Ch2.シ


 ここはどこですか?

 私が聞くと、その人はこう言いました。

「ここは墓地ですよ。もしかして、あなたもお亡くなりに?」

 わかりません。

 そう、私は言いました。

「そうですか。では、神父様に聞いてみるといいでしょう。あの丘にある教会に神父様はいますので」

 その人は、親切にそんなことを教えてくれました。

 私は礼を言って、言われた通り、丘の上に見える教会に向かうことにしました。

「お気をつけて」

 頬肉が刮げて歯茎をむき出したその人は、飛び出た皺々の眼球を拾おうともせずに、手を振っていました。


==========


「ちょっと、そこの君!」

 廃屋に挟まれた道を歩いていると、頭上から声が聞こえました。

「君だよ、君! 一つ、助けてはくれまいか」

 声のする方を見上げると、木に人がぶら下がっていました。

 正確には、木に下げられたロープの先端に、ですが。

「首を吊って死んだのはいいが、降りれなくなってしまってね。助けて欲しいのだが、あー……」

 その人は私をじっと見つめてから、やれやれというように両手を上げました。

「君の身長じゃ無理そうだな。引き止めて悪かった。私はもうしばらくここにぶら下がっているとするよ」

 助けを呼びましょうか、と私が言うと、その人はロープで締まった首の代わりに身体を左右に振りました。

「いや、結構。君にも用事があるようだ。手を煩わせるほどのことでもないさ」

 ここから見える景色も、まぁ、そんなに悪くはない。

 その人はそう言って、私を見送りました。


==========


 それからまたしばらく歩くと、今度は小さな川がありました。こちら側と対岸を、茶色い木橋が繋いでいました。

 その橋を渡ろうとしたところで、私は岸の緩やかな斜面を降りたところに、一人の女の子がいるのを見つけました。その女の子は蹲るようにして、川面を覗き込んでいました。

 何をしているの?

 気になって、橋の上から問いかけました。すると、女の子はゆっくりと顔を上げて、言いました。

「違う世界が見えるかもと思って!」

 にこやかに言う少女はとても愛らしく思えました。私は微笑んで、成果のほどを訪ねました。

「うーん、よくわかんない! でも、とっても綺麗だったよ!」

 それは良かったね。ところで、あなたの目には何色がよく見えたかな?

「赤色、かなぁ。ピンクだったかも。あー、白色も見えたよ!」

 とても嬉しそうに女の子は言いました。人と話すのが好きなのかもしれません。

 そう。もし“ここじゃないどこか”が見えたら、教えてちょうだいね。

「うん! わかった!」

 私は微笑んで、その場を後にしました。

 女の子は手を振って、それからまた川面を見つめ始めました。

 最後に、私はもう一度、女の子を見ました。

 真っ赤なお花。

 割れた頭蓋と可愛い脳みそ。

 さようなら。


==========


 教会の近くには村がありました。石造りの家が、ポツポツと建っていました。

 村の中央には広場があって、噴水の周りには黒い炭のような何かがたくさんありました。

 へんなにおい。

 鼻をつまんでそう呟くと、どこからともなく声が聞こえました。

「いやぁ、なにもかも焼けちまってな。うちらも本意じゃないんだがな。仕方ないんだなぁ」

 その声は黒い塊の中から聞こえました。

 誰かいるの?

 私が聞くと、また声がしました。

「誰かというか、みんなここにいるねぇ」

「そういえば、あんたはまだ綺麗な身体だねぇ」

「どうしてここに来たんだい?」

「ああ、神父さまに会いに行くのか」

「お茶でもどうだい?」

「こんな身体だけどねぇ」

「焼けちまったからねぇ」

「あはは」

「ははははは」

 あなたたちも死んじゃったの?

