第6話

「後藤さんって、パチンコやるんですか?」

 ある土曜日、西野に言われた。

(……遂にこの日が来たか)

 幸い、俺と西野の他に人はいない。

「どこで見た?」

「昨日、駅前のAって店から出てくるとこ見てました」

「そっか。見られちゃったか」

 俺は笑顔を作りながらも、胸の奥は生まれたての小鹿のように震えていた。

 これで西野から軽蔑されたらどうしよう。この前、西野の演技を悪く言った報いだろうか。悪く言ったのは心の中でだが……。

「俺はスロット専門なんだけどね、パチンコは全然」

「そうなんですか」

「スロット」の方が「パチンコ」より若干大人っぽい響きだと思うのは俺だけだろうか。「スロット」ならラスベガスにもある。一方、「パチンコ」はいかにも退廃的だ。

 そんなわけで俺は「パチスロ」という言い方を決してせず、「スロット」と言い張る。パチンコよりはまだましだと、西野は思ってくれるだろうか。

「スロットって面白いですか?」

「まぁ、面白いよ」

 少なくとも昔は、面白いと思った。だからのめり込んだのだ。

「今度連れてってくださいよ」

(え?)

 それは……駄目だ! こっち側に来ちゃいけない。

 西野、お前には夢があるだろう。俳優になるんだろう。勝算を度外視して戦うんじゃなかったのか? お前みたいな奴が踏み込んでいい世界じゃない。

「やめといた方がいいと思うけど」

「金、吹っ飛びます?」

「吹っ飛ぶね。二、三万は軽く」

「うひゃー」

「設定一の台を十時間打ったら期待収支は約マイナス二万円だから」

「詳しいですね」

 しまった、つい専門用語が。

「負けるの嫌だからさ」

「もしかして後藤さんってプロなんですか?」

「いやいや、それほどのもんじゃないけど」

 そうなんだけど。

「後藤さんに教えてもらえば、そんなひどい負け方はしないで済みますよね」

「それは、そうかも知れないけど」

「じゃあ一丁、お願いします」

「でも、保証はできないよ。所詮ギャンブルだから、勝つはずの台で滅茶苦茶負けることもあるし」

「負けても文句なんか言いませんよ。それに、そんなにつぎ込むつもりないですし」

 もし期待収支がプラスの台ならいくらでもつぎ込むのが正解なんだ、なんて言ったら、いよいよ軽蔑されてしまうだろう。

「いつならいいですか?」

「本気で行くの?」

「駄目なんですか?」

「絶対やめろとは言わないけど、西野がスロットに興味あるなんて思わなかったな」

「後藤さんがやってるなら、どんなもんかなと」

 この人たらしめ。どうして舞台でその魅力を発揮できないんだ。演出家が悪いんじゃないのか?

「けど、劇団があるんじゃないの?」

「ああ、次の公演の稽古が始まるまで、しばらく休みなんです」

「そうなんだ」

「俺は早速今日でもいいですけど」

「いや、土日はやめよう」

「というのは?」

「土日は放っといても人が集まるから、設定状況が厳しくなる」

「なるほど」

 俺は脳をフル回転させた。この男に無残な負け方をさせるわけにはいかない。

 西野は平日、いつも夕方までバイトだから、一緒に打てるのはそれ以降になる。ならば、それまでに俺が高設定の台をつかんでおいて、譲ってやればいい。その時隣が空いていたら俺はそこで適当に打とう。こんな時ぐらい、負ける台で遊んでもいい。 

