第4話
その後、僕らは今後の予定について打ち合わせをする。
「これからどうする?どこか行きたいところは……」
「うーん、特にないかな。海斗が行きたいところでいい!」
「俺が行きたいところって……主役はアンなんだから、アンが行きたいところ決めなよ」
「いやいや、ここはデート行き慣れてる海斗にプランお任せするよ」
こんな押し問答が続いて、結局僕が行き先を決めることになった。残念ながら、この近くにはデートで行くようなところはなく、最寄りの小熊駅まで歩いて、そこから電車に乗り、隣駅の家崎駅で降りてその周辺の商業施設に行かなくてはならない。もちろん自動車を運転したり、自転車で行ってもいいのだが、僕はあいにくペーパードライバーで運転に自信がなく、自転車は自分のものしかないのと、冬はこの地域特有の『空っ風』が吹き荒れるため、自転車を漕ぐのが身体的に負担がかかったりする。僕は構わないが、いくら体力に自信があるオーストラリアン・ケルピーだったアンとはいえ、彼女に無駄な負担をかけたくはなかった。
僕はスマホを自分の部屋から取ってきて、操作し始める。すると、アンが興味を示して画面を覗き込んでくる。
「何を調べてるのかなー?」
「これから行こうかなって思ってるところの下調べ」
「ふーん……やっぱり、無計画じゃないのは海斗らしいよね」
そう言って彼女は、スマホから離れていく。彼女に言われた通り、僕はプランを綿密に立てる方だったので、今までも集合時間から解散に至るまで、どう行動するかをいつも頭の中で組み立てていた。今日はいつも由紀とデートしていた時よりは自由に回ってみようかと思っているが、初っ端行く予定のところについてはどうしても情報が必要で、こうしてコーヒーのおかわりをしながら検索をかけているのだった。
その後、僕は家崎市の映画館のサイトに飛び、現在上映されている映画について調べる。現在は午前九時を少し過ぎたところだが、これから支度しなければならないこと、電車が三十分に一本しか通っていないことを考慮すると、十時三十分から十一時くらいの上映開始が慌てずに映画館に行かずに済み、ちょうどいいだろう。電車の時刻だが、ここは朝のラッシュの時間を除けば零分か三十分の時刻なので、恐らく十時ちょうどの電車になるはずだ。幸い、お目当ての映画が十時四十分から上映開始という情報を掴んだので、僕はスマホを机に置く。
「ねぇ、どこに行くの?」
「それは秘密」
「えー。教えてくれたっていいのに……まっ、多分家崎だろうし、その周辺って言ったら行けるところ限られてるからだいたいわかるけど!」
アンは自慢げに胸を張った。その様子を見ながら、アンの胸は由紀のそれよりも明らかに大きいな、という感想を抱いた。――由紀がここにいたら嫉妬しそうなほどに。由紀は高校時代から自分の胸について気にしていたが、「そのうち大きくなるし」と、気にしてないフリをしていた。残念ながら、その頃からあまり変わってないのが現状なのだが――そんな下心丸出しの観察をしていることを悟られないよう、僕はすぐに目を落とし、コーヒーを口に運んでいく。アンは席を立ち、母の部屋に行くと言い残してリビングを去った。恐らく、着替えるためだと思うが、僕の目が気になって席を立ったわけではないことを祈って、僕も自室に戻ることにした。
そして三十分後、二人は家を出る。アンはニットの上に紺のコートを羽織り、下は黒のタイツに灰色のスカートを履いていた。しかし、彼女がスニーカーを履いていることがどうにもミスマッチな気がして、アンにブーツは履かないのか、と尋ねたのだが、
「だってスニーカーのほうが歩きやすいもん! ブーツにしようかなって思ったけど、歩きやすいほうがいいかなって!」
僕は「なるほど」と、彼女に悟られないように無難な返事をしたものの、内心はブーツを履いているほうが可愛くて好きなので、とても残念に思ったのはここだけの秘密にさせていただこう。しかし、その格好なら尚更、ブーツのほうがおしゃれで可愛いと思うだけに、僕は歯がゆく唇を震わせながら実家の鍵をかけて、もうすでに歩き始めていた彼女を追いかけて、歩き出す。
小熊駅へは、実家から徒歩で五分で着く近場にあり、外の寒さが身に染みるものの、今日はアンがはしゃぎながら先を歩いているせいか、いつもより寒さを感じなかった。住宅地を抜け、近年改築されたばかりの、利用客数のわりに立派すぎる小熊駅が現れる。僕が高校生のときは見窄らしい、ただの駅だった。家崎駅とは反対側の隣にある希崎小島駅は僕が生まれてから作られた駅なのだが、それと比較すると、どれだけボロい駅舎だったか誰の目にも明らかだった。しかし、老朽化が目立ったのと、このあたり一帯が住民数が多くて利用客もまずまずということで、改築というよりは新築工事で現在の駅舎が建ったわけだが、無駄に大きいせいで改札に行くためには階段を上らないといけなくなり、明らかに不便な作りになっていた。
「へー、これが今の小熊駅かぁ……でっかいねー」
「正直でかすぎだと思う」
「そうだねー、私たち以外に誰もいなさそうだもん」
僕たちは階段を上りながら、そんな会話を繰り広げる。都心部だと電車と徒歩であちこちにいけるようになっているが、ここのような田舎は電車の本数が少なく、あとは駅が目的地から離れていたりするため、マイカーがないと不便で生活できないくらいだ。そのため、必然的に電車を使う客は少なく、今みたいに土日のこの時間だと利用する人はあまり見られない。普段はなんとも思わないこの人気の少なさだが、今日はアンと2人で限られた空間を占領しているかのような、優越感に何故か浸っていた。
