木下くんは蹲る、帰れないんだと



 帰りのホームルームもすでに通り過ぎて、教室の掃除当番も終えてしまって、ちょうど帰路につく頃。

 窓の外を覗いてみれば、たしかに段々と日が沈むのが早くなってきている気がする。

 普段特に、誰かと待ち合わせをするタイプではないので、そそくさと一人で帰る準備を進めていく。

 掃除が終わった後、病み上がりということもあって少し保健室に寄っていたので、もうすっかり他の生徒はいなくなってしまっていた。

 いつもよりやや乾燥した空気を吸うと、自分の教室を見渡してみる。

 今日も私の左隣りは空っぽだった。


 人気の少ない廊下をゆっくりと歩く。


 グラウンドの方から聴こえるのは、部活に汗を光らせる下級生たちの声。

 どうやら土埃を上げるのはサッカー部のようだ。

 自然と目を奪われるけれど、そこに見知った顔はいない。


 ……あれ?


 昇降口まで辿り着くと、そこに一人の少年がうずくまっているのが見えた。

 そして、その少年は私がグラウンドで見つけられなかった、数少ない顔を知っているサッカー部の部員でもあったのだった。



「……んあ? お前は……?」



 大きな鞄を抱えるように蹲っていた少年は、私の気配に気づいたのか顔を上げる。

 その顔は骸骨のようにげっそりとしていて、目は爛々と血走っている。


 死人のような顔色の悪さの少年は、四中の司令塔こと木下優馬くんだった。


 直接話したことはないはずだけど、地味に有名人なので私は彼の顔を知っていたのだ。

 

「……お前は、俊平の隣りの……本田、だっけか?」


 え? あ、はい。そうです。横尾の隣りの本田です。

 予想外にも私のことを木下くんは知っていたらしく、うっかり私は変な返事をしてしまう。

 横尾の隣りの本田です。なんだそれは。なんかちょっと恥ずかしい。

 それに今はもう、私は横尾くんの隣りの本田じゃないのに。


「横尾の隣りってことは……お前も寧々と同じクラスだよな? どうだ? あいつは幸せそうか……?」


 いつもより痩せ細って見える木下くんは、虚ろな瞳で私を見つめる。

 寧々、というのはおそらく鈴井さんのことだろう。

 そういえば木下くんと鈴井さんは付き合っていたはず。


 う、うん。幸せそうだよ。今日もいつも通り楽しそうだった。


 だから私は気を遣って、鈴井さんの近況を明るく報告した。

 正直鈴井さんが幸せそうだったか判断はつかないけれど、特に普段と変わった様子もなかった気がするし。


「……そっか。あいつは幸せそうなのか。……俺と別れた後も、寧々は幸せなんだな……」


 あ、やらかした。

 しかし私は自分が見事にしくじりを犯したことにすぐに気づく。

 知らない間に、私でも認知してくらいの、木下鈴井のビッグカップルは破局を迎えてしまっていたようだ。

 

「俺さ、帰れないんだ。いつも寧々と一緒に帰ってたからさ、帰れないんだ。校門に行けば、いつだって寧々が俺を待っててくれて、俺たちは手をつないで一緒に帰ってたから。今校門に行っても、俺を待ってくれてる人はいない。今帰れば、その現実がわかっちまうから、帰れないんだ」


 嘆くような口調で、木下くんは呟く。

 それは私に言っているのか、それともただの独り言か。

 県大会準優勝の四中サッカー部のキャプテンとは思えないほど小さな囁き声だった。


 ――ピコンっ。


 だけどその時、よく耳にする着信音が聴こえる。

 私はマナーモードにしてあるから、この音は木下くんの物からだろう。

 その証拠に木下くんは、目をぎらつかせてポケットからケータイを急いで取り出した。


「……ふっ。なんだよ、お前かよ」


 でも画面を確認すると、木下くんは緊張した顔からすっと力を抜き、穏やかな微笑みを浮かべた。

 

「……やっぱり俺、帰るわ。なんか俺のこと待っててくれてる奴、いたみたいだから」


 ずっと蹲っていた木下くんは、すっと立ち上がる。

 相変わらず元気はなさそうだけれど、やっぱり立つと身長の大きさがよく目立つ。



「……本田。お前は手放すなよ。あいつは俺よりよっぽどいい奴だからな」



 最後にそう言い残すと、木下くんは昇降口を抜けて、校門まで走っていく。

 私は彼から少し遅れて、秋空の下に立つ。


 離れた学校の正門に見えるのは、木下くんが嬉しそうに、彼より少し背の低い少年の肩を組む姿。


 今、木下くんの隣りにいるのは、少し前まで私の隣りにいた人。

 

 どうして今、そこに立つのが私じゃないのかな、なんて思う私の心も十分蹲っている気がしてならなかった。



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