隻眼の守護者

在郷かざみ

プロローグ

 午後二時。新米兵士達は吐くほど甘いアフタヌーンティーを楽しんでいた。

 厳しい訓練を耐え抜き、配属された先は彼らが思っていたよりも甘かった。

 特別国境防衛師団。七年前、隣国であるグリスロヴィナ帝国の侵攻以降出来た組織だ。情報は少なく、通常の国境警備や国境付近の警察部隊の補助として設立されたものであるとしか公表されていない。この謎に包まれた師団こそ、彼らの配属先であった。着任式は行われず、師団長の顔、本名すら知らないまま勤務初日を迎えたのである。

 不安とは裏腹に、ふくよかでおっとりとした若い女性文官による施設案内、昼食を挟んで仕事説明、諸注意等を新米達は何事もなく終えた。それに加え、師団長への顔合わせまでの間、文官は歓迎の意を示してアフタヌーンティーを振舞うと言うのだ。こんな厚遇を受けている新米は我々ぐらいだろうと彼らが話していると、にこにことした文官がティーセットを持ってやってきた。

「美味しくなる魔法をかけておいたから、冷めないうちに飲んでくださいね」

 文官の可愛らしい雰囲気に照れた、免疫のない兵士達はそそくさとカップに口をつける。その刹那、彼らは自分の舌を疑った。

 紅茶が甘かったのだ。否、甘いなどという生易しいものではない。もはや紅茶とは認識できないほどに砂糖が入っており、この一杯を飲むだけで糖尿病になりそうだった。噴き出しそうになったのをなんとか抑え、歯が溶けるような感覚を覚えながら飲み込んだ。たった一口紅茶を飲むだけで拷問を受けた気分になった彼らは、舌の次に目を疑う。自分達に苦痛を与えた紅茶に砂糖を加え、世界でこれほど美味なものはないというような表情で文官が飲み干していたのである。固まる新米をよそに、文官のもう一杯飲もうと伸ばした手がティーポットに届きそうな瞬間。

 バァンッ

「インスリン注射を要する者はいるか!!」

 蹴破られたドアの先にいたのは右目に眼帯をした女性武官であった。

 彼女は唖然とする兵士達を見てきまり悪そうに一つ咳払いをした。

「あー。いや、いなさそうだな。去年は一人いたんだが。うん。良かった」

 彼らは徐々に平静を取り戻し、疑問に思った。この女性は誰だ、と。

 階級章は長い髪に隠れて見えない。振る舞いからすると上の方であることは確かだ。しかし彼女は文官と同じくらいの歳に見えるうえ、女性である。過去に大手柄でも挙げていない限り中佐以上とは考えにくい。

 彼らが階級を測りかねている間にも、彼女は文官にお前の基準で砂糖を入れるなと説いていた。すると新米達の間に漂う妙な雰囲気に気づいたのか、女性武官はまた一つ咳払いをして彼らの方を向いた。

「自己紹介が遅れてすまない。私は――」

「ルナ様! またドアを蹴りましたね?!」

「急を要することだから致し方あるまい。それよりも自己紹介の邪魔をするな」

「自己紹介まであと二十分はあるでしょう! 何度言ったらわかるんです? だいたい貴女はいつも――」

 二人目の乱入者は新米達をさらに困惑させた。彼は上半身に文官用の制服、下半身に武官用の制服を身につけている。加えて鋭い目付きに隈が出来ており、女性二人よりも歳上に見えるが終始敬語で女性武官に説教をしている。新米達は彼の年齢も階級も、彼が文官か武官かさえも分からなかった。甘すぎたティータイムは妙な雰囲気を通り越して混沌としている。女性武官がそこに終止符を打った。

「あぁ、もう分かった! お前の言い分は後で聞くから周りを見ろ。皆困惑しているではないか」

部屋の状況を確認し、彼はさあっと顔を蒼くした。

「すみません。少し取り乱してしまいました。……誰かさんのせいでよく眠れなくて。では私は仕事に戻りますね」

 にこやかに帰ろうとする彼を武官は引き止めた。

「まあ待て。ついでだからお前も私のあとに自己紹介しろ。皆がお前の立場を疑問に思っているぞ?」

 兵士達はいっせいに同感だという表情をした。それを感じ取った彼は分かりました、とだけ言って喋らなくなった。

「さあ、ようやく自己紹介が出来るな。私はこの特別国境防衛師団、師団長、ルナセレア・アスラル・ナストリウス少将である。覚えにくいだろうからルナで構わん。トレードマークは眼帯だ。よろしく頼む」

 しん、と室内は静まり返った。何せ茶目っ気たっぷりにトレードマークまで言ってのけた彼女が上官で、師団長で、少将だからである。再び混乱した新米をよそに自己紹介は続く。

「俺は特別国境防衛師団、副師団長、ガイアス・グラス少佐。元は文官だが今は武官をしている。狙撃が専門だが師団長の補佐と総務への指示出しが主な仕事だ。まあ、ほぼ文官と思ってくれていい。君達とともに働けることを嬉しく思う」

 我に返った新米による拍手がまばらに響く。続いて女性文官が思い出したように口を開いた。

「あれ? そういえば私、自己紹介してません。ルナ様、した方がいいですか?」

「ああ、頼む」

 女性武官――ルナセレアの返事を聞いた文官はにこにこしながら自己紹介を始めた。

「はい! 私はレイア・シセーリラです。ルナ様の補佐官やってます。さっきはごめんなさい。砂糖たっぷりの紅茶の美味しさを皆さんと共有したくて……。去年一人が高血糖で大変なことになったので控えめにしたんですけど」

「直接ポットに砂糖を入れるもんじゃないと言っただろう」

「でも熱いうちに入れないと溶けにくいし、大人数ですし手間になるかな、と思いまして」

 ルナセレアは大きく溜息をつき、以後気をつけるように、とだけ言って再び新米達に向き直った。

「基本は訓練あるいは補助的な仕事だろうが、いざという時は我が師団が一丸となり真っ先に動く。このことを念頭に置き、各々役割を果たすように!」

「はっ!」

 兵士達がルナセレアの目を見て大きな返事をすると、彼女は感心したような顔を見せた。

「いい返事だ。では、これよりそれぞれの担当が迎えに来るまで待機となる。私は執務室に戻るから、何かあったら来い。以上だ」

 二度目の返事を背に、彼女は出口に向かう。そしてドアの閉まる音と同時に兵士達は騒ぎ出した。

 扉の向こうの騒音を聞きながらルナセレアは歩き出す。若い女の少将。期待と羨望を持つ者もいれば、不安と疑念を抱く者もいる。そういうものだ。だからこそ、ルナセレアは肩書きに足る人物だと彼ら全員に証明しなければならない。上に立つ者としての器量を示し続けなければならない。ルナセレアはそのための努力を怠ったことはない。歩みを止めることなく、進み続けてきたのだ。野望とも呼べる自らの理想を成すために。

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