第3話 特殊性癖教室へようこそ 第一章②

 事件はすぐに起こった。

 始業式と着任式が終わって、職員室で休んでいる時、机の引き出しを開けたら、おびただしい量の写真が飛び出てきた。

「う、うわあああああああ」

 どれも果てしないローアングル写真だった。一目見てわかる――盗撮写真だ。きっと、世の中の悪意を知らない生まれたばかりの子供だって盗撮写真だとわかるだろう。そう思ってしまうほどに露骨な盗撮写真だ。

 それも、色の白い生徒の写真ばかりである。どう見ても胡桃沢の写真だった。下から撮られているため、スカートはきのこの傘のように見える。その中にあるパンツは、紐パンだとかラメ入りの下着なんかのビッチパンツばかりだった。女子高生のくせにこんなものを履いているのはけしからんな……。

 ていうかこの写真、エロいな。家に一枚くらい持ち帰るという手も……いやいや。

 そう思っていると、武蔵野先生がやってきて、俺の手元を見て叫んだ。

「うおおっ、伊藤先生、何を見てるんですか!?」

「武蔵野先生!」俺は慌てた。「ち、違うんです。これは引き出しの中に入っていたんです。中身を確認しているだけです!」

「はぁ」

「も、ももも、持ち帰ろうだなんて思ってないです!」

「疑ってませんから、大丈夫ですよ」

「あと、パンツも見てないです!」

「いや、見てるでしょう今」パニクっている俺に、武蔵野先生は的確に突っ込んだ。「これ、きっと胡桃沢でしょう。ユニークな下着ばかりですからね」

 パンツを見たら持ち主がわかるって、百人一首で下の句を見たら上の句がわかるみたいだな……って、そんなことはどうでも良くて。

「武蔵野先生。これは一体、誰の仕業なんでしょうか」

「こんなことをする生徒は三人しかいませんね」

「三人」多くないか?

「三人というか、グループと言いますか……」

 俺はふと、体育館への移動中に奇妙な声が聞こえたことを思い出した。湿り気を持った粘っこい声。胡桃沢のパンツを見せるとかどうとか。

 ていうか、担任の机に盗撮写真を直接投函するって大胆過ぎるだろ。


 三限目のホームルームまでまだ時間はあった。俺は九組に向かった。

 入り口のところに女子生徒が四人いて、週明けの火曜日から始まる宿題テストの話をしていた。中心に立って勉強を教えているのが、質問コーナーで俺を助けてくれた恭野文香きょうのふみかだった。俺は切り出した。

「誰か一人、頼まれてくれないか?」

「……先生。どうされましたか?」

 恭野が答える。彼女は不意に俺に話しかけられて、すこし驚いていた。

「九組に、蕎麦農麻男そばのうまおという生徒がいると思うんだが、呼んできてくれないか?」俺は、武蔵野先生から聞いた生徒の名前を告げた。

 なんとなく、一番近くにいた恭野に頼んでしまった。

 けれども恭野と一緒に話していた、アホ毛が飛びすぎて犬耳のようになっている、お前、家で髪を梳かしてこいよ、と突っ込みたくなるような生徒が俺に言った。

「あ、せんせー! また文香ちゃんにばっかり雑用を頼んでる!」

「また?」頼むどころか、始めて話すぞ。

「違うんだよ。先生方はみんな、文香ちゃんを見ると、いっつも、あれしろこれしろって言うの!」なるほど。どうやら「せんせー」は一般名詞だったらしい。「特に、武蔵野先生なんか人遣いが荒いんだよ。みんな、文香ちゃんをもっといたわるべきだよ!」

 アホ毛の生徒はぷんすかしているが、俺は恭野に用事を頼みたがる先生たちの気持ちもわかった。俺だって、四人女生徒がいる中で無意識的に恭野に選んでしまった。頼みやすい空気のある女の子なのかもしれない。

