私は振りかえる、あれは馬鹿が風邪をひいた日のこと
季節の移り目にまんまとやられたのか、私はちょっと熱を出してしまったらしい。
すでに学校へは両親から連絡をしてもらって、風邪で休みということになっている。
スウェット姿のまま、自室のベッドに寝転がり、私は時々思い出したようにスポーツドリンクを飲んでいた。
そういえば今から二年前も、このくらいの時期に風邪を引いていた気がする。
でもあの時はたしか、私より先に私の不調に気づいた人がいたはず。
『馬鹿は風邪を引かないというが、これは実際には間違いだと僕は思っている。実際には馬鹿は風邪を引いても、馬鹿だから中々その自らの不調に気づきにくいというだけだろう。それに僕も自分の記憶がたしかなら、風邪を引いたことがない。僕は馬鹿じゃないに風邪を引いていないという事実からも、この通説が間違いだということがわかる』
中学一年生の秋。
なんだか頭の中がぽわぽわとする私の左隣りでは、横尾くんがぺらぺらと上機嫌に語っている。
隣り同士の席になってから初めて気づいたのだけれど、どうも横尾くんは意外に口うるさいというか、自分の意見をはっきりと持っているタイプみたいだ。
そしてどうしてかわからないけれど、聞いてもいないのに私に聞かせることが時々あった。
『それに風邪を引くというのは、つまり体調管理がなっていないということの証明にもなる。誰だっていきなり風邪をひくわけじゃない。必ず風邪の引き始めという状態があるはずなんだ。賢人はそこで体力を回復させるなり、先に薬を飲むなりして、風邪予防の対策を行う。つまり風邪を引かない人間というのは、どちらかといえば計画性に優れた賢い人間ということになる。むしろ馬鹿が風邪をひくんだ』
いつもなら一応、横尾くんの独特な世間話に付き合ってあげるのだけど、今日はろくに相槌も打てなかった。
というかいつも以上に何が言いたいのかよくわからない。
そもそもなんでこんな話になったんだっけ。
どうも意識がぼんやりとしている。
寝不足かな。
瞼の裏を擦ってみるけれど、横尾くんの顔がそれで明瞭になることはなかった。
『だからもし少しでも身体の変調を感じたら、すぐにそこで対策を打つべきなんだ。僕は常に喉を癒す薬も、鼻炎薬も常備してある。こういった薬は体質の関係もあるから、申し訳ないけど君に貸すことはできないけれどね』
いや、誰も横尾くんの鼻炎薬貸して欲しいなんて思ってないし。
私はべつに喉も痛くないし、鼻も詰まっていない。
しいていうなら頭がちょっと重く感じるだけ。
『しかし僕らは幸運なことに学生という身分にある。君はもしかしたら知らないかもしれないけれど、こういった教育機関には必ず保健室なんて名前で呼ばれることの多い特別な医療機関が存在しているんだ』
保健室ぐらい知ってるし。さっきから何の話してるの。
ちょっと頭が重いということもあり、私の言葉も若干へビーな感じになる。
すると横尾くんはちょっと気まずそうに頬をぽりぽちと掻く。
『つ、つまりだね。もし今、君が少しでも身体に不調を感じているのならば、すぐにでも保健室にいってそれなりに処置をしてもらうべきだと言っているんだ。君にはその権利がある』
え? どういうこと? もしかして私の体調のこと心配してくれてるの?
これはかなり意外な事実だった。
べつに私は横尾くんい今日、やや頭が重いことなんて伝えていない。
それにも関わらず案外観察眼が鋭いのか、私が本調子じゃないことに気づいたらしい。
ありがと。心配してくれて。
私が素直に感謝の言葉を述べると、横尾くんはそっぽを向いてつんつんとした声をあげた。
『べ、べつに君のことを心配しているわけじゃないさ。ぼ、僕はこう見えて一年生ながらサッカー部で主力として活躍しているんだ。僕のような有望株に風邪を移されたらたまったもんじゃないからね。僕だけでなく、学校全体に迷惑がかかる』
学校に迷惑って。さすがに大袈裟過ぎでしょ。
私は笑う。こんなに照れ隠しがへたくそな人は初めてみた。
でも私は大丈夫だよ。心配してくれたのは嬉しいけどね。
だから私は横尾くんに安心するように笑いかける。
たしかに頭がちょっとぼーっとするけど、別に咳も鼻水も出ないし、ただの寝不足だろう。
『……本当かい? あまり無理はしないことだぞ。これで明日、君が風邪で休んでいたら、今度から君のことを
そんな横尾くんの軽口に、私はむっとして顔をそむけた。
そして恥ずかしいことに、次の日、私は風邪で学校を休んだのだった。
馬鹿が風邪をひいた、ということだ。
どうやら世の中には、鼻や喉ではなく、頭痛からくるタイプの風邪も存在するらしい。
だけどどうしようもない羞恥心で風邪が治った後に学校に来た私のことを、横尾くんが変なあだ名で呼ぶことはなく、彼は短く、“おかえり。元気になったみたいでよかったよ”、とだけ言うので、風邪とは違う熱が身体を火照らせたのだった。
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