第6話

 僕たちはなんだかんだで、ファミレスに一時間くらい滞在していただろうか。映画の話や、昔の思い出話で盛り上がっていたためかあっという間の出来事だった。

 ファミレスを出た後、僕らはゆっくりとした足取りで家崎駅に向かう。昼になったとはいえ、風がやや強めに吹き、体が凍える。次第に歩くスピードが上がっていき、アンもそれに合わせる形でスピードを上げていく。そうこうしているうちに、家崎駅に到着する。僕は改札を通った後、真っ先にホームに行き、ベンチの近くにある自動販売機へと向かう。そこで僕はホットのミルクコーヒーを購入し、取り出し口から拾い上げる。


「アン、何か欲しいものは?」


「私はホットのミルクティーがいい!」


 生き生きとした表情を見せながら、アンが答えた。僕は注文通り、ホットのミルクティーを購入する。ミルクティーで有名な2つの銘柄のうち、僕が好きな方の銘柄がこの自販機に入っていたので、なんとなく都合のいい気がしつつ、僕はミルクティーを手にとって、彼女に渡す。


「ありがと! あったかい……」


 右手に持ったミルクティーを頬に当てて、温かさを実感したあと、アンはごくごくとミルクティーを飲んでいく。僕もちびちびとではあるが、ミルクコーヒーを飲む。缶コーヒーの微糖は変に甘くしたような味がして、僕はあまり好きではないが、このミルクコーヒーのような自然な甘さは好きだ。――それでも、僕はコーヒーはブラック派なのは念のため主張しておこう。


「電車、五分後に来るみたいだよ」


 アンは、近くにある電光掲示板を確認して言った。僕もそれを確認した後で、頷く。


「いいタイミングで来れたね。――小熊に着くのは、十四時半くらいかな」


 僕は左腕に着けている腕時計で現在時刻をチェックした。これから、僕が行きたいと思っている場所は二箇所だ。行く先は――これから明らかになるだろう。ヒントを与えるなら、まず最初の場所は『彼女』との縁の地で、僕はそこでしなければならないことがある。そしてもう一つの場所は、『彼女』との約束の地、ということになる。


「なんか難しい顔してるけど、どうしたのー?」


 アンがミルクティーを両手で持ちながら、尋ねてくる。僕はハッと我に返って、


「ああ、ごめん。なんでもない」


 僕は、そう答えるのが精一杯だった。



 ◆



 数分後、ホームに到着した電車に乗り込み、車内の暖房と、座席の下にあるヒーターで体を温めながら、小熊駅で降りる。僕はどうしても家に立ち寄らないといけない用事があったため、駅を出るとまず自宅に向かった。アンも、トイレに行きたいとのことだったので、ちょうどよかった。

 五分ほど歩いて、自宅の門を通って家の中へと入っていく。僕は真っ先に自分の部屋へと移動し、閑散とした部屋の引き出しを開ける。そこには、今ではかなり古い機種となった水色のデジタルオーディオプレーヤーが綺麗な状態で入っていた。これは、ここに来る前までは由紀が所持していて、あの噴水公園で僕に元々興味のなかった洋楽を聴かせてくれた思い出の品で、その後名前のわからない、喪服を着たおじさんに「海斗くんにこれを預かってほしい」と頼まれた記憶しかなかったが、今でなら誰に渡されて、元々誰のものであったかがわかる。僕はこれを、たまに起動するかどうかチェックしていたが、今まで不思議と使う気になれなかった。なんとなく、故障するのを恐れていたのかもしれない。

 僕は起動するのを確認した後、同じく引き出しにしまってあったイヤホンをプレーヤーに巻きつけ、それをポケットに仕舞う。部屋から出ると、そこにはアンが立っていた。


「もう、大丈夫?」


 アンが朗らかな顔で尋ねてきた。僕は真剣な表情で、うんうんと頷く。


「じゃ、久々に散歩へ行くとしよっか」


「あっ、リードとか持ってったほうがいいかな?」


「キミ、首輪してないから意味ないし、そんなことしたら僕が危険人物になっちゃうんだけど……」


 彼女のボケにツッコミを入れながら、僕は自然と笑顔になっていた。そのボケは、きっと彼女なりの気遣いだったのかもしれない。こうやって冗談を言い合いながら散歩に行けたらどれほど幸せだっただろうかと、やや切なさがこみ上げながらも、僕はスニーカーに履き替えて外へ出た。


