第4話 特殊性癖教室へようこそ 第一章③

 その日は金曜日だったので、夜に教師グループの歓迎飲み会が開かれた。

 集合場所は清純駅前だった。六時に業務が終わり、バスで駅前に向かった。

 清純駅の西口はさびれている。駅前には数件のファミレスと居酒屋があるばかりで、五十メートルと歩けば何もない国道に出る。

 俺達はチェーン店の居酒屋に入り、幹事が予約したコース料理を食べた。

 俺の右隣には、飯を食いながらも握力グリップを握っている武蔵野先生が、左隣には、紙エプロン持参で衣服を守っている青木先生がいた。

 青木先生は酒に弱いらしく、チューハイ二杯でさっさと出来上がってしまって、無防備な胸元をちら見せさせていた。

「伊藤先生っ、初日はどうですかぁ? 職員室では、泣いて帰ってくるんじゃないか、なんて言われてたんですよう?」

 青木先生はケラケラと笑いながら、クリームチーズをつまんでいた。

「なんとか乗り切ったという所ですね」

 俺は枝豆をつまんでいた。隣の筋肉教師が高速で肉をかっさらっていくので、枝豆以外に食べるものがなかったのである。

 それにしても、酒に酔った青木先生はえっちだった。毎年クラス発表の時には、青木先生のクラスになった男子がガッツポーズをするという話を聞いたことがあるけど、その気持ちもわかる。年齢的に頑張りすぎなワンピースも、アルコールで曇った目には最高にセクシーだ。

 出身地だとか年齢の話を経由した後に、青木先生は聞いた。

「伊藤先生は、どうして教師になったんですかぁ?」

「本当は、なるつもりは無かったんですよ」俺は飲み会らしく、正直に答えた。「最初はテレビ局に入りたかったんですけど……でも結局、どこにも引っかからなくて、流れで教師になった感じですね」

「テレビが好きなんですかぁ?」先生は、ゆるりとした質問をする。

「うーん、好きというか」俺は頭をかいた。「反動というんですかね。大学が海洋大学で、ほとんど男子校みたいな所だったので、キラキラした業界に憧れたというか――」

「やはり、そうでしたかっ!」

 横から割り込んできたのは、武蔵野先生だった。

「私も体育大の男子寮に入っていましたからね! 男子校出身者の匂いがわかるんですよ。噎せ返るようなオスの臭いがね!」酔った武蔵野先生の声は、不必要にデカい。「いやー伊藤先生も、私の仲間でしたか!」

「うっ……」

 武蔵野先生は嬉しげだが、正直なところ、大学が男子校(みたいな場所)だということは、俺にとってはコンプレックス以外の何者でもなかった。

 しかしそんなことは意に介さず、武蔵野先生は俺の股間をギュッと握ると、同胞に向ける笑みをニッコリと浮かべた。

「しかもこれは、童貞の感触ですね!」

「うう……」図星すぎて泣きたくなってきた。「やめて下さい。そういう、とりあえず股間を触っとけっていう男子校のノリは……。セクハラで訴えますよ」

「訴える? いいんですかぁ……、先輩にそんな口を利いて」

 そう言うと、武蔵野先生は日本酒がなみなみと入った、もっきりを俺に手渡した。

「お口を清めた方がいいんじゃないですか!?」

 二百ミリリットルはあるであろうという日本酒を前に俺が戸惑っていると、武蔵野先生は手拍子を始めた。

「伊藤先生の! ちょっといいトコ見てみたい!」

 コールが始まった!

