梅の9

 三人ともグラスが空になったので、追加で飲み物を頼んだ。直樹は今度もジンジャーエールにした。ふと見ると、まだ皿の上に唐揚げが残っている。

「このレモン、要らない?」

「うん。オレかけない派」

「俺も」

「じゃあ、もらうね。こうするとおいしくなるんだ」

 ほんとはライムがいいんだけど、とグラスの上でくし型のレモンをしぼっていると、

「梅さん」

 祐介が真顔を向けてきた。

「それ、誰に教わった?」

「知り合いから」

「髪型変えたのもそうだけど、梅さんこの夏、何かあったろ?」

 意外に早く気づいたね。まさかライムがきっかけになるとは思わなかったけど。

「まあ、僕としては大冒険だったかな」

「大冒険?」

「壁ドンとか(された側)、膝枕とか(軍曹の)、エルフのキス(おでこに)とか?」

「梅さん、大丈夫か?」

「こっちに戻ってこい!」

 二人の慌てぶりがおかしい。そろそろ僕の“初体験”を見せてあげよう。

 スマホを取り出して、つい先日ふっちから送られてきた集合写真を見せる。

「わ、エルフだ。エルがいる」

「コスプレ?」

「FDMのパーティ、全部揃ってるよ」

「クオリティ高えな!」

 二人とも大騒ぎだ。

「その写真の中にね、二人が知ってる人が三人いるよ」

 エル――エリが野上安奈の姉であることは、この場では明かさないことにした。今の健太は、大切な人の内定を守り通したことで頭がいっぱいだろう。

「三人?」

 最初に、エルフ族長の正体がばれた。

「ナオザネさん似合い過ぎ」

 大笑いしている。

「女の人、多いね」

「おい、まさか、これのぞみか?」

 さすが松ちゃん。

「なんでいるんだ?」

「彼女にはね、戦士の装備をほとんど全部作ってもらったんだ」

「梅さん、あいつとそんな仲良かった?」

「気になる?」

「いや、いいんだけどさ」

「たか兄に塗装の相談したらね、いい職人がいるって、東さんを紹介してくれたの」

「親父が?」

 健太が驚いたように言った。口が堅い二人のおかげで、サプライズ大成功だ。

「戦士の装備って、これ全部?」

 健太が軍曹を指さした。

「東さん、すごいね」

「これか。あいつがこないだまで、かかりきりになってたのは」

「心配してたよ。作るのは楽しいけど、最近できた彼氏を放ったらかしで、彼に申し訳ないって」

「ふうん」

「作業中は彼の話ばっかり。優しくてかっこよくて、頼れる人なんだって。もうデレデレ。東さんをあんな風にしちゃうなんて、その彼すごいよね」

「そうか?」

「でも、一つだけ不満があるって」

「不満?」

「“好きだ”って、はっきり口に出して言われたこと、一度もないって」

「はあ? 言わなくたって、分かんだろうよ」

「言ってあげなよ。大好きなんでしょ?」

「そりゃ――」

 あ、と祐介の顔が固まった。

「松ちゃん、おめでとう!」

「やっぱそうなんだ」

 直樹の拍手に健太も合わせてきた。

「やられた……」

祐介が頭を抱えて悶えている。ごめんね。でもこういうの、楽しいんだよね。


* * * 


 仏頂面とゆるゆるの頬を両立させるのは難しいらしく、祐介が顔をこすってごまかすのを、直樹は健太と楽しみながら見守った。

「そういえば、さっきの写真。あと一人は?」

 健太が言った。

「僕だよ。修道士ジェイク」

 再び写真をのぞきこんだ二人から、驚きの声が上がった。

「こんなに変わるもんか?」

「眼と髪はどうしたの?」

「カラコンに専用のウイッグ。自分でもすごい体験したな、って思うよ」

 直樹が言うと、

「ジェイクは女子人気No.1らしいしな」

 祐介がまた妙な視線を送ってきた。

「ジェイク状態で、梅さんはこんだけの姉さんたちに囲まれてたってわけか」

「そうだね。一応ハーレム状態だったかな」

「そんで膝枕? チュー? ラッキースケベどころの話じゃねえぞ。どんだけ経験値上げんだよ」

 できれば、膝枕はあまり思い出したくないな。鼻血まみれだったし。

「写真、他にもある?」

「あるけど」

 少し迷ったが、エルフに扮したエリの美しさをアップで見せたい気持ちが勝った。集合写真の一枚前を表示する。

