梅の4

「ナオキ、君?」

 エルフに呼びかけられた。これは幻? 声が出ない。

「ウメダ・ナオキ君?」

「ちょっと、名前、合ってんの?」

 ななっちに肩をはたかれた。そっちには何とかうなずくことができた。

「だったら、返事しなよ」

 エルフに向かってガクガク頭を振る。これで肯定の意味だと伝わっただろうか。それにしても、なんでエルが僕の名前を知ってるんだ?

「私、エリです」

 エルフは流暢な日本語で名乗った。あれ、エルじゃないの? それに声はゲームと違って少し低めだ。

「ナオミが言ったの。ここに来れば君に会えるって」

 ナオミ――兄に違いない。“直実”をナオミと読んで、中には女性だと思い込む人がいる。兄はその勘違いを含めて面白がっているのだ。

 まさか“紹介してやろう”って言ってたのがこの人?

「君と」

 エリが視線を2to9の四人に向けた。

「彼女たちにお話があって」

「ん? 私らにも?」

 皆で混乱していたら、再び隣のブースに誰かが駆け寄ってきた。

「エリさんの方が早かったかあ」

 ごめんなさい、と息をきらしながら言うのは、ふっちだった。2to9のリーダーは、ぽっちゃりおばちゃん風味なので、直樹にも判別がつく。走ってきたせいか、ずいぶん苦しそうだ。

 ふっちが顔を上げた。

「彼女から、話聞いた?」

「ううん、今話そうとしてたとこ」

「そう。マガリ君はお兄さんから何か聞いてる?」

「いえ」

 直樹が首を振ると、ふっちはエリの方を向いた。

「私たち、今日の打ち上げするのに個室をとってあるんです。15人は入れるから、そこでどうかしら」

「いいんですか」

「ええ、全員集まってからの方がいいと思うし」

 なんだろう? ふっちは何か事情を知っているらしい。百夜曲に兄がいることも、だ。そう思っていたら、

「マガリ君」

 ふっちが言った。

「この後、予定ないわね。あってもキャンセルしなさい」

「ええっ」

 予定なんかないけど。ずいぶん強引だなあ。

「それから、あなたも」

 ふっちがふっくらした掌を差し出した。クララ軍曹がのそりとこちらに顔を向ける。

「ぜひ、参加して」


* * *

 

 完売御礼というわけでもないので、販売会の終了時間まではその場にいなければならない。エリはドレスの隠しポケットから紙幣を取り出して、百夜曲とクララ軍曹の作品を2冊ずつ買い求めると、会場近くの喫茶店で待っていると言い残して立ち去った。

 2to9の打ち上げに最初から参加するのはさすがに申し訳ないとエリが遠慮したため、イベントが終わり次第、直樹と軍曹が喫茶店へ出向いてエリと三人でしばらく時間をつぶすことになった。

 考えてみたら、イベントではよく顔を合わせながら、終わった後、彼女たちと食事やお茶という風にはなったことがない。なんだか新鮮だ。しかもそのうち一人が見目うるわしいエルフなのだから、ドキドキしてしまう。

 クララ軍曹は普段が寡黙なので、あまり違いが分からないが、本人いわく緊張しているらしい。

「名前のナオ、は直線のチョク?」

 喫茶店へ向かって二人で歩いていると、軍曹がぽつりと言った。

「そうですよ」

「ペンネームと逆だ」

「はい。性格も曲ってますし」

 直樹が言うと、何か言いたそうにしたが、黙って首を振った。ごめんなさい、微妙なボケで。

「クララさんは地球侵略者のあれですよね」

「よう言われる。でも違う」

 本名のマクラ・ランから抜き出しただけらしい。今気づいたけど、クララさんのこの話し方、出身はどこだろう。

「ランは走る、と書く」

「へえ」

 意外にもキラキラネームだった。本人ががっちり体型でとてもランナー向きじゃないことを含めて面白い。

「兄貴はレン、マクラレン」

 軍曹にもお兄さんがいるのか。兄者と違って動きが素早そうだ。スポーツカーだもんね。

 そんな話をしていたら、指定場所に着いた。

「緊張する」

 クララが再び言った。直樹も同じだ。

「ベリーショートの金髪に黒Tシャツって言ってましたね」

 残念ながら、エリがエルフの姿でいられるのはイベント会場の中だけだ。せめて一枚写真を撮らせてもらうんだった、と直樹は悔やんだ。今度、彼女が別のイベントに出る時にでもお願いしよう。

 店内を見回すと、奥の席にそれらしい人物が座っているのが見えた。近づいて声をかけると、エリはうなずいた。銀髪もとがった耳もないが、西洋人の顔立ちと青白いほどの肌はそのままだ。腕細いなあ。軍曹の半分もなさそう。きれいな人だ、と改めて思った。

