梅の8

 兜の隙間から見える顔が怖い。

「私、の」

「ひゃい!」

「小説に」

「は、い」

「挿絵、付けてくれんやろか」

 内容が分かったらほっとした。

「光栄です。ぜひ描かせてください」

 直樹が言うと、クララ軍曹は壁から手を離し、少し下がって大きく息をついた。こちらに合掌を捧げているのは、ありがとうの意味だろう。

「ランちゃん、よくがんばったねえ」

 駆け寄ってきたふっち&みっちが涙ぐまんばかりに鎧を撫でている。いつの間に本名&ちゃん付けに? 

「戦士の鎧に、勇気もらったとです」

 力が抜けた。挿絵ならもっと穏やかなやり方で依頼してほしいものだ。

「そう、コスプレしてると、いつもならできないことも、やれちゃいそうな気がするよね」

 魔法使いコスのむっちが軽やかに回った。黄緑色の髪も違和感がない。

「てことで、私、祝福を授けてもらいたいです!」

 その言葉に、皆がエリの方を見た。エリが微笑んでうなずく。

「じゃあ、あっちでやったらどう?」

 ふっちが大きな窓を指さした。白いレースのカーテンが、明るい陽の光を受けて妙に厳粛な雰囲気を醸し出している。

 むっちは、窓際にエリと向かい合って立つと、少し背を屈めた。

「写真、誰かお願いね」

「了解」

「魔法の使い手、リューに祝福を」

 エルがその額にそっと口付ける。

「ありがとう、嬉しい」

「あたしもいいすか?」

 よろしくです、といつっちがポーズを取った。

「ほら、せっかくだから、パーティー全員、全回復してもらいなさいよ」

 数人に背を押されて、恥ずかしそうな軍曹が前に出てきた。ふぬ、と気合を入れるような声が聞こえたと思ったら、重装備の戦士はエルフの前にゆっくりひざまずいた。

「クララさん、何かほんとに全回復した感じしない?」

「しますね」

 へえ、そうなんだ。って、どうしよう。次は僕の番だ。もちろん辞退するつもりはないが、緊張と幸福感で倒れそうだ。

「はは、修道士が固まってる」

 当たり前でしょ。目の前にエルがいるんだよ。おでこの数センチ先まで、エルフの唇が近づいてるんだよ。

「修道士ジェイクに、祝福を」

 全神経が額の一点に集まっているみたいだ。僕の場合、エルの祝福は必殺技に等しい。幸せ過ぎて死んじゃうよ。

 夢心地のまま立ち尽くしていたら、額の近くでつぶやくような声がした。

「マガリ、直樹君にはご褒美がいるんだったわね」

 え? 今いただきましたけど。

「じゃあ、皆さんとは別の場所に」

 顎にエリの指が触れたと思ったら、そっと持ち上げられた。 

 ひえええ! 死ぬ! 今度こそ死ぬ! 銀色の唇が、直樹の唇に触れようとした瞬間、

「エリさん、待って」

 ふっちの声で、エリがすっと横を向いた。うわ、耳だ。エルフ耳!

「マガリ君、今度は鼻血出さないでね。グランプリ獲るまで、その衣装何回か着るから」

「姉さん、遅かったみたいよ」

「やだ、早く鼻押さえて!」


* * *


 鼻血はたいして出ず、衣装を汚すことはなかった。直樹と軍曹がのぞみを駅まで送って戻る間に準備が進められ、帰るなりお疲れ様会が始まった。

 今回は、全員が衣装や小道具制作に関わったという連帯感もあり、制作中の苦労話や中の人の変わりぶりを肴に、前回以上に場が盛り上がった。

 兄は極上トマトジュースでハイテンションになれるというお得な体質から、いつにも増してナオザネ節をきかせている。直樹は蓉が“ちょっと大人風味”と作ってくれた、ジンジャーエールのライム添えが気に入った。

 好きなテーマも、創作者という立場も同じことから、作品論や創作手法についてもいろいろな話ができた。いいなあ、この感じ。合宿みたいだ。

 ふと気づくと、直樹は柔らかいタオルの上に頭を載せて横になっていた。腹にも大きなタオルがかけられているところから、寝てしまったようだ。連日遅くまで起きていたのと、撮影完了で安心したからかもしれない。そういえば、肉まんの夢を見たなあ。夏なのに。おつまみが中華料理メインだったからかな。