アンが先導するように、僕らは改札を通っていく。僕はもちろんICカードの乗車券を持っていたが、彼女も何故か持っており、平然とチャージされたそれをかざして通過していった。その時、振り向いて得意気に笑いかけながら。僕は彼女のテンションが高すぎて少々困惑しているが、犬であったアンはもちろん電車に乗ったことなどなく、興奮気味になるのも無理はない。限られた時間しかない彼女が今日の主役なわけだから、彼女が楽しそうならそれは幸せなことだと、こちらも前向きな気持ちになって、アンを追いかけるように僕の歩調が早くなっていく。
階段を下り、僕たちは駅のホームに到着する。そこは寒さを凌ぐ場所がない、極寒の地だった。線路を吹き抜ける風が、肌に当たって痛みすら感じる。ひとまずベンチに座ることにしたが、電車が来るまであと十分以上ある。ガラス張りの待合室があればいいのだが、そんなものはこの田舎の新築で少し調子に乗っただけの駅には存在しない。僕は両手をそれぞれデニムのポケットに忍ばせるが、右隣に座っているアンの左腕が、僕の右腕を掴んで、引き上げる。
「こうすれば、もっと暖かくなるよ」
そう言って彼女は、僕の右手をぎゅっと握った。僕はドキッとしたが、予想に反して彼女の手は冷たかった。
「アンのほうが手、冷たいんだけど」
「……もう! そういう余計なことは言わなくていいの!」
彼女はムッとして、僕から視線を逸らすも、たまにこちらの顔色をチラチラと窺ってくる。こんな積極的なアプローチをしてくるのだからさぞ心に余裕があるのだろうと思っていた僕であったが、どうやらそこまでの余裕はないらしく、少し顔を赤くして、視線を合わせようとしない。その姿は、思春期の女の子そのもので、僕はあのアンがこんなに人間らしい性格だったのかと、誰よりもアンを理解していたはずなのに理解し切れていないことを、彼女の死後訪れたこの世界で思い知る。
「あのさ……由紀ちゃんとも、こんな感じで手を繋いでたの?」
視線を逸らしたまま、向こう側のホームを眺めつつ彼女が言った。高校時代、由紀とデートする日はアンと遊んでやれなかったので、不機嫌な日が多かったことを思い出しつつ、口を開く。
「いや、由紀はすぐ恥ずかしがるから、あんまり手を繋いで歩いたりはしなかったかな……少なくとも、アンみたいにいきなり手を繋いできたりはしなかったよ」
「へ、へぇー……そうなんだ。由紀ちゃんが家に来たときはニコニコしながらご両親に挨拶してたのに」
「あー、あれは……最初のほうはかなり無理してたね。挨拶を済ませてその後僕の部屋に来たときは『心臓バクバクで死にそう、というか死にたい』って言ってたから」
由紀は基本的に奥手だったので、僕が先導してデートすることが多かった。ただひとつ例外を挙げるなら――それは間違いなく、彼女から告白を受けた日だろう。あれがなければ付き合うこともなかったかもしれない。そのくらい、勝ってかっこいいところを見せようと思っていた僕のプランが崩れたことが、あの日は本当に悔しかったのだ。
「その由紀ちゃんと、今破局のピンチなんだよね?」
アンは、ここに来てからすっかり頭から消え去っていた現実をぶつける。僕は頭をかきながら、頷いて答える。
「うん……僕が全部悪いから、なんとかしようとは思ってるんだけど……」
「すれ違いなんて、誰にでもあるよきっと。――私が言うのも変だけど、それが2人の関係を見つめ直す、いい機会なんじゃないかな」
僕の手を握る力が強くなるのを感じながら、僕は彼女の言葉を聞いた。しかし、弱々しいセリフしか吐くことのできない僕は、握り返すことができず、空虚な言葉が駅のホームに響く。
「でも、実質破局通告突きつけられてるから……僕に何ができるのかわからない」
つい最近まで完璧な人間を目指していた僕は、多忙という言い訳で由紀を失いかけていて、それに伴ってドミノ倒しのように次から次へと物事が上手く立ち行かなくなっている。過去の自分が現在の僕を見たらきっと「こんなはずじゃなかった」とか、「お前は上杉海斗じゃない」とか、言うに決まっている。こんな迷走している僕が、由紀とよりを戻せる資格があるとは思えず、己の不甲斐なさに項垂れた。そんな僕の右手から、彼女の左手が離れていく。
――あぁ、アンも僕に失望したか。キミは知らなかったかもしれないけど、僕は本来こういう人間なんだよ。ごめんな。
そんな言葉の羅列が、僕を支配していく。しかし彼女はそれを遮るようにして、左手をポン、と僕の右肩に乗せる。
「海斗は、今まで頑張りすぎだったんだよ。確かに、努力すれば何でもできる男の子ではあったけど……それでも、誰も頼らずにこなしていくには限界だった。――きっと由紀ちゃんも、何でもっと私を頼ってくれないんだろう、って今まで思ってきたんじゃないかな」
彼女はこちらに視線を向けて、明るく微笑む。その笑顔が、妙に懐かしく思えた。――何故、彼女の笑顔でここまで心が温かくなるのだろう。自然と、寒さが吹き飛んでいた。そして彼女は立ち上がり、僕の目の前に立ち尽くし、右手を差し伸べて言葉を紡ぐ。
「今日はかっこいい海斗もいいけど、甘えてくる海斗も見てみたいな! ――よろしくね、一日限定の彼氏さん!」
僕は彼女の右手をゆっくり握りながら、立ち上がる。二人しかいない空間に電車が来るアナウンスが流れるのを聞きながら、迫り来る電車に心を弾ませていた。もう、僕たちに残された時間は少ないことには目を背けて。
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