 問題は、どこの店にするか。

 C店なら無難だ。イベント日ではなくてもノーマル機の四は置いてある。が、C店にはやはり近づかない方がいい。避けられるリスクは避けるのがプロのやり方だ。

 明後日ならA店が大きなイベントを開く。見せ台も複数入るはずだが、ライバルが多い。抽選に漏れたらそこで終わり。

 となると、B店の木曜のイベントか。明日からの稼働状況を観察すれば見せ台の位置は読める。ライバルもA店ほどは多くない。

「めっちゃ考えてますね」

「えっと、木曜はどう?」

「いいですよ。じゃあ、夕方五時半に、ここ待ち合わせでいいですかね」

「了解」

 よし、決戦は木曜日。できる限りのサポートはする。

 だが、勝ち負けと、西野が楽しめるかどうかは別問題だ。ノーマル機ならばともかく、ART機の仕組みは難しい。

「予習する気ある?」

「予習?」

「どうせならちゃんとわかって打った方が面白いと思うよ」

「確かに。じゃあ、雑誌とか買えばいいですかね」

「いや、ほとんどの雑誌は中級者向けだからね」

「へぇ」

「あとでメールするよ。ちょっと長文になるかも知れないけど」

「マジすか! ありがとうございます。じゃあ、お願いします」

 その日、俺はほとんどの時間を、テキスト作りに費やした。レジ打ちや品出しをしながらも考えた。

 いっぺんに書いたら内容が膨大になり過ぎる。木曜までは今日を含め、四日間。四回に分けるとしよう。どんな順番で、何を説明するか。

 ある一機種について解説するなら簡単だが、B店の見せ台は何になるかわからない。機種ごとの特徴は除外しよう。当日座った台について俺が直接説明すればいい。

 あくまでも入門書だ。簡潔に、わかりやすく。マニアックになってはいけない。

 考えに考えた末、「設定」・「目押し」・「ノーマル機とART機の違い」・「一般的なART機の仕様」の四章に分けることにした。

 そして、書いた。心を込めた。学生時代でさえ、こんなに懸命に文章を書いたことはなかったと思う。長文のメールを打つこともほとんど初めてだったが、この四日間で文字を打つ速度が随分上がった。

 送信する時間にも気を遣った。西野が配達のバイトを終える頃に送る。ただ、終わってすぐではまるで待ち構えていたようだから、多少時間をずらす。

 西野は律儀にも毎日、お礼と質問を書いて返信してくれた。俺は狂喜し、一層心を込めて質問に答えた。

 水曜の夜は、いつもより念入りに下見をした。狙い台が取れなかった時や読みが外れた時、ハイエナに切り替えるため、天井が搭載されているあらゆる台の最終ゲーム数をメモした。

 そして、夜が明けた。


 現在八時二十分。開店待ちはざっと六十人。普段より多いが、大半は素人だ。他のプロより早い番号を引ければ、狙い台は取れる。

 八時三十分、入場順抽選。店員の持ったクジの箱に手を突っ込む。今日は気合いを入れた。願わくば、一桁。

 八番。

(よし!)

 たまには念じてみるものだ。

 九時、開店。第一候補は他のプロに取られたが、第二候補を確保。ここまでは上出来だ。あとは、設定を見抜く。

 どんな台で打ったところで、勝つかも知れないし、負けるかも知れない。長期に渡るならいざ知らず、今日一日、しかも夕方から数時間打つだけなら、全てが運次第だと言っていい。

 努力して勝ち取ったアドバンテージが、不運によって露と消える。反対に、何の苦労もなく、幸運によってチャンスをつかみ取る。そんな例はいくらでもある。

 俺なんかに言う権利はないかも知れないが、敢えて言おう。この世は運否天賦だ。生まれた時代、国、家、与えられた教育、出会った人間――自分ではどうにもならないことが、あまりにも多い。九割方、運に支配されている。

 だからこそ、人はわずかでも勝率を高めようとする。幸運の女神に媚を売る。一見愚かだが、必死になれる。ましてやそれが他人のためとなれば尚更だ。

 夕方五時十五分、この台が設定四以上であることを確信した俺は、店員を呼び、休憩札を貰った。この店では一日一回、三十分間だけ、食事休憩が認められている。昼飯を抜いて得た権利だ。無論、夕飯を食いに行くのではない。西野を迎えに行くのである。


 西野は――プラス二千円という、無難な結果に終わった。開始早々に出現率六万分の一以下の希少役を奇跡的に引き当てるも、後半はじりじりとコインを削られる展開となった。

 ある意味で理想的だったと言える。真面目な西野がギャンブルに溺れることはないだろうが、浮かれてしまうような勝ちでもなく、負けもしなかった。

「このTUCって何の店かと思ってたんですけど、スロットの景品交換所だったんですね」

「人に教わらなきゃわかんないよね」

 事実、スロットは現金を賭け、現金を獲得できる。ただ、公然とではない。店内では「景品」と呼ばれるチップに交換し、その景品を店外の「TUC」なる窓口で現金に交換する。

 グレーゾーンのギャンブルだ。警察からは黙認されているに過ぎない。よって、スロット店は景品交換の仕組みを客に説明することができない。黙って「景品」を差し出すのみ。それをどうするかは客の自由というわけである。

