松の5

 祐介の必死の依頼に、のぞみは戸惑うような顔を見せた。

「どうしてそんなこと言うのか、聞かせてくれる?」

 祐介はうなずいた。

「小町ちゃん、自分のこと自分の名前で呼ぶだろ?」

「うん」

「それ聞くとさ、俺、思い出すんだよ。くるみ事件を」

「くるみ事件?」

 そっか、あれを事件扱いしてるのは俺だけだった。

「小学5年の時、6年もか。木下くるみっていたろ?」

 のぞみはすぐに思い出したようだった。

「あいつも自分のこと、くるみって呼んでた。小町ちゃんみたいな言い方で」

 木下くるみを当時11歳の祐介は、天使だと思っていた。顔はもちろん、少し甘えた感じの話し方も、マンガに出てきそうなくるんくるんの髪型も、いかにも女の子然としたひらひらの服装もひっくるめて、女子とはこういうのを言うんだ、と思っていた。つまり、口には出さなかったが、大好きだった。

 それがだ。ふとしたことがきっかけで、祐介はくるみがクラスメイトを陰湿なやり方でいじめていた連中のリーダー格だと知った。

「たぶん、俺の人生の初トラウマだ」

 以来、祐介は女性に対し、かなり現実的な見方をするようになった。くるみは極端な例かもしれないが、どんな女にも裏の顔があるように思えてしまう。直樹のように二次元世界に向かわなかったのが不思議なくらいだ。

「小町ちゃんはすげーいい子だし、何にも悪いことしてない。お前のいとこなのにこんなこと言ってほんと悪いんだけど、小町ね、ってやられると、ぞわぞわすんだよ」

 のぞみは真面目な顔で祐介の話を聞いていたが、

「分かった」

 少し優しい表情を見せて言った。

「じゃあ、なるべく私が小町ちゃんといるようにするよ」

「悪いな」

「私はいいけど」

 のぞみは苦笑して言った。

「私とこの話するために、竹中君にRakka行かせたんだよね」

「ああ。竹やんにも後でちゃんと謝る」

 うなだれていると、肩にのぞみの手が置かれた。

「嫌な思い、したね」

 祐介は顔を上げた。のぞみ自身がそうさせたかのような、辛そうな顔をしている。

「いや、話したらかなり楽になった」

 のぞみにまでこんな顔させるのは、申し訳ない。

「こっからは気持ち切り替えるからさ」

 それから小一時間、地上100メートルからの自由落下を終えた小町から連絡を受けるまで、二人はそのままそこに座って他愛のない話を続けた。

小町と健太が待つ場所に祐介とのぞみが向かうと、心配そうな小町の隣で、宙を見つめる健太レジェンドが、真っ白な灰になっていた。


* * *

 

 せっかくいい感じだったのに。うまくすればうまくいった、かもしれないのに。

 ただ、仮にお付き合い開始! となっていたにしても、自分の呼び方を変えろとは言えない。言うとしても相当先の話だ。

 今回のことでよく分かった。相手を探す時は、食の好みもそうだが、その子が自分をなんと呼んでいるかをよく確認する必要がある。まあ、高校生以上の女が自分を名前で呼ぶのはレアケースだと思うが。なぜそのレアケースが小町なのか。他が完璧だけに残念だ。すごく残念だ。

 さよなら、特大肉まん。


* * *


 その後は、特に誘い誘われることもなく、数日が過ぎた。

 ある朝、アルバイト先へ向かうため祐介が自転車を出していると、東家の玄関が開き、何人か外に出てきた。のぞみの両親と小町だ。

 東夫妻は、祐介に挨拶すると車に乗り込んだ。

「祐介君」

 小町が手を振りながら、走り寄ってきた。

「今日、これから帰るの」

「あ、そうなんだ」

「遊園地すっごく楽しかった。また、のんちゃんち来た時、一緒にどこか行きたいな」

 ほろ苦い思いを抱きつつ、祐介は笑顔を見せてうなずいた。

「竹中君には、悪いことしちゃった」

 Rakkaの順番待ちをしている間、迷った挙句に辞退したいと言った健太を小町は引き留め、強引に乗せてしまったらしい。

「もし遊園地嫌いになっちゃったら、私のせいだね」

 小町が神妙な顔で言った。

「竹やんなら、大丈夫」

 あの後、健太には突然の人身御供をやらせることになった理由を説明し、謝った。

 そんなことだろうと思ってた、と健太は苦笑し、安めの焼き肉食べ放題でチャラにしてくれた。懐のでかい親友に大感謝だ。

「レジェンドだからね」

「それはちょっと分かんないけど」

 小町の顔に笑顔が戻った、と思ったがすぐにそれがくしゃっと歪んだ。

「すごく優しい人だった。祐介君、も」

 のぞみが出てきて、車に近づくのが見えた。祐介と小町が話しているのに気付いたようだったが、何も言わずドアを開けて車に乗り込んだ。そろそろ時間かな。

「帰り、気をつけてな」

「ありがと、元気でね」

「小町ちゃんも、元気で」

 なんでこんな切ない気持ちになるんだろう。

 小町が住む町は、飛行機を使うほどここから離れているわけではないから、会うのはそれほど難しくないのに。

 小町は手を上げて微笑み、軽やかに身を返し、車へと向かった。

 東家の車が見えなくなるまで見送って、祐介はほっと息をついた。

いい子だったな。ホントに惜しかった。ただ一つ、アレさえなければ。

 その瞬間、気付いた。

 今日は一度もぞわっとしなかった。

 ”もし遊園地嫌いになっちゃったら、私のせいだね”

 小町ちゃん――“私”って言ったよな。

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