第4話

「お待たせ致しました。牛丼並盛と生卵でございます」

 来た。至福の時。

 まず全体を四分の一・四分の一・二分の一の三エリアに分け、順にAエリア・Bエリア・Cエリアとする。この時、たまねぎが偏らないよう注意しなければならない。何故なら、たまねぎの甘味こそが「牛丼」だからである。

 エリアを分けたのは、風味の変化を楽しむ為だ。Aエリアには紅ショウガを乗せて、Bエリアには七味をふり、食す。そして、残ったCエリアを卵でしめる。卵は溶かずに落とし、曖昧に混ぜる。混ぜ過ぎるととろみが死んでしまう。

 牛丼並盛二百八十円、卵五十円。こんなに安くて美味い食べ物が他にあるだろうか。飽きない。今後も飽きない為に、週一回だけと決めている。

 今朝は狙い台が取れなかった。取れなければ撤退。それが鉄則だ。

 この界隈の打ち手はレベルが高い。朝一、勝てる台はすぐに埋まる。空き台の中にも高設定があるかも……と淡い期待を抱くから、素人は負けるのだ。諦めが肝心。

 雑誌を読めば誰でも設定推測の方法を知ることはできる。二時間ほど打ってみて、ボーナス確率や子役の出現率などのデータを取れば、低設定の台を見切ることはできる。だが、それでは遅い。打った時点で負けなのだ。相当強い根拠があって、その台が高設定だと最初から信じられる時以外、決して手を出してはいけない。

 午前中は図書館で時間をつぶし、今こうして牛丼を食べ終わった。

 満ち足りた俺は、再びスロット店に行き、天井近くで捨てられている台を探す。「ハイエナ」である。だが、収穫なし。なくて当然。狙い台が取れなかった時から延々ハイエナをしているプロもいるのだ。そこまでする根性は俺にはない。

 夕方になればノーマル機の高設定台が空く可能性がある。それまで、帰って寝るとしよう。退廃的とそしられようと、これも戦略だ。外にいると金を使ってしまう。

 自転車を止め、ポストを開ける。入っているのはスロット店からのダイレクトメールばかりだ。うんざりする。たまに貴重な情報が得られることもあるが、ほとんどは紙クズだ。こんな宣伝にかける金があるなら、設定を上げて客に還元してもらいたい。

 ダイレクトメールの束をゴミ箱に突っ込み、カビくさい布団をひっかぶる。ポケットの携帯が震えた。メール。開いても無意味だが、開く。

「本日もご来店誠にありがとうございます!

スロット専門店ロックンロール、担当の柏崎でございます。

○新台二日目! 『ハナハナパルサーⅡ』全三十二台、絶好調稼働中!

○メール会員様限定情報! 台番末尾二・八はチャンス!? 五なら激熱!? 空き台を見逃すな!!」

(……昔はよく踊らされたな、こういうのに)

 枕元に携帯を放り、俺は目を閉じた。


 スロットとの出会いは三年前、バイト先の先輩に誘われてのことだった。

 灰田さんは三十五歳にして苦学生という変わり者だった。三十路を迎えてから天文学に目覚め、勤めていた会社を辞めて、大学の夜間部に入ったのだという。

 彼は勝ちにこだわるタイプではなかった。設定などまるで気にせず、勝てば笑い、負けても笑っていた。今思えば、あれがスロット本来の姿だった気がする。

 俺は、あまりにも典型的で恥ずかしいが、ビギナーズラックに気を良くして興味を持ち、雑誌などを買い始め、一人でも打ちに行くようになった。何度か痛い目を見た後、とにもかくにも慎重にならなければならないということを学んだ。

「ほどほどにしとけよ」

 天文台への就職が決まり、コンビニを去っていく灰田さんの忠告を、俺は無視してしまったことになる。


 そもそもこの町へは、これもまったく典型的だが、家業を嫌って来たのだった。

 父は漁師である。これまた型通りの漁師というべきか、金遣いの荒い人だ。大漁旗を揚げて帰ってきても、その儲けはあっという間に使い果たしてしまう。使い道は、酒、家具、そしてパチンコだった。

 地元にパチンコ店は一店だけ。パチンコが打ちたければ皆その店に行くしかない。競争相手がいない、つまり、客におもねる必要がないのだから、釘はいつもギュウギュウに締めてあっただろう。

 パチンコに「設定」はない。その代わり、店は釘の開け締めによって調整する。釘が締まれば、その分抽選を受けられる機会が減り、客は余分な金を遣わされることになる。

 当時はまるで興味がなく、というより毛嫌いしていて、実際にこの目で見たわけではないが、今ならあの店の状態が容易に想像できる。

 どんなに釘が締まっていようと、ギャンブルはギャンブルだから、父が勝つこともあっただろう。だが、トータルではボロ負けだったはずだ。スロットには「一」より下の設定はないが、パチンコは釘を締めさえすれば、いくらでも残酷な台を作ることができる。

