横尾くんは語る、今の席が気に入っていたのにと



 夏休みが終わり、季節は秋に向かっている。

 学校と塾の夏期講習に追われ、人生で最も楽しくない夏を私は過ごした。

 いつもだったら夏休みが終わる頃には憂鬱な気持ちになっていたのに、今年に限っては学校の友人たちに会えるので普通に授業がある方が楽しいような気さえしていた。



「どうやら今日はまだ帰れないみたいだな」



 始業式もすでに終えてしまって、残っているのは帰りのホームルームだけ。

 残暑の青空を窓越しにぼんやりと眺めていた私の隣りで、この夏に髪を切ったらしく爽やかな雰囲気に変わった横尾くんが頬杖をついている。

 

 どうしてまだ帰れないと思うの? あとはホームルームだけでしょ?


 短髪になったことで横尾くんのきりりとした二重瞼がよく見えるようになった。

 私は自分でもどうしてかわからないけれど、そんな横尾くんを真っ直ぐと見れなくなっていた。


「はい! 皆さん注目! 夏休みも終わったところでキリがいいので、今日は席替えをしたいと思います!」


 すると私の問いへ代わりに答えを返すように、担任の川谷先生がはきはきとした声を上げる。

 教卓においてあるのは、丁寧に折りたたまれた紙きれが沢山つまった透明の箱。


 席替え。


 時期的にはたしかにそろそろ行われてもおかしくない頃だ。

 でもなぜか、私は心に棘が刺さったかのように、息苦しさを覚え始めていた。


「今回の席替えで決まった班で、九月末の修学旅行は班行動するから、みんなそのつもりでね!」


 川谷先生が廊下側一番前の席に座る生徒に透明の箱を渡すと、クラス全体を見渡すように顔を上げる。

 教室からは悲鳴のような歓声のような、熱のこもった声が自然と浮きあがる。

 当たり前だけど、本当に席替えをするみたいだ。


「あんまり嬉しくなさそうだね。今の席が気に入っていたのかい?」


 隣りの席の横尾くんが、少し皮肉っぽい表情で私に声をかける。

 

 べつに。ただの席替えでしょ。嬉しいもなにもないよ。


 どうしてか私の口から出たのは棘のある言葉。

 横尾くんと目を合わせられない私は、黒板を走る川谷先生の白い筆跡を追うように眺めている。


「そっか。僕は少し残念だよ。今の席が気に入っていたからね」


 左隣りから鼓膜を撫でるのは、予想に反して優しい声色。

 盗み見るように横尾くんの方を見てみれば、彼は自嘲するような顔つきで虚空に視線を漂わせていた。



「ほら、次は僕らの番だ。席を引こう」



 そしてすぐに私たちの席まで席替えのくじが入った箱が届けられる。

 ちゃんと前の席の子から箱を受け取ったのに、なぜか私の身体は緊張にこわばり動こうとしない。


「じゃあまずは僕の方から引こうかな」


 私が一向にくじを引こうとしないのを見かねたのか、横尾くんが隣りから手を伸ばし、先に紙きれを一枚選び取る。

 後ろの席からプレッシャーを感じて、私も箱の中に手を突っ込む。


「……あ、僕は今と同じ席だ」


 すでに紙を開いて中を確認した横尾くんは、黒板に書かれた番号と照らし合わせている。

 横尾くんの引いた数は34。偶然にもその数が示す席は、まさにいま彼が座っている場所だった。

 いま私が座っている席は28。もし私が取った紙にその数が書かれていれば私は違うところに行かないで済む。

 


「君はどこの席だった?」



 横尾くんがいつもより少し低い声で訊いてくる。

 一度、二度、深呼吸。

 覚悟を決めた私はゆっくりと紙を開く。


 ――書かれていた数は、4。


 ふっと全身から力が抜けるような感覚。

 視界が一瞬真っ暗になって、眩暈のような気分の悪さを覚えた。



「……4、か。そっか。残念だな。僕は今の席が気に入っていたのに」



 私の引いた数を覗き見た横尾くんは、数秒間瞳を閉じると、ふっと短い溜め息を吐く。

 

 秋が訪れ、私と横尾くんは離れ離れになることになった。

 

 でもきっと、仕方ないことか、なんて独り言を言う横尾くんは、私が彼と知り合ったばかりの二年前と同じくらい遠くに思えた。



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