 俺の成績はプラス八千円。夕方まで高設定の台を打ち、夕方からは低設定の台を打ったから、ほぼ期待収支通りだ。

「二人で一万円の勝ちですね」

「うん」

 小さな勝ちだが、西野の顔はうっすら上気している。

「後藤さん、このあと平気ですか?」

「何もないけど、なんで?」

「一杯いきません? 飲めなくはないんですよね?」

 その言葉を俺は密かに期待していた。


「いらっしゃいませー!」

 威勢のいい声がこだまする。チェーンの安居酒屋はサラリーマンたちで賑わっている。

「じゃ、おつかれさまでした!」

 と、西野がジョッキを掲げる。

「ああ、おつかれ」

 と、俺も恐る恐るジョッキを差し出す。力加減がわからない。

 ジョッキが触れ合う。重い手ごたえ。次の瞬間、もう西野は喉を鳴らしている。店員が突き出しの枝豆をテーブルに置き、慌ただしく去っていく。

 どうだ。俺は今、友達と居酒屋でビールを飲んでいるぞ。俺にだってそういうことはあるんだ。

「今日はありがとうございました」

「いや、大したことはしてないよ」

「儲かっちゃいました」

「本当はもうちょっと勝てるはずだったけどね」

「いやいや、十分ですよ。後藤さんがちゃんと説明してくれてたおかげで面白かったですし」

「そう? なら、良かった」

「っていうか、説明なしじゃ多分わけわかんなかったです」

「だろうね。結構複雑だもんね」

「仕組みが複雑って敷居高いですよね。なのに、あれだけたくさんの人が夢中になってるって、すごいですね」

「確かに」

 全員が全てを理解しているはずはない。が、勝ち方はともかく、遊び方はほとんどの客が理解している。ギャンブルのために、学んだのだ。あれだけの人数が。

 料理をいくつか注文し、西野が言った。

「いきなりですけど、この前の舞台、どうでした?」

「本当にいきなりだね」

「すいません」

「えっと、良かったと思うけど」

「正直、微妙じゃありませんでした?」

(それは……)

 あの時、顔には出していないつもりだったが、にじみ出てしまっていたのだろうか。

 西野は真剣な顔でじっとこちらを見ている。……本音を言った方がいいのだろう。

「素人の感想だから聞き流してくれて構わないんだけど、まぁ、脚本は好みじゃなかったな」

 西野は表情を変えず、言葉を選ぶようにして、言った。

「後藤さんはお金出してチケット買ってくれたわけですから、本当はこんなこと言っちゃ失礼なんですけど、実は俺も脚本はあんまり良くなかったと思ってます」

「そうだったんだ」

「でも、問題は俺の演技です。後藤さん、俺個人はどうでした?」

 思わず目をそらし、枝豆をつまんだ。

 どうやら俺は、少し誤解していたらしい。西野はただ突き進んでいるわけではなかった。悩みを抱えていた。

「どうって言われても、俺素人だから、そのへんこそよくわかんないよ」

「俺が将来、大きな舞台とか、有名な映画に出て活躍してるとこって、想像できます?」

 と、西野は核心を突いてくる。

「努力次第じゃないかな」

 と、俺はお茶を濁す。

「自分の演技、ビデオで撮って観たりするんですよ。それで、何となく思うんです。才能ないなって」

「でもさ、良い脚本じゃないと、良い演技もできないんじゃないの?」

「そういう面もありますけど、やっぱりうまい人は何やらせてもうまいんですよ」

 と、西野は淋しそうに笑う。

「何でもそうだと思いますけど、演劇も相当、運の世界です。脚本とか、共演者とか、プロデューサーとか、自分じゃ選べないことばっかりです。でも俺、演劇が好きなんで、人のせいにはしたくないんです」

 俺は、かける言葉が見つからなかった。

 感心すると同時に、どんなに立派な決意があろうと、実力の足しになるわけではない、とも考えていた。

 夢を持ち、輝いて見えた西野が、才能には恵まれていなかった。自分より下にすら見えた。年相応に、後輩だった。そのことを俺は内心喜んでいたのだ。

 弱みを知って、親しみが増した。頼られることが嬉しかった。

 そして俺は今、現状維持を望んでいる。彼の夢が叶うことを願ってはいない。

(こんなの、友達とは言えないんだろうな)

 西野は残っていたビールを一気に飲み干し、ジョッキをテーブルに置いた。

「俺、いっそスロット台になりたいですよ」

「どういう意味?」

「あんな風に、たくさんの人を夢中にさせてみたいです」

 チケット代二千八百円。コインにすれば百四十枚。数分で消える枚数だ。大勢の人が、西野の演技を見るためより、ギャンブルのために、金を使っている。

「失礼しまーす」

 店員が料理を運んできた。

 西野が焼き鳥の盛り合わせを串から外しながら言った。

「すいません、つまんないこと言って」

「いや、大丈夫だよ」

「俺もう一杯生頼みますけど、後藤さんは?」

「じゃあ、俺も貰おうかな」

 体は「もう飲むな」と言っている。けれど、今夜は飲んでやろう、という気分だった。

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