第6話 特殊性癖教室へようこそ 第一章⑤


「ちょっと待って下さい」


 澄んだ声が聞こえた。教室の後ろのドアが開いて、恭野が入ってきた。どうやらいつの間にか教室を出ていたらしい。

 教室中の視線が恭野に集中した。恭野は毅然とした態度で言った。

「私、伊藤先生の言うことを信じます。先生は蕎麦くん達の仲間じゃないと思います」

 恭野は大量の写真を持っていた。彼女は写真を裏向きにして、触りたくないものを触るように人差し指と中指の間に挟んでいた。

「お……、男の方に見せるのは、良くないと思うので……」

 今更過ぎる気遣いをした。いかがわしい写真なのだろう。

 恭野は胡桃沢を自分の方へと呼んだ。胡桃沢は恭野から写真を受け取ると、口を開いた。

「これ……、私の写真だ」

 どうやら恭野は、どこからか胡桃沢の盗撮写真を持ってきたらしい。

 なんとなく予想がついた――その写真は、俺が蕎麦くんに押し付けられた写真だった。

 恭野は一度息を吸い込むと、教室の生徒たちに向かって、その事実を告げた。

「伊藤先生の机の引き出しの中に入ってたんです」

 そのセリフを聞いて、教室のざわめきの声が大きくなった。やっぱり先生が犯人だ、という声が広まる。

「武蔵野先生が、そこにあるって教えてくれたんです」

「武蔵野先生が?」胡桃沢が聞く。

 恭野は教室の注目を集めていることに、今更ながらもちょっとひるみながら言った。

「さっき教室を出たら廊下で会ったんです。武蔵野先生は、九組から大きな音がするということで様子を見に来られたみたいです」女子たちの憎悪の叫びと、蕎麦くんの派手な転倒の音は、他のクラスにも聞こえていたらしい。「私は武蔵野先生に、金曜日の始業式の後に、伊藤先生の身に何が起こったのかを聞いたんです。武蔵野先生は伊藤先生とデスクが隣ですからね」

 金曜日の始業式の後――それは、俺が蕎麦くんに写真を貰った時間だ。そしてその後に、俺は恭野に「蕎麦くんはどこにいるか」と聞いたのだ。

「先生が私に蕎麦くんの居場所を聞いた時、先生は慌てた様子でした。だからきっと、その直前に何かがあったんじゃないかと思ったんです。武蔵野先生はその時間に、伊藤先生のデスクに大量の盗撮写真が投函されていたことを教えてくれました」

 やっぱり……、という声が広まる。けれども恭野は、固まりかけた俺=容疑者のムードに反論した。

「でも、もし伊藤先生と蕎麦くんがグルなら、伊藤先生が武蔵野先生に写真のことを教えるのは変じゃないですか?」

 きっと、それが恭野の言いたいことだった。

「伊藤先生が犯人なら、武蔵野先生に写真のことを教える必要はないと思うんです。だから先生はただ単純に、勝手に写真を押し付けられて困ったから武蔵野先生に相談したんです。もちろん、本当の所はわからないですが……、でも、私は伊藤先生が悪い人のように思えないので、伊藤先生の言うことを信じたいと思ってます」

 恭野の言葉に、教室は一瞬しんと静まった。

 あまりに長い沈黙にうろたえるような表情をした恭野に、胡桃沢が言った。

「なーるほどねー」

 胡桃沢は、重い空気とは真逆の能天気な口調で続けた。

「つまり、どーてーせんせーには盗撮写真を横領する度胸は無かったってことだね♡」

 もっと他に言い方はなかったのか……?