「せんせー方は、文香ちゃんを一回雑用させるたびに十回肩を揉むべきです。そーいう法律を作るべきです」

「いいんだよ、宮桃みやももちゃん」恭野は宮桃をなだめた。

「やっぱり私、そーり大臣になるべきなのかな?」アホ毛の女の子は、意味がわからないことを言っている。「だから私が、文香ちゃんの代わりに蕎麦くん呼んでくるね!」

 アホ毛の生徒は、教室の中へと入っていった。

 俺はアホ毛の生徒の名前を思い出す。確か宮桃ももという生徒だ。質問コーナーの時に、「バナナはおやつに入りますか」と聞いてきたのでよく覚えている(「この子はアホなのかな?」と思った)。

 宮桃が戻ってくるのを待っていると、恭野が俺に聞いた。

「蕎麦くん、また何かやったんですか?」

「またってことは、蕎麦って奴は、前にも何かやらかしたのか?」

「去年の林間学校の時も盗撮騒ぎを起こして、先生方にとっちめられたんです。それから半年くらいは大人しかったんですけどね」

 なるほど、初犯じゃないのか。だから武蔵野先生も見当がついたんだな。

 ふと見ると、恭野以外の残った二人は雑談を始めていた。丁度いい機会なので、俺はホームルームの時の礼を言うことにした。

「恭野。さっきは助けてくれてありがとな」

 すると、恭野は目をぱちくりさせた。

「……ほら、俺が胡桃沢に彼女のことを聞かれて困ってた時に、それとなく話を終わらせてくれたじゃないか」

「そんなことですか」恭野はなんでもないというふうにはにかんだ。

「でも、本当に助かったから」

「伊藤先生……、あんまり嘘ついちゃダメですよ?」

 思わぬことを言われて、つい真顔になった。

「恭野、気づいてたのか?」

 それから段々と恥ずかしくなってきた。どうやら彼女は、俺の「えっちな彼女がいる」という発言が嘘であることがわかっていたらしい。だとすると、そんな意味のわからない嘘をわざわざつく俺は、めちゃくちゃ恥ずかしい奴なのではないか……? うわあ、顔が熱くなってきた。

「私、ちょっぴり直感が鋭いんですよ」恭野はショートカットの前髪をくるくると丸めて、触覚のようなものを作って、おどけてみせた。「でも先生。今度は『嘘ついたら針千本飲ーます』ですよ?」

 その時、宮桃が戻ってきた。

 宮桃の後ろには蕎麦農麻男だけでなく、九組の男子グループが全員――三人いた。呼び出されたというのに、三人とも悪びれもせずに、得意げな表情を浮かべていた。「俺たちの納品物はどうだった?」とでも言うかのように。


「コッポ~~~~~ウ、拙者は盗撮魔ピーピングトムの蕎麦農麻男。趣味は女子高生の盗撮でござる! 最近は赤外線カメラを改造するための資金繰りとして、ネットに写真をアップロードしまくっているでござるよ。もちろん顔にモザイクはかけたりしないでござる。モロ出しでござる! 先生は拙者たちの贈り物、喜んでくれたでござるか? 手前味噌ながら、中々良いコレクションだったと思うでござるよ。盗撮ビギナーにもわかりやすいように、露出度を優先して、去年の夏頃に盗撮した画像を中心にセレクトさせてもらったでござる。今回の納品物の中での拙者のおすすめは、胡桃沢くるみざわ殿の汗が内ももに這っていることがわかる三枚の写真でござって……」

「ちょっと待て」

 一つのセリフの中に、突っ込みたいポイントが九個くらいあった。

 蕎麦くんは頭にバンダナを巻き、二本の三脚をビームセーバーのようにリュックサックに差していた。銀縁の眼鏡は脂汗で曇っている。

 おまけにこの喋り方。なんだこいつ。お前は九十年代からタイムスリップしてきたオールドタイプのオタクなのか?