 そして、僕たちは日が傾いていく中、かつて通っていた散歩コースを、昔を懐かしく思いながら歩いていく。――リード代わりに手を繋いで。


「懐かしいなー。 海斗が高校生までのときはこうして歩いてたよね」


「アンが急に走り出すから大変だった思い出が強いんだけど……」


「あれは……ついはしゃぎたくなって。お母さんと散歩してるときはいつもおとなしかったもん」


 自慢げに喋りながら、アンは胸を張る。


「僕と散歩してるときにもう少しおとなしくしてほしかったね」


 僕は苦笑いしながら、見慣れた看板を前方に確認する。そこには『内藤自動車』と書かれていた。


「あっ、あのワンちゃんがいるお店が見えてきたね!」


「あの犬、毎回律儀に家から出てきて吠えてたけど……今日もいるかな?」


「いない日はないって感じだったよね! 内藤くん、毎回吠えながら歓迎してくれたし」


 内藤自動車の店の前に家を構えている、中型の白い紀州犬のような見た目の犬を、僕たちは『内藤くん』と呼んでいた。彼はいつも家の前を通ろうとすると必ず僕たちの前に立ちはだかり、吠えながら突進してきたものだ。もう、今ではかなりの老犬だと思うのだが、最後に通ったときも相変わらず元気に突進してきた記憶がある。

 そして、その内藤自動車のそばまでたどり着いたとき、僕は面倒だなと思って、迂回しようと進路を変えようと思ったその瞬間、リードを引っ張られたような手の感覚が走った。


「だめだよー、ちゃんと内藤くんに挨拶しなくちゃ」


 アンは笑顔で腕を引っ張ると、その内藤くんの家のほうへ堂々と歩いていく。そして待ってましたかと言わんばかりの勢いで、彼はいつもの白い体を見せつけながら躍り出る。――ワンワンワン、と唸るように吠えながら。


「こんにちはー。元気そうだね?」


 アンはしゃがんで、呑気に内藤くんに挨拶している。僕は隣で立ったまま彼を見つめていたが、内藤くんの視線はアンではなく僕に注がれていることに気づく。アンは僕に微笑むと、


「内藤くん、やっぱり海斗のことが嫌いみたいだね」


「なんで……」


「私みたいな可愛い子連れてるから、かな? ……なんちゃって。私の隣を歩いているのが昔から気に食わなかったのは確かだけどね」


 僕は納得いかずに首を傾げながら、立ち尽くしていた。アンは平然と内藤くんの首あたりを触って、彼との親密さをアピールしてくる。内藤くんもそれを許しているあたり、アンとは仲がいいらしい。


「それじゃ、そろそろ行こっか。――内藤くん、元気でね?」


 最後に頭の上を撫でると、アンは立ち上がって歩き始める。僕も彼女に合わせて歩き始めるが、後ろを振り向くと彼と目が合い、すぐに彼が何回か吠える。


「やっぱり、内藤くんに嫌われてるね」


「べ……別にいいよそんなこと」


「本当は好かれたいくせにー」


 アンが笑いながら、繋いだ手をぶんぶんと振り回す。僕はそんなアンを傍目に、きっとあの頃朧気ながらも、彼女も僕もこうする日常を欲していたんだろうと、空を見上げながら推測する。――こんな、他愛のない会話をしながら、当たり前のように笑いあったり、ふざけあったりする日常を、僕たちは欲していただけなのに、何故この世界はこんなに残酷なのだろう。


「さて、内藤くんに挨拶は済ませたわけで、もうちょっと歩けばいつもの散歩コースも折り返しなわけだけど、これからどうするの?」


 交差点で青信号を待ちながら、アンが問いかけ、僕は現実に戻される。――現実とはいっても、ここは夢の世界ではあるのだが、今の僕は、ここの世界のことを現実のものとして記憶に留めておきたいと心の底から思っていた。


「――実は、内藤くんの家が僕たちの行くべき場所だったんだ」


「……へ?」


「内藤くんに会ったから、もうあとは帰るだけかな」


「もちろん冗談ですよね?」


 アンが、今日一番の殺気立った顔をこちらに向けてくる。――やはり、こういう冗談を言うのは僕に向いてないな、と反省して、僕は頭を下げる。


「はい。すみません、冗談です。――これから噴水公園に行こうと思ってる、ここから歩いて十分くらいだし」


「噴水公園……」


 真剣な表情に戻して僕は告げると、アンの顔からも笑みが消え、引き締まった表情に変わった。


「……うん、わかった」


 アンは硬い表情で答える。彼女は平静を装っているが、一方僕は鼓動が次第に早くなり、繋いでる手から汗が出ている。一歩、一歩と昔毎日のように通っていたあの噴水公園に近づく度に、胸の高鳴りを感じる。

 そして、言葉をほとんど交わさないまま噴水公園のそばまでやってくる。そこは――二回目の夢の交通事故の現場となった場所だった。それにアンが気づくと、彼女は立ち止まり、手を震わせる。


「ここ、は……」


 彼女の顔色は青ざめて、繋いだ手を離す。傾いていく陽の光が彼女を照らしていなかったら、もっと蒼白さが浮き彫りになっていただろう。僕は、繋いでいた左手をそっと、彼女の右肩に乗せる。


「大丈夫だから」


 一言だけ掛けて、僕たちは公園の入り口へと進んでいく。いつもは何てことはない道のりなのに、今では足取りが重い。それは、忘れさせられていた事実を、僕が取り戻した証であることは明白だった。

 アンは顔を伏せながら、僕はくそったれな世界を憎みながら、一歩、また一歩と近づいていく。あの日を境に、『彼女』が二度と立ち入れずに僕だけが取り残された――あの公園に。

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