 青木先生は愉快そうな目で、ゆるやかに手拍子を合わせていた。

「はい、飲ーんで飲んで飲んで♪ 飲ーんで飲んで飲んで♪」

「教師ってこういうノリ、有りなんですか!?」

「いいじゃないですか、楽しいですよ!」

「今日は控えさせていただきたいんですけど……」

「伊藤先生は忘れたんですか!? あの男子寮での日々を。女のいない空間で無意味にキツい酒を飲みまくり、朝目覚めたら全裸でゲロまみれになっていて、記憶はないけど酔った時にやった変態的な一発芸の動画が全員にシェアされている。あの楽しい日々を忘れたんですか!?」

「忘れてないから飲みたくないんですよ!」

 ていうか、武蔵野先生はどうして俺の男子寮での飲み方を知っているんだ。やっぱり男子寮ってどこも変わらないのか?

「その時と比べたら、ここには青木先生がいるんですよ。ほら、女性の前で飲めるんです。それって、ほとんど合コンじゃないですか?」

「童貞の俺でも、その議論は雑だってわかりますよ!」

 青木先生はくすくす笑っている。お酒のせいか、その表情はなんとなくエロく見える。隙だらけな胸元では、大きすぎるおっぱいがたわわに実っている。

 青木先生と飲めるなら楽しいかも……、いやいや。

 落ち着け俺。これは俺を飲ませたい武蔵野先生の策略だ!

「僕は飲みませんからね。絶対に飲みませんから!」

「童貞の伊藤先生は知らないかもしれませんが……、一般的に女性は、お酒の強い男を好むと言いますよ?」

「えっ、マジですか?」

 つい真顔になって青木先生を見た。すると先生は、少し考えてから口を開いた。

「……えーっとぉ……、はい」

 ――飲む理由が出来てしまった。

「お口を清めさせていただきます!!」

 俺は立ち上がると、日本酒の注がれたもっきりを一気に飲み干した。

「ほほう……」武蔵野先生は舌なめずりをした。「今年の新人は、中々見所がありますねぇ……」

「教師のぬるい飲み会は終わりです」俺はスーツのブレザーを脱いだ。「男子寮仕込みの、本当の飲み会を教えてあげますよ。ね? 青木先生」

「あ、はい……」青木先生は露骨に困っている。

 武蔵野先生が小声で「まぁ、飲み過ぎる男は嫌われると思いますが……」と言った気がしたが、たぶん気のせいだったと思う。


 三十分後、俺たちは相当に出来上がってしまった。

「そうなんですか! 伊藤先生の寮でも、大晦日では肛門にガスを入れて、おなら我慢腕相撲を行っていたんですかーっ!」武蔵野先生が、過去を思い出すように笑った。「私の寮でもそうでしたよ! ちなみに私は百戦無敗でした。いやー、伊藤先生の話を聞くと、男子寮っていうのはいつの時代でも変わらないし、笑○てはいけないは長寿番組なんだなーって思いますね!」

「はい!」俺は楽しくてニコニコと笑った。「武蔵野先生の話を聞くと、まるで同じ寮に入ってたみたいですねっ! 僕も新年会の芸でワカメ酒をやりましたもん!」

「ああ、アレですかーっ! 楽しいですよね!」

「はい、アレです!」話がわかるなぁ、武蔵野先生は。「友達、僕のワカメ酒を美味しい美味しいって言って飲んでました。僕がワカメ酒をやると、本当に美味しいらしくて、みんな涎を垂らして飲みまくっていましたよー。いやー、今思い返すと、男子寮の生活も悪くなかったですねぇー」

