いいえ、もとの会社に売るだけ。セキュリティ会社をうちにするという条件付きでね。それも格安」「だってそうでしょ?うちのハッキング技術で破られるセキュリティなんだもの。うちに変えない理由はないでしょ」
プログラミングの大西と今川はたして二つに割れば普通体型になりそうな太目とやせ型のコンビだった。太っている大西はやたらと饒舌で、そのくせ何を言っているのかよくわからない。痩せている今川は無口で、二人は気が合うようだった。大西はディスクの周りにアニメグッズを置いている。今川のディスクは人が使ってるとは思えないほど物がない。
渡辺はしばらく、営業の増沢と共に働くことになった。増沢はどこか大人しい控えめな印象の初老の男性だった。大手の会社の営業として50年働き、定年退職してこの仕事に就いた。なんでもギャンブルが好きで競馬で負けて借金が莫大らしい、子どもは成人し奥さんは逃げ出し今は独り身だという。彼は黙っているとニコニコ笑っている髪の薄い老人だが、一度口を開くと、その語り口は名人の落語を聞いているようで、あっというまに周りを引き込み、仕事の契約を取ってくる。まさに話芸だった。「私はね、夢があるんですよ。ふらりと知らない会社に行って、そこで出されたお茶でもすすりながらニコニコ笑っている。すると会社の人々がニコニコ愉快な気持ちになってくる、なんだか愉快で仕事も順調にすすむ、会社も業績が上がる。これはめでたいということで、新しい事業をはじめる。そこに営業をかけるんです」「この営業は100パーセント成功します」
「面白い会社だな」渡辺はそういって日本酒を呑んだ。ビールやワインはあわない体質で、無理すれば飲めないことはないが、やはり日本酒が旨いと思う。特に今日の日本酒はいい味だ。「気に入ってくれて良かった」西条はそういうと、ビールをあおった。いまや西条は渡辺の上司になるのだが、そんなことは気にしなくて良いといってくれている。特に、仕事が終わったら、上下関係は無しにしようといい、共に居酒屋へ繰り出すのだ。
一年が経った。渡辺京太郎はすでに一人で営業を任される身になっていた。セキュリティのいろはもわかってきた。セキュリティというのは内部に侵入されると弱い。何重にもかけておく必要がある。だが、それには資金も技術も必要だ、その兼ね合いを見つけて、このレベルのセキュリティなら……というギリギリのラインを提案できるようになった。そしてもう一つ大きいのは人為的なミス。渡辺京太郎も苦々しい経験をしたが、外付けメモリーをうかつに会社に持ち込んではいけない。それは、田中真琴の会社で徹底されていた。そして外部のインターネットと、社内のネットワークの隔絶。会社内でインターネットに接続するときは慎重に決められたパソコンで行う。
「単刀直入にいう。転職しないか?」渡辺はある日、営業で出向いた会社の幹部にこういわれた。幹部といってもまだ若いが、ばりばりの営業マンで、そのやり方は少々強引だなという印象だった。渡辺は考えた。今の会社には恩がある。「恩義は大事かもしれない、だが、仕事は真っ白というわけではないのだろう?」ヘビースモーカーの佐々木史郎はそういってもう一本煙草を取り出した。「聞いてるぞ、裏であまり大きな声でいえないことをしてるらしいな」「ハッキングまがいのことをして、会社を強請るというじゃないか」最近は不況でなかなか業績が上がらなかった。だからそういう強引な仕事を行うことが多くなっていることは、渡辺も気づいていた。「悪いことはいわない、大事になる前にうちに来たまえ」「願ってもないことです。しかし」「少し考えさせてください」渡辺はそういってその場を後にした。
「そうね……」田中真琴は日本酒を口にした。「あなたのいうことはもっともだわ」真琴はワインを気取って呑んでいる時より、日本酒を呑んでるほうが色っぽい。「事業を見直しましょう。それでね」「あなた、引き抜きの話があるでしょう?」「それに行って」渡辺は驚いた。「あなた、忍者にならない?」くすくすと真琴は笑う。「草っていうのよ、ある土地に代々住みついて、そこの住人になりきって、そしてこっそり内部を探るの」「誰もそれを見破れないのよ」渡辺京太郎はからかわれているのかと思った。だが、真琴は本気だった。「あなたを引き抜きたいっていう会社、どうしてもセキュリティが破れないのよね」
渡辺京太郎は転職した。高層ビルから東京のビル街を見下ろす。俺は最初の会社ではこの場に立てなかっただろう。彼は感慨深かった。彼のポケットにはマイクロSDカードが入っている、それには暗号をかけたウイルスソフトが入っている。彼は自動販売機の紙コップのコーヒーを買って飲み干した。そして、マイクロSDカードを取り出すと指先に挟み爪に力を入れた。パキリ……あっけなくそれは割れた。その屑を紙コップの中に入れると、コップを握りつぶし、ごみ箱に捨てた。「さようなら」そういうと、その場を後にした。
(2018年3月8日 了)
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