 ギャンブルにのめりこむ父が嫌いだったのか、それとも敷かれたレールの上を行くのが嫌だったのか――多分その両方なのだろう。俺は高校卒業と共に故郷を離れた。

 とにかく実家を出たかっただけで、明確な目的はなかった。漠然と大学に通い、漠然とバイトをし、気づいたら、あれほど怨嗟していたギャンブルの世界に片足を突っ込んでいた。

(遊びでは打たない。稼ぐために打つ。パチンコとスロット、分野こそ違うけれど、とにかく俺が勝ち続ければ、親父のカタキ討ちにもなる)

 そんな風に思おうとしていた時期もあったが、今はもう真実を受け入れている。

 血は争えない。それだけのこと。俺にはクズの血が脈々と流れているのだ。

 豪放磊落な父とは対照的に、母は静かな人だ。いつも穏やかで、他人の話にきちんと耳を傾ける。ちょっとした出来事に喜びを見出す。母はギャンブルなどしない。正しい生活者である。

 父はともかく、母だけは傷つけたくない。あの人を傷つける権利は誰にもない。

 母を喜ばせたいなら、家業は継がないまでも、故郷に帰って仕事を見つけるのが一番いい。帰らずとも、きちんと就職をして、元気でやっているよと、電話なり手紙なりで知らせてあげるべきだ。そうすべきなのだ。本当なら、今すぐにでも。

 もう随分長い間、実家とは連絡を取っていない。俺が今どんな生活をしているか、話したくない。言えない。新しい自分に生まれ変わらなければ、母には会えない。

 わかっている。今、まさにこの瞬間に動き出さなければ、何も変えられない。都合よく生まれ変わるタイミングなど永遠にやって来ない。

(だから、ただ待ってるわけじゃないんだ)

 スロプロは期待値を追う。期待値がプラスになるよう根気よく打っていれば、一日単位では買ったり負けたりでも、月間収支がマイナスになることはまずない。俺は月十五万円を期待値の目安にしている。

 けれど、期待値は期待値だ。運が良ければ三十万近く稼げることもあるし、悪ければ五万程度で終わることもある。そして俺の運は、どちらかと言えば、悪い。

 この二年間の平均月間収支はプラス九万。普通の運勢なら十五万のはずのところ、その六十パーセントほどしか稼げていないことになる。台の見極めが甘いことがあったとしても、期待値十二万はあるはずだ。俺は常人より明らかに運が悪いのである。

 俺はオカルトの類を一切信じない。日頃の行いが悪いから運が下がるとか、パワーストーンで運気が呼び込めるとか、そういった話は全部まやかしだ。風水も名前の画数も生まれた日も関係ない。俺の運が悪いのは、たまたま悪い現象が集中して起こっているに過ぎない。何の理由もなく、現象は偏る。

 サイコロの目が出る確率は、一から六まで等しく六分の一。だが、一ばかり立て続けに出てしまうこともある。実際にある。

 そして、何の理由もなく、良い現象が集中して起こることだってあるのだ。

 期待値は最低でも十二万。なのに、今までの平均は九万。そろそろ運命の針が上側に振れてくれてもいいはずだ。三ヶ月連続で二十万を超えるとか、そういうことが起こっても何ら不思議はない。

 現象は偏る。しかし、いつか必ず収束に向かう。

 一生運の悪い人間などいない。皆平等だ。平等でなければ困る。俺には、今までが不運だった分、幸運を受け取る権利がある。

 幸運の波が来るのを俺は待っている。それさえ来てくれれば、貯金が作れるのだ。バイトの収入もある。スロットの収入は九万でもやってこられた。余剰が出れば、貯めておける。

 金さえ貯まれば、行動を起こせるはずだ。灰田さんのように何か勉強を始めることもできる。どこか旅行にでも行って、今後のことをじっくり考えるのもいい。

(――なんてな)

 馬鹿馬鹿しい。自分自身に嘘をついてどうする。

 金ができたら考える? そんなわけあるか。金ができても、俺は新しいことなど何も考えない。断言できる。

 考える奴は、そもそも何のために金を貯めるかを考えている。俺にはやりたいことが何もない。考えて見つかるようなものじゃない。今ないなら、この先もないのだ。

 きっと俺は、金が増えても、軍資金に余裕ができたというぐらいにしか思わないだろう。必ずそうなる。自分のことは自分が一番よくわかっている。

 母を悲しませたくはない。けれど、仕方ない。「仕方」が「ない」のだ。

 俺には何もない。楽な方に流れてしまう。スロットでしのげるうちは、しのいでしまう。空っぽの暗闇に、俺は甘んじる。

 昔から無気力だった。絶望的に。みんなが何か「する」のを、俺はただじっと眺めていた。何か「したい」と、まったく思わない。思い方がわからない。

 灰田さんに誘われたことは、運命の分かれ道でも何でもない。はじめから転げ落ちていた。這い上がる気はない。

 俺はこれでいい。これが俺なのだ。無駄な抵抗はしない。ありのままで生きていく。

 いいだろう、別に。誰の役にも立っていないけれど、迷惑もかけていないのだから。

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