「なんかね、すごい達成感。もうグランプリ獲れなくてもいいや」

 この声は、たぶんななっちさんだ。

「何言ってんの。製作費稼がないと。ほとんどエリさんが立て替えてくれてるんだから」

「それはいいんです。元々全部持つつもりでしたから」

 すぐ横でこの声が聞こえた、ということは自分の隣にはエリがいるらしい。

「いいえ、賞金からちゃんとお返ししますからね。型紙班の工賃は打ち上げ代の免除でどう?」

 気持ちいいなあ、そばにエリさんがいるし。このタオルいい香りがする。もう少しこのまま寝てようかな。

 直樹が再び目を覚ました時には、2to9の新作構想について皆で侃侃諤諤やっていた。さすがはマンガ描きというべきか、何人かは自説を披露するのにスケッチブックを取り出している。直樹は、話の流れを遮らないようにそっと起き上がると、キッチンに向かった。

 自由に使っていいとは言われているが、他人の冷蔵庫はどうも開けにくい。失礼します、と小声で言って水のボトルを取り出した。

「私にも、もらえる?」

 振り返ると、エリが空のカップを振るのが見えた。エリからそれを受け取り、直樹は自分とエリの分を注いだ。

「普段は、どこで食事してるんですか」

 直樹の問いに、エリは微笑んで床を指さした。

 エリのマンションはリビングを広くとった間取りになっているが、家具や道具類が目に付くところにまったく置かれていないので、さらに広く感じる。キッチンも同様だ。作り付けの棚やコンロを除くと、冷蔵庫しかない。最初にここへ来た時、誰かが尋ねていたが、家具らしいものはベッド代わりのマットレスくらいだと答えていた。

生活感がないからこそ、ここで撮影会までできたのだが、ここまでモノがなくて不便は感じないのだろうかと直樹は思った。マンガやフィギュアなどモノがひしめく自分の部屋とは大違いだ。体型といい髪型といい、エリは身の回りにあるものを可能な限り削ぎ落として生きているような気がする。

「少し、お話ししない?」

「はい」

 願ったり叶ったりだ。あの話をするチャンスでもある。

 シンクに寄りかかるようにして、二人で床に座った。

「コスプレ楽しかったです」

「そう」

「まさか自分がやるとは思いませんでしたけど。エリさんのおかげで、新しい世界が開けました。ありがとうございました」

「私も」

 エリが微笑んだ。

「自分と向き合えたし、皆さんとお友達になれて良かった」

 そうだよね。削ぎ落としてばかりじゃないんだ。友達、経験。増えていくのはモノ以外にもたくさんある。

 さて、どんな風に切り出そうかな。いきなり名前を出していいものか。

「直樹君」

「はい」

「竹中健太君は、元気にしてる?」

「え」

 胸を射られたような気分だ。やっぱり、そうか。

「ええ、元気ですよ」

 ここはざっくりでいいのかな。いや、僕視点だけど正確にいこう。

「最近、元気を取り戻したみたいです」

「そう。ナオミと話しててね。同じ高校じゃないかと思って」

 直実に尋ねたら、健太については直樹の方がよく知っている、と言ったそうだ。

「親友ですからね」

「そうなのね。世間て狭いわね」

「でも、彼、恋愛については秘密主義らしくて。エリさんとのことは、夏休み前に初めて聞きました」

「私とのこと?」

「卒業まで、お付き合いされてたんじゃ」

「ああ」

 エリは静かに笑った。

「同じ高校だったのは妹よ。妹の安奈」

「妹さん、でしたか」

 自分の中から何かが抜け落ちていくような気がした。修道士に憑りついていた魔物が離れた時って、こんな感じかな。

「安奈が日本を発った後、私がこっちに来るまでの間、ドイツで少しだけ一緒に暮らしたの。彼のことはその時に聞いた」

 エリの目が優しくなった。

「私ほどじゃないけど、妹も日本人には見えないから。学校ではすごく居心地が悪かったみたい」

 健太に出会い、それが一変したと聞いて納得した。

「彼は、料理が上手なんですって?」

「そうなんです。僕、よく竹やんの弁当からおかずをもらってます」

「食べることに興味がなかった安奈が大騒ぎしてたわ。“姉さん、おばあちゃんのお味噌汁と同じよ、おむすびも卵焼きも、びっくりするくらいおいしいの”って」

 母方のおばあちゃんね、と笑う。

「彼と過ごした半年間は本当に幸せだった、あんなに優しくて素敵な男の子には会ったことないって、泣きながらのろけてたわ」

「そうでしたか」

「辛くなるから、今は連絡取ってないけど、彼とはまた必ず会える気がするんですって。その時のために、彼の賞賛を受けるに値する、大人の女性になるんだって、はりきってた」

 竹中君によろしくねと言われて、直樹はうなずいた。今の話聞いたら、竹やんどんな顔するかな。

 同時に兄の言葉が頭に響いた。

 “コスコンの件が落ち着いたら、竹中氏を見舞うのだ”

 あれは何日前だったか。

 “彼は今、地獄の淵に立っておる”

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