「二人とも、すごい経験をしてきたんですねぇ……」青木先生が、若干ヒき気味で言う。

「いやいや、よくあることですよ!」武蔵野先生が答える。

「それよりも、青木先生のおっぱい、神業的に大きいですね!」俺は論理性ゼロの発言をする。「可哀想な童貞の僕に、一回だけ揉ませてもらってもいいですか!!」

「それはちょっと……」

「乳首だけにしますから!」

「きょ、教師なんですから。もう少しモラルに気を使って下さい!!」青木先生は半ギレした。

「あちゃー、怒られちゃいました!」俺は自分で自分の頭を叩いた。「では、そろそろ武蔵野先生。エッサッサでもやりましょうか」

「おお、日体大のエッサッサ! 懐かしいですねー」

 エッサッサとは、全国の男子寮に伝わる謎の動きである。アルコールによって脳みそがブレイクされた男子寮の学生たちは、みな狂ったようにこの動きをするという。

「『エッサッサの隊形に~~~~~~っ、開け~~~~~~~っ』」武蔵野先生は号令の声をかけた。

「ハッ!」

 そう言って俺は服を脱ぎ、パンツ一丁になった。

 しかしその瞬間――武蔵野先生の表情が曇った。

 ん? どうしてだろう……。さっきまでは、あんなにもノリノリだったのに。

「脱ぐのは――少し止めましょうか」武蔵野先生は苦笑する。「一応私たちは、社会的な立場を手にしているわけですからね」

「何を言ってるんですか、先生」そんな些細なことか。「国語辞書の『飲み会』の所を開いてみて下さいよ。『脱がなきゃ飲み会じゃない』って、書いてありますよ」

「その辞書は、間違っているので捨てた方がいいですが……」

 その時、店の奥から店員さんがやってきた。どうやら、俺がパン一になったのを察したらしい。

「お客様、他のお客様の迷惑になりますので、服を脱ぐのは――」

 おおっ、ショートヘアに貧乳黒シャツという、飲み屋によくいるタイプの美人だ!

「いいケツしてますね!」俺は爽やかに言い放った。

「いいケツ?」

「店員さんも一緒に、エッサッサをやりましょうか!」

「エッサッサ……?」店員さんは怪訝な表情を浮かべる。

「知らないんですか!? すぐ覚えられますよ! ほら、こうやって前かがみの体勢になって。エ~~~~サ、エ~~~~サ、エ~~~~~サ~~~~~サ」俺はゆっくりと拳を前に突き出す、エッサッサの動きを始めた。

「ひい……」奇怪な動きに、店員さんは怯える。

「エ~~~~サ、エ~~~~サ、エ~~~~サ~~~~サ~~~~~――」

 じっくりと接近していく――その時だった。

 俺と美人店員さんの間に入るように、店の奥からスキンヘッドの店長さんがやってきた。

 ――その風貌の恐ろしさに、全身の血の気がサーッと引いた。

 居酒屋の裏でマリファナの取引でもしてそうな店長は、冷淡なだけに逆に恐怖が喚起されるような、落ち着き払った声で俺に言った。

「お客様。バックヤードの方まで来ていただいてもよろしいでしょうか」

「あ、はい……」

 店長さんは、まるで嵐の前の静けさのように、穏やかな笑みをニッコリと浮かべた。

 その予想は正しかった。俺は千鳥足で連れられた控室で、烈火の如く怒られることになってしまった。


 俺は、飲みすぎて朦朧とした意識のまま飲み屋を這い出た。俺のすぐそばで、青木先生と武蔵野先生が話をしていた。

「伊藤先生……、大丈夫ですかねぇ……」青木先生が言う。

「平気ですよ。タクシーに乗せる所までは、私がやります」

「そっちじゃなくて……、ちゃんと先生としてやっていけるんですかね? 伊藤先生って、言ってしまえばよくいるクズ――ゲホゲホッ、言い間違えました。良くも悪くも、裏表のない人と言うか……」

「裏表のない人、だからじゃないですかね」武蔵野先生は真面目なトーンで答えた。「特殊性癖教室の生徒は、本音を隠している生徒が多いですから……。そういう生徒が本当の姿を見せるためには、きっと、自分が隠していることが馬鹿らしくなるくらい、全てを晒け出している先生の方がいいんですよ」

「なるほど……。伊藤先生が特殊性癖教室の担任になった理由が、今更ながらわかった気がします」

 その辺りで、俺の意識は落ちた。


次回、最終回は3/10(土)午前10時ころ更新予定です!

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