青山くんは喋る、秋が始まると


 身体がなんとなくだるい。

 塾の教室で、高校入試の過去問を眺めているけれど、中身は何にも入ってこない。

 水族館の回遊魚を観ているのと全く気持ち。

 泳いでは泡沫。泳いでは泡沫。

 私の心は浮力と潮に流されるまま、目的もなく漂っていた。



「おつかれさま、本田さん。これ、いる?」



 秋の涼風を思わせる爽やかな声。

 右隣りに顔を向ければ、そこにはクラスメイトの青山くんが缶コーヒーを片手に微笑んでいた。


 ありがとう。いただくね。


 席替えをして以降、私と青山くんは席が近くなったこともあり、わりと喋る機会が増えてきていた。

 青山くんのご厚意に甘えて、彼から差し出された缶コーヒーを一つ手に取る。


「毎日受験勉強ばっかりでやんなっちゃうよね。でも今月末になれば、修学旅行だ。それは楽しみだ。俺、京都、というか関西の方行くの初めてだから」


 そうだね。中学三年生の数少ない楽しみだもんね修学旅行。

 世間話ではなく、青山くんは本当に期待しているような雰囲気だ。

 私自身は、正直そこまで楽しみというわけでもない。

 両親の実家の関係で、関西に行くのもべつに初めてというわけじゃないし。


「班での自由行動、どこ行きたいとか決めた? 俺はさ、伏見稲荷とか行ってみたいんだよね」


 伏見稲荷か。いいね。私もちょっと興味ある。

 プルタブを開けないまま、掌の中で缶コーヒーを転がす。

 せっかく貰ったのに、どうしてかあまり飲む気にならない。

 もしかしたら風邪かなにか引いてしまったのかも。


「でも、本田さんと同じ班でよかった。せっかくの修学旅行だし、話しやすい人と一緒の方がいいもんね。俺、本田さんと一緒にいると、楽しいし」


 ありがと。私も青山くんが一緒の班でよかったと思う。私も青山くんとは喋りやすいから。

 青山くんは優しい人だ。

 こんな反応の薄い、お世辞にも愉快とはいえない性格の私に対しても、こうやって話しやすいとか言ってくれる。

 

 一緒にいて、楽しい。

 

 私に対して本当にそう思ってくれている人は、どれくらいいるのだろう。

 いつにもましてネガティブな考えが頭の中を巡る。

 他人の気持ちなんて、そう簡単にわかるものじゃない。

 それなら、私自身の気持ちはどうだろう。


 私が一緒にいて、楽しいと思う人は?


 右隣りに座る青山くん。たしかに彼は優しい人だ。口下手な私でも、彼と一緒ならわりと自然に喋れている気がする。

 でも、どうしてか私は空っぽの左隣りを見つめてしまう。

 そこにはもう、誰もいないのに。



「修学旅行が終われば、今度は文化祭。なんか、いよいよ秋が始まるって感じだね」



 眩しかった夏の面影は、日に日に薄まっていく。

 何かが欠けている気がしてならない私は、まだ秋に馴染めないでいる。

 ぬるくなりだしてきていた缶コーヒーを、やっと口に含む。


 ああ、ほろ苦い。

 

 ブラックは苦手じゃなかったはずだけど、今はやけにミルクの甘味が恋しかった。

 

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