松の7

 夏祭り当日。ひかりが夕方、浴衣一式をもって松沢家にやってきた。先日とは別の浴衣を着ている。今日のは“小粋な姐さん”風味だ。

「よし」

 真剣な表情で帯を締め上げると、ひかりは少し体を離した。祐介の襟やら裾の具合やらをチェックする。

「ああん、もう」

 ひかりが頬を押さえた。

「すごく素敵! 私の思った通り」

 顔が赤く見えるのは気のせいか?

「おお~」

 両親と弟からも声が上がる。母が言った。

「これぞ“馬子にも衣装”ね」

 絶対言うと思ってたよ、それ。

「兄ちゃん、二学期からそれ着て学校行けば?」

「浴衣をか?」

「うん、モテまくるよ。たぶん」

「行けるかよ」

 でも悪い気はしない。まさか景介にまで褒められるとは。

 楽しみにしていた着付けは、あっさり終わってしまった。前を合わせて細めの紐で止めておいて、上から帯を締めるだけだから当然だ。まあ、鼻息が荒くなっていないか気にしながら、長い間じっとしているのは大変なので、良かったかもしれない。それでも、21歳浴衣美人の色香を至近距離で楽しませてもらったし、ひかりがうっとりした目を向けてきた時点で相当気分は上がっている。

「じゃあ、行こっか」

「はい」

 ひかりがくれた巾着を手に提げた。中にはこれまたひかりがプレゼントしてくれた手ぬぐいと、夏のバイト代を詰めた財布が入っている。

 お祭りデートだ! たこ焼き&焼きそばと一緒にひかりさんもお持ち帰りしたいぜ!

 下駄の感覚に戸惑いつつ外へ出ると、少し先の道端に、女性が一人背中を向けて立っているのが見えた。ひかりと似たような柄の浴衣を着ている。

「お待たせ」

 ひかりがその人に声をかけた。

「お友達、すか?」

「やだ、あれのぞみよ」

 のん太郎? 近づいてみると確かにのぞみだった。浴衣というのは、ずいぶん女の雰囲気を変えるアイテムらしい。いつもよりだいぶ大人っぽく見える。

 このところ、髪を伸ばしていたのは知っている。でも普段よく見る馬のしっぽとはだいぶ印象が違う。しっぽをねじりあげて団子にして、洒落た飾りで止めただけで、ここまで女感が増すものか。

 悪くない。悪くないが中身はのん太郎だ。ひかりさんと二人で行くと思ってたのに。じゃますんなよ。

「どう? 祐介君の浴衣バージョン」

 得意気なひかりに肩を叩かれたのぞみが、ちらりと視線を送ってきた。

「うん。いいんじゃない?」

 どうせこいつも“馬子にも”ってアレを言うんだろ。そりゃお前だよ、と言い返してやるつもりで構えていたら、のぞみはそのまま歩き出した。あれ?

「どうした。スイカ食い過ぎたか?」

「違うよ」

 俺が、じゃますんなって思ったのが伝わったのかな。いつになくしおらしい態度なので、少し気が咎めた。


* * *


 ひかりは祐介以上にテンションが上がっているらしい。地元の夏祭りは数年ぶりということで、あれを食べようこれも食べたいと楽しそうにしている。

 空もいい感じで暮れてきた。浴衣デートはやっぱ夜祭だよな。

 若い男が浴衣を着ているのは珍しいのか、通りすがりの女性に、何度か好意的な目を(たぶん)向けられた。なかなかいい気分だ。

 俺のポテンシャルは、和服によって花開くんだなあ。初めて知った。景介じゃないけど、うちの学校は校則ゆるゆるだから、和服登校OKかもしれねえぞ。昔の学生みたいに袴履いて。でもそれって、もはやコスプレの域だな。

 そんなことを考えていたら、少し前を知った顔が歩いてくるのが見えた。

「竹やん」

「あ、松ちゃんも来てたんだ」

 いつもの穏やかな笑顔だ。

「浴衣、似合ってるじゃん」

「さんきゅ。竹やんはうまそうだな」

 胸にでかでかと描かれた“冷やし中華”が。

「ああ、これ? 親父がくれた」

 たか兄チョイスか。やっぱりな。

「東さんも、素敵だね」

 彼女でもない女を、さらっとしかも堂々と褒めるのがレジェンドのすごいところだ。

 でも何か変だな。祭りに来てるテンションじゃねえぞ。まだRakkaのトラウマ引きずってんのか?

 分かった。野郎と二人連れだからだ。隣にいる背の高い色男は、レジェンドが大師匠と仰ぐ従兄の金魚博士だよな。すげえ迫力。

 思い出したとたん、防衛本能が湧いて出た。前に聞いた話が本当だとしたら大変だ。

「東のぞみ、とこっちがお姉さんのひかりさん!」

 急いで口にした。

 ひとまず最悪の事態は避けられた、と思ったら、ひかりがふらりと体勢を崩した。地面に倒れる前に何とか抱きとめる。柔らけえ! それにいい匂いがする。じゃねえよ!

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 のぞみが姉の目の前で手を振っている。まったく、何してくれてんだ。にらみ上げると金魚博士の代わりに健太が手を合わせた。それからのぞみに言った。

「この辺で金魚すくい見なかった?」

「え、私たちが入ってきた方の、入り口近くにあったけど」

 のぞみの答えに礼を言うと、健太は大師匠(終始仏頂面だった)とともに、去って行った。

「大丈夫ですか」

 声をかけると、ひかりがうなずいたので、体を起こすのを手伝った。

「はあ」

 まだどきどきしてる、とひかりが胸に手を当てている。

「今の人、って」

「関わんない方がいいです。ヤバい人なんで」

 誇張じゃない。健太の言葉を信じるなら、見ず知らずの女限定でターゲットにする男だ。祐介が素性を明かさなかったら連れて行かれてたかもしれない。見惚れただけで立てなくなるってどんだけだよ。竹やんには後で厳重注意だ。あんな危険人物、野放しにすんなよ。

それで思い出した。

「お前は、大丈夫か?」

「え、何が?」

 あの眼力、効かねえ女もいるんだな。のん太郎だからか? 

 気を取り直して、夜店を回っているうちに祭り会場の中心地までやってきた。

「ひかり!」

 こっちこっち、と何人かがひかりに手を振っている。

「あ、いたいた」

 ひかりも手を振り返した。それから祐介とのぞみの前に向き直ると、艶然と微笑んだ。

「高校の同級生なの。私あっちと合流するから」

 はい?

「祐介君、のぞみのことお願いね」

「え、あの」

「がんばって」

 これは、のぞみに言った。 

「じゃあね~」

 ええええ!?

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