 蕎麦くんは、盗撮は犯罪――という当然のツッコミを許さぬほどの勢いでしゃべりまくった後、喉を潤すために、水筒の中に入った味噌汁をゴクゴクと飲み干した。

 次に、隣にいる生徒が俺に言った。

「よろしく。僕は機械性愛メカテロティスム不悪句博士ふあっくひろし。気軽にファックハカセと呼んでくれ」

 気軽に呼べないあだ名を名乗りながら、その生徒は握手を求めてきた。態度のデカい生徒だな……と思いながら、俺はその手を握った。

 ハカセは小柄で、カッターシャツの上に白衣を着ていた。あだ名も相まって、本当に博士のように見える。

「お近づきの印に、僕からはこれをプレゼントしよう」

 そう言うと、ハカセは俺に双眼鏡のようなものを手渡した。

 なんとなく嫌な予感がするが、俺はそれを目に当ててみた。しかし、視界には何の変化もなかった。

「先生、違うんだ。それで女の子を見るんだよ」

 ハカセに言われて、俺は教室の入り口で宿題テストの話をしている恭野と宮桃を見た。

 ……ん? なんだこれ。

 二人の下腹部に、ピンク色のイラストが浮かび上がった。

 なんとなくいやらしいこの形――どこかで見たことがあるな。確か、一昨日くらいにやっていたエロゲーで……。

 ……あれ、これ子宮じゃね?

 恭野と宮桃の下腹部に、子宮のイラストがコラージュされている……ッ!

「お前、なんてモノを人体にコラージュしてるんだ!」

「喜んでくれたようだね! これは断面図を見ることが出来る眼鏡。被写体となった女の子の子宮の形をX線で感知し、イラストとして表示して……」

「早く病院に行った方がいいぞ!!」

 俺は投げつけるように双眼鏡を返した。ハカセは慌てて双眼鏡をキャッチする。ハカセはすこし悲しそうだったが、あくまで朗々と語った。

「先生は子宮の良さがわからないかな? 残念だね。子宮は究極のパンチラだと思うのに。子宮を見ると、『こんなに可愛い女の子でも生き物なんだ。産もうと思えば僕の子供を産むことが出来るんだ。この子は澄ました顔をして、こんなにもいやらしい臓器をつけて生きているんだ』と思えてきて、たまらなく興奮してくるじゃないか……」

「お前、人生楽しそうだな……」

「ハカセの発明は、ちょっと上級者向けだったでござるかな」

「うーん、残念だな」

「でもそんなハカセが好きでござるよ」蕎麦くんは気持ちの悪いことを言う。

 さすがは特殊性癖の持った生徒たちだ。今朝まで感じていた、「とんでもないクラスの担任になった」という気持ちが、すごい勢いで再燃して来てしまった。

 三人目の男子生徒である土之下梅流つちのしたうめるくんは、怪しい笑みを漏らしながら廊下に這いつくばり、高速で消しゴムのカスを廊下の溝に入れ込んでいた。

「ンフフ……、溝……、溝……、溝……」

 異常な興奮状態だ。彼は溝を埋めることで興奮する性癖らしい。土之下は少女のように頬を染めながら、艶やかな吐息を漏らしている。

「彼は埋葬性愛タフェフィリアの土之下梅流くん。埋めることと掘ることしか能がない男でござるよ。たまに見境なく埋め始めるのが玉に瑕でござる。でも友達同士の溝も埋めてくれるので、拙者たちにとっては大切な存在でござるよ」

 こいつ、洒落を言っているのか? それともマジで言っているのか?

 土之下はようやく我に返ると、立ち上がって俺に握手を求めてきた。指先がぬらぬらしているし消しカスで汚れているので、ぶっちゃけ手を握るのは嫌だったが、拒否するのも変なので握り返した。温かい。

 俺の前に、特殊性癖教室の男子生徒三人が揃ってしまった。「生徒に寄り添いなさい」という武蔵野先生の指示を、初日からして破りたくなるような連中だ。エリートはエリートでも犯罪のエリートっていう感じがする。三人がスラム生まれのマフィア候補生だとしても驚かないレベルの犯罪臭が漂っている。家に帰りたい。

「これが、特殊性癖教室の非リア四天王でござるよ」

「四天王?」

 どう見ても三人しかいない。ていうか非リアって自分で名乗るのか。

「四人目は誰なんだ」

「何を言っているでござるか? 四人目は先生でござるよ」

「……はあ」いつ含まれてしまった?