「そうだねぇ」

「焼けちまった」

「焦げちまった」

「炭になっちまったねぇ」

「みんな燃えちまったねぇ」

「なんでだっけ?」

「忘れちまった」

「忘れちまった」

 とても楽しそうに笑っていました。

 私も一緒に笑いました。


==========


 村を出ると森の中の真っ赤な道に出ました。色んなところに人がいました。

「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん。こんなところまで、何の御用かな」

 木にもたれかかっていた人が言いました。

 神父さまのところに行くの。

 私が言うと、その人は目を細めて言いました。

「おお、そうかい。それじゃあ、この道は足元をよく見るんだよ。滑りやすいからねぇ」

 ありがとう。

 確かに地面はぬるぬるしていたので、私は言われた通りに、足元をよく見ながら歩きました。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

 声をかけられて、私は足を止めました。

 一人の男の子が、道の先に立っていました。

「探し物を手伝って欲しいんだけど……」

 男の子は遠慮がちにそう言いました。

 いいよ。

 断る理由もなかったので、私は彼を手伝うことにしました。

「ありがとう! それじゃあ、僕の腕を探してね!」

 私は頷いて、いろんなものが散らばっている地面を探し始めました。

 なくしちゃったの?

 私が聞くと、男の子は照れくさそうに、胸から飛び出た象牙色を指さして言いました。

「爆弾で吹っ飛んじゃったんだけど、全然見つからなくて」

 しばらく探すと、別の人のお腹にそれらしい腕が突き刺さっていました。

 もしかして、これ?

「あ、うん! そうだよ。お姉ちゃんありがとう! でも、これどうしよう……」

 男の子は困惑したように首をひねりました。私はお腹から腕が生えた女の人に声をかけました。

 すみません、これ、抜いても大丈夫ですか?

「ええ、ええ。構わないわ。なんだかお腹が重いと思っていたら、他の人の腕だったのねぇ」

 お姉さんは少し膨らんだお腹を摩りながら言いました。

 それじゃあ、一息に。

 私はそう言って、男の子と一緒にその細い腕を掴みました。

「せぇーのっ」

 ずるずるずるずるっ。

 ぐちゃぐちゃぐちゃ。

 木やガラスの破片が刺さった腕と一緒に、お腹の中身まで出てしまいました。

「あっ、ゴメンなさい!」

 男の子が慌てて謝りました。

「いいの。大丈夫よ」

 女の人は少し痙攣した後、微笑んで言いました。

 よかったね。

 私が男の子にそう言うと、男の子は嬉しそうに笑いました。

「うん!」

 男の子は自分の腕を抱えて何処かに行ってしまいました。

 それ、大丈夫ですか。

 私は女の人に向き直って、お腹を指さして言いました。

「ありがとう。あなた、優しいのね」

 ピンク色のはらわた。黄色い脂肪、赤身。それから、まだまだ未熟な赤ん坊。

 一緒に出ちゃいましたね。

「ずっと閉じ込めておくのもかわいそうだから、ちょうど良かったのよ」

 女の人は、青白い子供を撫でながら言いました。

「あなた、用事があるんでしょう? それなら、早くしたほうがいいわ」

 そう言われて、私は女の人に背を向けました。

 誰かが泣いていたような気がしました。


==========


 森を出て斜面を登ると、教会がありました。そこからは墓地も、川も、村も、全部が見えました。

 教会の扉は木でできていました。私がそれを両手で押すと、扉はすんなりと開きました。

 中には、幾つかの長椅子と、一番奥に祭壇と十字架がありました。壁にあるステンドグラスから、色あざやかな光が差し込んでいました。

 祭壇に、一人のおじいさんがいました。おじいさんは十字架に向かって祈りを捧げていました。私はおじいさんに声をかけました。

 神父さま、神父さま。私は死んでいますか。

 すると神父さまはゆっくりと振り向いて、私を見つめました。

「いらっしゃい。よくここまで来たね」

 神父さま、神父さま。私は生きていますか。

「そうだね。君はまだ死んではいないね」

 神父さま、神父さま。どうしてみんな死んでしまったのですか。

「さて。どうしてだろうね。君にはわかるかい?」

 神父さま、神父さま。私にはわかりません。

「そうだね。だから、君は死んではいない」

 早く、相応しい場所に帰るといい。

 神父さまは言いました。

 神父さま、神父さま。わかりました。

 どうか、死に安らぎを。

 さようなら。

 さようなら。


==========


 私は目を覚ます。

 誰かが泣いている。

 私は生きている。

 死に損なったのだと、私は知った。

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