横尾くんは語る、毎日人は夢を見ると

 

 私は普段あまり夢を見ないのだけれど、今日は久しぶりに夢を見た。

 とても不思議な夢だったので、内容もよく覚えている。

 どこか見覚えのある老婆と私は二人っきり。海の上でオセロをしていて、私が黒を白に塗り潰すたびに老婆のしわが減っていく。

 そして最終的にオセロには私がなんとかぎりぎりで勝利して、すると老婆は気づけば十代半ばにも届かないような少女になっていた。

 その目の前に座る少女は間違いなく私自身で、海の水面に映る私の顔はどこか見覚えのある老婆になっていたのだ。



「なるほど。中々に興味深い夢だね。君は普段夢を見ないと言っているがそれは正確ではない。毎日人は夢を見ているんだ。夢を見なかった日というのは、実際には夢を見たにも関わらず忘れてしまった日といえる」



 なんと私が忘れているだけで、本当は私も毎日夢を見ているらしい。

 今日は偶然記憶に残りやすい夢を見たというわけか。

 忘れっぽい私ではあるけれど、夢を見ること自体は嫌いではないので、自分の夢を録画できる機械があればいいのにと思った。


「しかし老人の夢か。一般的に夢に出て来る老人は知性や知恵、経験を示しているとされる。ただ今回の君の夢の場合、見知らぬ老人ではなく、自分自身が歳をとった姿になるわけだから、どちらかというと自分自身が夢に出てきた場合を考えるべきかもしれない」


 横尾くんって夢占いみたいなのもできるの?

 どうやら横尾くんは本当に占い好きみたいだ。

 私が感心したような声を出すと彼は誇らしげな表情でペラペラといったいどこで仕入れたのかわからない雑学を喋り始める。


「まず自分自身が出てくる夢というのは、自らの理想、願望が映し出されているとされる。たとえば、夢に出てきた自分が大金持ちであれば、それは今の自分が大金持ちになりたいと思っているとなるし、友人に多く囲まれて幸せそうにしていれば、それは反対に今の自分には友人が少なく孤独を感じているということになる」


 では段々と歳をとっていく自分を夢見た私は何を望んでいるというのだろう。

 まさかさすがに早く老婆になりたいと思っているわけじゃないはず。

 若返りたいならまだしもね。

 そこまで心が枯れきってしまっていることはないと信じたい。


「たしかに老人が自分の理想といのは些か変だな。となると重要なのは年老いた自分自体ではない? 年老いて行く、という過程の方が重要なのか?」


 私の夢の意味を知るためにどんどんと横尾くんは推理を続けていく。

 老婆となった自分とオセロをしていたら今度は自分が老婆になってしまった。

 こんな奇妙な私の夢になんとか意味を見出そうとする横尾くんがちょっと可愛らしく思えないこともない。


「年老いていく……それは言い換えれば死に近づいていくこと。死は再生の象徴。新たな出会いや日常の変化が近づいている、それを予感しているということか?」


 そうなのか? と横尾くんがきいてくるけど、その質問はこっちの台詞だった。



「しかし、同時に目の前の老婆は若返っているんだったか。それにオセロ……うーん、わからん。変化の時が訪れるかどうかは、自らの選択次第ということか?」 



 そうなのか? とまた横尾くんがきいてくるけれど、やっぱりそれはこっちの台詞だった。

 私のこの平穏な日常に変化が起きるかは、私次第。


 果たして私はオセロを黒にするのだろうか、それとも白にするのだろうか。


 私はそういえばオセロに敗北したはずのもう一人の私が満足そうに微笑んでいたことを思い出し、今日の自分はどんな夢を見るのかな、明日もまた覚えていられるといいな、なんてことを考えていた。




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