 胡桃沢の軽口に、宮桃の声が続いた。

「なんか全然意味わかんなかったけどすごいね! 文香ちゃん名探偵みたい!」

 このアホの子は一体なんのエリートになるんだ……? と思っていると、女生徒たちの声が続いた。

「確かに、ほんとに仲間だったら武蔵野先生に見せる必要ないもんね」

「伊藤先生もちょっと変態っぽいけど、あんまり度胸はなさそうだし」

「文香ちゃんすごーい」

「やっぱり学級委員は文香ちゃんがいいなー」

「じゃあ……、犯人は」

 教室中の視線が、再び蕎麦くんとハカセの方に向いた。

 蕎麦くんは額に脂汗を浮かべながら、精一杯強がってみせた。

「ドゥフフ……、コポォ……、フォカヌポウ……、ひ、引っかかったでござるな。そう、これこそが伊藤先生のほどこしたカモフラージュ。この変態の手の内なのでござるよ!」

 しかし、今更その言葉を信じる人間はいない。

「そのカモフラージュを、仲間のあんたが漏らしてどうすんのよ……」

 胡桃沢は呆れている。それから俺の方を向いた。

「どーてーせんせー。疑っちゃってごめんね。お詫びに今度、盗撮写真を見てひとりでスるよりも、もっとスッゴイことしてあげるからねっ☆」

 俺はつい「スッゴイこと」を想像してしまい、前かがみになった。

 教室の女子たちは、ふたたび非リア二人の捕獲に当たった。

 無数の視線の中で……、ついに観念した蕎麦くんが言った。


「……ここは、拙者のパンツの写真を撮ることで、痛み分けとするのはどうでござるか?」


 その言葉が、女子たちの怒りに火をつけた。

 殺意の波動と、タトゥーマシンの音と、新聞紙を燃やす音の中、俺はとばっちりを食わないために教壇の中で丸まっていた。 


   *


放課後。

 施錠のために九組に行くと、入り口の所に、髪の毛を全て焼き払われて頭頂に「変態」と刺青されている(シールだと思いたい)非リア三人衆がいた。

 生きてて良かったな……と、俺が命の大切さを噛み締めていると、蕎麦くんが言った。

「伊藤先生……、悪いことをしたでござるな」

 一人だけ難を逃れたことに苦言を呈されると思っていた俺は、蕎麦くんの神妙な態度が意外だった。

 どうやら彼らもこの件を経て、思い直したことがあるらしい。

「僕たち、先生を勝手に仲間だと思って、突っ走ってしまったのかもしれないね」

「拙者達、男ならばみなパンツが好きと、決めてかかってしまっていたでござる。しかし、そうとは限らないのだということを知ったでござるよ……」

「先生たちと俺たちの溝、埋めたい……」

 おお。

 どうやら彼らは、大切なことを悟ってくれたらしい。

 よーし、ではちょっと先生っぽいことをしよう。俺は「世の中には色んな考え方があるんだよ」という、ありきたりな説教をしようと思った。

 そんな俺に、蕎麦くんは思ってもないことを言った。


「先生は、全裸派だったのでござるな……」


 ……。

「パンツなんて必要なかったんだね」

「先生は、胡桃沢殿の盗撮写真なんて要らなかったのでござるな……」

「流派の違いだったんだね」

「盗撮写真よりも先に、風呂場の映像を送っておけば……」

 ……。

 こいつらはひょっとして、永遠に懲りないんじゃないだろうか。

 蕎麦くんは永遠に盗撮をし続けるし、ハカセは永遠に発明をし続けるし、土之下くんは永遠に溝を埋め続けているんじゃないだろうか。

 でも仕方ないか。だってこの教室は、

 特殊性癖教室――だもんな。

 そんな諦めが俺を襲った。そうだ。こいつらは「性癖」レベルで悪戯が好きなのだ。そして俺は教師として、そんな奴らと付き合っていかなければならないのだ。


 教室に入ると、恭野が一人で勉強をしていた。どうやら明日からの宿題テストの対策をしているらしい。

 俺が教室にいるのを察して、恭野は顔を上げた。その顔は夕焼け色に染まっていた。

「……一年間、学級委員よろしく」

 結局の所、学級委員は恭野になった。というより、非リア軍団の件で見せた推理が見事だったので、満場一致で「学級委員は恭野にやって欲しい」と決まったのだ。

 こうして恭野は四年連続で、九組の学級委員になった。

「恭野ありがとう。助けてくれて」

「いえ。先生がご無事で良かったです」恭野は苦笑しながらも、教室の外でうずくまっている非リア達の方角を見た。俺がああなっている可能性もあったのだ。

「ひとつだけ――恭野に聞いてもいいか?」

「もちろんですよ」

「恭野はどうして、俺を助けてくれたんだ? 俺のためにホームルームを抜け出して、武蔵野先生にまで事情を聞いてくれたんだ?」

 なんだかそれは、まるで俺が犯人じゃないと確信した上の行動のように思えた。だからそれが、すこし不思議だったのだ。

「だって……、先生が悪い人には見えなかったからです」

「それだけか?」

「それだけかもしれないです」恭野は少し恥ずかしそうだった。「うまくは言えないけど、本当にそれだけなんです。私は人を疑うのが苦手なんです。おばあちゃんからも、『人を疑うよりは、信じて裏切られた方がマシだ』というふうに教えられていて――そんなにかっこよくはなれないけど、そういう気持ちで生きていたいって思ってるんです。だから、先生を信じたいと思ったからこそ、先生を助けた……っていうのじゃ、ダメですかね?」

 恭野の瞳はきらきらと光っていた。なので俺は少女に、これ以上話を聞くのは野暮だと思った。

 俺は彼女となら――いい学級が築けるような気がした。

 これから一年間、このクラスの担任として、やっていけそうな気がしたのだ。


 でも俺は束の間忘れていた。このクラスが特殊性癖教室であるということを。

 目の前にいる恭野文香でさえも、人には言えない特殊性癖を持っているということを。

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特殊性癖教室へようこそ 中西鼎 中西鼎/角川スニーカー文庫 @sneaker

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