「先生も、下着が好きでござろう?」

「……まぁ、一般人程度には」

「女子高生の、下着が好きでござろう――?」

 蕎麦くんが一歩一歩、ずいずいと俺の方に近づいてくる。汗の粒が飛んでくるんじゃないかと思う距離だ。周囲の温度が二度ほど上昇した。

「いや、俺が『好きだ』って言ったら、色々と問題があるだろ」

「でも過去に、教師の立場にして『好きだ』と言った猛者がいるでござるよ」

「誰だそれは。とんでもない奴だな」

「前担任の前田先生でござる」

 俺はすっ転びそうになった。

「前田先生は、拙者たちと仲が良かったでござる。彼は教師の権力を用いて、ありとあらゆる盗撮シチュエーションを用意してくれたでござるよ。拙者たちは、そうして撮れたものを先生に納品する……、理想のサイクルが出来上がっていたでござるよ」

「理想っていうか闇のサイクルって感じだな」

「でも前田先生はいなくなってしまったでござる。ある日忽然と、失踪してしまったでござる」

「失踪?」解雇じゃなくて?

「折角出来た非リア四天王が、非リア三人衆になってしまったでござる……」

 蕎麦くんはしょぼんとした。やっていることの是非はともかく、慕っていた教師が急に消えたのは寂しいだろうなと、ごく普通の気持ちで俺は思った。

「けれども今は嬉しいでござる。こうして、代わりのメンバーに出会うことが出来たのだから!」

「……え?」

「先生。拙者はひと目見た時から、先生が変態であることには気づいていたでござるよ! 就任早々スラックスのチャックを開けて、女子生徒たちに自分のパンツを見せつけている所から確信したでござる。『こいつ……、とんでもない使い手だ』、そう思ったでござる。さあ、拙者たちと一緒に、甘美なるアンダーグラウンドの道を邁進するでござる!」

 蕎麦くんは俺の手を握った。

「ちょっ……」

「ドゥフフフ、遠慮することはないでござるよ。ウェルカム・トゥ・アンダーグラウンドでござる! わかるでござるよ? 本当はパンツが大好きなのに、立場的に『イエス』と言いにくいのでござろう?」

「顔、近っ……」

「しかし、恥を捨てるでござる。そうすれば、快楽の世界が開かれるでござる! 『普段、俺の授業中に寝ている生徒のパンツの色を俺は知っている。どんなパンツを履いているのか。どんなパンツがスカートの下でこすれているのか。それを知っているだけで、平凡な授業は俺にとってのスイーツパラダイスになるんだ』と、前田先生は折に触れては拙者達に語ってくれたでござるよ!」

 前田先生は何を言っているんだ。

「では、これを差し上げるでござる」

 蕎麦くんはリュックサックから怪しげなDVDを取り出した。DVDには、ワードアートのダサいフォントで「せいじゅん♡コレクション vol.63」と書かれている。

「それは拙者たちの盗撮映像でござる。vol.63は三月号でござるから、タイツ越しのえっちな下着が拝めるはずでござるよ。前田先生の全面協力があったので、中々いいショットが集められているでござる。きっとこの映像を見れば、先生もめくるめく盗撮の世界に魅了されるはずでござるよ!」

 蕎麦くんは俺にDVDを押し付けると、ドゥフフフフゲラゲラコポコポフォカヌポウ! と笑いながら教室に戻っていった。

 ……。

 変な奴らに仲間意識を持たれてしまった気がする……。頭が痛くなってきた。

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