竹の6

 その日、健太は帰省した大学生の代わりに、通常より早くシフトに入ることになっていた。

 あれ?

 今日、水曜だよな。休憩所兼更衣室からフロアに出てすぐに、三谷氏と朱里が目に入ったので、意外に思った。朱里と目が合い、喜んだのもつかの間、朱里は気まずそうな顔をして健太から視線を外した。

 朱里には連れがいた。朱里の前に座っているその人物が、女性であることにほっとする。同じようなスーツを着ているから、その人も就活生なのだろう。

 三谷氏が手を振ってきた。

「竹中君がまたピンチヒッターやるって、女房に聞いてね」

 ヒマか、三谷さん。

「ヒマなわけじゃないよ」

 健太の心を見透かしたように、三谷氏は言った。

「君の顔見たら、仕事がうまくいくんだよ。ゲン担ぎに来てるの」

 そういえば、何の仕事してるんだろ。勝手に定年退職した人だと思っていた。

「ありがとうございます」

 答えておいて、そっと朱里の方を見ると、困ったような怒ったような顔でメニューを見ている。どうしたんだろ。

「で? その店員さんは、今日はいないの?」

 連れの女性が言い、朱里が息をついて顔を上げた。

「注文は決まった?」

「わたし? 決まったけど」

 予想通り、すぐ傍にいた健太が呼ばれた。

 朱里は硬い表情でコーヒーを頼み、連れの女性は桃のジェラートを頼んだ。オーダーを繰り返そうとしたら、朱里が健太に手のひらを向けた。

「彼よ」

 何だ?

「私が話した店員さんは」

『え?』

 健太と連れの女性が同時に発した。

「おばちゃんじゃないの?」

 驚くように言った女性が、まともに見上げてきた。 

「えっと、君は高校生?」

「はい」

 健太の返事を聞くと、目を剥いたまま、その人は朱里に言った。

「じゃあ、喜多さんが道路で足くじいてたのを助けて、お客さんが財布取り出す間、むずがる赤ちゃん抱っこしてあげたのが、彼ってこと?」

 そうですが、何か? 思いながらも口に出すのは嫌だった。だってこの人、なんか変だ。うまく言えないけど、すげえ分厚い鎧着込んで、朱里さんに武器突き付けながら話してる感じがする。健太は自分が直接何かされたわけではないのに、妙に苛立たしい気分になった。

 今回、マニュアルは無視しよう。一度は復唱しようとしたんだから、構わねえよな。

 健太が一礼して去ろうとすると、

「財布出せなくて困ってる時に、赤ちゃんを抱っこしてもらったってのは、うちの話だ」

 三谷氏が話に入ってきた。

「だとしたら、彼で間違いない。世話になったのは私の娘と孫だから」

「へえ、じゃあ、ほんとの話だったんだ」

 連れの女性が面白そうに言い、三谷氏はうなずいた。

「捻挫した時に助けたってのは、初耳だけどね」

「喜多さんが道路に座り込んでたら、通りがかりに助けてくれたそうですよ。足冷やしてる間に、折れたヒールの修理までしてくれたって」

「そう。でも全然意外じゃないね。彼ならきっとそうしただろう」

 自分のことを話されているのに、その場に残って聞くわけにはいかない。普段と違う朱里の様子も気になる。仕事しにくいな。

 そんな健太を見てか、三谷氏が手を上げた。

「私も注文、いいかい?」

「はい」

 健太は就活生二人に背を向け、彼女たちから、空いたテーブルを一つ挟んで隣に座る三谷氏の方へ向かった。普段の笑顔を封印して真面目な顔をした三谷氏は、声を潜めて言った。