「うわ、すげえきれいな人」

「ほんとにエルフとチューしてるぞ!」

 さすがに恥ずかしくて、自分では見ていられない。グラスに手を伸ばしつつ、二人に背を向けた。

「それ、口は付いてないから。寸止めだから」

「そうなの?」

 ギリギリのところで邪魔が入ったと直樹が言うと、二人は笑った。

 どうも落ち着かない。僕あんまり露出趣味ないし。そろそろスマホを回収しようと直樹が腰を浮かしかけると、

「ん?」

「んん?」

「ちょっ、これ」

 どうしたんだろ。画像はもう一枚あるが、寸止めキスの絵面に比べたら“おでこに祝福”なんて可愛いもんじゃないか。

『なんじゃあ、こりゃあ!』

「二人で一緒に叫ばないでよ、なんなの?」

 突き付けられた画面を見て、今度は直樹が叫びそうになった。

 にっこり微笑む奈々。そのそばに置かれたスケッチブックに大きな字で書いてある。

 “ごほうびのたふたふだよ”

 ななっちさん、軍曹に兜借りたんだね。

 じゃなくて。

 なんで女戦士なの? 布ほんのちょっぴりの胸あて、いつ作ったの?

 じゃなくて! 

 なんで僕の顔に、胸のっけてるの?

「なにこれ。ぼ、僕、知らないよ」

「はじめから見るか?」

 祐介が写真を数枚戻した。

 “エルフの祝福”の次は、Tシャツ姿で眠っている直樹を囲むようにして、ふっちみっち姉妹と蓉、耶知が座っている写真だった。スケッチブックのコメントは“お疲れさま、またやろうね!”

 その次は、軍曹が、直樹の傍で正座をしていた。兜をかぶった顔を背けるようにしている。“清廉なる修道士に幸あれ”

「問題はこれからだ」

 つり目美女の双子は、直樹の両側に寝そべるようにして、それぞれ直樹の頬に口付けていた。なにこの表情。“マガリ、愛してるぜ”って、二人がこんなオトナの顔するとこ、見たことないんですけど?

「僕寝てるよね。全部、寝てるうちに撮られたんだ。まったく気づかなかった」

「エロ戦士の“たふたふ”もか?」

 いや、それもういいです。

「じゃあ、これは?」

「ひゃああああ!」 

 僕の隣で寝てるこの人、誰? とんでもなく色っぽい。肩を露わにし、タオルで胸を隠して上半身裸、のように見せている。“修道士を誘惑してみました”

「されてないよ!?」 

「満足そうな寝顔だね」

「ついさっき終わったとこです、みたいな雰囲気だよなあ?」

 正視できない。それにしても、いったい誰? これまでの写真。消去法で考えると――

「ここっちさんだ!」

 第三段階? 人格いくつあるの?

「梅さんは3月生まれだから、今16歳」

 健太がぼそりと言って、座り直した。

「これ、条例違反になるよね」

「え」

「なるよね?」

 竹やん、目が怖い。

「なるだろ」

 松ちゃんは顔ごと怖いよ。

「逮捕レベルだぞ」

「待って。あの、ちょっとエグいけど、ただのいたずらだから」

「俺たちの親友をおもちゃにしやがって」

 通報だ! と祐介が真剣な面持ちで自分の手荷物を探り始めた。

「何もなかったんだって、ホントに」

 おたおたしていると、健太が突然吹き出した。祐介も爆笑している。もう。

「梅さん、たまにはいいだろ?」

「よくないよ!」

 ただ、やられる方の気持ちはよく分かった。

「いいなあ、梅さんモテモテで。松ちゃんはラブラブだし」

 健太が遠くを見て、ため息をついた。と思ったら、

「ちっくしょー。ポテサラお代わり!」

「だから、何でポテサラ?」

「竹やん、今度は俺にもちょっとくれよ」

「だめ! 他のにして」

 健太がこんな断り方をするのは珍しい。直樹が内心驚いていると、

「オレ、へろへろにしたかったのに」

「ん?」

「朱里さんを、へろへろにしたかったのに!」

「梅さん、あれどういう意味だ?」

「分かんない」

「何かやばい感じに聞こえるのは、俺だけか?」

「北極味じゃなくて、たふたふって言えば良かった。オレのバカ、ああもう」

「いいんじゃない? ここ“閉鎖的空間”だし」

「ちっくしょー!!」

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