 勧められるまま、前の席に腰を下ろす。エリは薄く色のついた眼鏡の奥にある目を少し細めた。

「ごめんなさいね、あと少しで読み終わるから」

 その間、何か注文していて、と言われた。

 エリが手にしているのは先ほど買った軍曹の作品で、軍曹はひいと小さく声を上げると、直樹の隣で大きな体を縮こまらせた。分かる。目の前で読まれるのは、恥ずかしいよね。それもエルフに。

 直樹がアイスティー、クララ軍曹は熱い紅茶を頼み、それが届くころエリは冊子を閉じた。

「お二人の作品、読ませていただきました」

「すいません」

 また謝ってしまった。エリが微笑んだように見えたので、少し安心する。

「気の利いた感想言えなくて申し訳ないけど、マガリ君のは、FDM愛が溢れてますね。絵もとてもすてき」

「きょ、恐縮です」

「クララ軍曹さんもそう。それに」

 軍曹はこれ以上、体縮められないよ?

「あなたの引き出しの中には、驚くほどたくさんの言葉が入ってるみたい」

 エリは言った。

「外国暮らしが長かった、っていうのは言い訳だけど、私は日本語のボキャブラリーが少なくて。だからとても勉強になります」

「恐悦至極」

 傍から見たら、僕たち二人、この金髪細身美女に叱られてるように見えるかも。2to9の打ち上げが終わるまで、この三人で時間つぶせるかな。がんばれ僕。エルフとおしゃべりできるチャンスなんて、そうそうないぞ。

「あの」

 直樹は勇気を振り絞った。

「さっきのコスプレ、とても素敵でした。エルそのままで」

「でしょうね」

 エリは微笑んで眼鏡を外した。さっきと違って、今度は茶色の瞳だ。

「あのエルフは、私だから」

 もしかしてエリさん、兄者以上の不思議さん? そっと隣を見ると、軍曹も困惑したような顔をしている。

「ここだけの話ね」

 エリが、ある人物の名前を挙げた。直樹も知っている、どころか心の師匠だ。

 野上安理はFDMのキャラクターデザインを担当した人だ。書籍の装丁をしたり挿絵を描いたりするのが本業で北欧神話をテーマにした作品が多い。数年前のFDM制作発表時に彼が登場した時は、国際的画家の初起用というより、北欧系の美形顔で言い放ったおやじギャグ、下ネタの方が話題になった、とこれは後情報で知った。

「叔父なの。私をモデルにエルを描いたそうよ」

「そうでしたか」

 安堵と驚きが一度に押し寄せた。まずはエリさんが不思議さんじゃなくて良かった。

「友達から似てるねって言われるまでは、FDMも、それに叔父が関わったことも知らなかったけど」

「おお」

 軍曹が低く唸った。軍曹もアンリ氏のことは知ってるだろうから、驚いただろうな。

「その友達に勧められて、コスプレを始めてみたの。アルビノ体質が、こんなところで役に立ったわ」

 エリは少し皮肉な笑みを浮かべて、短い髪を指でつまんだ。

「兄と同じ、です」

 クララ軍曹がつぶやくように言った。

「髪、目の色も」

「あ、そうなのね」

 今度は優しい笑みが向けられた。

「お兄さんがそうなら知ってるだろうけど、まあ、何かと面倒よね」

 軍曹が硬い表情でうなずいた。

「でも、今日みたいなイベントで会う人は、好意的に見てくれることが多いかも」

 それって、場所が違えば、否定的な目で見られるってこと? こんなにきれいなのに?

「だから、こっちの世界が居心地良くなっちゃいました」

 エルフには不似合いな笑顔が降ってきた。

 居心地がいい、というのは同感だ。好きなものを好きと言えて、仲間と語れるなんて最高じゃないか。

 三人で共感し合い、そのままFDM談議に突入した。エリがこのゲームを始めたのは半年前で、クリアしたのはつい最近らしい。作品中の小道具や合言葉の意味などを直樹が解説すると、感心しながら聞いてくれた。軍曹も、単語を放り出すようないつもの口調そのままに、独自の解釈を披露した。

 2to9と合流する時間が近づいてきた。少し残念に思っていたら、エリが爆弾発言を放った。会場で二冊ずつ冊子を買ったのは自分の分以外に、叔父から頼まれた分だと言う。野上画伯に自作を読まれるというのも衝撃的だったが、エルフ姿では叔父が待望する18禁が買いにくいので、ナオミに調達してもらうことになっている、と聞いた時には、飲みかけていた水を噴射しそうになった。

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