松の8

 我に返って隣を見ると、のぞみもぼんやりしていた。

「どうする? もう少し歩くか?」

 そういや、こいつさっきからほとんど何も食ってねえな。

「うん」

 そのまま二人で、先に進んだ。妙に大人しい。やっぱりこいつ変だ。

 今日だって、以前ののぞみなら、姉について祐介の着付けを見物に来ていたはずだ。景介と一緒に騒いで余計なコメントを連発していたに違いない。

「おい」

「なに?」

「スイカじゃねえなら、なにを食い過ぎたんだ」

「なんで食べ過ぎ、って決めるの?」

「お前が大人しい理由が他にあんのかよ」

「なによ、それ」

 のぞみが吹き出した。でも、少し前のような、ハリセンが飛んできそうな勢いがない。いつからだ? 変なのは。考えていると、

「あれ買いたい」

 のぞみが指差したのは、りんご飴の露店だった。

「ユースケは?」

 やめとく、と言いかけたが思い直し、二人で小さめの赤いのを一本ずつ買った。

「ガキの頃さ」

「うん」

「りんご飴もかき氷も、青いの買ってたよな」

「うん」

「ベロ真っ青にして。おばけ~とかやってたろ、お前」

「ユースケもでしょ」

 ふっと笑った。どうも落ち着かない。

 甘酸っぱいりんごをしゃくしゃくやっていると、のぞみが言った。

「ちょっと休んでいい? 足が痛くなってきちゃった」

 慣れない下駄のせいだろう。

「じゃあ、どっか座るか」

 露店の列の裏に回ると、こじんまりした公園があった。他には誰もいない。ベンチが見えたので、そこで休むことにした。

 のぞみに合わせてゆっくり足を進めていると、のぞみが立ち止まった。不安そうに、虫が集く街灯を見上げている。

「どうした」

「ううん、何でもない」

 言いながらベンチに近づき、座ろうとしたところで、のぞみはさっと後ずさった。

「だめなの、それ」

 ひどく怯えた顔をしている。

「何もいねえぞ」

「羽よ。羽が落ちてる」

 見てみると、座面に蛾の羽が片方落ちていた。これか。妙なもの怖がるんだな。のん太郎のくせに。

 それで思い出した。前にもこんなことがあった。

“それいやなの。もようがこわいの”

 祐介が見たのは、のぞみが派手に転んだところからだ。近所の悪ガキに追い回されたか何かしたようだった。痛くて起き上がれないのか、地面に這いつくばっているところに、悪ガキの一人が近づいた。

 やり過ぎたと反省して、起こしてやるのかと思いきや、そいつは、のぞみの手の甲に何か乗せた。

 のぞみは凄まじい悲鳴をあげて激しく手を振り、それが目に入った瞬間、祐介は走り出して、その悪ガキに飛びかかった。

“虫が苦手なのに、誰かが意地悪して頭だか手だかに乗っけちゃったみたい”

“怖がって泣いてるところをあんたが助けたって”

 虫――蛾が苦手なのは小町ちゃんじゃない。のん太郎だ。母ちゃん、肝心なとこ間違えんなよ。

 祐介は蛾の羽をつまみ上げると、少し離れた木の根元にそれを落とした。ベンチに戻って座面を再確認し、手ぬぐいで払ってから、のぞみに声をかけた。

「あっちにやったから。もう大丈夫だ」

「ありがと」

 のぞみは怖々と近づいてきて、そっと腰を下ろした。

「お前、夜の虫が嫌で、元気なかったのか」

「それも、あるけど」

「なんだよ」

 のぞみが見返してきた、と思ったら急に顔を歪めた。まさか、泣くのか? 何でだ?

 慌てていると、のぞみががばりと腰を折った。なめらかなうなじが目に飛び込んできて、思わずどきりとする。

「ごめん!」

「ん?」

「私、ユースケのこと試したの。ごめんなさい」

 そのまま動かない。のぞみがうつむいたままでは話しにくいので、肩をそっとつついて顔を上げさせた。

「試したって、何をだよ」

 のぞみは膝の上に視線を落としていたが、やがて、あのね、と話し始めた。

「小町ちゃんね、ほんとは自分のこと名前で呼ぶような子じゃないんだ」

 やっぱりな。最後に会った時は、自然に“私”って言ってたもんな。

「私が頼んで“くるみ風”にしてもらったの。ユースケがああいうの嫌だって、知ってたのに」

「頼んだ? 何でだよ」

 それほど強く言ったつもりはなかったが、のぞみは身を縮めた。

「最近のユースケ、誰でもいいから相手探してるみたいな感じがしたから」

 魅力的な小町を前に、祐介はどう反応するのか? トラウマの原因になった女の子に似ていても脈があれば飛びつくのか? 

「誰でもいいって、お前なあ」

 まあ、否定はしねえけど。

「“くるみ風味”はさすがにねえわ」

「ほんとにごめんなさい。嫌なことまで思い出させちゃって」

「もういいよ」

 と言いながら、少し気になった。

「じゃあ、小町ちゃん、ずっと俺の前で演技してたのか」

 あの好意的に思えた雰囲気が全部芝居だったとは。やっぱ女は怖えな。

「ううん。小町ちゃんが作ってたのは、自分の呼び方だけだよ」

 遊園地から戻った後、二人でいた時の祐介がいかに優しかったか、のぞみにあれこれ話してくれたそうだ。

「もうちょっとで好きになっちゃうとこだった、って」

 なんだよ。そこ遠慮すんなよ。好きになっちゃって良かったのに。

「竹中君も褒めてた」

「ん?」

「松ちゃんは、いっつもバカなことばっか言ってるけど」

 褒めてねえぞ、全然。

「ちょーいい奴だよねって。一緒にいると楽しいんだ、って」

「ふうん」

 仕方ねえ、さっきの危険人物管理不行き届きの件は訓告程度にしといてやろう。

「梅田君のも聞く?」

「ついでだ。言ってみろ」

「“松ちゃんのデリカシーのなさには呆れる、竹やん以上に子どもっぽい”」

 聞かなきゃよかった。

「けど、男気があるとか男らしいって言葉に出会うと松ちゃんの顔が浮かぶよ、って」

 梅さんそんな風に思ってたのか。だったら本人に直接言えっての。特に後半。

「で、お前は俺を試してどうしたかったわけ?」

 のぞみが再びうなだれた。

「ユースケが誰でもいいわけじゃない、ってこと、確認しときたかった」

「確認?」

 何のために?

「応募、する前に」

「ん?」

「前にさ、絶賛大募集中って言ってたよね」

「お、おう」

「まだ、募集してる?」

「え? ああ、してますよ」

 内心慌てていたら、のぞみが顔を上げた。

「私、応募しても、いいかな」

 なぜか体が震えてきた。どくんどくんうるせえのは何だ? 俺か、俺の心臓の音か。

「は、はい」

 告られただけでこれかよ。我ながら情けない。がんばれ俺。何か言え。

「えっと。ご応募、ありがとうございます。受付完了です」

「何、そのしゃべり方」

 のぞみの表情が和らいだ。

「募集も締め切った。定員一名の当選者が決まったからな」

 祐介が言うと、

「うん」

 のぞみはほっとしたようにうなずき、はにかんで笑った。やべえ。

 幼なじみはねえと思ってた。ありそうだけど難しい、ファンタジーのはずだ。

 前言撤回。のん太郎は幼なじみだけど、インパクトドライバーの女だけど。

 今気づいた。すげえ可愛い。

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