「あかりちゃんは、ただの世間話として君の話をしたわけじゃなさそうだ」

 三谷氏も気づいていたらしい。

「私が代わりに事情を聞いておいても、いいかな」

 健太はうなずいた。

「よろしくお願いします」

 おかげで、不機嫌な朱里と、連れの女性が健太に向ける視線が気になりつつも、普段のようにフロアを回れるようになった。

 朱里たちが店を出て、しばらくしてから三谷氏も席を立ち、また後で来ると言って去って行った。

 数時間後、健太は、店の裏口で仕事が終わるのを待ってくれていた三谷氏から話を聞いた。

 今日、朱里たちは入社試験の一つとして“ここ数か月の間で、心に残ったこと”をテーマに、数分間のスピーチをするよう言われたらしい。

 そこで朱里は、最近捻挫をしたこと、その時に通りすがりに助けてもらったこと、さらにその人物が、朱里がよく行くファミリーレストランの店員だったことを語った。その店員がいつも人を和ませるような笑顔で接客し、必要に応じてマニュアルを超えた対応をする人だということも(1歳児抱っこのエピソードはここで登場した)。

 最後に朱里はこう付け加えた。その人の仕事ぶりや行動を見て、自分は日々の心の持ちようについて考えた、その人のように、プラスアルファのサービスができる人、誰かが困っている時、自然に手を差し伸べられるような社会人になりたい、と。

「それを時間内にうまくまとめて伝えたもんだから、面接官の心証も良かったみたいだよ」

「そうでしたか」

「で、その話を同じ場にいて聞いてた、たぶんライバルなのかな、彼女はそれを信じなかった」

 “作り話うまいね”そう言ったらしい。初めは取り合わなかった朱里だが、作り話と認めるのが嫌だったのと“ファミレスの店員なんてマニュアルが全てでしょ”という相手の発言が許しがたくて、証拠を示すことになった。

「それでも、君には会わせたくなかったんだろうね」

 今日が水曜日だから連れて来たのだろう、と三谷氏は言った。ライバルは朱里に感銘を与えたその店員をおばさんだと思い込んでいるようなので、ごまかせるかもしれない。さらに“その店員は今日は休みだった”で済ませてしまえば、日を改めてまでライバルが来店する可能性は低い。それが朱里の思惑だった。

 それが、健太をよく知る三谷氏が予期せぬ来店をし、さらに臨時のシフトで健太がフロアに現れた。本人を目の前にして朱里は焦った。“今日は休みらしい”で済めばいいが、もしその後で、ライバルが他のスタッフや話好きそうな三谷氏、健太本人に“親切な店員”の仕事ぶりを尋ね、事実確認をしたら? 今度はなぜ休みと偽って健太の存在を隠そうとしたかが詮索の対象になってしまう。

 今日、朱里が困惑していた理由が分かった。

「私も証言したからさ、作り話じゃないことは信じてもらえたんだけどね」

 三谷氏が顔を曇らせた。

 この話には続きがあるはずだ。そのことについて、三谷氏は健太にどう言おうか、思案しているように見えた。それから、

「私が首を突っ込めるのは、ここまでだ」

 ぽつりと言って、ポケットから何か取り出した。

「別件でも何でも構わないから」

 何かあったら頼ってほしい、と差し出されたのは名刺だった。

「弁護士さん、ですか」

「うん。仲間数人とね。事務所やってます」

 へえ。思わぬ形で、三谷氏の職業が分かった。

「なに、その意外そうな顔は。さては毎日日曜日の気楽なおっさんだと思ってたね」

「いえ、そんなこと」

 すいません。思ってました。頭の中で白状した瞬間、三谷氏が笑ったので、健太も吹き出してしまった。

「その笑顔が見られて良かった。じゃあ、またね」

 手を振って去る三谷氏に深く頭を下げると、健太は名刺を財布にしまった。

 三谷氏が話さなかった“話の続き”。

 それがどういうものなのかは、フロアを回っていて、断片的に耳に入ってくる彼女たちの言葉から、健太にも分かっていた。

 朱里のライバルは、こう言ったのだ。

 “残念ねえ”

 おそらく、そばを通った健太にも聞こえるように。

 “17歳はNGだよ。捕まっちゃう”

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