第1話

 ジリリリリとけたたましく鳴り響く音。それは隣国の侵攻を告げる音――などではない。シングラリア第三商業区の一角、とある一軒家の主に朝を告げる音であった。朝が弱い質なのか、眠りが浅いせいなのか、あるいはその両方なのか、家主は不機嫌である。枕元の眼帯を手に取り、のそりとベッドから起き上がった。あくびを噛み殺しながら身支度をする。シルクのネグリジェを軍服に、朝の気だるさをやる気に変えて彼女は家を出た。

 シングラリア第三商業区はその名の通り商いが盛んな場所である。主に飲食店が多く、賑わっている。が、ルナセレアが家を出たのは多くの店の営業時間外であるため閑散としていた。石畳を踏み鳴らし、誰もいない通りのど真ん中を歩く。 軍服が擦れる音、腰に帯びたサーベルがカチャリと揺れる音、ブーツが地面を踏む音、あたりに反響する音全てを自分が支配しているという感覚が気分を高揚させる。この時間は彼女のお気に入りであった。

 しかし突然、彼女の愛する静穏が崩れ去る。足音が彼女の耳に届いたのだ。もちろんこんなことで機嫌を損ねる彼女ではない。ほんのちょっと、一瞬だけ、顔を顰めはしたが。こんな時間に人がいるとは珍しい、立ち止まり、集中する。

 タッタッタッと軽めの足音が二つ。子供が二人。一つは軽快にリズムを刻んでいるがもう片方は少し乱れがちだ。そしてそれに続く三つの足音。追われている。路地裏には慣れているようで子供の足音に迷いはない。しかしそれが仇となり、大人は出口を塞ぐように動いている。大人三人が子供二人を囲むのも時間の問題だろう。

 ルナセレアは再び歩き出した。行く先は二人の子供のところである。彼女の所属する軍部では治安維持も仕事の一つなのだ。罰するべきは子供か大人かは分からないが、どちらにせよ彼女の仕事であった。

 大きな影が子供二人を覆う。大柄の男が下卑た笑みを浮かべて二人を見ている。無力な子供は男に背を向け走り出そうとするが、複数人の話し声が聞こえて慌てて立ち止まった。落ちていた空き瓶がカランと音を立てて転がる。

「逃げても無駄だぜ? 安心しろ、ちゃんと良いトコに売ってやるからよ!」

 ゲラゲラと下品に笑いながら男が手を伸ばす。無力な子供は目を強く閉じる他なかった。

「それは良いことを聞いた」

 背後から声がして、目を開けて振り返る。薄汚い路地裏にはそぐわない、整った軍服を着た女がいた。

「軍人? なんでこんな所に!」

「通勤中だ。朝早くから人身売買の相談とはいいご身分だな」

「ち、違う! 俺はこいつらをちょっと叱ろうとしただけで」

「何の理由で?」

 論点をそらすことが出来た男はいくらか落ち着いて答えた。

「こいつら、スリの常習犯でな。片割れを見てくれよ、軍人さん。スった金で贅沢しやがるんだ」

 子供二人――具体的にいえば少年と少女である――のうち少女は綺麗な髪留めや流行りの服を身につけている。この男の言うことは嘘ばかりではないようだった。ただ、もう片方は顔の半分を覆うボサボサの髪、よれた薄いシャツ一枚に裾を何度も折ったズボン、ボロボロのスニーカー、一目見て貧しいと分かる恰好であった。

「……それは本当か?」

 二人のギャップに面食らいながらも女が尋ねると、少年は頷き、少女は目をそらした。一方、男は話を上手く進めることができそうで笑みを浮かべた。

「で、どうしてスリを叱るのが人身売買に繋がるんだ?」

「た、ただの脅しでさぁ。一回怖い目にあったほうが躾になると思いまして」

「なるほど」

 女は納得したように返した。そして懐から紙を取り出して何やら書き込むと複雑に折って差し出した。

「君の連れと共に国境防衛部で待っていてほしい。治安維持への協力の礼をしたい。この紙を持っていけば通して貰えるだろう。略式の紹介状のため特別な折り方をしているから、開けないように」

 男は紙を貰うやいなや路地を飛び出して行った。

「阿呆め。よっぽど早く捕まりたいらしい」

「えっ」

 思わず声をあげた子供たちに女はくすりと笑みを零す。

「紹介状の制度など軍部には存在しない」

「じゃあ全部デタラメなの?」

 臆することなく尋ねたのは少女の方であった。

「そうだ。ところで――」

 女――ルナセレアはスっと目を細める。

「お前達について話してもらおうか?」

 肩を震わせる子供にも容赦はしないとその目は物語っていた。

 二人の話を要約すると、次のようであった。

  1ヶ月ほど前、双子である二人は商人の親に連れられてこの街に来た。危ないとわかっていながらも、ここ最近は一緒に路地で遊んでいたらしい。しかし二週間ほど前から少年の単独行動が増える。不審に思った少女が少年を尾けてみると、少年はみすぼらしい格好をしてスリをしていた。止めようとした少女は巻き込まれる形で先程の男達に目をつけられた。

「ではスリは事実か」

 質問というより確認に近い問いかけに二人は頷く。大きくため息をつき、親は、と聞くと二人は慌てだした。

「親には言わないで下さい! スリなんて止めます! だからどうか親に言うのだけはやめてください!!」

 今まで黙って俯いていた少年が捲し立てた。ルナセレアは双子に目線を合わせる。

「今回は特別に見逃してやろう。もう悪いことはするなよ。約束だぞ?」

 ルナセレアは二人の頭を撫で、悪戯っ子のように笑って双子のもとを去った。

 あの双子にはスリ以外に何か後ろめたいことがある。シングラリア第三商業区の男女の双子、あるいは兄弟。調べればすぐ分かるだろう。

 静寂を取り戻した通りを歩くルナセレアは好奇心に胸を躍らせていた。職場についたら早速調べようと決意をし、足を速めた。

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